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第一話 南の島で年下の彼と再会しました。

第一話⑩④

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 エイサー体験を楽しんだ私たちは、今度はリスザルの森へとやって来ていた。
 この森は、やいま村でも一番の人気スポットだ。
 手乗りサイズの中南米産ボリビアリスザルが、自然に近い状態で何十頭と放し飼いにされている。

「えっと、なになに……」

 入り口でもらったフライヤーに目を落とす。
 そこに書かれた説明によると、なんでも年中温暖な気候の八重山地方は、熱帯産のお猿さんにとって過ごしやすい環境らしい。

 入り口から少し歩くと、すぐにキィキィと元気で張りのある高い鳴き声が聞こえてきた。
 続いて数頭のリスザルが、チラホラと姿を見せ始める。

「喜友名くん、見て! リスザルだよ! うわぁ、こんなにいっぱい!」

 すぐ目の前の地面にリスザルを眺める。
 ほんの数歩ほど歩いてから手を伸ばせばすぐにも届きそうなその場所で、リスザルが私を見つめている。

「あ、先輩。あっちにもいますよ」

 促されて順路脇に生えている樹に視線を向けた。
 木の葉の向こうに隠れた枝や、樹上に張り巡らされたロープに器用にぶら下がったリスザルたちが、視界に飛び込んでくる。

 そのうちの一頭と目が合った。
 もしかして私たちのことを観察しているのだろうか。
 それならと私も負けじとお猿さんを観察する。

 金色の体毛に覆われた身体は、頭から胴体部までが30センチほど。
 長いしっぽを合わせれば全部で体長80センチほどになるだろうか。
 頭頂部と口の周りの色は黒く、まんまるくてクリッとしたお目々が実にチャーミングだ。

「……ふわぁ、ちっちゃくて可愛いなぁ……」

 私と見つめ合っていたお猿さんが、こてんと首を傾げた。
 その仕草がなんとも愛らしくて、うずうずしてしまう。

「うわぁ⁉︎ 喜友名くん、いまの見た⁉︎ すっごい可愛い!」
「ふふ。ええ、ちゃんと見てましたよ。たしかに先輩は可愛いな」

 喜友名くんが、はしゃぐ私をじっと見ていた。

「ふぇ⁉︎ わ、私? えええ⁉︎ って、そうじゃなくて、いまの『可愛い』はお猿さんのことだよぉ!」
「え? あ、そ、そうか。なに言ってんだろ、俺」

 少し顔を赤くした喜友名くんが、指で鼻の頭を掻きながら向こうを向く。
 私もドキドキと高鳴る胸を押さえながら、彼に背を向けた。
 まったく喜友名くんってば、年下のくせに私のことを可愛いだなんて、なんてことをいうんだ。
 生意気なんだから!
 すぅはぁと深呼吸をして、私はふわふわし出した気持ちを落ち着けた。

 ◇

 ようやくドキドキが収まると、喜友名くんが謝ってきた。

「その、先輩すみません。俺、変なこと言っちゃって……。あ、そうだ。それよりさっき餌用に買ったバナナを猿たちにあげてみたらどうですか?」

 露骨に話題を変えてくる。

「う、うん、そうだね」

 私もその流れに乗っかることにする。
 バッグから餌の入ったビニール袋を取り出すと、周囲のお猿さんたちが一斉に騒ぎ出した。

「キィ! キィキィ!」
「きゃ⁉︎」

 甲高い鳴き声を上げながら、四方八方から私を目掛けて走ってくる。
 何頭もの影が飛びついてきて、ある者は私の肩に乗り、ある者は服にぶら下がり、また頭に乗ってちょこんと座ってしまう者なんかもいて、私はあっという間にリスザルまみれになってしまった。

「……ぷっ、先輩凄いことになってますね」
「ひ、ひぇぇ。なんなの一体ぃ⁉︎」

 リスザルたちは我先にとバナナを奪い合い、瞬く間に食べ尽くしてしまった。
 それでも満腹には至らないようで、小さな手のひらで上手に私のバッグを開いて、中身をごそごそと漁っている。

