30 / 45
だからどうした
しおりを挟む「諦めて、部族の元へ帰って。私、ジュチくんが死んじゃうところなんて見たくないよ…!」
眦に涙さえ湛えてフィーネは少年へそう懇願した。
そしてジュチは咄嗟に返す言葉を持ち得ず、二人の間に沈黙が落ちた。
「……………………」
フィーネの言葉は正しい。どうしようもなく正しかった。
少なくとも論理的に否定する言葉をジュチは持っていなかった。
「まだ、だ…。まだだ!」
だが胸の内に湧いた諦めを無理やり振り切ろうとやけくそのように声を張り上げる。
それは賭けですらない無謀で、だが諦める訳にはいかないという意地だけがジュチを突き動かす。
「そいつの留守を狙えばいい! よしんば出くわしても俺とエウェルなら逃げだして―――」
「ならジュチくんはスレンから逃げられるの!?」
「ッ―――!」
己が名を呼ばれ、首をもたげたスレンが主の言葉に沿うようにジュチをギロリと睨む。
それだけでジュチの背筋に氷柱が突っ込まれたような悪寒が走った。
恐らく蛙が蛇に睨まれればこうなるのだろう。そんな場違いな感想が現実逃避した脳裏に走り抜ける。
多少スレンと心を通わせようが、その暴威を現実に向けられた時ジュチは何処までも無力な少年に過ぎなかった。
眼前に実体として在る原始的で圧倒的な恐怖。抗えない、抗いようがない彼我の力関係が無謀に挑もうとしたジュチの足を止めた。
「ジュチくんが挑もうとしているのは、スレンを殺せる魔獣なんだよ!? スレンから逃げ切ることも出来無いのに、大王鷲に挑むなんて死にに行くだけ。私に友達を見殺しにしろってジュチくんは言うの!?」
今度はフィーネが語気を荒れ狂わせ、ジュチへ向けて一歩詰め寄った。
少女の感情の昂ぶりに精霊が呼応する。
轟々と風が逆巻き、晴天に突如として暗雲が呼びこまれた。吹き付ける風が湿り気を帯びる。
嵐の前兆だ。
フィーネの感情が嵐を呼び込み始めているのだ。
異様過ぎる雰囲気を醸し出す闇エルフの少女にアゼルが警戒と畏怖の視線を向けた。
「……ジュチくんがどんな思いか、どんなに大変な目に遭って《天樹の国》に来たか分かるよ。それでも、お願いだからこのまま引き返して。これ以上前に進めんでも、何もない。何も、出来ないの」
「…………」
滾々と諭すようにかけられる言葉に返す言葉がなかった。故に沈黙で以て答える。
こういう時、子供特有の全能感は全く湧いてこなかった。無謀で愚かな蛮行へ足を踏み出す勇気が湧いてくることはない。
前世の影響か並みの大人よりも回る頭脳が少女の言葉が正しいと理解してしまう。そして一度理解してしまえば、死の恐怖が少年の足を縛る。
一度飛竜に襲われた挙句に臨死体験まで経験しているだけに、背筋を凍らせる恐怖は限りなく実感を伴っていた。
「…………」
声が出ない、思考が纏まらない。
考え無しの放言ですら、やってやるという言葉は出てこない。
(どうしようもない、のか…。でも…。だけど俺に飛竜並みの化け物を何とかすることなんて…)
己が身の程を客観的に見ることが出来る故に、思考は否定的な方向へ傾いていく。
こんな時、前世の記憶―――転生とは決して無条件の祝福ではないのだと思い知らされる。
ジュチに前世に関する確たる記憶はない。『知識』こそ豊富に思い浮かべることが出来る一方で『思い出』はほとんど引き継ぐことはできなかった。
だがそれでも己の前世がどこにでもいるようなありふれた人間であったことは教えられずとも分かった。
(俺、は…。俺なんかじゃ、どうしようも…)
どんなに努力しても成功に届かない領域があり、逆に殊更に努力をしなくてもそこそこの結果には辿り着くことが出来る。
絶頂でも、どん底でもない平凡で中庸な人生を送ってきたのだろうと、記憶もないのに不思議と理解できる。
限界を知っている、身の程を知っている、届かない場所があることを知っている。その記憶に残っていないはずの経験がジュチの魂に絡みつき、理性という名の言い訳を囁きかける。
仕方ないことだと。
命が危ないのだからと。
助けに来た者が命を落としては本末転倒もいいところだと。
(こんなの、どうしようもないだろ…。俺じゃ、どうにも出来ない。どうにも出来ないことを無理やりやるなんて、ただの馬鹿だ。俺が失敗して、迷惑がかかるのは俺だけじゃないんだ…)
理由を、自分を納得させる言い訳を胸の内で重ねていく。
臓腑に濁った感情が積もるのを感じながら、心の天秤が片方に傾いていく。
だから―――と、諦観と打算に塗れた賢しい前世が結論付ける。
だからツェツェクを見捨てるのもやむを得n―――うるせぇ黙れ。
諦めと言う名の安楽に沈もうとした少年を踏み留めるものがあった。
それは決して希望ではない、むしろ恐怖と呼ばれる感情。
だが現実に打ちのめされた少年が拠って立つための最後の砦であった。
(ダメ、だ…。ダメだダメだダメだ! 絶対に、それだけは、ダメだ! ダメなんだ!!)
