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㉓
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モワデイルの活気に溢れた大きな通りを、私はアーレンの腕にぶら下がるようにつかまって歩いていた。
歩けるようにはなったが、まだ少し足腰が不安定なのだ。
アーレンもそんな私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれている。
文句の一つも言ってやりたいところだったが、すぐに周りの風景に気を取られてそんなことは忘れてしまった。
アーレンによれば、モワデイルはオルランディアの中でも古い都市で、建国当時の建物もたくさん残っていることもあり、観光名所としても有名なのだそうだ。
観光地なだけあって、街並みはとてもきれいだ。
今まで訪れた町のような雑多な佇まいがないので、それがとても新鮮に見えた。
「今日はあれに乗ってみないか」
アーレンが指さしたのは、町の中を流れる小川に浮かぶ小舟だった。
「船?あれに乗ってどうするの?」
「あの川は人工的に作られた水路だ。モワデイルの中で三重の円を描くような形になってる。それを利用して、ものや人を運ぶ船があるんだ」
「へぇ?」
船は珍しいけど、それに乗ってなにが楽しいのかいまいちピンとこない。
「あの船もとても有名で、モワデイルの外せない観光名所の一つだと言われている。ほら、ものを運んでいる船よりも、身形のいい客を乗せている船の方が多いだろう?あれは観光客だよ」
そう思ってみると、確かに観光客っぽい人を乗せた船が多い。
そうでない船の中には、別の船の乗客相手に飲み物を売るようなことをしている船もある。
「こんな町の中の水路だから、流れも穏やかで船も揺れないから安全だ。船頭も名所の案内をしながら船を流してくれるから、自分で歩かなくてもいい上にモワデイルのことに詳しくなれると一石二鳥なんだ」
「へぇ!」
一気に興味が惹かれた。
歩かずに観光名所巡りができるなんて、今の私のためにあるようなものではないか。
「乗ってみたいわ!」
「よし。じゃあ、早速行こうか」
すぐ近くにあった船着き場でアーレンが船頭となにやら交渉し、料金を前払いした。
いくら払ったのかはわからなかったが、船頭のおじさんが嬉しそうな顔をしているので、相場より少し色をつけたんだと思う。
「さ、おいで」
私がなにか言うより前に、アーレンは私をさっと横抱きに抱え上げてから船に乗り込み、クッションの置かれた座席にそっと降ろしてくれた。
顔を赤くする私に、アーレンは金色の瞳を細めて額にキスをしてくれたので、さらに顔が赤くなってしまった。
人前でこういうことをされるのは、未だに慣れない。
「お熱いねぇ。新婚さんかい?」
四十代くらいの日に焼けた船頭のおじさんは、ひゅうっと口笛を吹いてちゃかしてきた。
「ああ、新婚旅行中なんだ」
「そうかいそうかい。モワデイルは治安もいいし、新婚旅行にはぴったりだ。楽しんでいってくれよな」
船着き場から離れた船は水面を滑るようにゆっくりと動き出した。
きょろきょろしたり水の中を覗き込んだりと忙しい私に、船頭のおじさんは声をかけた。
「奥さん、船に乗るのは初めてかい?」
「は、はい……」
「モワデイルは、元は要塞だったんだ。まだオルランディアという国ができる前、ここから北東にある山の中に、大きな瘴気だまりがあってな。そこから定期的に魔物が今のオルランディアの王都がある平原まで溢れだしていた。それを食い止めるためにつくられたんだよ。この水路もな、今はこんな使われ方をしているが、当時は砦の壁の外に張り巡らされた堀だったんだ」
こうして、船頭のおじさんによるモワデイルの観光案内が始まった。
モワデイルができる前、ここはなにもない野原だった。
そこに、オルランディア王家の祖先ナイジェル・オルランディアが周囲の部族から兵を集め、魔物に対抗するための陣を敷いた。
