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羽化前夜
祈るようにひとり、朝を待っている
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剥製の夢を見る。
うつくしい、青い羽の蝶をピンで箱に縛り付ける夢だ。羽ばたきを封じ込めて、うつくしい青がこちらを向いた瞬間で時間をとめる。うきうきと羽にピンを刺す指には見覚えのある切り傷があった。左の人差し指の付け根。小学校のときに、彫刻刀でざっくり切ったときのものだ。
(あぁ、これ、おれの指か)
自覚した瞬間、青い蝶が、終一の顔になる。こちらを向いて目じりを下げた終一の顔に、気が付けば、いくつも細い針を刺している。口も動かさずに、終一が喋る。
「ねえ、これで満足した?」
青みがかった瞳が、ぎょろりと動いて、唯希をとらえる。悲鳴をあげて飛び起きる。
あれから何度も、そういう夢ばかり、見ている。
唯希は額に滲んだ汗を拭った。肩を弾ませて荒い息を吐き出す。何度か、無理やり深く息を吐き出して呼吸を落ち着ける。そうしてもなお、心臓はいやに早いままだった。細く開いたカーテンの向こうはまだ夜だった。朝の気配がない、純然たる暗闇。窓の外と中に境目がなく、ゆっくりと境界線が溶けていく。
うまく見えない両手にまだ、硬くなった皮膚を針で突き刺す感触が残っている気がした。
何も見えない暗闇の中なのに、もう動かない終一の顔がある気がした。
自分の心音しか聞こえない静寂の中で、壁にへばりついた血液のように終一の声がこだましている。
『じゃあ、ここで、終わりにする?』
それに答えた自分の声は茫洋としてよく思い出せないのに、あの瞬間の終一の声と、静かな瞳だけがもうずっと、何日も離れない。目をつむっても、あけていても、自分の心臓にナイフをあてて、それをこちらに差し出した終一のことばかり、考えている。
「……くそ……」
小さく毒を吐いて、唯希はなるべく音を立てないようにベッドの梯子を下りた。そっと覗き込んだ下の段からは小柳の規則正しい寝息が聞こえてくる。起こしてしまっていないことに胸をなでおろしながら、息を殺して部屋の外に出た。消灯の時間になっても廊下の足元のライトだけはついているから、部屋の中よりは明るい。ずるずると壁に寄りかかるようにして座り込む。全身にねばついた汗をかいていて不快だった。けれど、すぐそこのシャワールームに行くことすら億劫で。
(……終、ちゃんと飯食ってんのかな……)
もう一歩も動けず蹲って、空っぽになった頭に浮かぶのはやっぱり、どうしたって終一のことだった。最後の学内コンテストまで、もう一週間だ。きっと、この前よりももっと追い詰められているだろう。切羽詰まるほど、逃げるように食事も睡眠もとらなくなる性質だ。寮にはたぶん、着替えと風呂以外で帰っていない。いくら美術科室を避けていても、さすがに倒れたなんてことになれば噂程度には耳に入るはずだから、それがないということは元気、なのだろうけれど。
(くそ。そんな気になるんなら、見に行けばいいだろ)
いつものように夜食を持って。前回の学内コンテストの時のように布団でもタオルケットでも、美術科室に運んでやればいい。終一はきっと拒まない。いつも通りの顔で迎えてくれる。
分かってる。
ちゃんと、分かっているのに。
「……くそ」
体が、震えて動かない。朝が来て教室に行くのは平気なのに、夜、寮を出ようとすると手足が震える。あの瞬間、終一の心臓に触れていたナイフを躊躇いもなく受け取った事実が、唯希の心を縛り付ける。次に、あの、夜に沈む美術科室で終一と二人きりになったら。
今度こそ、あのナイフで、終一の心臓を刺し貫いてしまうかもしれない。
今度は、我に返るのが終一の生ぬるい血液を全身で浴びたあとかもしれない。
「くそ」
悪態をついて、震える両手で腕に爪を立てる。嗚咽を奥歯でかみ殺す。顎先に集まる雫は熱いのに、体の芯は冷たくて、心と体がちぐはぐで、立ちあがる気力はもう、どこにもないから。