声に出さず、魂で叫ぶ。
諦観を踏み潰し、打算を投げ捨てる。
醜くも理屈の通った正論を、頭の中で思い切り殴りつけた。
「……だから、どうした」
最初は誰にも聞き取れないほどの小声で。
「だからどうした!」
続く叫びは山々に木霊するほどの大音声で。
馬鹿馬鹿しいほど英雄的で、無謀と蛮勇に満ちた魔法の言葉を口にする。
突然の叫びに目を見張る二人を他所に、ジュチはちっぽけな意地を貫くため、全力で自分を追い込んでいく。
ビビッて腹が据わらないというのなら、言葉に出して無理やり決意を固めるしかないのだ。
「自分が馬鹿なのは分かってるんだ! 自分の身が可愛い臆病者だってことも知ってんだ!」
フィーネの言葉に一切の誇張が含まれていないのだろう。
真実、大王鷲は飛竜と同等以上の危険を持っていて、見つかれば、確実に……死ぬ。
この状況で成功を望むのは、奇跡を望むことと等しい。
「死にたくなんてねえよ! デカい鳥に食われて終わりなんてそれこそ死んでも御免だ!」
死ぬのは嫌だ、またあの時のような思いをするのはまっぴらごめんだ。
「でもよ、しょうがねえだろうが!」
かつて飛竜に襲われ、あの世に片足を突っ込んだ経験が、腹の底からそう思わせる。
「俺は、ツェツェクがいなくなることの方が、もっと、ずっと、おっかないんだ!!」
それでもジュチは……己が死ぬより、家族が死ぬ方が遥かに恐ろしいのだと、気付いてしまった。
「上等だよクソッタレ! 大王鷲なんて怖くねぇ、怖くねえぞバカヤロォォーー!」
家族へ向ける情愛で持って恐怖を無理やり乗り越え、ブルブルと絶え間なく震える脚を押さえつけ、#ヤケになった少年は天にも届けと蛮勇を叫んだ。
フィーネの言葉は正しい。彼女が語る選択肢は安全で、犠牲の少ない、正しい道だ。
だが、正しい道だけが目指す場所に辿り着けるわけではない。回り道をするからこそ出会える景色があるように、間違った道だからこそ辿り着ける場所だってあるはずだ。
少年が進む道先はきっと都合のいい幸運など望めず、危険と困難が待ち受けるばかりなのだろう。
それでも確かなことは一つあった。
前世に目覚めた賢しいだけの少年はこの時、その賢しさを捨てて|大馬鹿者__えいゆう__#になるための一歩を踏み出した。
0
あなたにおすすめの小説
御家騒動なんて真っ平ごめんです〜捨てられた双子の片割れは平凡な人生を歩みたい〜
伽羅
ファンタジー
【幼少期】
双子の弟に殺された…と思ったら、何故か赤ん坊に生まれ変わっていた。
ここはもしかして異世界か?
だが、そこでも双子だったため、後継者争いを懸念する親に孤児院の前に捨てられてしまう。
ようやく里親が見つかり、平和に暮らせると思っていたが…。
【学院期】
学院に通い出すとそこには双子の片割れのエドワード王子も通っていた。
周りに双子だとバレないように学院生活を送っていたが、何故かエドワード王子の影武者をする事になり…。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
【ご報告】
2月15日付で、誤字脱字の修正および一部表現の見直しを行いました。
ただし、記載内容の趣旨に大きな変更はございません。
引き続きよろしくお願いいたします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
転生したので好きに生きよう!
ゆっけ
ファンタジー
前世では妹によって全てを奪われ続けていた少女。そんな少女はある日、事故にあい亡くなってしまう。
不思議な場所で目覚める少女は女神と出会う。その女神は全く人の話を聞かないで少女を地上へと送る。
奪われ続けた少女が異世界で周囲から愛される話。…にしようと思います。
※見切り発車感が凄い。
※マイペースに更新する予定なのでいつ次話が更新するか作者も不明。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる