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XXⅦ.魔女の生き血

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「じゃあまず、魔女さんを探さなきゃだね!」

 時緒はそう言うなり勢いよく席を立とうとする。メアはすかさず時緒の袖を引っ張り阻止した。

「冗談でしょ、こんな時間から当てずっぽうに市内を練り歩くの? 勘弁してよ」

「メアちゃん、日本とは限らないよ? 魔女だからきっと外国とかだよぉ」

「うん、勘弁して」

「ねぇ思ったんだけどさ――」

 メアとユウリのやり取りを眺めていた燐華が徐に口を開いた。顔を見上げ、自身が腰掛けている絵本屋の店主の方をじっと確認する。店主はわけがわからないといった面持ちで訝し気に小首を傾げた。

「魔女っぽくない?」

「ああ」

 燐華の呟くような言葉に、時緒も賛同の声を上げる。

「魔女っぽい」

「うん魔女っぽい」

 確かにこの絵本屋の店主はいつ訪れても真っ黒かつ長めのワンピース姿といういで立ちであり、この建物の怪しげな様相も相まって、その「魔女っぽさ」に拍車を掛けている。

「え? ま、魔女? わたしが?」

 困惑気味の店主を余所に、燐華はメアと同じく形だけとテーブルに出していた筆入れの中からカッターナイフを取り出すと、無言でチキチキと刃を伸ばす。

「ねぇ、ちょっと首のあたり、いい?」

 後頭部しか見えない店主の視界からでは燐華がどのような表情をしているのかはわからなかったが、妙に落ち着いた声色であることが店主には余計に恐怖でしかなかった。

「燐華! ふざけるのやめなさいよ」

 メアが慌てて声を荒げると燐華は渋々だが大人しくそれに従ってカッターナイフを仕舞った。

「えー、結構本気だったのにー」

「なお悪い!」

「殺りにきたわ! 確実に殺りにきたわ! 最近のJC恐ろしいわっ!」

 店主は慌てて自身の首筋を隠すように押さえ、膝に座る幼い悪魔に恐懼した。

 燐華が大人しく従ったことに安堵していると、メアは背後から只ならぬ威圧感を感じた。気になってそちらを向くと哲学的幽霊がじっとこちらを睨んでいるのがわかった。

 いつもは何を考えているのかわからない無表情の筈なのに、その眼光は微かに鋭さを帯びていて、怒っているようにも見える。もしかしたらもう少しで幽霊仲間ができるところだったのにと、燐華の暴挙を阻止したメアに怒りを感じているのかもしれない。幽霊など微塵も信じてはいないが、けれども妙に恐ろしくなったメアは早々に視線を外した。

「あのー皆さん。すぐに手に入るというのはそういうことではなく……」

「だったらボサっとしてないで早く説明しなさいよ。危うく燐華が人を殺すところだったでしょ」

「すみません……。えっとですね、その『魔女』というのは、文字通り女性の魔術師を指しますのですが、すべての女性魔術師が該当するわけではありません。わたしのいた世界に残る伝説が元となる習わしなのですが、所謂『魔女』というのは世界を滅ぼす可能性のある魔術師に付けられる忌まわしき呼び名なのです」

「じゃあユウリちゃんは違うね。だって〝正義の魔術師〟だし……」

 時緒は心底残念そうに項垂れた。ふにゃんとテーブルに頬を付けて、どこかやり切れない表情でユウリに視線を送る。

「ええ、その通りです。ですが、幸か不幸か、定義から申し上げて、わたしはその『魔女』に該当すると言えます」

「そうなの!?」

 それを聞いて時緒は瞬時に復活を遂げた。

「わたしの世界に伝わる『魔女』は世界を滅ぼす力を持つ、所謂『悪』と呼ぶに相応しい存在でした。ただ、それだけが『魔女』と呼ばれるに至った所以ではありません。単純に魔法を悪しきことに使用する強力かつ凶悪な魔術師は数えきれない程、わたしの世界にはいます。『魔女』とはそのような単なる『思想の差』や『力の差』によって定義付けられるものではなく、もっと、決定的な〝違い〟によってのものなのです」

「それってつまり……?」

「異世界を渡った魔術師であること、それが唯一の『魔女』足り得る条件です」

「異世界に行くことはつまり、ユウリちゃんの世界では『悪いこと』なの?」

「いえ、率直に『悪』とは言えません。わたし自身紛れもない『正義』に基づいてこの任務に就いていますし、でもそうですね……。必ずしも万人から称賛されることとは言い切れないのは確かです。大半がその昔異世界から来た魔術師に世界を滅ぼされかけたことに対する教訓として、『異世界渡航』は忌み嫌われるものと認識しているのが事実ですし」

