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2.デーヴィットの贖罪
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これは夢だろうか?
何かを飲んだ後、ゆっくり倒れていくアーリアを見ながら思った。
「こんなお別れいやですわ、起きてくださいませ、アーリア様」
「アーリアさまぁぁ」
倒れたアーリアの傍に駆け寄り、2人の女が泣いている。
他にも泣き声や悲鳴があちこちから聞こえている。
どうやら、夢ではないようだが、
未だに何が起こったのか理解できない。
なぜ、アーリアは倒れている?
なぜ、アーリアは動かない?
「アーリア?」
そう呟けば、アーリアの傍にいた女のうち1人がキッと俺を睨んだ。
アーリアと同じ紫の瞳。
「殿下、なぜこんな惨い仕打ちを?
アーリア様は殿下の傍にいるために日夜励んでおりましたのに。
そんなにその女が大事ですか?
アーリア様を死に追いやるほど!!」
し……死?
死と言ったか?
アーリアが死んだだと?
そんな馬鹿な。
「な、何を」
動揺した俺に対して、女は自分の胸元に合ったアクセサリーから何かを取り出して
俺の目の前に差し出した。
真っ赤な丸い錠剤。
「これは、王から紫の瞳を持つ私たちに与えられた毒薬ですわ。
アーリア様はこれをお飲みになられたのです。
もう助かりませんわ!」
涙を浮かべながらも、女は言った。
毒薬だと!?
そんなものをアーリアが持っていたなんて俺は知らない。
それを飲んだ。
アーリアは死んだのか?
嘘だろう。
あまりのことに俺は何も言えずに立ち尽くすことしかできなかった。
こんなはずじゃなかった。
ただ、ちょっとアーリアに恥をかかせ、俺の優位性を示したかっただけだ。
アーリアを死に追いやるなんて、そんなことするわけがない。
だって俺は……
パーティ会場は混乱を極めていたが、そのうち一つの扉が大きな音をたてて開かれた。
扉の方を見れば、何人もの騎士を連れて、兄である王太子とその側近であるロイ・クイーンズリーがいた。
ロイの顔は青ざめていて、兄の顔には怒りが浮かんでいる。
「アーリア!!」
ロイは会場に入ってすぐにアーリアの傍に駆け寄り、その身を抱き起こした。
だが、アーリアの体はぐったりとして動かないまま、その目も開かない。
「嗚呼、なぜこんなことに!アーリア、嘘だと言っておくれ。
起きてお兄様にその美しい瞳を見せておくれ」
ロイはアーリアを抱きしめて、嘆いている。
そんなロイを横目に、兄が俺の前にやってきた。
「デーヴィット、貴様一体何をした?」
「お、私は……」
何を言えばいいのかわからず、俺は口を閉じた。
兄が怖いからではなく、この状況を受け入れがたかったからだ。
アーリアが死んだ?
俺が殺した?
そんな俺を見て、兄はため息を1つこぼしてから皆に告げた。
「この場は私が預かる。皆、落ち着いて騎士たちの指示に従ってほしい」
そして、俺や俺の後ろにいる者達をみて
「お前たち、逃げようとするなよ。私の指示に従ってもらう」
と言った。
兄の言葉で皆が徐々に会場から出ていったが、
正直覚えていない。
頭が動いていない。
夢かうつつかわからないような、そんな気分だった。
いつの間にか俺と俺の側近であるダグラスとエドガー、そしてキャサリンは、
王と王妃、王の側近達がいる部屋に連れていかれた。
側近の中には、アーリアの父である、クイーンズリー公爵の顔もあった。
目が血走っていて俺を殺したいと思っているのがわかる顔だった。
「デーヴィット、お前アーリア嬢に婚約破棄を宣言したそうだな」
王が静かに問いかけてきた。
「は、はい」
「しかも、そこの女をいじめたとして断罪しようとしたと」
「……」
「それに抵抗してアーリア嬢が自害した……間違いないか?」
「……」
言葉にするとたぶん合っている。
だが、おれは何も言えず黙った。
俺は一体何をしたのだろう?
