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第一章 幼少期編

第20話 『シルヴィア、パニくる』

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「ふぇぇぇえん・・・嫌だよぉ」


穴に潜って最初の洗礼は蜘蛛の巣だった。そこへ思いっきり突っ込んだシルヴィアはその場にへたり込み、泣き顔になってしまった。

彼女の現段階で唯一と言って良い苦手な物・・・それは蜘蛛だった。

今よりも幼い頃。7歳の時、たまたまいつもの山の麓で休息をとっていた、リクとシルヴィアに起こった事件がその原因なのだが・・・

いつもの様に向かい合って、木陰に座っていた二人を襲った『小さな襲撃者』は、木の枝からするすると糸を垂らして、首元からシルヴィアの服の中、背中へと侵入したのだ。

別に蜘蛛には何の意図も無く、ただ単に木から降りようと移動していただけだったのだが・・・異物の感触に、シルヴィアは悲鳴を上げてパニックに陥った。

慌てて訓練着を脱ぎ捨てて、素肌を晒した彼女は、悲鳴に驚くリクに背中を調べて貰い・・・その正体を知って、更に大きな悲鳴を打ち上げた。

小さな蜘蛛は驚いて、近くの草むらへと逃げ去ったのだったが、上半身裸のままでシルヴィアは暫くその場で泣いてしまったのだった。


「・・・あー・・・シル?」

「嫌。・・・絶対ヤダ、行きたくない」


間近で見た、八つの単眼の多足生物。そして、リクの前で裸で泣き叫んだ恥ずかしさはシルヴィアのどうしても拭えない心的外傷トラウマになってしまった。

そして、今ここにはその蜘蛛の巣がある。と、いう事は、奥に居るであろう魔物は蜘蛛の類である事は容易に想像できる訳で。

シルヴィアは涙目でリクの服の裾を掴んで、懇願する。行きたくない、進みたくない、蜘蛛に会いたくない・・・と。

リクとしても、彼女の心的外傷トラウマを刺激したくはない。以前の様な状況なら兎も角、今は同じ様にシルヴィアがパニックに陥るのは非常に危険だ。

万が一、相手が小型で・・・今度は戦闘衣バトルクロスを脱ぐ様な事態になったら、命の危険が飛躍的に高まる上、リクも集中して戦う事が困難になるだろう。


「じゃあ・・・シルは上で待ってるか?俺、パパっと中調べてくるからさ。なら蜘蛛に会わなくてすむだろうし・・・」

「・・・うぅ・・・それもダメ。危ないもん・・・でも・・・行きたくないよぉ」


彼女の母・メルディアが感じていた、シルヴィアの意外な頑固さが、こんな悲しいタイミングで遺憾なく発揮されていた。

蜘蛛は嫌いだ。それはどうしても変えられない苦手ではあるが・・・彼女にとっては、リクが単身危地に赴こうとするのを見過ごすのは、絶対に出来ない選択である。

自分を気遣ってくれる少年に、情けない姿をいつまでも見せられない。そう気持ちを奮い立たせたシルヴィアは、未だ涙目ではあるが、決心してようやく立ち上がるのだった。


「・・・私も行くよ・・・でも、蜘蛛だけは。蜘蛛だけは、リっくんがやっつけてね?」

「大丈夫だって・・・全部俺がやっつける。シルには近づけさせないからさ、任せとけって!」


苦笑するリクは、シルヴィアに戦闘衣バトルクロスの裾をしっかりと掴まれたまま、ゆっくりと通路の奥へと足を進めるのだった。

通路はやはり二人が並んでも悠々と通れる広さ、そして十分な高さがあり、燈明ライティングの光によって、明るく照らされた道は支障なく歩けそうだ。


「奥に進んでも、空気はしっかりある。・・・けど、何だか蜘蛛の巣がどんどん多くなってくるなぁ。こりゃ、完全に巣作りされたんじゃないか?」

「うう~・・・嫌だよぉ、蜘蛛いっぱいとかホントに無理だから・・・」


曲がりくねった下り坂をじりじりと進み、幾度か行き止まりの小部屋の様な空間にぶつかっては戻り、二人は奥へ奥へと進んでゆく。リクの言葉通り、進む度に蜘蛛の巣が増え、視界が悪くなってきていた。同時に、シルヴィアのやる気はどんどん低下していく。


「・・・ん?あれって、卵・・・の殻、かな?・・・うげっ、何だこの数!?」

「ふえぇぇぇん!!やっぱり帰りたいよォッ!!」

「・・・シル、泣かないでくれよ・・・ってか、こりゃシルじゃなくても帰りたくなるよな。正直、俺もげんなりする・・・」


更に通路を下り、少し広がりを感じる空間に出た時だった。それまでの小部屋、と表現する物と比べてかなり広く、小規模なホールの様な場所は、夥しい蜘蛛の巣に覆われており、地面には幾つもの卵の殻が転がっていた。