「じゃあさ、じゃあさ、ユウリっちは元の世界に帰ったら嫌われ者になっちゃうの?」

「正式な国の任務の上でのことですので、そういった意味ではわたしは自ら世界平和の為にこの身を捧げたことを国から評価されるでしょう、ある程度は。でも、周りの人たちが以前と同じように接してくれるかは、正直わかりませんね……。それ程にその魔女伝説は深く、忌むべき畏怖の対象としてわたしの地に深く刻まれています」

 淡々と続けるユウリの語調は何かを朗読するかのようになだらかなものであったが、その反面、その大きな瞳には少し寂しさが滲んでいた。

「大丈夫! もしユウリちゃんが向こうで仲間外れにされても、わたしたちはずっと友達だよ!」

「うん、安心していいぞ! ユウリっち」

 時緒と燐華はそう言ってそれぞれユウリの手を握った。

「メアさんも……その……仮に一緒に向こうへ行けましたら、友達になって頂けます……か?」

 ユウリは面を上げ、手を握る二人を交互に眺めると、今度はメアの目を見つめた。

「いやその前にわたしは一緒に行くって言ってないし、そもそも、あんたたちはただの下僕だから」

「そうだった! 一号!」

「二号!」

「さ……三号っ」

 勢いよく戦隊ヒーローのようなポーズを決める燐華と時緒を真似てユウリもポーズを決めるが、その恰好は自信なさげにやや遠慮がちな感じであった。

「だから、いいわよ。アホ共に無理に乗らなくても」

 メアは呆れながら取り出した携帯電話の画面で時刻を確認する。

「じゃあ無事材料の一つが手に入ったところで今日はこの辺にしましょ」

「おっけー! どうする? また明日集まる?」

「もちろん!」

 燐華の提案に時緒が即答する。

「…………」

 メアの精神的HPはゼロどころか、最早オーバーキル状態であった。反論する気力すら失せ、力を振り絞りながら鞄を肩に掛けると、それは先程よりも三倍くらい重く感じた。

「ねえねえ! この秘密基地を正式に『異世界召喚術式作製会議室』ってことにしようよ!」

「お! なんかカッコよくていいじゃん! じゃあさ、扉にもそう書いて張っておこう」

「すごいわ! 最近のJCホントにすごいわ! わたしの店なのにわたし抜きでどんどん勝手に話が決まっていくわっ!」

 時緒と燐華の提案に、絵本屋の店主は本日二度目の嘆き声を上げた。




「いいの? あんた、目的を果たさなくて」

 途中燐華と時緒と別れ、寮までの道のりを歩いていたメアは傍らのユウリにそう問いかけた。その声は油断すれば声を掛けられたと気付かない程、微かなものであった。

 対するユウリはメアからそのような声のトーンで話し掛けられるのが余程意外だったのか、一瞬歩みを止め、でもすぐにメアの方を向くと構わず歩き続ける彼女を追うようにして横に並んだ。

 確かに、燐華や時緒たちと『異世界』へ行くということは、ユウリの主張するこの地での目的を果たさないまま自分の世界へ帰るというこになる。

 だがメア自身特に確認したいことでもない。気まぐれの類と言っていいだろう。

「ええ、最近ずっと考えていまして」

「何を?」

「この地での任務についてです。わたしのやろうとしていることが本当に意味のあることなのかって……」

「何よ、それ。無意味かもしれないのにわざわざ別世界から来たっていうの?」

「そんなことはありません。ただ、この世界でメアさんたちと出会い、一緒に過ごしているうちにそう思うようになったんです。この任務に就くと決めた時……本当に……わたし自身……明確な正義の基に……」

 徐々に勢いを失い、やがては囁くようになった言葉と連動するように、ユウリの足は緩やかになり、とうとうその場に立ち尽くしてしまう。

「でも……」
「何でよ」

 メアは少し進んだ先で立ち止まり、ユウリに向き直った。そして腕を組みながら目の前の少女、異世界の魔術師の言葉を遮り、問う。

「何でよ」

「何となくです」

「何となく?」

「ええ、何となくです」

「ふんっ、恐ろしくテキトーね。くだらない。ま、わたしは時緒のバカと違ってあんたのその妄言、毛頭信じちゃいないけど」

「そうですね……。いつまでもこのような……適当では良くありません……。メアさんの仰る通りです……」

 本当にくだらない。何か辛辣な言葉の一つでも浴びせてやろうと口を動かしかけたメアだが、不意にユウリの目を見るなり、詰まってしまう。あの時、最初にコンビニで出会った時のあの目が、吸い込まれそうなその群青色のガラス玉が、しっかりとメアの双眸を捕らえていたからだ。

