さよなら 大好きな人

小夏 礼

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1.アーリアの心残り

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これは夢だろうか?
目の前の男性を見つめながら、わたくしは思った。


「アーリア・クイーンズリー!お前との婚約は破棄させてもらう!!」


興奮しているのか、やや顔を赤らめて宣言した婚約者を見て、
やはりこれは夢?と思い、こっそり右手で左手をつねってみる。

……痛い

残念ながら、夢ではなかったようだ。


「……デーヴィット殿下。わたくしとあなたの婚約は王命で決まったこと。
簡単に覆せませんが……理由をお聞きしても?」
「お前が気にいらないからだ。いつもいつも俺に口うるさく説教して邪魔ばかり。
うっとうしいんだよ。少しは、俺を支えてくれるキャサリンを見習え!」

そう言って、彼は隣にいる可愛らしい少女を抱き寄せる。
少女は頬を染めつつ、優越感たっぷりにこちらをみている。
彼女が噂のキャサリン様なのだろう。
たしか、子爵家の娘だ。

仲睦まじそうに、微笑みあっている2人をみながら、
わたくしは虚無感に襲われていた。


わたくしは今まで何をしていたのだろうか?
今までの努力は無駄だったのだろうか?




わたくしの生まれた年の初め、新年を祝う祝詞をささげていた大神官に
女神からこんな神託が下った。
「今年生まれる紫の瞳を持つ娘は我が娘。
娘は自分が生きる土地に安寧と発展をもたらすだろう」と。

そして、わたくしはその年に公爵家の次女として生まれた。
紫の瞳を持って。

わたくし以外にもあと2人、伯爵家と男爵家の赤子も紫の瞳を持っていた。
王としては、女神の娘がどの娘かわからないが、
女神の娘と思われる3人の娘をこの地に留め、
何不自由なく過ごせるようにするため、
生まれた翌年にそれぞれに見合う婚姻を王命として出したのだ。

伯爵家の娘には侯爵家と、男爵家の娘には伯爵家と、
そして公爵家のわたくしには、王族である第2王子との婚姻を。


いわゆる政略結婚というものだろうが、
わたくしは第2王子を慕っていた。

わたくし達が5歳の時、最初の顔合わせが行われた。
そんな幼い頃の話なので、正直なところ、
婚姻や政略結婚などということは理解できなかったが、
彼の輝くようなエメラルドグリーンの瞳を見た時、「ああ、これだ」と思ったのだ。
一目で彼を好きになった。

彼は彼で、わたくしの紫の瞳が気にいったようで、
頻繁に我が家を訪ねてくださっていた。
そう、この頃は、わたくしと彼との仲は悪くなかった。
むしろ良かったのだ。

そんな彼にふさわしい女性になるために、
わたくしは努力した。
ピアノや刺繍といった習い事も、淑女にふさわしい礼儀作法も、
王家に嫁ぐための勉強も、自分の見た目を磨くことも、
できることは全部頑張った。

しかし、年を重ねるごとに、
彼の態度がだんだん硬くなっていくのがわかった。
我が家へやってくる回数が減り、笑顔がだんだんとなくなり、
口数も減り、わたくしが傍にいると不機嫌になることが多くなった。

わたくしには、彼がなぜそんな態度をとるのかわからず、
困惑しつつも、彼との仲を改善し傍にいたいと思っていたので、
いろいろアプローチをしてみた。
しかし、どれも効果がなく、王立学園への入学する頃には、
もう傍にさえ、いることはできなくなっていた。

それでも、第2王子の婚約者として
学園でも社交界でも頑張ってきた。

彼に邪険に扱われても、
彼が女性と浮名を流していると聞いても、
いつかきっと、彼が小さい頃のように
わたくしにも笑ってくださると信じて。



その結果がこれである。



女神がこの国を創ってくださった日であった今日、
その祝いのために開かれた学園主催のダンスパーティーでの婚約破棄。
淑女としてこれほど屈辱的なことはない。

わたくしは恋に破れたのだろう。
とても悲しいことだが、誰にも他人の心を自由にできやしないので、
彼が他の方を好きになることは仕方がないこと。
時間はかかるだろうがいつか諦めもつくだろう。
だが、これだけの人の前で辱めを受けるほど
わたくしは何かしたのだろうか?


