観客席のモブは、恋をする予定じゃなかった

しろうさぎ

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パン屋のマルタおばさん

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十三歳になった私は、学校へは通っていない。

けれど、それは珍しいことじゃなかった。
王都から離れたこの小さな町では、平民の子どもで学校に行っている子の方が、ずっと少ない。

多くの子は家の仕事を覚え、親の背中を見ながら一日を過ごす。
仕立て屋の子は糸と針を持ち、料理屋の子はフライパンを振るのだ。

私も、その一人だった。
花屋の娘として、花の名前を覚え、水の替え方を覚え、花がいちばん綺麗に見える向きを覚える。

「アイリス、この花はもう少し日陰に」

「はーい」

そんな何気ないやりとりをしながら、私は店の中を行き来する。

朝露の残る花に触れると、指先が少し冷たくて、でもすぐに、花の体温みたいなものが伝わってくる。

学校には行ってないけれど、この店が私の教室だった。
花の咲く時期を学び、人の気持ちを学び、季節の移ろいを学ぶ。
メッセージカードに書く文字や、花代の計算は、店が終わった後、夕食後に両親がココアの香りとともに丁寧に教えてくれた。

両親と並んで働き、同じ時間を分け合えるこの日々が、私にとっては何よりの宝物だった。
王都の学校に通い、宿舎で暮らす未来よりも、この家で迎える朝のほうが、ずっとずっと幸せ。
改めて感じる日々の幸せに思わず口元が緩む。

そんなアイリスを見て、通りを歩く人たちが自然と足を止める。
「おはよう、アイリス」
「今日も綺麗ねえ」
「その瞳、何度見ても不思議だ。雨上がりの虹みたいだね」

声をかけてくるのは、顔見知りばかり。
この町は、大きくない。
だからこそ、人の顔と名前が一致する。

生まれた時から成長を見守ってきたせいか、町の人たちも、いつの間にか“親バカの眼鏡”をかけている。

中でも一番の重症者は、隣のパン屋のマルタおばさんだった。

「アイリス、ちょっと来なさい」

そう言われて顔を出すと、焼きたてのパンの香りと一緒に、満面の笑顔が待っている。

「これ、端っこだけどね。ほら、まだ温かいわよ」

(……端っこじゃない)
どう見ても、いちばん形のいい部分だ。

「背、伸びたでしょう?ほら、私の肩くらいまで来たじゃない」

「肌もつやつやで……更に美人になったねぇ」

返事をする間もなく、髪を整えられ、
頬を撫でられ、気づけばパンを手に持たされている。

(……いつものことだけどね)

マルタおばさんは、私が生まれるずっと前から隣のパン屋を営んでいる。
アイリスが泣けば抱き上げ、歩けば拍手をし、転べば誰より先に駆け寄ってきた人。

「この子はね、ちゃんと見ていないとだめなの」

そう言って、まるで自分の孫みたいに私を大切にしてくれる。

(……そんなに心配しなくても)
私はもう十三歳で、一人で花の配達だってできる。

それでもマルタおばさんの私を見る目だけは、ずっと“あの頃”のままだった。

「アイリスはね、いい子なのよ。まるで春の花の妖精みたいにね」


残念ながら、私には祖父母も親戚もいない。
遠い親戚がどこかにいる、なんて話も両親からは聞いたことがなかった。

けれど、それを寂しいと思ったことは一度もなかった。

隣のパン屋のマルタおばさんは、祖母みたいに私を気にかけてくれるし、向かいの仕立て屋のおじさんは、成長するたびに丈を測ってくれる。

花を買いに来る人たちは、親戚みたいに近況を尋ね、少し変わっただけで、大げさなくらい喜ぶ。
この町の人たちが、私の“親戚代わり”なんだと思う。


(……幸せだな)

ふと、そんな言葉が浮かぶ。

今朝、前世の記憶を思い出したばかりなのに、不思議と心は穏やかだ。
だって最初からここが、私の居場所なんだって自然に思えるから。
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