石川メアの異世界召喚術式作製法

所為堂篝火

文字の大きさ
23 / 46

XXII.九綯燐華の世界

しおりを挟む
 その日は雨。
 分厚い灰色の雲が覆いかぶさるようにして空を埋めている。

 燐華は普段通り途中までの帰り道を時緒と共にし、家に着いた。

 次の異世界召喚術式作成会議は、ユウリが無事魔術師の手記を解読した後に行うことになっている。その為今日は特に予定もない。

 家の戸の前で折り畳み傘を閉じて雨露を払う。

 だが、燐華にはその眼前に立つ古い日本家屋が果たして「家」と呼べるものなのか、未だにわからずにいた。

 曇りガラスの張られた古臭い引き戸に手を伸ばしたところで一瞬立ち止まる。そして、そこだけ色が剥げて朽ち葉色になった取っ手を、朧げに見つめる。

 いつもだ。

 この「家」に住み始めてからというもの、燐華が何の躊躇いもなくこの引き戸に手を掛けたことはない。それはこんな雨の日であっても変わらずであった。そうしている間にも傘から曝け出した頭に雨粒が降り注ぎ、ばたばたと容赦なく濡らしていく。

「はぁ……」

 と、自然と溜息が漏れる。曇りガラスに朧げに映る姿では自分でもどのような表情をしているかわからないが、恐らく友人たちの前では見せたこともない暗い表情をしているのだろう。燐華にはそれがありありと想像できた。

 いつもなら友人たちとの約束が無くても公園等で適当に時間を潰すところだが、こう天気が悪くては仕方がない。立ち読み目的で駅前の古本屋までいけば雨露をしのげるかもしれないが、わざわざそうまですることでもない。

 燐華は「ふぅ」と短い息を吐いて無理矢理気持ちを作る・・・・・・と、引き戸を開く。がらがらと無駄に大きな音を立てて戸が開かれると同時に、玄関に取り付けられた古臭いチャイムが反応してピンポンと音が鳴る。毎回余計なことをするなと、燐華は心の中で舌打ちをした。

「あら燐華ちゃん、おかえりなさい」

 チャイムを聞きつけ、ぱたぱたと忙しなく現れた女性は笑顔で燐華を出迎えた。だが燐華には、その笑顔は彼女が無理をして顔に張り付かせているものだとわかっていた。

「…………」

 特に返事をするでもなく、燐華は無言で靴を脱ぐと足早に女性の横を通り過ぎる。一瞬引きつらせながらも辛うじて笑顔を保たせながら女性は慌てて通り過ぎた燐華の方へ向き直り、声を掛ける。

「り、燐華ちゃん。雨、大丈夫だった?」

「……折り畳み、持ってたから…………」

「そうなの……、良かった……」

 それ以上会話が続くことはなく、燐華は速度を緩めないまま自室のある二階への階段を上がった。

 家に入る前に作っておいた筈の気持ちは、折り畳み傘を持っていたことを報告する一言ですべて使い果たしてしまった気がする。燐華は、自室に入るとベッドになだれ込んだ。

 先程出迎えた女性は燐華の実の母ではない。父方の兄の妻、つまり燐華の叔母にあたる人物だ。

 燐華は三年前に交通事故で両親を亡くしている。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。小学生の燐華から見ても飽きれてしまうくらいに仲の良かった父と母は亡くなる日、燐華を家に残して旅行へ行ったのである。わざわざ平日に父が有給を取ってまでして。そういったことは度々あった。だから燐華はその日の朝、学校へ行く準備しながら楽しそうに荷物をまとめる二人を飽きれながらもどこか微笑ましく眺めていた。それが彼女の目に映る最期の姿となるとは露ほども知らずに。

 二人だけの旅行をずるいと思ったことはなかった。両親は優しかったし、幼いながらも他の家と比べても特に仲の良い夫婦なのだろうなと思っていた。だから燐華はそんな二人のことがむしろ微笑ましくもあり、何よりも好きであった。

