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第1話 縁が見えないだと?

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「悩みがあるのです」

「他言はしないと約束します、ぜひ悩みをお聞かせ下さい」

 早鐘を打つ心臓を抑え、俺は低い声で応じた。

 今は夜で周囲も薄暗い。

 その上相手の顔が見えないようにと仕切りがあるため、見えるのは手と胸元だけだ。

 シンプルだけれど上品な服装と可愛らしい手袋が見える。

 育ちの良さが丸わかりだ。

(あなたのような人が来るところではないですよ!)

 今すぐ帰宅を促したいが、それも出来ない。

 そんな事を言ったら自分が誰なのかバレてしまうし、悩んでいるお嬢様を突き放すなんて出来ない。

「実はわたくし、このまま婚約者である彼と結婚していいのかわからなくて。彼は本当にわたくしを愛してくれているでしょうか?」

 切ない声と言葉に、俺は悩んでしまう。

 そんなの力を使わなくても答えはわかっていた。大事なお嬢様と結婚するのだからと徹底的に調べあげてるからだ。

 あのくそ野郎は浮気をしている、お嬢様を愛しているなんて事はない。


 ◇◇◇


 今悩みを打ち明けてくれている女性、トレイシー=ティナビア伯爵令嬢様は、俺の恩人だ。

 人の縁が見えるという特殊な力の持ち主である俺は、小さい頃に両親が浮気していると知らずに言い放ったのだ。

「二人共別な人と赤い糸が結ばれてるよ?」

 それがそれぞれの浮気相手とは知らずにお互いに言ってしまった為に、平穏だった家庭は一気に修羅場となった。

 お互いに慰謝料を請求するドロドロの離婚劇となり、余計な事を言い放ち、家庭を崩壊に導いた俺は疫病神扱いされ、捨てられた。

 勿論金もなく、生きる為の力もない俺はすぐに死にかける。そこをこちらのトレイシーお嬢様に助けられた。

 もう二度と余計な事は言わないぞと思ったが、急遽お金が必要になった事、そして巷で恋占が流行り、その手の仕事が儲かるからと聞いて始めて見たら、見事ヒットしたのだ。

 無論今度は言い方をマイルドにし、浮気の事を伝える時は言葉をよく精査して伝える。悪縁だけではなく、良縁も伝えれば喜ばれ、良い評判も増えてきた。

 そして身内は絶対に占わないと決めた。

 自分のせいであのような崩壊をするのが見たくなかったし、間違っていると責められるのも怖い。

 見知らぬ人ならばまだ心は痛まなくて助かる。

 昼は庭師の仕事をして、夜はここで占いの真似事をする。

 商業ギルドを通してスペースを借りて副業をしていたのだが、お嬢様が来るとは予測もしていなかった。

 自分の事が占えないとこういう時に困ってしまう。


 ◇◇◇


(それにしても婚約者との関係に悩んでいるなんて。屋敷では何でもないように振る舞っていたんだが)

 婚約者の醜聞を聞いても、
「今だけよ、彼は絶対にわたくしの所に戻ってきますもの」
 と言って気丈にしていたのに。

 どうしても耐え切れなくなったが、誰かにいう事も出来なくて、結果こんなところに単身来たのだろう。

 俺だとは知らずに相談しに来たのだから、口外は絶対にしない。


「……あなたはその方を愛しておりますか? そうであれば信じてみるのもいいと思います」

 かろうじてか細い線が繋がっているのは見える。お嬢様に未練があるのなら、俺に切ることは出来そうにない。

 理屈と感情は違う。例え辛い事になろうともお嬢様の気持ちを優先させたい。

「それがわからないから悩んでいるのです」

 そう、だよな。

 悩んでるからこんな所に来たのに、それすらも忘れてしまった。

 あいつには他に女がいて、もうすぐお嬢様を捨てようとしてるという話だが、それはお嬢様も知っている。

 だから悩んでいるのだ。

 好き嫌いだけでは貴族は婚約解消出来ないが、その前にはっきりと答えを出したいのだろう。

「それでは俺が新たな縁がないか探ってみましょう。手を、失礼します」

 仕切りの間から手を伸ばし、お嬢様の手を握らせて貰う。

 手袋越しなのに柔らかく、仕切り越しなのにいい匂いがする。

 駄目だとはわかっているのに、好きだと伝えてしまいそうになった。

(お嬢様を幸せにできるのは俺ではない)

 身分も金もない自分には分不相応だけれど、思う気持ちは止められない。

 今はそんな場合ではないと、俺は無理矢理感情を抑え、深呼吸して力を使った。

 だが、変だ。

 お嬢様と結ばれてる赤い糸がくそな婚約者との細い一本しか見えない。

 大抵誰かと繋がっているはずなのだが……。

 お嬢様の貴重な赤い糸があのクソ野郎とだけなんて、あっていいわけがない。

 だが、事実見えないのだ。

「これから運命の人と出会えるようですね。焦らずにそのままのあなたで居てください」

「はい……」

 何とも言えないという返事だ。

 まぁ俺も有益な事が言えてないから仕方ない。

「今日は話を聞いてくれてありがとうございます、心が軽くなりました」

 そう言ってお代を置こうとしたお嬢様の手を、俺は押し返す。

「お代は結構です。具体的な道筋を教えられませんでしたから」

 俺は誰と縁が繋がっているのか糸に触れればわかるのだが、お嬢様の場合はその糸がないから、知ることも出来なかった。

 だからお代なんてもらえない。

「でも、それでは申し訳ありませんわ。あなたにも生活があるでしょう?」

 なんとお優しいのだろう。俺の生活まで心配してくれて。

「いいえ、これでは俺の気が済みません。必ずあなたの運命の人を連れてまいりますので、お代はその時で」

 俺はドサクサに紛れて再びお嬢様の手を握った。

 知られたら伯爵様に怒られるだろうが、どうせお嬢様が嫁いだらどこか別の街に行き、もう会わないつもりだからいいだろう。

 失恋したところにいつまでも居座るなんて出来ない、だから俺はここから離れるために金を貯める必要があった。



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