わからない、わかりたくない。
顔から血の気を引かせ、黙りを決め込む俺に
王は眉をひそめてから、大神官に声をかけた。
「大神官、さきほど女神から神託が下ったとか」
「はい」
側近たちの中から大神官が進み出て、話し出す。
「女神はわが娘が帰ってきたと」
「つまり、アーリア嬢が女神の娘だったということか……」
「そのようです」
その言葉に、側近たちがざわめきだす。
「王よ!これは由々しき事態ですぞ!」
「女神の加護がなくなってしまったのでは!?」
慌てふためく側近たちを見て、
王が大神官に尋ねる。
「そうなのか、大神官」
「いえ、女神の娘がいた加護だけがなくなっただけで、
我が国の女神の加護は残っているそうです」
「つまり、16年前に戻るということか」
「はい、そうだと思われます」
16年前。
俺たちが生まれるまでの情勢は、決してよくない。
わりと小競り合いが起こっていたと習った気がする。
だが、女神の娘がこの地にいたおかげで
この16年間は平和そのものだった。
経済も発展していたと聞く。
それが無くなったということなのだろう。
たしかに大変なことなのだが、
俺にとってはそれよりもアーリアを失ったことが衝撃的で、
それ以外のことに考えが及ばない。
嗚呼、俺は一体何をしてしまったんだ。
王は大神官の言葉を受け、
しばし考えたのち、俺たちに向かって告げた。
「デーヴィット、そしてお前の側近2人は、しばらくの間謹慎。
その後は、オーグスの砦へ行くことを命じる。期間は最低5年だ」
オーグスの砦は、我が国の西の国境にある砦のことだ。
我が国の西の国は、近隣諸国の中で野蛮で狡猾と名高い国で、
この砦は、我が国の屈強な騎士たちが守っている。
たぶん、アーリアの加護がなくなったと近隣諸国が気づけば、
西の国が一番、我が国を侵略しようとする確率が高い。
そうなれば、オーグスの砦は戦場となる。
だから、俺たちを送り込むのだろう。
罰として。
「キャサリン・ゲージマスはマル―トス修道院へ入れ」
「そ、そんな」
王の言葉にキャサリンは小声で呻いた。
マル―トス修道院は、我が国でも有名な戒律の厳しい修道院だ。
キャサリンのような若い娘に耐えられるような場所ではない。
「この判断に不服があれば言うが良い。
まあ、今言った刑が不服なら、後は女神の娘を殺した罪で死刑になるだけだが」
そう言われれば、キャサリンも何も言わなくなった。
死ぬよりは修道院の方がマシだと思ったのだろう。
俺自身も不服などないので、何も言わない。
ダグラスとエドガーも口を閉ざし、顔をこわばらせながら前を向いていた。
「それにしても、女神はお怒りではないのか?その……我が国に対して」
王が怪訝そうに大神官に言う。
大神官は、神妙な顔つきで言った。
「はい。女神は女神の娘が我が国に罰を与えないでと言ったので何もしないと」
「……死してなお我が国を想ってくれるのか、アーリアは」
王が複雑な顔をしてつぶやく。
「クイーンズリー公爵。此度の件で愚息を殺したいだろうが、耐えておくれ。
愚息たちの罰は今言った通りだ。必ず実行する。だから怒りを鎮めてくれまいか」
王の言葉にクイーンズリー公爵は、怒りに満ちていた目を閉じた。
そして開いた時には、その顔は何の感情も浮かんではいなかった。
「大神官殿、さきほどの言葉は本当ですか?」
「はい?」
急に話しかけられ、大神官が少し動揺している。
「女神の娘が我が国に罰を与えないでと言ったと」
「はい。もちろんです。そう神託がありました」
「そうですか……」
大神官がそう言い切ると、クイーンズリー公爵は静かにうなずいた。
「王よ。第2王子が私の娘に対して行ったことは許すことはできません。