「こ、こらぁ! もうバナナはないってばぁ!」

 バッグに腕を突っ込んでいた悪戯者いたずらもののリスザルを捕まえるべく手を伸ばすと、ひょいと身軽に躱された。
 そのお猿さんが腕を伝い、鎖骨の辺りまで登ってきて、ノロマな私を揶揄からかうみたいにしてキィと鳴く。

「むぅぅ……!」
「……ぷっ」
「あっ、喜友名くんってば、また笑った!」
「す、すみません。でもやっぱり、ぷくく……」

 喜友名くんはいつもの余裕のある微笑みじゃなくて、無邪気な顔で堪え切れずに吹き出している。
 私が抗議しようとして頬を膨らませた、そのとき――

「キキィ」

 鎖骨に乗ったリスザルが、手を伸ばして私の服の襟を引っ張った。
 ブラが見えてしまうほど胸元が露わにされ、晒け出された胸の谷間にお猿さんの手が差し込まれる。

「――ひっ⁉︎」

 ひんやりとした小さな手のひらの感触に思わず引き攣った声が漏れた。
 次いで自然と悲鳴を上げてしまう。

「きゃ……。きゃぁぁぁああああっ!!!!」

 私に乗っかっていた何頭ものリスザルが、大きな声に驚いて蜘蛛の子を散らすみたいに逃げていった。
 私は慌てて胸元を整え直し、喜友名くんの顔を見上げた。

「み、見た⁉︎」

 目を丸くして私の胸元を見つめていた彼が、バッと身体ごと向こうをむき私に背を見せた。
 そのままあらぬ方に視線を彷徨わせながら、取り繕うように言う。

「み、見てません! お、俺なんにも見てませんから!」
「嘘だぁ⁉︎」
「うっ……」

 即座に否定すると、喜友名くんが言葉に詰まった。
 それもそのはずだ。
 だって喜友名くんってば、いま思いっきり私の胸をみてたんだから!

 私は羞恥に顔を赤くしながら、彼の背中を睨みつける。
 やがて強張っていた彼の肩から力が抜け、申し訳なさそうな顔をした喜友名くんがこちらを振り向いた。

「……す、すみません。見ました」

 やっぱり!

「ぅ……、うううう。恥ずかしいよぉ……」

 赤面した私は身体中が弛緩してしまって、胸元を押さえながらへなへなとその場にへたり込んだ

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 鮮やかな夕陽が名勝名蔵湾なぐらわんの水平線へと沈んでいく。
 辺りはもうすっかり夕暮れ色に染まっていた。

 やいま村で過ごした一日を振り返る。
 あの後も琉球衣装体験や、シーサー色付け体験、ほかにも名蔵アンバルの自然散策路を喜友名くんと並んで歩いたりして、あっという間の一日だった。
 とても楽しかった。
 途中、あの悪戯っ気なお猿さんから受けたトラブルなんかはあったけど、それだってこうして振り返れば彼との得難い思い出だ。
 でもそんな素敵な一日は、もうお終い。

「……帰らなきゃ」

 ぽつりと呟いた。
 暮れていく夕陽を並んで眺めている喜友名くんの表情は、私からは見えない。

「……もう、帰らなきゃ……」

 私はもう一度、か細い声で呟いた。
 これはホテルに戻ることだけを言っているのではない。
 旅行は今日で最終日だ。
 私は、明日には飛行機に乗って東京へと帰らなくてはいけない。

「……そうですね……」

 彼が抑揚をおさえた口調で、相槌を打った。
 向こうを向いたままの喜友名くんはいま、どんな顔をしているのだろう。
 わからない。

「……あはは。帰りたく、ないなぁ。だってせっかくこうして喜友名くんと再会できたんだし、前よりも仲良くなれたのに……」

 私は思い返す。
 退職して気分転換の旅行にと石垣島へやってきて、彼と再会したときの驚きを。
 シュノーケリングを案内してもらい、バーで美味しいお酒をご馳走になったり、今日だってこうして旅行の最終日を一緒に過ごしてくれて……。
 考えれば考えるほど、別れが名残惜しくなってくる。