 だが年中のほほんとしているばかりでなく、活発だった両親の血が災いしてか、粗暴でやんちゃだった燐華が悪さをした時には、本気で叱りつけてくれた。父とは、生来負けず嫌いな燐華と度々同年代の女の子では到底考えられない程の激しい取っ組み合いの喧嘩を披露することもしばしばであったが、毎回最後にはしっかりと仲直りをした。

 そんな生活が何の前触れもなく、終わりを告げたのだ。

 そしてわけも分からないうちにこの家に引き取られることになった。幸い苗字は同じであったので学校生活にさして支障は無かったが、これまでの生活とは一変してしまった。

 叔母は間違いなく良い人だ。父の兄である叔父も、父に似ず一見怖いくらいに堅物だが、間違いなく良い人なのだと、燐華は思う。

 しかし、そんな叔父夫婦の善意が燐華にとっては、かえってこの家での生活において息苦しさを助長させる要因にもなっていた。

 自分がろくでもない子であることは燐華自身が一番自覚している。

 自分みたいな子がいきなりこの家に上がり込んで、快く思う筈がない。表面には出さないが、きっと心では疎んでいるに決まっている。

 その奇妙な矛盾が、叔母たちの柔らかい表情とは裏腹に燐華のことを締め付けていった。

 ベッドに横たわったまま、乱暴に結んだ髪を解くと、微かに残る雨水が頬に跳ねる。

 両親を亡くしてすぐの燐華は特に荒れていた。

 それこそ最初のうちは深い悲しみの中で膝を抱えてばかりいたが、自暴自棄の中でそのやり場のない感情はすぐに周囲への暴力へと転じた。そしてそんな燐華に対してなおも優しさを向ける二人が、燐華には理解できず、そして我慢ならなかった。わからないからこそ、心の靄は増すばかりであった。

 決定的だったのは、クラスメイトの男子と喧嘩になった際、両親がいないことを馬鹿にされたことに怒り、その男子を階段から突き落として病院送りにした時のことである。

 幸いその男子は骨折もなくすぐに退院したのだが、事態を重くみた学校側は保護者として叔母を学校に呼んだのだ。その時のことは燐華の脳裏に鮮明に焼き付いている。怪我をした男子の母親に向かって一心不乱に頭を下げる叔母の横で、燐華はひたすらに拳を握り、叔母の目を見ないように頭を伏せていた。結局、最後まで謝罪する叔母の目を見ることはなかった。

 家に戻った時に叔母が燐華に向かって言ったのは、怒りの言葉でも、何かを諭すような言葉でもなかった。ただ一言「ごめんね」、そう言ったのだ。その時になってその日初めて叔母の目を見たが、悲しそうに歪ませたその目元に微かに涙を浮かべていたのがはっきりとわかった。

 その時だ。

 違う。

 そう、思った。

 それが一体「何が」かはよくわからないし、まだ幼い燐華の未成熟な思考力では、それを上手く推し量ることも適当な言葉に言語化して説明することもできないが、明らかに「違う」ということだけは、他でもない自分自身の感覚が証明していた。

 あの時叔母が口にした「ごめんね」が、燐華には心底許せなかった。

 ごろんとベッドの上で寝がえりをうち仰向けになると、所在なさげに制服のポケットから携帯電話取り出す。ちょうどその時である。友人(当の相手は頑なにそれを認めたがらないが)からメールの着信が入る。

 燐華は仰向けのまま気怠そうな手つきでメール画面を開くと、胡乱な眼差しでその内容を眺める。

『解読が終わったらしいから明日秘密基地に集合ね。時緒には明日言っといて。今伝えるとうるさそうだから』

 内容を理解すると、顔の上に上げていた携帯電話を持つ手を力なくベッドに放った。

 そこでようやく彼女の表情に薄い笑みが戻る。

 居場所がないと思っていた自分に、何となく「楽しい」と思える場所ができた。最近では仲間も増え、自分を入れて四人。

 あの連中といるうちは、この家で感じている名状し難い暗い感情を忘れられる。本来の九綯燐華でいられる。

 それは恐らく、あの三人が自分とどこか近い人間だからでろうことが、燐華にはそれとなしにわかっていた。

 「わかる」というよりも「感じる」という感覚の方が正しいのかもしれない。当人たちの口から詳しい何かを聞いたわけではなかったが、燐華自身はそれを強く感じるし、当人たちも、気付いているいないに関わらず、そういった雰囲気に惹かれて自然と集まったのであろうと思うのだ。使い古された言い方をするならば〝類は友を呼ぶ〟である。

