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14 将軍閣下とゴシップ新聞

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 パーシヴァルと結婚してからハルは外出時護衛をつけるように言われていた。
 元々屋敷の警備をしている者とも顔見知りだったので、気心は知れているとはいえ、わざわざ私用についてきてもらうのは……と渋っていたハルだった。
「公爵夫人たる者、一人でふらふら出歩いていいわけがないよ」
 父ショーンにもそう言われて、仕方なく年の近いエラリーとクリフを護衛に選んだ。
 エラリーは赤毛にそばかすの目立つ二十歳の若者で、クリフは二歳年上で赤みがかった金髪と褐色の瞳をした温厚そうな人物だ。この二人は兄弟だ。
「奥方様。お買い物でもいかがわしいところでもどこでもお供しますよ? どこにしましょう?」
 面白がるようにエラリーが問いかけてくる。クリフがその頭を小突いた。
「調子に乗るな。……申し訳ありません。あとで言い聞かせます」
「今まで通りでいいから。とりあえず、奥方様はやめてほしいな。今日はレイン商会に行きたいだけなんだ」
 ハルは帽子の中に目立つ銀髪を押し込んで、眼鏡をかける。少し裕福な家の子弟のおしのびという雰囲気の簡素な衣服を着て身支度は完了だ。
 明日は新商品のお披露目をするので、品物の最終確認のために店を訪問するつもりだった。タフト公爵の妨害などがあって、久しぶりの明るい催しなのだから、ハルも気合いが入っていた。
 さすがに当日には顔を出せない。開発担当のハルと宣伝担当だったハリエットが公爵夫人になったことは店の人たちは知っているし、お客にも伝わっているのだから。

「前評判も上々だから、軌道に乗ったら新色とか考えておいて」
 ジャスこと商会長のジャスティン・レインはそう言って忙しく店内の飾りつけを確認していた。
「来週から即位十周年の催しが始まるから人も増えるだろうし、売り上げが期待できるよ」
「そうだね」
 新商品は色落ちしにくい口紅と蜂蜜を使った石けんだった。どちらも即位記念の行事を見るために王都に来た人たちが土産に手に取りやすい価格帯にしている。
 このところ店の売り上げも下がっていたのでいいきっかけになるかな、とハルは思った。
「そっか。将軍閣下は忙しくなるんだっけ。ハルも舞踏会に出るの? 今日手伝ってもらってよかったのかな」
 ジャスは少し心配そうに問いかけてきた。
「大丈夫。舞踏会はハリエット。僕は晩餐会とお茶会にいくつか出席予定だけどね。何か知らないうちに出席する行事が増えてて……」
 話す機会が多い行事にはハルが出た方がボロが出ないだろうと考えて、そういう分担にした。というより、ドレスを着る機会を減らしたかっただけだ。

 国王アーティボルトの即位十周年を祝う行事は各国の来賓を迎えて華々しく行われる。すでに何カ国かの大使は到着していて、街も祝い事に便乗しようと沸き立っている。
 パーシヴァルが警備を担当しているパレードは初日で、各国の使者たちと国王陛下が馬車に乗って大通りを行進する。だからそれが終われば彼の仕事は一段落するはずだ。
 問題はその後の行事にも筆頭公爵家当主として参加が求められていて、そのうちいくつかはハルも同伴で出席しなくてはならないことだ。
 パーシヴァルは全部一人で出るつもりだったらしいけれど、結婚したことが知られているのだからちゃんとどっちかの夫人を連れて来なさい、と国王陛下から命令されたらしい。
 つまり、舞踏会以外も出席しなきゃいけなくなったのだ。
 各国が祝い事にかこつけて第二妃やら寵姫候補を押しつけるつもりだと知って、国王陛下はどうやらパーシヴァルの結婚を自分の虫除けに使う気満々らしい。

 二階の事務室で帳簿と在庫の最終チェックをしてから、やっと落ち着いてジャスとあれこれ近況の話になった。護衛の二人も誘われて一緒にお茶を飲んでいる。
「そうか。閣下とは上手くやってるんだよね?」
 ジャスが歯切れの悪い口調で問いかけてきた。
「何かあったの?」
 ハルが問いかけると、ジャスは声を落として答えた。
「いや……下世話なネタばっかり取り上げる新聞があるだろ? あそこが最近ハルたちのことをネタにしてるらしくて。……気をつけたほうがいい」
 差し出された新聞にハルは眉を寄せた。安価な紙が入って来るようになったとはいえ、文字の読み書きできる平民ばかりではない。こうした新聞は中産階級以上の人たちがこっそり読む類のものだ。
「ロレッタさんが気づいて教えてくれたけど、もうかなり出回っているらしい」
 ハルはさらっと目を通してしばらく沈黙した。

 冷徹な公爵が双子の美しい兄妹を強引に娶って、二人一緒にベッドに並べて夜な夜な寝室で凌辱の限りを……って、何を見てきたように嘘書いてるんだよ。
 それは官能小説のような内容だった。
 流石に公爵家に正面から喧嘩を売るつもりはないのか名前は仮名になっているが、公爵家当主にして将軍、というのは一人しか該当者がいない。
 これでは暴虐な貴族が逆らえない男爵家の兄妹を欲望の餌食にしているという印象を与えてしまう。ハルが結婚以来あまり人前に出ていないこともそうした想像を生んでしまう理由かもしれない。
 だからって人の家のベッドの中を勝手に想像して書くか?
 怒りというより唖然とした。