「#$%&#$%&#$%&……」

 固まってしまったメアよりも先に、ユウリの口元が微かに動いた。だが、その掠れるような囁き声は、メアにはよく聞き取れなかった。

「メアさん」

 今度はメアの名を呼ぶ。今度はもっと明瞭な声で。確かにメアの耳届く。

 メアは何も言い返すことができなかった。ユウリの声を聞いた刹那、ぐわんと脳が揺さぶられ、内側から膨張するような錯覚を覚えたからだ。それを奇妙だと認識するよりも先に今度はぼやけかけた意識が急に晴れ渡り、雲が切れるように澄んでいく。

 そしてやけに感覚が研ぎ澄まされていくのがわかった。今自身に生じているこの状況を除けば、最早この世界においてメア自身の理解が及ばない事象は皆無だと、そう悟ってしまう程に……。

 ユウリの後ろで風に揺れる木々の葉やその擦れる音、それに同調するようにはためくユウリの髪がやけに気になった。それだけではない。自身の肌に当たる緩やかな風の感触、夕焼けの光、遠くの方でこだまする間の抜けた車のクラクション音、そのすべてがメアの意識に入ってくる。すべてを感じ取れる。だが、それが〝何故か〟だけがわからない。

「メアさん」

 再び、ユウリはメアの名を呼ぶ。

 今度は先程よりもさらにもっと、大きな、はっきりとした声色で。

 瞬間、メアの脳内はぐるりとかき混ぜられた。

 (上がった。声の、音の、高さが一オクターブ上がった。わたし自身に正確な音感があるわけではないのに、でも確かに、彼女の声は正確に、狂いなく、一オクターブ上がった。それが不思議とわかる。いや、不思議でも何でもない。先程の「メアさん」と最初の「メアさん」とでは音の周波数が倍で、いや違う、何故今そんなことを考えてしまうのか、ただわたしが言いたいのは倍の周波数が発する「メアさん」は普段の彼女からはあまりに想像し難い明るさがあって、嬉しそう? 楽しそう? 幸せ? そう? でも、ただ、そんな中でも彼女の瞳は深い群青色をしていて、深い深い群青色をしていて、見つめると目が離せなくなってどこまで吸い込まれそうで、でも吸い込まれる筈はない。だって青は、短い波長のその光は、実際には反射している筈なのだから、反射しているからわたしが、世界が、認識できるんだ。だとしたら吸い込んでいるはわたし方。わたしの瞳。黒い黒い、何もかもを吸い込むわたし自身の瞳。漆黒。ああ、なんて綺麗な色をしているのだろう。わたしと違って、彼女は群青、すなわち、この瞳の色のマンセル値は正確に少しも違わず7.5PB 3.5/11の筈なのに、見ているとまるで水面のように微かに揺らいだその瞳に陰りができて、でも一方では光がさしてその値を変化させていて、であるからして……、すなわち……、至極、当然の如く……、導き出される解は……、ああ駄目だ変化してしまう! 明度が、彩度が、色相そのものが、変化してしまう! お願い! お願いだから……)
「やめてっ!」

 メアはわずかな意識の狭間で無理矢理大声を張り上げ、思考という名の混迷の渦から抜け出した。

 気が付けばもう先程の奇妙な感覚は綺麗になくなっていた。代わりに自身の荒い呼吸音だけが耳に届いている。

「何を……したの……?」

 息も絶え絶えにメアは問う。目の前の魔術師に対して、明確な敵意を込めた瞳でもって。

「少し、魔法を使いました」

 ユウリは少しの躊躇いもなく、そう答えた。

「幻惑の魔法です」

 ユウリは続けながら、膝に手を付いて肩を大きく上下させているメアに手を差し伸べた。だが、メアは弱弱しい手つきでそれを払う。構わずユウリは続ける。

「わたしたちの世界における魔法とは、すなわち思考の結果ですが、これはその逆の手順、つまりわたしの魔法によって対象の思考に誘導を掛けるといった手法です。受けた相手は自身の意思に関係なく勝手に思考を強要され、やがて脳自体がある種のパンクを起こします。ただ、安心して下さい。わたしの中に僅かに残るフラクタではこの程度が限界です。今のように、対象を僅かばかりのあいだ足止めするくらいの効果しか望めません。まあ、一対一なら少しのあいだだけでも相手を行動不能にした時点でわたしが何らかの方法を用いて相手を殺めることができますので、悪の魔術師に対して十分戦力に値しましたが……どの道、今の一回ですべてのフラクタを使い果たしました」

 ユウリはたった今行ったとても取り返しの付かない事実を、顔色一つ変えずに淡々と説明した。

「わたし……が……信じ……られない……って、言った……から……?」

「いえ、それは違います。メアさんに信じて頂けなかった為ではありません。これはわたしなりの覚悟です。この地での任務を放棄し、元の世界への帰還を目指すという自分自身への明確な意思表示として行いました」

「ほんと……バカ……じゃない……の……」

 そこで一度メアの意識は途絶えた。
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