今すぐ暇をもらい領地に帰ろうかと思っておりました。
しかし、娘はこの国を愛していたようです。
娘の意志を尊重し、いましばらくは宮廷に残りましょう。
しかし、時期が来たら私は役目を降り領地に戻ります。
息子に関しては、息子に任せます。
そして、その後は我が公爵家は、一切仕官することはありません。」
はっきりと言う公爵に王は少し寂しい顔をしたが、
「わかった」とだけ言った。
こうして、今回の件の話し合いは終わった。
話し合いが終り自室に戻った俺は、ベッドに腰掛けうなだれた。
悪夢を見ている気分だが、これは現実だ。
そしてそれは自分が起こしたことなのだ。
その苦しさに潰れそうになっていると、
かたんと音がしたので、顔をあげた。
扉の方をみると、兄が立っていた。
「あ、兄上……」
「お前、自分が何をしたのかわかっているのか?」
その瞳は怒りに満ちているが、表情も声は冷静そのものに感じる。
いつもの冷静沈着な麗しき王太子である兄だ。
俺が無言でいると兄が話し出した。
「こんなことになるのだったら、
あの時、無理にでもアーリアを私の妃候補に迎え入れるべきだった……」
「そ、それは」
「アーリアはお前を慕っていたし、お前もそうだったんじゃないのか?
だから私は諦めたというのに」
「お、俺は……」
「くだらない嫉妬や劣等感のせいで、お前はアーリアを失ったんだ。
あんなに一途に慕ってくれる女性など、もう見つからないぞ。
精々自分の愚かさを自覚するがいい、弟よ」
言いたいことだけ言って兄は部屋から出ていった。
兄の言葉に俺は思い出した。
アーリアとの仲がおかしくなったその最初のきっかけを。
女神の娘かもしれない公爵家のアーリアの婚約者は、
本来なら兄の方が都合が良かった。
しかし、その時すでに兄は隣国の王族の姫と婚約していた。
だから、まだ婚約していない(赤子なので当たり前だが)
同い年の俺が婚約者になったのだ。
しかし、俺たちが11歳、兄が16歳になった時に、
隣国の姫が流行病に罹り、亡くなってしまった。
輿入りまであと2年という時だった。
隣国の姫の死は、我が国にとって深刻な問題だった。
未来の王妃である王太子妃を、もう一度選び直さなければならないからだ。
この時、アーリアは11歳という年齢ながら、
すでに才女、そして小さな淑女と言わしめるほど名高かった。
その上、女神の娘かもしれない紫の瞳を持つ娘でもあり、
公爵家の娘なので王家に嫁ぐことも可能な身分も持っていた。
王太子妃としてどこを取っても申し分がなかったのが、
アーリアだったのだ。
そして、もう1つ。
兄はアーリアをとても気に入っていたのだ。
さすがに2人きりで会うことはしなかったが、
俺と居る時にやってきては、アーリアと少し話をしていく。
その瞳が雄弁に語っていた。
アーリアを好ましく思っていると。
王太子である兄の評判はすこぶる良かった。
文武両道を地で行くような人で、
何事も冷静沈着に対処して解決していた。
皆を引きつけるカリスマ性もある。
見た目も金髪碧眼で麗しい美貌の持ち主だ。
兄もどこを取っても申し分のない王太子なのだ。
対して俺は、無難な第2王子。
特にどこか悪いわけではなかったが、
勉強も剣術も兄には劣っていた。
性格も俺はやや短気で怒りっぽい。
見た目も、王家の人間としてそれなりに整っているが、
兄と比べるとやはり見劣りするのだ。
素晴らしい王太子とどこか残念な第2王子。
これが世間の兄と俺に対する評価だった。
結局、アーリアは俺の婚約者のままだったが、
俺はこのことで兄に対して感じていたコンプレックスを
アーリアに対しても感じるようになったのだ。
素晴らしい兄の隣にいても見劣りしない女。
それが残念と呼ばれる俺の隣にいていいのか?