わたくしはショックのあまり倒れたいと思ったが、
なんとか踏ん張った。

「……デーヴィット殿下のお気持ちは承知しました。
この件はあなたから陛下にお伝えくださいませ。
わたくしは陛下の決定に従います。
わたくしは気分が優れませんので、下がらせていただきます。では」


顔面蒼白で、誰が見てもやせ我慢にみえるだろうが、
ここで倒れては、それこそわたくしの矜持に関わる。
ゆっくりと淑女としての礼をして、ここから立ち去ろうとした。
だが、そんなわたくしを彼が呼び止めた。

「いや、待て。お前にはまだここにいてもらわなければ。
むしろ、これからが本番だ」
「……本番?」

にやりといやらしく笑う彼に、わたくしは嫌な予感がした。

「お前は、このキャサリンが俺の寵愛を受けているからと言って
嫉妬していじめていたそうだな。しかもかなり悪質で命すら脅かすほどのいじめを。
周りからは淑女の中の淑女と言われていたが……本当のお前はなんて醜いんだ!」

彼は何を仰っているのだろうか?
予想外のこと言われ、わたくしは口を開くことさえできなかった。

わたくしがキャサリン様をいじめた?
嫉妬のあまり?

確かに、彼の傍にいられる女性に嫉妬はしたが、
いじめなどしていない。
そんなこと、わたくしの矜持が許さないからだ。


「……わたくしはそんなことしておりません」
「ふん、見苦しい。証拠も証人もそろっているのというのに」

彼の言葉に、後ろに控えていた側近であるダグラス・サダーランドが動き、
どこからか何人か連れてきた。
あの方々が彼の言う証人なのだろう。
そして、もう1人の側近で護衛でもある、エドガー・ハントリアの手には
何か書類のようなものがある。
あれが証拠なのだろうか。

「さあ、アーリア。言い逃れはできないぞ!」
彼は勝ち誇ったような顔をされている。
あぁ、いったいこれは何なのだろうか?

すでに自分の許容を越えた出来事に
わたくしは思考を放棄しそうになっていた。
しかし、そんなわたくしの後ろから聞き覚えのある声がした。

「恐れながら申し上げます。アーリア様はそのようなことなさっておりません!」
「そうですわ。アーリア様が誰かを傷つけたなど、何かの間違いです!」

この声は、リリティ様とサリア様。
わたくしと同じ、紫の瞳を持つ2人だった。
わたくしとは身分が違っていたが同じ立場だったこともあり、
その縁で小さい頃から親しくしている。
その2人が果敢にも彼に意見している。

「学園では常にお傍におりましたが、そのようなそぶりありませんでしたわ!」
「私もお傍におりましたが、アーリア様がキャサリン様とお会いしたことなどありません」
2人の言葉に、周りの人々も「そうだ」「何かの間違いだろう」と言っているのが聞こえる。

「ええい、うるさい!お前たちは王族たる俺が嘘を言っているというのか。
アーリア自らではなくここにいる者達に代わりにやらせたのだから、
お前たちの言い分は通らないぞ!」
彼がイライラしたように声を張り上げた。

そう彼は王族なのだ。
この場で一番の地位を持つ者。
誰もかれも、彼には逆らえない。

リリティ様、サリア様をはじめ、わたくしのために声をあげてくれた方々が
悔しそうに口を閉じた。
静寂がもどる。

「大人しくなったな。よし。さあ、アーリア、お前は自分の罪を認めるか?」
彼は周りの方が黙ったことに満足して、またわたくしに話しかけた。



ここで、ふっと思いついた。
これは茶番なのでは?

彼の思い人であるキャサリン様は、子爵家の娘。
到底、第2王子の妃にはなれない。

しかし、高位貴族であるわたくしに悪質ないじめを受けても、
恋する男性を支えた健気な娘だと印象付けたらどうだろう?

他の貴族はそれでも難色を示すだろうが、
民衆にこの話を真実として話を広めれば、味方してくれるだろう。
民衆はこう言った話が大好きだ。
身分の低いものが高位のものに見初められて幸せになる話が。
そうすれば、どこかの高位貴族の養子に入り妃となることも可能になりうる。

そう、これは彼が思い人を手にいるための茶番。
わたくしはその贄なのだ。
だからこそ、わたくしの評判も矜持も何もかも地に落とそうとしているのでは?


「……ふ、ふふ」
なんと滑稽なのだろう。
酷過ぎて涙は出ず、笑いが込み上げてきた。

なんて愚かだったんだろう。
恋した人にこんな仕打ちを受けるなんて、
わたくしはどうやら人をみる目がなかったようだ。

ほんとに馬鹿馬鹿しい。
わたくしの今までは。


……


こうなってしまっては、私の選ぶ道は1つしかない。
わたくしは公爵家の人間。
高位貴族としての矜持をもって今まで生きてきたのだ。
それを汚されて、こんな屈辱を受けて、
してもいない罪を認めることなどできやしない。

しかし、ここで身の潔白を訴えたとしても
詐称された証拠や証人を盾に
罪人の烙印を押されるだろう。
嫉妬に狂った怖ろしい娘として。
仮に、この後これが誤解だとわかったとしても
私の評判は地に落ちたままだ。
今はこの小さな学園内での話だが、
誤解を解くその間に、すぐに社交界、民衆にこの醜聞が広まるだろう。
婚約者に嵌められた哀れで愚かな娘として。
……どちらにしても、そんなこと