唯希はひとりきり、廊下に蹲って、祈るように、朝を待っている。
うつくしい、青い羽の蝶をピンで箱に縛り付ける夢だ。羽ばたきを封じ込めて、うつくしい青がこちらを向いた瞬間で時間をとめる。うきうきと羽にピンを刺す指には見覚えのある切り傷があった。左の人差し指の付け根。小学校のときに、彫刻刀でざっくり切ったときのものだ。
(あぁ、これ、おれの指か)
自覚した瞬間、青い蝶が、終一の顔になる。こちらを向いて目じりを下げた終一の顔に、気が付けば、いくつも細い針を刺している。口も動かさずに、終一が喋る。
「ねえ、これで満足した?」
青みがかった瞳が、ぎょろりと動いて、唯希をとらえる。悲鳴をあげて飛び起きる。
あれから何度も、そういう夢ばかり、見ている。
唯希は額に滲んだ汗を拭った。肩を弾ませて荒い息を吐き出す。何度か、無理やり深く息を吐き出して呼吸を落ち着ける。そうしてもなお、心臓はいやに早いままだった。細く開いたカーテンの向こうはまだ夜だった。朝の気配がない、純然たる暗闇。窓の外と中に境目がなく、ゆっくりと境界線が溶けていく。
うまく見えない両手にまだ、硬くなった皮膚を針で突き刺す感触が残っている気がした。
何も見えない暗闇の中なのに、もう動かない終一の顔がある気がした。
自分の心音しか聞こえない静寂の中で、壁にへばりついた血液のように終一の声がこだましている。
『じゃあ、ここで、終わりにする?』
それに答えた自分の声は茫洋としてよく思い出せないのに、あの瞬間の終一の声と、静かな瞳だけがもうずっと、何日も離れない。目をつむっても、あけていても、自分の心臓にナイフをあてて、それをこちらに差し出した終一のことばかり、考えている。
「……くそ……」
小さく毒を吐いて、唯希はなるべく音を立てないようにベッドの梯子を下りた。そっと覗き込んだ下の段からは小柳の規則正しい寝息が聞こえてくる。起こしてしまっていないことに胸をなでおろしながら、息を殺して部屋の外に出た。消灯の時間になっても廊下の足元のライトだけはついているから、部屋の中よりは明るい。ずるずると壁に寄りかかるようにして座り込む。全身にねばついた汗をかいていて不快だった。けれど、すぐそこのシャワールームに行くことすら億劫で。
(……終、ちゃんと飯食ってんのかな……)
もう一歩も動けず蹲って、空っぽになった頭に浮かぶのはやっぱり、どうしたって終一のことだった。最後の学内コンテストまで、もう一週間だ。きっと、この前よりももっと追い詰められているだろう。切羽詰まるほど、逃げるように食事も睡眠もとらなくなる性質だ。寮にはたぶん、着替えと風呂以外で帰っていない。いくら美術科室を避けていても、さすがに倒れたなんてことになれば噂程度には耳に入るはずだから、それがないということは元気、なのだろうけれど。
(くそ。そんな気になるんなら、見に行けばいいだろ)
いつものように夜食を持って。前回の学内コンテストの時のように布団でもタオルケットでも、美術科室に運んでやればいい。終一はきっと拒まない。いつも通りの顔で迎えてくれる。
分かってる。
ちゃんと、分かっているのに。
「……くそ」
体が、震えて動かない。朝が来て教室に行くのは平気なのに、夜、寮を出ようとすると手足が震える。あの瞬間、終一の心臓に触れていたナイフを躊躇いもなく受け取った事実が、唯希の心を縛り付ける。次に、あの、夜に沈む美術科室で終一と二人きりになったら。
今度こそ、あのナイフで、終一の心臓を刺し貫いてしまうかもしれない。
今度は、我に返るのが終一の生ぬるい血液を全身で浴びたあとかもしれない。
「くそ」
悪態をついて、震える両手で腕に爪を立てる。嗚咽を奥歯でかみ殺す。顎先に集まる雫は熱いのに、体の芯は冷たくて、心と体がちぐはぐで、立ちあがる気力はもう、どこにもないから。
唯希はひとりきり、廊下に蹲って、祈るように、朝を待っている。
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