アーリアだって本当は俺より兄の方がいいんじゃないのか?
世間のうわさを聞くたびに
そんなことをぐるぐる考えるようになり、
アーリアと過ごすことが苦しくなっていった。
そして段々、アーリアのことを疎ましく思うようになった。
アーリアが傍にいたら俺はますます残念だと笑われるのではないか?
アーリアだって本当は王太子妃になりたいんじゃないのか?
だからあんなに何事も完璧にこなしているじゃないのか?
そんな疑心暗鬼にかられて、アーリアを遠ざけるようになった。
会った時もひどい態度で接していた。
最初の頃は、これではだめだと自分で修正をかけようと思ったが、
そのたびに失敗し、噂に振り回され、自信を無くしていった。
そして、もはや自分ではどうしようもない悪感情に飲まれて、
アーリアを傷つける行動ばかり起こすようになっていた。
本当は、アーリアが好きだったのに。
ずっと俺の隣にいて欲しかったのに。
「アーリア、ごめん」
涙が溢れる。
最後に小さい頃に呼んでいた愛称を呼んでくれたアーリアを思い出す。
もうあの美しい紫の瞳は見られない
この世界のどこにもいない。
天界に帰ってしまったのだから。
嗚呼、俺はなんて愚かなのだろう。
大切なものが手の中にあったのに、
自らそれを傷つけて手放してしまうなんて。
「リア、ごめん」
小さい頃呼んでいたアーリアの愛称で言う。
アーリアはこの国を愛していた。
ならば、俺の命はこの国のために使おう。
私利私欲を捨て、国のためだけに生きよう。
まずは5年、オーグスの砦で国防に努めよう。
戦いが起きたなら、剣を持って敵を滅ぼそう。
その後、運よく生き残れたら、
兄の手足となって、国のために働こう。
それが俺の贖罪だ。
何かを飲んだ後、ゆっくり倒れていくアーリアを見ながら思った。
「こんなお別れいやですわ、起きてくださいませ、アーリア様」
「アーリアさまぁぁ」
倒れたアーリアの傍に駆け寄り、2人の女が泣いている。
他にも泣き声や悲鳴があちこちから聞こえている。
どうやら、夢ではないようだが、
未だに何が起こったのか理解できない。
なぜ、アーリアは倒れている?
なぜ、アーリアは動かない?
「アーリア?」
そう呟けば、アーリアの傍にいた女のうち1人がキッと俺を睨んだ。
アーリアと同じ紫の瞳。
「殿下、なぜこんな惨い仕打ちを?
アーリア様は殿下の傍にいるために日夜励んでおりましたのに。
そんなにその女が大事ですか?
アーリア様を死に追いやるほど!!」
し……死?
死と言ったか?
アーリアが死んだだと?
そんな馬鹿な。
「な、何を」
動揺した俺に対して、女は自分の胸元に合ったアクセサリーから何かを取り出して
俺の目の前に差し出した。
真っ赤な丸い錠剤。
「これは、王から紫の瞳を持つ私たちに与えられた毒薬ですわ。
アーリア様はこれをお飲みになられたのです。
もう助かりませんわ!」
涙を浮かべながらも、女は言った。
毒薬だと!?
そんなものをアーリアが持っていたなんて俺は知らない。
それを飲んだ。
アーリアは死んだのか?