戦地には、兵だけでなく物資を運ぶ商人なども各地からやってくるので、店や宿などが建てられた。
何年にもわたる苦戦の末、やっと瘴気だまりがなくなり、魔物が出てこなくなったころ、ここには町ができていた。
それが約三百年前。モワデイルの始まりだ。
豊富な魔力を有し、人望も厚く誰よりも武功を上げたナイジェルがその町を治めることになり、時代の流れとともに領地が広がり、やがてオルランディアという国となった。
つまり、当初はモワデイルがオルランディアの首都だったのだが、東にさらに領地が広がったことで不便になり、今の王都へと遷都されたのが約百年前のこと、なのだそうだ。
アーレンは当然ながら知っている話なようだが、私は聞いたこともなくて、感心して聞き入った。
「ここがオルランディアの起源なんだ。ここで育った俺たちは、それを誇りに思ってる。古い建物なんかが残ってるのも、そのせいだ。一つ一つに長い歴史がある。こんなのは一度壊したら、もう元に戻せないからな。夫婦仲も同じだぞ!兄ちゃん、よく覚えときな!年取ってから嫁さんに捨てられたら、男は悲惨だからな!はははは」
「肝に銘じておくよ」
たまに軽口を挟むおじさんに、アーレンは苦笑で返す。
「ほら、あの橋を見てみな。あれがモワデイルで一番古い橋だ。変わった色をしているだろう?」
「そうね……なんか、白っぽいですね」
「あれは、土と魔物の骨を混ぜ合わせた煉瓦でつくられてる。当時は建材が貴重だったが、逆に魔物の骨はいくらでも手に入ったそうでな。それを利用したんだ。そのおかげで、今でも現役で残ってるんだよ」
私たちの乗った船は、白っぽい橋の下をゆっくりとくぐっていく。
「ほら、このあたり。骨があるのが見えるだろう?」
おじさんが櫂で示したところには、埋め込まれた骨の形がくっきりとわかる煉瓦があった。
よく見ると、他にもそういったものがたくさんある。
「骨が表面に出てしまった煉瓦は、こうして上からは見えないところに使われたそうだ。流石に不気味だからな」
「そう、ですね」
確かに、こんな煉瓦が表に見えるように使われていたら、夜にこの橋を通るのはちょっと遠慮したい、と思うかもしれない。
「その次は……もうすぐ見えてくるあれだ」
「あれはなに?お城?」
「いいや。昔は領主の館だったんだが、今は役所として使われている建物だ。なかなか立派なものだろう?」
「そうですね。これも、なんだか白っぽいような?」
「この煉瓦もさっきの橋と同じで、魔物の骨が入ってる。おかげで三百年経った今でもヒビ一つ入ってない。ほら、もうすぐ壁画が見えてくるぞ」
建物の白い壁一面に描かれていたのは、どうやら魔物と当時の人たちが戦闘をしている場面のようだった。
「こっちの右側が魔物だな。いろんな種類のがごちゃごちゃしてるだろ。そこに描かれてるのはドラゴンだ。こんなのが出てくるなんて、ぞっとするよな」
おじさんの言う通り、見たこともないような魔物がたくさん描かれている。
上の方には翼を広げて飛びながら炎を吐くドラゴンまでいる。
あんなのと、当時の人たちはどうやって戦ったのだろうか。
「こっちは人間側だな。いろんな部族から兵を集めたもんで、盾やら槍やら装備がバラバラなんだ。先頭にいるのが、ナイジェル・オルランディアだ。金髪に金色の瞳の、色男だったと言われている」
古風な鎧や曲がった剣などを手にした戦士たちがたくさんいて、その先頭で一際大きく描かれているのは、金髪と金色の瞳の青年だった。
籠手と脚絆だけの軽装に剣を握って味方を鼓舞するよう声を張り上げているように見える。
アーレンの金色の瞳は、元をたどればこの人に行きつくのだろう。
そこで、ふと気がついた。
「おじさん、あれはなに?」
後方から魔法使いが魔物に向けて放ったいくつもの氷や炎の矢に隠れるように、なにか黒いものが描かれている。
はっきりとは見えないけど、それは大きな黒い鳥のように見える。
「ああ、あれか?あれも魔物だろう。魔法で撃ち落される直前のところが描かれてるんじゃないかな」
と、いうことは、おじさんもあれがなにかはっきり知らないわけだ。
