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8. 誰がソフィアを呪ったの?

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 ソフィアは丸三日かけて、起き上がれるほどに回復した。
「危険な状態は抜けましたが、不安定ではあるため、三ヶ月は安静にしてください。魔法の使用も禁止です」
「ドクター、ありがとうございます」
「何かありましたら、ご連絡を。では、殿下にお気づきになられたと伝えてまいります」
 まだ原因が判明していないため、くれぐれも安静にしてくださいと繰り返し伝えると、ドクターは駆け足でカンラン宮を出た。皇太子はソフィアのことを深く心配していたことを知っているからだ。
「サーシャ、ちょっと出る」
 そう言うとソフィアは魔法によって、外出用のドレスに着替えた。そして、転移魔法を作動して、この場から消えた。
 サーシャが止める暇も無かった。ドクター泣かせの人だとサーシャは呆れた。
 そうして、ソフィアはラーラのいる住まい、キセキ宮を訪れた。
「どなたかと思いましたら、ソフィア様でしたか」
 ラーラが紫の髪を靡かせて姿を見せた。ソフィアはできれば二人で話したいと人払いをしてもらった。
「突然申し訳ありません。あの日お会いして以来ですね」
「お倒れになられたと聞いて驚きました。胸を痛めていましてよ」
「ご心配おかけして申し訳ありません」
 ソフィアはラーラ自らが用意した。お茶を一口だけ飲んでカップを置いた。
「一つお聞きしたいのですが、あなたは私を妬んでいらしてたんですか?」
「オホホホ。何を訳のわからないことを……!誰があなたなぞに……!後宮にほとんどおられないソフィアさんはご存知ないかもしれませんが、わたくしは殿下の男の子を産み、寵愛も受けています!あなたに嫉妬する必要はありませんわ」
「そうですか。では、なぜあなたは私を呪ったのでしょうね。私も魔法省の端くれですから、誰にどのようにして呪われたかくらいはわかりますよ」
「なにを……!あなたの憶測に過ぎませんわ!それで、わたくしを犯人に仕立て上げるなんて……!無礼にもほどがありましてよ」
 ラーラはツンっと顔を背けた。その仕草が随分と様になっていた。
「実は、呪われた時に私は印をつけたのです」
「なんですって?」
 何を言っているのかわからないラーラを尻目にソフィアが指を鳴らした。すると、釘が打ち込まれた人形がラーラの足元に現れた。
「きゃあッ!」
「これは俗にいう藁人形に近いものですね、布でできていますが……。しかし、素晴らしく手が込んでいます。通常は呪いたい人の髪などを人形に埋め込み、釘を打ち込むものです。魔法を使える方が行うことで効果を有します。しかし、この人形は呪う人の髪の毛を埋め込み、頭の中で呪いたい人を思い浮かべることで、呪うものです。これも同様に、魔法を使える方が行うことで効果が生じますが、その効力の強さは気持ちの大小によって決まります」
 ソフィアは長々と熱を持って話した。彼女は魔法道具の研究をしているため、少々珍しい藁人形 (布人形?) にややテンション上がり気味だった。
 つまり、この特別製の人形は、呪う側の髪の毛を巻きつけた人形を特定の人に恨みを込めて釘を打ち込むことで、呪うことができるものだった。準備は相手を呪いたい気持ちだけですむ。この気持ちが強ければ強いほど効果は増すというものだ。
「この人形に巻き付いている髪は呪った人のものです。綺麗な紫色ですね」
「ちが、わたくしは、しら、知らないわ!!」
「左様ですか。では、この人形は何でしょうね。詳しくお調べするよう殿下に申し上げます」
 ラーラは謀を暴かれ、動揺していたが、ソフィアが口をつけたカップを見やり、できるのかしらと微笑んだ。