「……先輩……」

 押し黙ってしまった私に変わるように、今度は喜友名くんが呟いた。
 神妙な顔でこちらを向き、躊躇いがちに口を開く。

「……先輩、そのことなんですけど、やっぱり帰らなくちゃいけないんですか……?」
「…………え?」

 言われてはたと気づいた。
 そうだ。
 どうして帰らないといけないのだろう?
 どうして帰らないといけないなんて思っていたのだろう?
 だって私は既に会社を退職しているのだ。
 東京に帰ったって急いでやる必要のあることなんて何もない。
 そりゃあ再就職の為の活動はしなきゃいけないけれども、それだって別に数ヶ月くらいゆっくりしてからでもバチは当たらないはずだ。
 金銭面にしてもまだ余裕はあるのだし。
 旅行とは終わりのあるものだ、なんて固定観念にすっかり囚われてしまっていた。

「そ、そうよね!」

 私は項垂うなだれていた頭を上げ、勢いよく立ち上がった。

「そうよ! 別に帰る必要なんてないじゃない! 居たければ居れば良いのよ! あはは、私って本当バカだなぁ。こんなことにも気付いてなかったなんて!」

 バッグをごそごそと漁り、スマートフォンを取り出す。
 こうなれば善は急げだ。
 明日の飛行機はキャンセルして、宿泊中のホテルに延泊を申し込まないと!

「喜友名くん、ちょっと待っててね! 私、電話してくる! えへへ、何泊くらい延泊しようかなぁ」
「あっ、ちょっ⁉︎ 先輩、そうじゃなくて……!」

 彼がなにか言っているけれども、私は気もそぞろだ。
 手にしたスマートフォンを耳に当てながら、そそくさとその場を離れた。

 ◇

 戻ってきた私は、再びがっくりと項垂れていた。

「……ぅぅぅ」

 思わず呻く。
 意気揚々と電話を掛けたというのに、ホテルの延泊をあっさり断られてしまったのだ。
 そればかりではない。
 他のホテルや旅館も調べて片っ端から電話をしてみたのだけど、どこも予定は満室。
 シーズン真っ盛りの石垣島で飛び入りでホテルを取ろうなんて考えが甘かったのかもしれない。

「……かくなる上は、ドミトリーとかゲストハウスでも――」
「えっ⁉︎ いやいやいやいや」

 ぶつぶつと呟く私に、喜友名くんが即座に突っ込んでくる。

「若くて魅力的な女性が、そんなところにひとりで宿泊って危ないですよ。偏見かもしれませんけど、俺は反対です」
「で、でもぉ」

 不満を漏らす私に、喜友名くんが困った顔を向けてくる。
 しばらくそうしていた彼は、やがて意を決したような顔で尋ねてきた。

「……さっきは先輩がすぐ電話しに行ってしまって言いそびれたんですけど――」
「……ふぇ? な、なにを?」

 強い意志の篭った彼の瞳が、私の目を射抜くみたいに見つめている。
 喜友名くんがすぅっと息を吸い込んだ。
 吐息と一緒に信じられない言葉を私に向けて伝えてくる。

「――俺の家の離れが空いてます。……もし、……もしも先輩さえ良ければ、その離れにいつまででも泊まっていけばいい」

 頭がふわふわする。
 耳から入ってきた彼の言葉を理解するのに、少しの時間が掛かった。
 しかし私は思いもよらぬ彼からの提案に呆然としながらも、こくりと頷き返す。

「……ふぇ? う、うん。じゃあ泊まる……」

 喜友名くんがふぅと深く息を吐き出した。

「……良かったぁ。ああ、良かった。先輩、これからどうぞよろしくお願いします!」
「う、うん」

 眩しい笑顔を向けてくる彼に向けて、私はまたこくりと頷いた。


――――――

これにて再会の一話は完結です。
次回からは二話同棲編になります。
やはり喜友名くんの家の離れを掃除するシーンからスタートでしょうか?
楽しみにお待ちいただけると幸いです。
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