ちらりと隣を見ると、アーレンはなにも言わずに私の肩を抱き寄せた。
私たちはそのまま無言で壁画の前を通り過ぎた。
歩けるようにはなったが、まだ少し足腰が不安定なのだ。
アーレンもそんな私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれている。
文句の一つも言ってやりたいところだったが、すぐに周りの風景に気を取られてそんなことは忘れてしまった。
アーレンによれば、モワデイルはオルランディアの中でも古い都市で、建国当時の建物もたくさん残っていることもあり、観光名所としても有名なのだそうだ。
観光地なだけあって、街並みはとてもきれいだ。
今まで訪れた町のような雑多な佇まいがないので、それがとても新鮮に見えた。
「今日はあれに乗ってみないか」
アーレンが指さしたのは、町の中を流れる小川に浮かぶ小舟だった。
「船?あれに乗ってどうするの?」
「あの川は人工的に作られた水路だ。モワデイルの中で三重の円を描くような形になってる。それを利用して、ものや人を運ぶ船があるんだ」
「へぇ?」
船は珍しいけど、それに乗ってなにが楽しいのかいまいちピンとこない。
「あの船もとても有名で、モワデイルの外せない観光名所の一つだと言われている。ほら、ものを運んでいる船よりも、身形のいい客を乗せている船の方が多いだろう?あれは観光客だよ」
そう思ってみると、確かに観光客っぽい人を乗せた船が多い。
そうでない船の中には、別の船の乗客相手に飲み物を売るようなことをしている船もある。
「こんな町の中の水路だから、流れも穏やかで船も揺れないから安全だ。船頭も名所の案内をしながら船を流してくれるから、自分で歩かなくてもいい上にモワデイルのことに詳しくなれると一石二鳥なんだ」
「へぇ!」
一気に興味が惹かれた。
歩かずに観光名所巡りができるなんて、今の私のためにあるようなものではないか。
「乗ってみたいわ!」
「よし。じゃあ、早速行こうか」
すぐ近くにあった船着き場でアーレンが船頭となにやら交渉し、料金を前払いした。
いくら払ったのかはわからなかったが、船頭のおじさんが嬉しそうな顔をしているので、相場より少し色をつけたんだと思う。
「さ、おいで」
私がなにか言うより前に、アーレンは私をさっと横抱きに抱え上げてから船に乗り込み、クッションの置かれた座席にそっと降ろしてくれた。
顔を赤くする私に、アーレンは金色の瞳を細めて額にキスをしてくれたので、さらに顔が赤くなってしまった。
人前でこういうことをされるのは、未だに慣れない。
「お熱いねぇ。新婚さんかい?」
四十代くらいの日に焼けた船頭のおじさんは、ひゅうっと口笛を吹いてちゃかしてきた。
「ああ、新婚旅行中なんだ」
「そうかいそうかい。モワデイルは治安もいいし、新婚旅行にはぴったりだ。楽しんでいってくれよな」
船着き場から離れた船は水面を滑るようにゆっくりと動き出した。
きょろきょろしたり水の中を覗き込んだりと忙しい私に、船頭のおじさんは声をかけた。
「奥さん、船に乗るのは初めてかい?」
「は、はい……」
「モワデイルは、元は要塞だったんだ。まだオルランディアという国ができる前、ここから北東にある山の中に、大きな瘴気だまりがあってな。そこから定期的に魔物が今のオルランディアの王都がある平原まで溢れだしていた。それを食い止めるためにつくられたんだよ。この水路もな、今はこんな使われ方をしているが、当時は砦の壁の外に張り巡らされた堀だったんだ」
こうして、船頭のおじさんによるモワデイルの観光案内が始まった。
モワデイルができる前、ここはなにもない野原だった。
そこに、オルランディア王家の祖先ナイジェル・オルランディアが周囲の部族から兵を集め、魔物に対抗するための陣を敷いた。
戦地には、兵だけでなく物資を運ぶ商人なども各地からやってくるので、店や宿などが建てられた。
何年にもわたる苦戦の末、やっと瘴気だまりがなくなり、魔物が出てこなくなったころ、ここには町ができていた。
それが約三百年前。モワデイルの始まりだ。