「あなたの呪いは大変凄まじいものでした。大変恨まれていたようですね。この三日間、とても苦しみましたよ」
 ソフィアは疲れた表情をラーラに向けた。
「そういえば、このカップには随分な毒が入っていますね」
「な!」
「私もただの人間ですよ。こんな魔獣相手の量をご用意されなくても、死ねます。ただし、解毒魔法を即座にしなければの話ですが」
 掠れ声を上げながら、ラーラはぺたんと床に座り込んだ。
「……こしゃくな」
「僭越ながら、毒には詳しいんです。この毒は効き目も抜群で即効性がある。しかも身体に毒が残りにくい。狩猟によく使われています」
「お黙り!よく回る口だこと……!」
「私が病み上がりで弱っているから倒れてしまったとでも殿下にご説明なさるおつもりでしたか?」
 事実、弱っていますよとソフィアは平気な顔で話している。
「……で、でんか、殿下には」
「もちろん、私からは殿下に申し上げません」
 ソフィアはそのかわりにと疑問に感じていたことを尋ねた。
「ですが、一つお教えください。あなたは殿下の寵愛を受け、男の子を産んでいらっしゃる。なぜこのようなことを?」
「……」
「正直、あれだけ恨まれる心当たりがないのです。私は忙しさにかまけて側室でいることを怠っていました。ですから、あなたとはあまり接点がないように思います」
「殿下…は」
 ラーラが何を言ったか、ソフィアにはよく聞き取れなかった。
「どうなさいましたか?」
「……殿下は、殿下が愛しておられるのはあなただけと!!」
「どうしてそんなことをお思いに?」
「あの方は、あなたがいないにもかかわらず、カンラン宮にお一人で行かれて……!」
「一人になれる場所を見つけただけかもしれませんよ」
「それに、セーリョー殿には皇太子妃殿下以外、誰も招かれたことのないところなのよ!」
「もしかしたら、あなたもいずれ招かれるかもしれませんよ。もう少しお待ちになればよろしいのに」
「何がいいたいの?」
 ラーラはひどく顔を歪ませた。
「あなたは思い込みの激しい方でも憶測に惑わされる馬鹿でもない。先程の理由のみで大それたことはなされないでしょう」
 ソフィアはしゃがんでいたラーラに目線を合わせた。
「あなたは聡明な人だ」
「あぁ……。そう、そうよ……!皇太子妃殿下が、あのひとが言っていたの。学生時代からずっと、ずぅっと!!」
「そう」
 ソフィアは皇太子妃の名前が出ると、眉をひそめた。
「ん?早いな。申し訳ありませんが、失礼いたします。お元気で、またお会いしましょう」
 ソフィアは何かに気がつくと、やにわに立ち上がって、転移魔法を作動し、この場を立ち去った。
 そして、皇太子殿下がお見えになられた。彼はサーシャからソフィアが転移魔法を使ってどこかに行ったと報告を受けていた。それから、ソフィアを探していたのだ。
「ソフィアがここに来ていませんでしたか?」
「……」
「この人形は……」
 皇太子はしゃがみ込んでいるラーラの方を見ると彼女の近くにあった紫の髪が巻き付いた人形を見咎めた。
 ああ、見られた、見られてしまった。殿下は賢い方ですから、一つを見て全てをしってしまったのでしょうとラーラは諦めた。
 そして、彼女は貴婦人の鏡のような動作でゆっくりと立ち上がった。
「だらしのないところを見られてしまいましたわ」
 先程のソフィアが口をつけたティーカップを手に取り、飲み干した。
「ラーラ」
「お察しの通り、わたくしがソフィアさんを呪いました。言い訳にもなりませんが、どうかしていたのでしょう」
 皇太子がラーラと呼んだ声をとても愛しく感じた。
「ですが、殿下、きっとわたくしだけがあの人を呪ったのではありませんわ」
 これにて失礼いたしますと礼をして、彼女は血を吐いた。皇太子が駆け寄った頃には既に事切れていた。






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