嘘だろう。
あまりのことに俺は何も言えずに立ち尽くすことしかできなかった。
こんなはずじゃなかった。
ただ、ちょっとアーリアに恥をかかせ、俺の優位性を示したかっただけだ。
アーリアを死に追いやるなんて、そんなことするわけがない。
だって俺は……
パーティ会場は混乱を極めていたが、そのうち一つの扉が大きな音をたてて開かれた。
扉の方を見れば、何人もの騎士を連れて、兄である王太子とその側近であるロイ・クイーンズリーがいた。
ロイの顔は青ざめていて、兄の顔には怒りが浮かんでいる。
「アーリア!!」
ロイは会場に入ってすぐにアーリアの傍に駆け寄り、その身を抱き起こした。
だが、アーリアの体はぐったりとして動かないまま、その目も開かない。
「嗚呼、なぜこんなことに!アーリア、嘘だと言っておくれ。
起きてお兄様にその美しい瞳を見せておくれ」
ロイはアーリアを抱きしめて、嘆いている。
そんなロイを横目に、兄が俺の前にやってきた。
「デーヴィット、貴様一体何をした?」
「お、私は……」
何を言えばいいのかわからず、俺は口を閉じた。
兄が怖いからではなく、この状況を受け入れがたかったからだ。
アーリアが死んだ?
俺が殺した?
そんな俺を見て、兄はため息を1つこぼしてから皆に告げた。
「この場は私が預かる。皆、落ち着いて騎士たちの指示に従ってほしい」
そして、俺や俺の後ろにいる者達をみて
「お前たち、逃げようとするなよ。私の指示に従ってもらう」
と言った。
兄の言葉で皆が徐々に会場から出ていったが、
正直覚えていない。
頭が動いていない。
夢かうつつかわからないような、そんな気分だった。
いつの間にか俺と俺の側近であるダグラスとエドガー、そしてキャサリンは、
王と王妃、王の側近達がいる部屋に連れていかれた。
側近の中には、アーリアの父である、クイーンズリー公爵の顔もあった。
目が血走っていて俺を殺したいと思っているのがわかる顔だった。
「デーヴィット、お前アーリア嬢に婚約破棄を宣言したそうだな」
王が静かに問いかけてきた。
「は、はい」
「しかも、そこの女をいじめたとして断罪しようとしたと」
「……」
「それに抵抗してアーリア嬢が自害した……間違いないか?」
「……」
言葉にするとたぶん合っている。
だが、おれは何も言えず黙った。
俺は一体何をしたのだろう?
わからない、わかりたくない。
顔から血の気を引かせ、黙りを決め込む俺に
王は眉をひそめてから、大神官に声をかけた。
「大神官、さきほど女神から神託が下ったとか」
「はい」
側近たちの中から大神官が進み出て、話し出す。
「女神はわが娘が帰ってきたと」
「つまり、アーリア嬢が女神の娘だったということか……」
「そのようです」
その言葉に、側近たちがざわめきだす。
「王よ!これは由々しき事態ですぞ!」
「女神の加護がなくなってしまったのでは!?」
慌てふためく側近たちを見て、
王が大神官に尋ねる。
「そうなのか、大神官」
「いえ、女神の娘がいた加護だけがなくなっただけで、
我が国の女神の加護は残っているそうです」
「つまり、16年前に戻るということか」
「はい、そうだと思われます」
16年前。
俺たちが生まれるまでの情勢は、決してよくない。
わりと小競り合いが起こっていたと習った気がする。
だが、女神の娘がこの地にいたおかげで
この16年間は平和そのものだった。
経済も発展していたと聞く。
それが無くなったということなのだろう。
たしかに大変なことなのだが、
俺にとってはそれよりもアーリアを失ったことが衝撃的で、
それ以外のことに考えが及ばない。
嗚呼、俺は一体何をしてしまったんだ。