豊富な魔力を有し、人望も厚く誰よりも武功を上げたナイジェルがその町を治めることになり、時代の流れとともに領地が広がり、やがてオルランディアという国となった。
つまり、当初はモワデイルがオルランディアの首都だったのだが、東にさらに領地が広がったことで不便になり、今の王都へと遷都されたのが約百年前のこと、なのだそうだ。
アーレンは当然ながら知っている話なようだが、私は聞いたこともなくて、感心して聞き入った。
「ここがオルランディアの起源なんだ。ここで育った俺たちは、それを誇りに思ってる。古い建物なんかが残ってるのも、そのせいだ。一つ一つに長い歴史がある。こんなのは一度壊したら、もう元に戻せないからな。夫婦仲も同じだぞ!兄ちゃん、よく覚えときな!年取ってから嫁さんに捨てられたら、男は悲惨だからな!はははは」
「肝に銘じておくよ」
たまに軽口を挟むおじさんに、アーレンは苦笑で返す。
「ほら、あの橋を見てみな。あれがモワデイルで一番古い橋だ。変わった色をしているだろう?」
「そうね……なんか、白っぽいですね」
「あれは、土と魔物の骨を混ぜ合わせた煉瓦でつくられてる。当時は建材が貴重だったが、逆に魔物の骨はいくらでも手に入ったそうでな。それを利用したんだ。そのおかげで、今でも現役で残ってるんだよ」
私たちの乗った船は、白っぽい橋の下をゆっくりとくぐっていく。
「ほら、このあたり。骨があるのが見えるだろう?」
おじさんが櫂で示したところには、埋め込まれた骨の形がくっきりとわかる煉瓦があった。
よく見ると、他にもそういったものがたくさんある。
「骨が表面に出てしまった煉瓦は、こうして上からは見えないところに使われたそうだ。流石に不気味だからな」
「そう、ですね」
確かに、こんな煉瓦が表に見えるように使われていたら、夜にこの橋を通るのはちょっと遠慮したい、と思うかもしれない。
「その次は……もうすぐ見えてくるあれだ」
「あれはなに?お城?」
「いいや。昔は領主の館だったんだが、今は役所として使われている建物だ。なかなか立派なものだろう?」
「そうですね。これも、なんだか白っぽいような?」
「この煉瓦もさっきの橋と同じで、魔物の骨が入ってる。おかげで三百年経った今でもヒビ一つ入ってない。ほら、もうすぐ壁画が見えてくるぞ」
建物の白い壁一面に描かれていたのは、どうやら魔物と当時の人たちが戦闘をしている場面のようだった。
「こっちの右側が魔物だな。いろんな種類のがごちゃごちゃしてるだろ。そこに描かれてるのはドラゴンだ。こんなのが出てくるなんて、ぞっとするよな」
おじさんの言う通り、見たこともないような魔物がたくさん描かれている。
上の方には翼を広げて飛びながら炎を吐くドラゴンまでいる。
あんなのと、当時の人たちはどうやって戦ったのだろうか。
「こっちは人間側だな。いろんな部族から兵を集めたもんで、盾やら槍やら装備がバラバラなんだ。先頭にいるのが、ナイジェル・オルランディアだ。金髪に金色の瞳の、色男だったと言われている」
古風な鎧や曲がった剣などを手にした戦士たちがたくさんいて、その先頭で一際大きく描かれているのは、金髪と金色の瞳の青年だった。
籠手と脚絆だけの軽装に剣を握って味方を鼓舞するよう声を張り上げているように見える。
アーレンの金色の瞳は、元をたどればこの人に行きつくのだろう。
そこで、ふと気がついた。
「おじさん、あれはなに?」
後方から魔法使いが魔物に向けて放ったいくつもの氷や炎の矢に隠れるように、なにか黒いものが描かれている。
はっきりとは見えないけど、それは大きな黒い鳥のように見える。
「ああ、あれか?あれも魔物だろう。魔法で撃ち落される直前のところが描かれてるんじゃないかな」
と、いうことは、おじさんもあれがなにかはっきり知らないわけだ。
ちらりと隣を見ると、アーレンはなにも言わずに私の肩を抱き寄せた。
私たちはそのまま無言で壁画の前を通り過ぎた。
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