「うわー。ないわー……」
 下ネタ慣れしているとはいえ、自分が題材にされているのはげんなりする。
 エラリーたちがこちらを見ているので、一枚渡すとどういう表情をすればいいのか迷っているようだった。
 パーシヴァルの人となりを知っているから、この記事が大嘘ってくらいはわかっていても、内容が酷すぎる。
「こんな嘘ばっかりの記事良く書くよなあ。おかげで何か下世話な客が店員に絡んできたりして困ってるんだよ。叩き出してるけどな」
「そもそも合ってるのって、毎晩いらしてることだけ……」
 うっかりそう言ったら、二人の護衛がそろってむせ込んだ。ジャスも困ったように笑っている。
「あのなあ、ハル……ハルは公爵夫人なんだから、もうちょっと慎みを……な?」
 護衛二人に振り向くと揃って頷いている。確かに失言だった。
「ごめん。忘れて」
 とりあえず帰ってから父に相談すればいい、とハルは新聞をテーブルに置いた。
「そもそも僕とハリエットを並べること自体不可能だからね。前提から間違ってる。寝室の描写も公爵家の内情も全然違う。こんな幽霊屋敷みたいな陰気くさい家じゃないからね? 使用人は皆働き者でいい人たちだし、パーシヴァル様は家の中で暴力振るったりとか絶対しない。僕は一度も見たことない」
「……ってことは公爵家の関係者じゃないんだな」
 おそらく噂で伝え聞いた内容から適当にでっち上げたのだろう。記事というより読み物のような書き方だ。何かあったらただの架空小説だと言い逃れるつもりなんだろう。
 まあ、この新聞自体が今まで本当のことを書いたためしがないので、鵜呑みにするのはちょっと想像力のない人たちだろうとは思う。そもそも、この新聞を読んでいること自体が悪趣味だと言われかねないので、わかっている人は表には出さない。
「屋敷がこんな風だと思われると父さんの仕事がけなされてるみたいで、ちょっと嫌だけどね」
 身よりを失った自分を養子にしてくれたショーンには恩がある。屋敷の使用人たちは優しくていい人ばかりで、ハルは色々と助けられた。だからこの記事の内容で抗議したいのはその辺りだ。
「閣下についての書き方は嫌じゃないの?」
「その辺は僕が証明するしかないよ。僕が囚われた可哀想な夫人ではないってわかったら皆こんな記事笑い飛ばすだろうし。閣下がすごく優しくて素敵な人だって知ったら、下らない噂なんてなくなるよ」
 ハルが夫人になったことでパーシヴァルがあらぬ噂を立てられるのなら、それを晴らすのも自分の仕事だと思った。
 立派な公爵夫人になれるとは思わないけれど、せめてパーシヴァルに恥をかかせない振る舞いを覚えよう。
「そうかあ……。どうなるのかと思ってたけど、ハルはちゃんと愛されてるなあ」
 ジャスがしみじみと呟いた。
「どういう意味?」
「いや、さらっとのろけられたなーと思って。ごちそうさま」
 ハルは自分のさっきまでの言動を思い出した。そして赤面する。
 毎晩寝室を供にしているとか、パーシヴァルが優しくて素敵だとか……。
 ……何を口にしているんだ僕は。これでは浮かれていると思われても仕方ない。

 公爵邸に戻ってショーンに新聞の話をすると、軽く眉を寄せてから嫌そうにそれを手に取った。
「……この新聞は今までもパーシヴァル様を取り上げて、呪われているだの、氷のように冷たい男だのと面白おかしく書いてきた。本気にするような愚か者はいないだろうが、舞踏会でこのことを揶揄してくる者はいるかもしれない」
「って、それじゃパーシヴァル様の良くない噂ってこの新聞が出所?」
 ハルはそれを聞くと一気にこの新聞に対する不快感がこみ上がってきた。
「まあ、そうそう長くは続かないよ。想像で書いているならそのうちネタがなくなるだろうから。ハルは今以上に作法のレッスンを頑張りなさい。完璧な公爵夫人を演じるためにも。そうすればこの記事をただの空想だと皆に伝わるだろう。安易に相手に圧力をかけただけではこちらにも後ろ暗いものがあると勘ぐられる。仕掛けた者はそれが狙いかもしれない。……周到なものだ」 
 たしかに。パーシヴァルが怒って抗議すれば、それが新たな記事のネタになってしまうのだ。面白おかしく書かれて、新聞が売れてしまう。
 だからこそ、舞踏会でパーシヴァルの噂を打ち消さなくてはならない。
 それに舞踏会にはハティの仇もやってくる。ハリエットに色目を向けてきた貴族たちも。
 気分は戦場に向かう兵士だった。ハルは拳に力を込めた。
 やるなら徹底的に、と師匠から教わったハルにとっては、まだ知るべき事があるとわかっただけでも収穫だ。
「……貴族には貴族の戦い方があるってことだよね?」
 ショーンは頷いた。
「パーシヴァル様はそれがあまり得手ではないから、ハルが助けて差し上げるといい。私が教えられることは教えよう」
 確かに。人付き合いが上手くないパーシヴァルには社交の場は苦戦を強いられる戦場だっただろう。ショーンはそれが歯がゆいものに思えたのだろう。
「とりあえず、ハル。この新聞のことはパーシヴァル様のお耳には入れないように」
「了解」
 ハルはショーンに約束したのだけれど、それがすでに手遅れだと気づいたのは、直後に帰宅したパーシヴァルが同じ新聞を手にしていたからだ。
 出迎えたショーンとハルは顔をこっそり見合わせた。

 ……あー。もしかして副官さんの仕業かな……。
  
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