王は大神官の言葉を受け、
しばし考えたのち、俺たちに向かって告げた。
「デーヴィット、そしてお前の側近2人は、しばらくの間謹慎。
その後は、オーグスの砦へ行くことを命じる。期間は最低5年だ」
オーグスの砦は、我が国の西の国境にある砦のことだ。
我が国の西の国は、近隣諸国の中で野蛮で狡猾と名高い国で、
この砦は、我が国の屈強な騎士たちが守っている。
たぶん、アーリアの加護がなくなったと近隣諸国が気づけば、
西の国が一番、我が国を侵略しようとする確率が高い。
そうなれば、オーグスの砦は戦場となる。
だから、俺たちを送り込むのだろう。
罰として。
「キャサリン・ゲージマスはマル―トス修道院へ入れ」
「そ、そんな」
王の言葉にキャサリンは小声で呻いた。
マル―トス修道院は、我が国でも有名な戒律の厳しい修道院だ。
キャサリンのような若い娘に耐えられるような場所ではない。
「この判断に不服があれば言うが良い。
まあ、今言った刑が不服なら、後は女神の娘を殺した罪で死刑になるだけだが」
そう言われれば、キャサリンも何も言わなくなった。
死ぬよりは修道院の方がマシだと思ったのだろう。
俺自身も不服などないので、何も言わない。
ダグラスとエドガーも口を閉ざし、顔をこわばらせながら前を向いていた。
「それにしても、女神はお怒りではないのか?その……我が国に対して」
王が怪訝そうに大神官に言う。
大神官は、神妙な顔つきで言った。
「はい。女神は女神の娘が我が国に罰を与えないでと言ったので何もしないと」
「……死してなお我が国を想ってくれるのか、アーリアは」
王が複雑な顔をしてつぶやく。
「クイーンズリー公爵。此度の件で愚息を殺したいだろうが、耐えておくれ。
愚息たちの罰は今言った通りだ。必ず実行する。だから怒りを鎮めてくれまいか」
王の言葉にクイーンズリー公爵は、怒りに満ちていた目を閉じた。
そして開いた時には、その顔は何の感情も浮かんではいなかった。
「大神官殿、さきほどの言葉は本当ですか?」
「はい?」
急に話しかけられ、大神官が少し動揺している。
「女神の娘が我が国に罰を与えないでと言ったと」
「はい。もちろんです。そう神託がありました」
「そうですか……」
大神官がそう言い切ると、クイーンズリー公爵は静かにうなずいた。
「王よ。第2王子が私の娘に対して行ったことは許すことはできません。
今すぐ暇をもらい領地に帰ろうかと思っておりました。
しかし、娘はこの国を愛していたようです。
娘の意志を尊重し、いましばらくは宮廷に残りましょう。
しかし、時期が来たら私は役目を降り領地に戻ります。
息子に関しては、息子に任せます。
そして、その後は我が公爵家は、一切仕官することはありません。」
はっきりと言う公爵に王は少し寂しい顔をしたが、
「わかった」とだけ言った。
こうして、今回の件の話し合いは終わった。
話し合いが終り自室に戻った俺は、ベッドに腰掛けうなだれた。
悪夢を見ている気分だが、これは現実だ。
そしてそれは自分が起こしたことなのだ。
その苦しさに潰れそうになっていると、
かたんと音がしたので、顔をあげた。
扉の方をみると、兄が立っていた。
「あ、兄上……」
「お前、自分が何をしたのかわかっているのか?」
その瞳は怒りに満ちているが、表情も声は冷静そのものに感じる。
いつもの冷静沈着な麗しき王太子である兄だ。
俺が無言でいると兄が話し出した。
「こんなことになるのだったら、
あの時、無理にでもアーリアを私の妃候補に迎え入れるべきだった……」
「そ、それは」
「アーリアはお前を慕っていたし、お前もそうだったんじゃないのか?
