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街に潜む陰
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しおりを挟むまさかネールとこんな風に会話出来る日が来るとは。ましてや自分が『強い』と言われるなんて。と、彼女との距離が多少縮まった事をアスレイは素直に喜んだ。
しかし反面、彼女の告げた推測を考えてしまうと、なんともやるせない複雑な気持ちが何時までも拭えない。
ネールとの会話を終えてアスレイは宿へと戻ると、何をするわけでもなく、ただ呆然と時間を潰した。
そしてカズマと約束していた見回りの時刻が来るなり、彼は開口一番そのことを話した。
するとカズマは苦笑を浮かべながら「鋭い女だな」と呟いた。
「やっぱりそうなんだ…」
自然と肩を落とすアスレイに対し、カズマは気に病むなと返す。
「全ての者がそう思っているわけではない。ただ、そんな風に思っている輩も中にはいる、ということだ」
仲間を疑いたくないからこそ魔女を信じる者。
本当に魔女の仕業だと信じている者。
そもそも失踪者がいるという事実自体、信じていない者。
大体がこの三者に分けられるのだという。
中にはカズマのように賊を疑う者もいるだろうがそれはあくまで少数派で、故に未だ具体的な手が施されてはいないのだ。
「この町は恐らくこのまま、何も変わらないのかもしれない…」
「だけどカズマはそれが根本的に間違っているから…そう思っているからこうして一人で見回りをしているんだよね?」
「…まあな」
カズマはそれだけ呟くと口を閉ざしてしまい、暫くの沈黙が流れ静寂とした空気に包まれる。周囲は暗がりに包まれており、点々と街灯の明かりが続いている。
と、不意にアスレイはカズマへ尋ねた。
「そういえば、どうしてカズマはこの町に来たんだ?」
彼はたった一人でこのキャンスケットを守ろうと動いている。その原動力は一体何なのか。ただ純粋にアスレイはそれが気になった。
しかしカズマには意外な質問だったのだろう。
彼は目を丸くさせてアスレイを見つめた。
が、すぐに破顔させると「大したことじゃないさ」と答えたのだった。
「昨日も言ったが…俺はスレーズ領の片田舎で、牧場主の両親や妹と暮らしていた。が、暮らしは楽な訳じゃなく少しでも家計の足しになればと出稼ぎに出ることにした」
「…俺も似たような家族構成だからわかるよ」
スレーズ領は大半が未開拓地であるが故に、他の領より劣っている点が多々ある。
更に自給自足では家計が成り立たず、貧しい暮らしをしている者も少なくはない。
そのためスレーズ領の男手は他の領地へ出稼ぎに行くことが一般的となっていた。
『スレーズの女は男より逞しく育つ』と揶揄された言葉があるが、それはそんな事情から由来していると言われている。
「だがスレーズ領を出て直ぐに己の未熟さを痛感した。それについてはお前もよく判るだろうが…」
「あー…うん。村を出て早々に色々勉強させられたよ」
何度も頷きながら、アスレイは思わず苦笑を零す。
自身の愚行を思い出してのこともあるのだが、カズマのような人も自分と同じ経験をしていたのかと、可笑しくも喜ばしく思えてつい笑ってしまったのだった。
とても厳格に見える彼が、とても身近に感じられた。
「―――田舎者ながらがむしゃらに旅を続け、たどり着いたのがここキャンスケットだった」
カズマがたどり着いた頃のキャンスケットは、居心地の良い町とはお世辞にも言えなかったという。
大した観光地があるわけでもなく、名産品にしても大抵は流通の町クレスタへと流れてしまう。
故にキャンスケットは『領主が住むだけの土地』として廃れる一方だったという。
「今よりも荒んでいた町を誰よりも憂いでいたのが…領主になったばかりのティルダだった」
領主として初心者のティルダと田舎出の傭兵カズマ。
『未熟者』という同じ境遇の2人はこの町で偶然出会い、そして自然と意気投合していった。
「社会を何も知らない俺を雇い、更には親友だと言ってアイツは接してくれた。だから俺も誠心誠意アイツをサポートしようと誓い、そうし続けた」
互いに互いの不足分を補うように、頭を使い、足を使い、そうして二人は今のキャンスケットを作り上げた。
