天使喰らうケモノ共

緋島礼桜

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口切り動くケモノ

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 マーディル暦2031年、09、22。






「―――密偵からの連絡が途絶えただと?」

 某都市、某軍施設内。
 その一室で受けたその報告が、事の発端であった。

「はい。四ヶ月程前にマオ山脈の麓で目撃されたという養製天使ようせいてんしの情報を求めて、彼が潜入調査に行ったのが今から二ヶ月程前のことです。マオ山脈に入った当初は定期連絡の伝書鳩が来ていたのですが…」

 そう説明しながら補佐官はおもむろに顔を顰める。

「『ラースンの村にて怪しいものを発見』との報告を三週間前に受けたのが最後で…それ以降の連絡は届いていません」

 説明を受け、補佐官の正面―――将軍名ばかりの席に座しているイグバーンは、盛大に口から煙を吐き出す。
 次いで、手にしていた煙草をもう一度口に咥えた。

「そういう場合は大抵伝書鳩の不備、ってんじゃねえのか? 伝書鳩アレも一応生き物だ。それに持ち歩ける数にも限りがある」

 これが市街地や町中であれば他の連絡手段もあったろうが、潜入先が山中である以上方法も限られる故仕方がない。と、イグバーンは付け足す。
 連絡手段が無くなっただけであり、その内頃合いを見計らって戻って来るだろう。という彼の見解に、補佐官は静かに眼鏡を押し上げた。

「…目撃のあった養製天使ようせいてんしは三体で行動していた。としてもですか…?」

 補佐官の言葉に、イグバーンは反応し眉を顰める。

「三体……確かにそりゃあ少しばかり厄介ではあるな」

 養製天使ようせいてんしが体内に取り込んだ灰―――『天使の呪い』と呼ばれるは、おとぎ話の類では凶暴で攻撃的と描かれているが、実際はずる賢い強かさも持ち合わせている。
 憎しみ呪うが故に、天使人格は常に人を誑かし陥れようと策謀していると言われているのだ。
 それが三体も集まったとなれば、それ相応の悪知恵も働くやもしれないと、憶測も立ってしまうというもの。

「まあ、所詮は鳥の浅知恵だがな。だが、懸念はもう一つある」

 そう言うとイグバーンは吹かした煙草を机上の灰皿へと押し付ける。
 潰れた煙草から最後の煙が立ち上り、それは天井へと至る。

「そのラースンの村へ潜入した密偵ってのは随分と有能な人材でな…養製天使ようせいてんしを見抜く観察眼や知識も確かだが、何よりも特異なのはその類稀なる運だ」
「運、ですか…?」

 僅かに首を傾げる補佐官。

「天命とも凶運とも呼べそうだが。まあそんな言葉自体本当は使いたかねえんだが…偶にいるんだよ。旅先で事故にばかリ遭うとか、ここぞと言うところで引きの良い豪運の奴とか…才能をも越える気まぐれみてえなってもんに選ばれた奴がな」
「その密偵にも、選ばれた何かがあると?」
「認めたかねえが、そう疑ってる。事実、奴が潜入調査で発見捕獲した養製天使ようせいてんしの数は部隊の中でもズバ抜けている。それも偶然か運命かのような見つけ方をした場合が多々ある」

 負傷した貴族に成りすました養製天使ようせいてんしを偶然発見したと報告があったときには流石に度肝を抜かれた。と、イグバーンは肩を竦めながら話す。
 確かに、入軍してまだ一年足らずの新人にしては随分と優秀だと、補佐官は密偵の実績が記された書面に目を通しながら思う。

「が、しかし…有能ではあるが、万能なわけじゃねえ。奴には残念な弱点が一つある」
「一つ…ですか」

 本当はもっと致命的とも言える弱点もあるはずなのだが。と、補佐官は思うものの。あえてイグバーンはそれについて口に出さず。
 同調するべく補佐官も静かに眼鏡の縁を押し上げるのみ。

「良くも悪くも養製天使ようせいてんしと出くわせるには良いんだが―――哀しいことに奴の身体能力自体は凡人程度だ」

 力比べとなりゃあ子供の養製天使ようせいてんしにも劣るだろう。と、付け足しながらイグバーンはおもむろに席から立ち上がる。

「深追いはするなと常々言ってはあるが…奴には養製天使ようせいてんしの懐に潜り込むよう偽装して入り込めと、命じていたな。目撃のあった三体の養製天使ようせいてんしの誰かが奴の正体に気付いたとすれば…返り討ちにあったという疑念も出る、か」
「流石にそこまでは考え過ぎでは…?」

 思わずそう言ってしまってから補佐官はそれが失言であったことに気付く。
 案の定、目の前に立つイグバーンは眉間に皺を寄せながら深いため息をついた。

「アランくん…いつも言ってるだろ? 少しでも疑いがあるならばそれを徹底的に潰すまで用心深くいけってな」

 そう言うとイグバーンはもう一度ため息をついた後、羽織っていたお飾りの軍服を脱ぎ捨てる。
 乱雑に机へと放り投げられたコートはガチャリと、音を立てた。

「せっかくの勲章が傷つきますよ…」
「ただのお飾りに傷が付いたって屁でもねえよ」

 鼻で笑いながらそう言い返しつつ、イグバーンは掛けられてあった私服のジャケットを羽織る。

「それと…わざわざ将軍自ら出向くことはないのでは…?」
「三体もつるんでるかもしれねえってのに俺以外に誰が指揮を執るってんだ? あーそれと、ついでに部隊も30人ばかり連れて行く」
「って…我が部隊は隠密部隊なんですよ? 30人なんて大所帯もいいとこじゃないですか」

 呆れた顔で苦言を呈する補佐官であるが、それで言うことを聞く上官ではないことも充分知っている。
 彼の想像通りに、イグバーンは強気とも不敵とも不気味とも取れるような笑みを浮かべて言い返した。

「念には念を。ってな」
 






   
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