エーデルヴァイス夫人は笑わない

緋島礼桜

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4日目~4

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 僕は無我夢中で調理場まで逃げてきた。
 通路の突き当り、そこから覗ける調理場は想像していた通り僕の家よりも広かった。
 大きな竈に大きな調理台。
 鍋やフライパンといった道具もそのまま残されている。
 どこかが雨漏りでもしているのか、ピチョンピチョンという水の落ちる音が聞こえてくる。

「外は雨でも降っているのかな…」

 だけど、外から雨の音は聞こえてこない。
 というよりも、外の音なんてずっと何も聞こえてはこない。
 鳥のなき声も、草木の揺れる音も。
 ずっとずっと無音の世界のはずだった。





ガタン




 
 聞こえてきた音は調理道具が置かれている棚の方からだった。
 何かが落ちた音だと思って、僕は振り向かないようにした。





ガタッ

   ガタン





 けれど、それでもなり続ける。
 まるで僕に振り向いて欲しいかのように。





ガタン
  
    ガタッ

         ガタッ             ガタン






 きっとネズミかネコが屋敷の中に入り込んだ音だ。
 そうだ、そうとしか考えられない。
 だから振り向いたって何もない。















ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ





 もうガマンできなかった。
 振り返ってネコがいただけだったと安心したかった。 
 だから、僕はいっせいので、で振り返った。















「やっと、ふりかえったね」















 そこにいたのは間違いなくアン―――アンナだった。
 僕は恐ろしさに悲鳴も上げられず、その場に倒れ込む。

「なん、で…?」
「どうしておにいちゃん、ここにきちゃうかな…わたしここきらいなのに……」





 ゆっくりと近づいてくるアンナ。
 昨日まで、さっきまでは一緒にいても平気だったのに。
 手だって普通につなげたし、妹みたいな、友だちみたいだなって思っていたのに。

「どうして…ここが嫌いなの…?」

 恐怖とパニックと悲しみの中。
 それでも僕は何とかもう1回逃げられないかとアンナに質問をする。
 そうやって時間をかせいでいるうちに、逃げ道を探そうと思った。



「わたしね…このばしょでしんじゃったから…」





 アンナは素直に質問に答えてくれた。
 彼女は両親にいつも怒られていてひどい扱いを受けていた。
 その日も食事ももらえず空腹からこっそりとお客様用のお菓子を食べたのが見つかり、叱られたらしい。



「なんどもなんども、いたいいたいっていってるのにたくさんたたかれて…そしたらね、わたしはわたしじゃなくなちゃったの」



 息を引き取ってしまったアンナを隠すため、両親はアンナを湖に沈めて隠したのだという。
 そして、その事実も隠すため、両親はアンナを湖の事故で亡くなったことにしたのだと。
 ホテルの悪い噂が広まらないよう、湖の悪い噂を広めたのも彼女の両親だったと、アンナは言った。



「つめたくてつめたくて、たすけてたすけてってパパとママにいってるのにぜんぜんきこえてなくて…そのうち、パパもママもここからいなくなっちゃった…」



 そうして、アンナの幽霊ひとりがこの屋敷に取り残されたという。
 とても可哀想だと、僕は思ってしまった。



「じゃあおにいちゃんもここで、いっしょにくらそう? それならもうさびしくないから」



 アンナがそう言うと周りから冷たい空気がひゅうひゅうと音を立て始める。
 凍えるようにまとわりつくその風に、僕は身体をふるわせ、慌てて頭を振った。

「イヤだ…ここで一緒には暮らさない」

 さっきまでのアンナと、今のアンナは同じはずなのに。
 でも全く違う人物のように見えた。
 だからこそ、このアンナには気を許しちゃダメだと、僕の本能が告げていた。
 




「ひどい…どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」





 未だに逃げ道は見つからない。
 せめて何か武器でもと思って、僕は近くにあったナイフを拾ってアンナへと向けた。















じゃあもう……おにいちゃんが、おにいちゃんじゃなくなってもいいや……















 その直後、僕の身体が動かなくなった。
 それどころか、握っていたはずの手が勝手に動いてナイフを落としてしまう。
 なんで、どうして。
 その言葉さえも出せなくなった。















バイバイおにいちゃん





 僕の身体が冷たい風に、何かに、包まれていく。
 何にも、抵抗も、出来ない。
 息苦しくて、苦しいとも、叫べない。
 















コンニチハ、アタラシイオトモダチ















 気がつくと、僕は何倍にも大きくなったアンナに抱きしめられていた。
 いや、違う。
 アンナがでかくなったんじゃない。
 僕が小さくなったんだ。
 ポン、とどこかに置かれた僕は、そこで初めてわかった。
 僕はぬいぐるみになっていた。
 動くことも、しゃべることもできない。
 ただのぬいぐるみだ。















 いやだ、こんなところにおいてかないで。
 たすけて、だれかだれかだれか。





ダレカダレカダレカ、


       タスケテタスケテタスケテ





…ク イ テ ッ ナ ク ナ ャ ジ ク ボ 、 ガ ク ボ








    ◆◆◆






 …残念です、オットー様。
 貴方は逃げる場所を間違えたのでしょうね。
 きっともう貴方を見つけることは、私には出来ません。
 とても残念です。
 




 さようなら、オットー様。









     ~fin~







   
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