嗚呼、きっと両親や兄と姉は悲しむだろう。
どうか、この道しか選べない愚かなわたくしを許してほしい。

ここにいるわたくしの味方をしてくれた方々にも申し訳ない。
でも、彼ら彼女らを助けるためにもやはりこの道しかないのだ。
どうか、気に病まないでほしい。
そして、ごめんなさい。


彼の問いかけに応えもせず、うつむいていた私を怪訝に思ったのか
彼が声をかけてきた。
「おい、聞いているのか。アーリア」
「……ええ。聞こえておりますとも、殿下」

私は胸元にあるアクセサリーを握りしめながら、
殿下をまっすぐ見つめて答えた。

「殿下は、わたくしがキャサリン様をいじめたとおっしゃるのですね?」
「……そうだ」
「証人とは殿下の後ろにいらっしゃる方々のことですの?」
「……そうだ」
「証拠はエドガー様がお持ちのものですの?」
「……そうだ」
「その2つが、わたくしがキャサリン様をいじめたという証しなのですね?」
「……そうだと言っている!いちいち聞かないで、さっさと罪を認めろ!!」

わたくしの問いがお気に召さなかったようで、殿下が怒鳴った。
最後がこれとは。
つくづく、残念だわ。
でも、仕方ない。
さあ、この茶番に幕を引きましょう。


「お断りいたしますわ」
「は?」

殿下はわたくしの答えが理解できなかったご様子。

「お断りいたしますわと言いました」
「なっ」
「わたくしは公爵家の人間。
高位貴族の誇りにかけて、そんなことはいたしておりませんわ。
しかし、殿下はわたくしをお疑いのご様子。
ならば、この場でわたくしは身の潔白を証明しなければなりません」

毅然と答えれば、殿下がわなわなと震えている。
そんな殿下から後ろにいる友たちの方へと体を向けた。

「この会場にいらっしゃる皆様。
喜ばしい日にこのような事態になり、大変申し訳ありません。
皆様と学び舎を共にできたこと、わたくしとても嬉しく思っております。
最後まで御一緒できないことが残念ですわ」
にっこり微笑みながら挨拶をした。

「ア、アーリア様……?」
わたくしの言葉に、リリティ様の顔が強張るのが見えた。
彼女はわたくしが何をしようとしているのか気づいたのかもしれない。

そして、一呼吸してから殿下の方へと体を戻した。

「アーリア、お前……」
殿下が何か言葉を続けるより先に、わたくしが言葉を紡ぐ。

「ディー」
小さい頃は殿下のことを愛称で呼んでいた。
わたくしたちの仲が悪くなる過程で呼ぶことができなくなった愛称。
その名で呼べば、殿下が驚いた顔をした。
わたくしは、誇り高く美しく見えるように微笑んだ。

「わたくしは、公爵家のアーリア・クイーンズリー。
この命を持って、身の潔白を証明いたしますわ!」

「い、いけません、アーリア様!」
「アーリア様、だめですわ!」
リリティ様とサリア様の悲愴な声が聞こえたが、
わたくしはアクセサリーからそっと取り出していた
小さな錠剤を飲みこむ。


この錠剤は、毒薬。
口に含めば、苦しまずに死ねるもの。
これは紫の瞳を持つ娘に王家から渡されたものだ。

紫の瞳を持つ娘は、女神の娘。
その利用価値は計り知れないものだ。
自国にいれば、安寧と発展をもたらしてくれるのだから。
そのため、近隣諸国は私たち3人に目をつけていた。
誘拐してその身を穢し、むりやり婚姻をするために。
貴族、いえ、淑女として、それは耐えられない屈辱だ。
だからそうなる前に死ねるように、と小さい頃に渡されたのだ。
王としての思惑はもう1つあるだろうが、表向きの理由はこれだ。

まさか、自国で使うことになるとは
わたくしも思わなかったが。


毒薬を飲みこんだわたくしの体は
だんだん力が抜けていき床に倒れ込んだ。
派手に倒れたはずなのに痛みはない。
すでに痛覚がなくなったのだろう。
そして、毒薬を飲んだのに苦しくはない。
ただ、眠りにつくような感覚しかない。
なるほど、苦しまずに死ねるという言葉は嘘ではなかったようだ。

誰かの悲鳴や叫び声が聞こえているような気がするが、
よくわからない。
すでに聴覚もなくなっているのかもしれない。

体の感覚が徐々になくなっていく間、
わたくしの目は、殿下の顔をみていた。
正確には殿下のエメラルドグリーンの瞳を。


昔一目ぼれした綺麗な綺麗なその瞳は、今は濁っている。
嗚呼もう一度だけ、あの綺麗なエメラルドグリーンの瞳を見たかったな。




それだけがわたくしの心残りだった。






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