だから私は諦めたというのに」
「お、俺は……」
「くだらない嫉妬や劣等感のせいで、お前はアーリアを失ったんだ。
あんなに一途に慕ってくれる女性など、もう見つからないぞ。
精々自分の愚かさを自覚するがいい、弟よ」
言いたいことだけ言って兄は部屋から出ていった。
兄の言葉に俺は思い出した。
アーリアとの仲がおかしくなったその最初のきっかけを。
女神の娘かもしれない公爵家のアーリアの婚約者は、
本来なら兄の方が都合が良かった。
しかし、その時すでに兄は隣国の王族の姫と婚約していた。
だから、まだ婚約していない(赤子なので当たり前だが)
同い年の俺が婚約者になったのだ。
しかし、俺たちが11歳、兄が16歳になった時に、
隣国の姫が流行病に罹り、亡くなってしまった。
輿入りまであと2年という時だった。
隣国の姫の死は、我が国にとって深刻な問題だった。
未来の王妃である王太子妃を、もう一度選び直さなければならないからだ。
この時、アーリアは11歳という年齢ながら、
すでに才女、そして小さな淑女と言わしめるほど名高かった。
その上、女神の娘かもしれない紫の瞳を持つ娘でもあり、
公爵家の娘なので王家に嫁ぐことも可能な身分も持っていた。
王太子妃としてどこを取っても申し分がなかったのが、
アーリアだったのだ。
そして、もう1つ。
兄はアーリアをとても気に入っていたのだ。
さすがに2人きりで会うことはしなかったが、
俺と居る時にやってきては、アーリアと少し話をしていく。
その瞳が雄弁に語っていた。
アーリアを好ましく思っていると。
王太子である兄の評判はすこぶる良かった。
文武両道を地で行くような人で、
何事も冷静沈着に対処して解決していた。
皆を引きつけるカリスマ性もある。
見た目も金髪碧眼で麗しい美貌の持ち主だ。
兄もどこを取っても申し分のない王太子なのだ。
対して俺は、無難な第2王子。
特にどこか悪いわけではなかったが、
勉強も剣術も兄には劣っていた。
性格も俺はやや短気で怒りっぽい。
見た目も、王家の人間としてそれなりに整っているが、
兄と比べるとやはり見劣りするのだ。
素晴らしい王太子とどこか残念な第2王子。
これが世間の兄と俺に対する評価だった。
結局、アーリアは俺の婚約者のままだったが、
俺はこのことで兄に対して感じていたコンプレックスを
アーリアに対しても感じるようになったのだ。
素晴らしい兄の隣にいても見劣りしない女。
それが残念と呼ばれる俺の隣にいていいのか?
アーリアだって本当は俺より兄の方がいいんじゃないのか?
世間のうわさを聞くたびに
そんなことをぐるぐる考えるようになり、
アーリアと過ごすことが苦しくなっていった。
そして段々、アーリアのことを疎ましく思うようになった。
アーリアが傍にいたら俺はますます残念だと笑われるのではないか?
アーリアだって本当は王太子妃になりたいんじゃないのか?
だからあんなに何事も完璧にこなしているじゃないのか?
そんな疑心暗鬼にかられて、アーリアを遠ざけるようになった。
会った時もひどい態度で接していた。
最初の頃は、これではだめだと自分で修正をかけようと思ったが、
そのたびに失敗し、噂に振り回され、自信を無くしていった。
そして、もはや自分ではどうしようもない悪感情に飲まれて、
アーリアを傷つける行動ばかり起こすようになっていた。
本当は、アーリアが好きだったのに。
ずっと俺の隣にいて欲しかったのに。
「アーリア、ごめん」
涙が溢れる。
最後に小さい頃に呼んでいた愛称を呼んでくれたアーリアを思い出す。
もうあの美しい紫の瞳は見られない
この世界のどこにもいない。
天界に帰ってしまったのだから。
嗚呼、俺はなんて愚かなのだろう。
大切なものが手の中にあったのに、
自らそれを傷つけて手放してしまうなんて。
「リア、ごめん」
小さい頃呼んでいたアーリアの愛称で言う。
アーリアはこの国を愛していた。
ならば、俺の命はこの国のために使おう。
私利私欲を捨て、国のためだけに生きよう。
まずは5年、オーグスの砦で国防に努めよう。
戦いが起きたなら、剣を持って敵を滅ぼそう。
その後、運よく生き残れたら、
兄の手足となって、国のために働こう。
それが俺の贖罪だ。
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