「異世界……かぁ……」

 何と無しに呟く。

 現在、つるんでいるうちの一人、燐華と同じ学校に通う友人が「異世界」なるものにご執心である。そして成り行きでその異世界というところを目指すことになった。

「くっだらないなぁ」

 そう毒突きながらも自然と笑みが毀れる。

 正直燐華自身はその「異世界」というものに何ら興味はなかった。だが、何でも良かった。何でも良いから、あの連中と馬鹿をやり、度々行き過ぎては変に真面目でお節介焼きなあの子からお叱りを受ける。その繰り返しが純粋に楽しかった。

 目を閉じて、その時のことを想像する。

 そうしている間だけは、この息苦しい空間の中で少し気分が晴れていくのがわかる。

「燐華ちゃーん。ケーキ食べるー?」

 下で叔母の呼ぶ声が聞こえて、燐華の意識は現実に戻された。

 異世界。

 文字通り、この世界とは「異なる」世界。

 興味はない。だが、仮に。仮にだが、その「この世界」とは異なる世界に行ける方法が本当に存在するならば、この世界での今の生活を終わらせて、その異なる世界で一から、あの子たちと共に新たな生活を始められるならば、それは存外悪くない。そう思えた。

 終わってしまえば良いと思う。何もかも。

 それが叶うのなら、異世界だってどこだって良い。

 無論、あのご執心な友人と違い、燐華はそのような世界の存在をにわかには信じられない。

 だが、同時に思う。

 きっと、信じなければ行けないところなのだろうと。

 だから今だけは信じてみることにした。

 異世界の存在を。
 この世界を終わらせる、何かを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜

シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。 起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。 その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。 絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。 役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。

初期スキルが便利すぎて異世界生活が楽しすぎる!

霜月雹花
ファンタジー
 神の悪戯により死んでしまった主人公は、別の神の手により3つの便利なスキルを貰い異世界に転生する事になった。転生し、普通の人生を歩む筈が、又しても神の悪戯によってトラブルが起こり目が覚めると異世界で10歳の〝家無し名無し〟の状態になっていた。転生を勧めてくれた神からの手紙に代償として、希少な力を受け取った。  神によって人生を狂わされた主人公は、異世界で便利なスキルを使って生きて行くそんな物語。 書籍8巻11月24日発売します。 漫画版2巻まで発売中。

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

人生初めての旅先が異世界でした!? ~ 元の世界へ帰る方法探して異世界めぐり、家に帰るまでが旅行です。~(仮)

葵セナ
ファンタジー
 主人公 39歳フリーターが、初めての旅行に行こうと家を出たら何故か森の中?  管理神(神様)のミスで、異世界転移し見知らぬ森の中に…  不思議と持っていた一枚の紙を読み、元の世界に帰る方法を探して、異世界での冒険の始まり。   曖昧で、都合の良い魔法とスキルでを使い、異世界での冒険旅行? いったいどうなる!  ありがちな異世界物語と思いますが、暖かい目で見てやってください。  初めての作品なので誤字 脱字などおかしな所が出て来るかと思いますが、御容赦ください。(気が付けば修正していきます。)  ステータスも何処かで見たことあるような、似たり寄ったりの表示になっているかと思いますがどうか御容赦ください。よろしくお願いします。

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

異世界ビルメン~清掃スキルで召喚された俺、役立たずと蔑まれ投獄されたが、実は光の女神の使徒でした~

松永 恭
ファンタジー
三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。 異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。 「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。 だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。 牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。 やがて彼は知らされる。 その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。 金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、 戦闘より掃除が多い異世界ライフ。 ──これは、汚れと戦いながら世界を救う、 笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。

処理中です...