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第2部

26 解呪

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「な、なんで……」

「今まで従ってきたのは、契約の拘束力によるものではない、俺の意思だ」

 獣は私を下ろし、向き合ってそう言う。

「あら~、感動的ですねぇ。……無意味ですが《──つるぎよ、火を走らせよ》」

 感情のない声を出し、詠唱するアリアの手には剣の形した炎。

 その剣から放たれる火球は、猛烈な勢いで獣の背に迫る。

「獣さん!」

「《──っ焦熱の盾よ!》」

 稲妻の迸る、半透明で球状の障壁が私達を覆って、炎から守る。

「あららぁ。でも、そんな強力な魔術、そう維持できるものでもないでしょうっ!」

 間を置かず、アリアはいくつもの炎弾を放つ。

 その全てを防ぐ障壁。

「っ!効かないなら!壊れるまでやるだけの話です!」

 障壁の向こうは燃え盛る炎に包まれた。

 しかし、その激しい熱は私には届かない。

「……お前が《あの時、持っていた全て》は、俺のものとなった。その全ての中には"お前自身"も含まれるのだろう?」

「……そうです」

 私が自らにかけた《制約》は自分自身をも対価にするもの。だからこそ強力な《契約》を上書き出来たのだ。

「ならば、勝手に死のうとするな」

「……私には誰も救えません……この命すら偽物……全部奪われたんじゃない……全部奪ってたんだ……そんな私に何の価値が……」

「……そうか……そういう事か。……やっとお前が囚われている《呪い》の正体がわかった」

「呪い……?」

「誰かを救う?間違えるな。一番最初に救われなければならないのは──お前自身だ」

「──え?」


◆◆◆◆◆◆◆◆


「お前は長い間、聖女という役目を押し付けられていた所為で、《人を救えない自分には価値がない》と思い込まされている、そう自分に呪いを掛けて、囚われている」

……何を言われているのか、わからない。

「何が間違っているのですか……?」

「最初から、聖女ではなかったのだろう?」

「……そのようです」

「ならば、先代の聖女のように出来なくてもいいのだ。誰かを救わなくとも、何かを為せずとも、お前は無価値ではない」

「私は……アリアを弾き出して、全てを奪っていたのです……そんな人間に……」

「聞いてくれ、生物は生まれた瞬間から、何かを害さずに生きる事は出来ない。獣は食い合い、縄張りを争う。草木は陽だまりを取り合う。人が肉を食うには、生き物を屠るしかない。誰も綺麗な手のままではいられないのだ。お前がした事が何であれ、お前の存在を否定する事にはならないのだ!」

「……私は……」

 牢獄で屠った獣の温度を思い出した。

 あれと同じ事だって言いたいの……?

「例え、誰も認めなかったとしても、俺はお前を認めよう、お前にはそれだけの価値があるのだと!」

 獣は真っ直ぐに私を見つめる。

「……っ」

「例え、特別な存在でなくても、聖女でなかったとしても、聖女のように出来なかったとしても、お前が魔術で生まれた存在だとしても。お前には生きる価値があるのだ。──お前は生きていて良いのだ」

「…………」

「俺が保障しよう。認めてくれ、《自分には生きる価値がある》のだと。お前を捕らえている呪いは、自分自身でしか解けん」

「どうしてそんなに……」

「……俺はお前のような美しい者を、もう二度と殺したくはないのだ」

 獣は涙を流していた。

 私はまた、頭が真っ白だった。

 この6年間、私はこんな風に、誰かに認められた事なんて一回もなかった。

「すぐには認められなくとも構わない、だが、自ら救われようとしない者を救う事は、誰にも出来ない」

「それでも私は……罪深い存在です……」

「何を言うかと思えば。もしお前が罪深いのなら、我ら獣と一緒にいて、何故まるで"変異"が起きない?」

「……へ?」

 獣の近くにいれば、近くの人間も変異すると聞いては、いた。

 自分の事なんてどうでもよくて、考えた事もなかった。

「それに、お前達の信じる教えの言葉を借りるなら『悔い改める者こそ幸い』なのだろう?お前は自分の罪を知り、悔いた。それだけでもう充分のはずだ」

 涙を流しながら、冗談を言うように獣は笑った。

「さあ、立ってくれ、俺が仕えた娘よ。もう、お前は充分に泣いた。充分に苦しんだ。立てぬなら支えよう、戦えぬなら代わりに戦おう。如何なる危険からもお前を守ろう。だから……もう、自分を無意味だなんて言わないでくれ」

 私の手を取って立たせる獣。

 何故か、胸が高鳴っていた。

 炎なんて、障壁がみんな防いでいる筈なのに、顔が熱いような気がした。

「あの聖女とやらにも感謝しなくてはな。《契約》が解除されなければ、"主人"に対して、ここまで言う事は出来なかっただろう」

 何か、凝り固まっていた何かが解きほぐされたような気がした。

──同時に、獣の張った障壁が殻を破るように、砕け散った。
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