「俺にとってこの町は第2の故郷であり、俺とティルダを成長させてくれた感謝するべき場所でもあるんだ。だからこそ…俺はこの町のこの幸せを失いたくないんだ」
アスレイから見えたカズマの横顔は、傭兵としてというよりは一人の男として憂いでいるようで、彼の熱心な思いがひしひしと伝わってきた。
必死で熱い、純粋な想い。しかし彼の強い熱意とは裏腹に、事件は一向に解決の糸口さえ見えないでいる。アスレイは自然と表情を曇らせ、俯いてしまう。
すると彼のそんな表情を見て察したのか、カズマは優しく肩に触れた。
「お前まで暗い顔するな。それに…俺がこうして見回りをしている限り、何かが起こることはないんだからな」
白い歯を見せるその顔はまたしても自信に満ち溢れており、不思議とアスレイもカズマの言葉を信じてしまう。
「そっか…信じるよ、カズマの言葉」
そう言ってからふと、先刻ネールに言われた言葉を思い出す。
『君は強い』。その言葉だけはどうにも信じられず、アスレイは自虐的な笑みを浮かべずにはいられない。
(…どう考えたって俺よりカズマの方が断然強いと思うけどな)
そう思いながら彼の横顔を見つめていると、突如カズマは何か閃いたような顔をしてアスレイへと視線を向けた。
「そう言えば、お前の故郷はエダムと言っていたな。今日はエダム村の話をしてくれないか?」
「…と言っても、カズマのとこと同じで何にもない村だけど…?」
アスレイはそう言って苦笑を零す。
本当に自慢できるのは敷地の広さだけ、というくらい何もない村。それをどう話したら良いのやらと思考を張り巡らせていた。
そのときだ。突然カズマが懐からある物を取り出して見せた。
見るとそれは紅い円形状のもので、色鮮やかな模様の描かれた―――。
「手鏡…?」
コンパクトミラーであった。
しかもそれは真っ赤な色が映える―――どうみても女性が使うもののようなのだが。カズマは迷い無く頷き肯定する。無骨な彼には不似合いのもの故に、その意外性に返す言葉が浮かばない。
と、そんなアスレイを見遣りカズマは大きな声で笑った。
「勘違いするな。これは俺のではなく妹のだ」
「妹さんの?」
それならば納得ができると理解する反面、更なる謎が生まれ頭に疑問符を浮かべる。
「故郷にいる妹さんのをどうしてカズマが…?」
「これは故郷を旅立つ際に、自分の代わりだと言って持たされたものだ」
そっと丁寧に開けられた蓋の奥にはこれまた丁寧に手入れが施されている鏡面が現れ、夜空に浮かぶ月光によって美しく輝いていた。
「本当は俺が昔、七色湖へ観光に行った際買ってやった土産ものだったんだがな」
「七色湖の!?」
アスレイが驚きの声を上げた七色湖とは、スレーズ領でも数少ない観光名所となっている湖のことであった。
三日月型の大きな湖で、その周辺では毎月色取り取りの季節の花が咲き乱れ、その色鮮やかな光景はまさに空に浮かぶ虹の如しと称えられるほどで、そのため湖は七色湖と呼ばれていた。
確かによく見るとそのコンパクトミラーには七色湖の名にちなみ、よく咲く季節の花々七種のイラストが描かれてある。
ちなみに、アスレイの故郷であるエダム村から七色湖はほど近い距離にあった。
「七色湖には季節の花が旬になる度、遊びに行ってたっけ」
そう言うとアスレイは遠くへと視線を移し、七色湖へ遊びに行った思い出を脳裏に蘇らせる。幼少のアスレイがいて、妹たちや幼馴染みと共に弁当を持って遊びに行ったという記憶だった。
湖周辺に咲く花の採取は禁止となっていたのだが、それを知らずにもいでしまい大人に怒られたという光景から、その代わりにと花を模した髪飾りを土産物屋で皆にプレゼントしたという光景まで。
まるで昨日のことのようにアスレイの中で鮮明に蘇っていく。
痛い思い出でもあるが、勿論楽しかった記憶でもあり、その懐かしさからアスレイの口許は自然と緩んでいく。
「俺の村からじゃ七色湖は一日がかりだったからな…お前の村の近さが羨ましいな」
「そうかな? でも確かに七色湖は何度行っても最高の光景だったよ」
それから二人は七色湖の話題を語り合い、更にそこから妹に対する自慢や愚痴へと発展していった。
二人はそんな会話をしながら、この日の『見回り』と言う名の『雑談』は終わりを迎えたのだった。
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