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09 交渉
しおりを挟む「マナー違反だぞ」
冷淡な口調で語る女性は前を向いたままだ。
斜め横から交渉を嘆願しているゴールドの顔など見る気すら起きないらしい。
「本当に聞かなくてよろしいのですか?」
斜め横の位置から、バッカスの目の前にゆっくりと移動するゴールドの姿は余裕そのものである。
これも交渉術の基本中の基本だ。相手に余裕が無いと悟らせない。
「話したい事とは何だ? 手短に言え」
よし話に食いついてきた。後はこちらのペースに乗せれば勝機が見出せる。
おっと、その前に……。
この交渉で一番初めに聞くことがある。
それは、なぜ単なる女性の奴隷に莫大な金額を払うと宣言しているのか、という女性奴隷の競売に参加している理由である。
希少種や貴族の娘と勘違いしているだけなら、事情を話せば交渉の席から降りてくれるだろう。
本当に理由は何なのだろうか?俺が口に手を当てて考えていると痺れを切らしたのか、声を荒げてきた。
「私に言いたい事とは何だ! さっさと言え」
「その前にお尋ねしたい事があります。なぜあの女に莫大な金額をかけるのですか?」
ゴールドは余裕をみせるために笑顔を作ってはいるが、額には汗がビッショリと出ている。
(ずいぶんと高圧的な女性だな。でも……)
しかし、この質問に対してバッカスは目を背けて、床の方を見つめた。顔を赤く染めている。
「……」
「ん?」
声を発しないバッカスに対して、ゴールドは再び質問をする。
「あの、理由は……」
「全く。公の場で言わせるのか! あの女が私の好みだからだ!」
バッカスはゴールドの顔を直接見ずに、床に目を伏せたままだ。
顔を赤く染めている姿は先程までの堂々としたものではない。
(この人、そう言う系だったのか)
ゴールドはどうしようかと考えていた。
正直、この奴隷商人に母親を売り渡してもいいんじゃないか?
少しはそう思ったかもしれないが、女児との約束だ。
ゴールドは、目に力を込めて遂に本格的な交渉に乗り出した。
「先程お耳に入れたいという話は、犯罪についての話です」
「犯罪だと? まさか誘拐であの女はオークションに出されているのか?」
「実はそうらしいのです。誘拐された人物をそのままオークションで売り捌いたと知れ渡れば、奴隷商会そのものの信用に関わります」
「なるほど」
バッカスはゴールドの話を聞きびっくりした表情を見せた後、顎に手をやり顔を傾けた。
ゴールドはニコッとした表情で勝利を確信した。
だが……。
「お前は、そんな事を言うためにオークションを中断させたのか?」
バッカスは交渉に応じない。やはりそうだ。
そもそも、奴隷か奴隷でないという証明は出来ない。
被害者家族の訴えなど商会の金・政治力で押しつぶせるだろう。
想定の範囲内の反応に、ゴールドは笑みを浮かべながらゆったりとした口調で続けた。
「いいえ、もう一つあります」
バッカスは既にこちらの顔を見なくなっている。
横を向きながらであるが辛うじて会話をしている状態だ。
「それは何だ?」
「はい。実はあの女には娘がいまして」
「そうだったのか。それでお前はその娘に頼まれて」
「そうなのです」
食いついてきた。
そう。これは最後の手段である。
ゴールドはもう一つの本能、母性に勝機を賭けたのだ。
娘のいる母親を買い取るなど、人並みの母性を有する女性には出来ないはず。
相手の子供の事を考える知性があるのならだが。
「ふむ……。母親だったか」
遂に、手を口元に当てて目を瞑った。バッカスは何かを考え始めたのだ。
(あともう一押しか)
ゴールドは交渉相手の変化を見逃さず、交渉の条件を畳被せる。
「もう一つ言い忘れていた事がありました。仮に競争から降りた場合には、奴隷の購入額と同等の金額をあなた様個人に贈呈する事をお約束しましょう」
「ほぅ……」
これでこちらのカードは出し尽くされた。母性で心を揺るがして、金でトドメを刺す。
これ以上はオークション内でできない。
ゴールドは、発言後も様々なケースを考えていた。もしバッカスが交渉に応じなかった場合は?
掛金を吊り上げ続けるか?
だが、高貴な身分でもないおれ達は、単なる冷やかしと認定されてオークション会場から追い出される可能性がある。
苦悶の表情を浮かべるゴールドに対して、バッカスの口が動こうとしていた。
この時、彼の心音は近くの観客にまで聞こえるほど大きな音を出していたという。
そして、遂に冷淡な口調で会話を再開する。
「分かった。私は、今後値段を吊り上げるような事はしないわ」
「感謝の意を表します。あなた様の商会は今後も発展してゆく事でしょう」
思わず口元が緩む。ゴールドはやってのけたのだ。
天才と言われるバッカスとの交渉に打ち勝ち、手を引いてもらう事を宣言させた。
「では、失礼いたします」
一度、深くお辞儀をして軽い足取りでフォーレン達のいる席まで戻る。
心配そうな顔で待っていた2人に対して、満面の笑みで勝利の報告をした。
「交渉は上手くいったよ。安心してくれ」
「お兄ちゃん大好き!」
依頼人である女児は嬉しさのあまり飛びついてくる。
対照的にフォーレンはというと、まだ顔を歪ませながら唇をかんでいる。
ゴールドがフォーレンに、その表情について質問しようと口を開けたその時だった。
「お兄さん! もうオークション再開するからね!」
ピエロの声である。交渉で勝利を勝ち取った嬉しさで忘れていた。
まだオークション中である事を。
「すみません。再開して下さい」
「それでは、オークションを再開いたします。バッカス様の2000万Gより上に出す方はいらっしゃいますか?」
「3000万G!」
ピエロの質問に対して、ゴールドは晴れやかな表情で値を吊り上げる。
バッカスとの交渉で、ゴールド側が勝利するという事を確信しているのだろう。
値を吊り上げる際も焦っている様子が全くない。先程まで緊張していた人物とは別人のようだ。
ピエロも高額な競売に慣れたのか、最早、数千万単位の発言に対して動揺しなくなっている。
「他に名乗りをあげる方はいますか?いませんね。では、これで終了の鐘といたします」
〈カンカンカン〉
オークションが終了した事を知らせる音が鳴り響く。
しかし、勝利の音が響き渡っていてもフォーレンの表情は暗いままだ。
気になったゴールドはフォーレンに話しかける。
「フォーレンさんどうしたんですか? 浮かない顔をして」
「まだ、どうなるか分からないわよ。『必ず負ける』理由がまだ取り除かれていない」
「何を言ってるんですか、オークションは終わったんですよ」
浮かない顔をしているフォーレンを除いて、ゴールドと依頼人の女児は手を取り合って喜ぶ。終わった。オークションは終わったんだ。
これで依頼人からの願いは完遂する。
この瞬間はそう思っていた。
おれはフォーレンの言っていた『必ず負ける』という言葉の意味を正しく理解できていなかったんだ。
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