その数およそ三十・・・全て孵化した後なのかどうかは解らないが、もしそうならば相当な脅威となる。

殆ど心が折れてしまったシルヴィアは本気マジ泣きして嫌がり、リクでさえも、あまりの数の多さに心底嫌そうな声を出す。

実際問題、三十匹の魔物とその親がここに巣食っているのはほぼ確定した。討伐難易度は単純計算しても、かなり跳ね上がっているだろう。

もし、親玉のランクが『A』以上ならば、ガル・キマイラを上回る危険度にまで到達する。

加えて、まだ一度も魔物と接敵していない以上、この先で連戦を強要される事も想像に難くない。本来ならば、調査を一度打ち切り態勢を整えた上で、再度挑むべき案件だろう。


「・・・ただ、さ。引き下がってる様な時間は無いんだよな。・・・精霊達と約束したからさ。絶対に助けるって」

「うぅ・・・」


溜息を尽きつつも、リクは蜘蛛の巣を長剣で振り払う。既にかなり深くまで潜ってきた事で、内部の空気がどの程度あるのか、全く把握出来ていない事もあってか、火の魔法や戦技で焼き払う事を、リクは極力避けていた。

本当に嫌々ながら、という空気を纏ったシルヴィアも、リクの後にのそのそと付いていく。本当に嫌なのだが、彼女も精霊達との約束を破りたくないのは一緒である。

折れた心を必死に立て直し、もう一度メイスを握る手にしっかりと力を籠める。

そして・・・二人の前に遂に魔物が現れた。十体の子蜘蛛・・・およそ、外で出会った精霊達と同じくらいの体長。つまり、人間の子供程のサイズの物がひしめく部屋に到達したのだ。


「「「ギギイィィィィ!!!」」」

「いやあぁぁぁぁぁ!!!!」

「うぐッ!?ちょッ!シル!!」


こちらに気付いたのか、一斉に威嚇の鳴き声を上げる子蜘蛛達。同時に悲鳴を上げ、パニックに陥るシルヴィア。更に、そのシルヴィアに背中に思いっきりしがみ付かれ、大きく体勢を崩されるリク。

パニくるシルヴィアは、リクに体を押し付け、全力でしがみ付いた。リクにとっては別に彼女の体重は重くはない。寧ろ、シルヴィアは軽い位だ。

しかし、手加減無しの力は常人の比ではない。抱き付かれる、とかしがみ付かれる、というより・・・締め上げられる、に近い威力だ。

それこそ、男性諸氏ならば、背中に押し付けられる『主張しだした柔らかい二つの何か』が気になる様なシチュエーションだが、当のリクはそれどころではなかった。

満足に動く事が出来ない。剣を振るう事も出来ない。子蜘蛛は一斉に襲い掛かろうと動き出している・・・八方塞がりとは正にこの事だろう。


「ぐッ・・・!・・・なら・・・ちょっとだけ・・火、使うッ!!」


背面からベアハッグ状態のリクは、止むを得ず【壱式・紅蓮いっしき・ぐれん】を・・・発動する。

炎を噴き上げる両足を振り上げ、安定して使えそうな事だけを確認すると、リクは迫りくる子蜘蛛の群れに、こちらから突貫する。背中にはシルヴィアがしがみ付いたままだが・・・


「シル!絶対離れるなよ!!・・・あと、こっち絶対見るなよ!?・・・即席技ッ【紅蓮・乱烈蹴ぐれん・らんれつしゅう】!!」


シルヴィアにそんな余裕は無いだろう。解ってはいるが、リクにとってこういった彼女への確認は、殆ど条件反射の様なものだった。

やはり返答は無かったが、お構いなしにリクは大きく体を捻り、殺到してきていた子蜘蛛の真っただ中へと飛び込む。そして、その場で一回転するように炎の蹴りを放ち始める。


「「「ギイッ!!・・・・ギギイィィィィ!!!!!」」」


炎の渦が二度、三度と巻き起こり、体液を撒き散らしながら次々に子蜘蛛が蹴り潰され、更に焼き尽くされていく。即席技、と叫んだ通り思い付きで放った蹴り技で、見事な戦果を上げたのだ。


「うぅ~・・・・ひぐっ・・・」

「ほら、シル・・・もう終わったから。大丈夫だから・・・離してくれって」


ぎゅっと目を閉じ、未だに目一杯の力でしがみ付いたままのシルヴィアに、困り顔のリクは、暫くその場に留まる事を余儀なくされるのだった。

その後も更に二回。同じ様な広間に出ては、子蜘蛛に遭遇。またしがみ付かれたままのリクが炎を纏って蹴り潰す、という作業を繰り返し・・・

二人は辺りの瘴気が濃くなっている事に気づく。これまで感じたものの比ではない。穴の淵に漂っていた物と同種の・・・強力な魔物の気配が濃厚に感じられる。


「・・・ようやくお出ましか。結構魔力マナ使わされたし、そろそろ決着つけたいとこだったから、丁度良いか」

「あっ!・・・リっくん、あれ!・・・精霊が居るよ!」

恐らくは長く暗い穴の最奥。一段と広い空間の入口へと辿り着いたリクとシルヴィアは、小声で話しながら中の様子を伺う。

ここに来てシルヴィアも少し落ち着きを取り戻したようで、リクの戦闘衣バトルクロスの裾を左手で掴む程度には、拘束の度合いが下がっていた。

これまでで最も夥しい蜘蛛の巣に覆われ、濃密な瘴気を漂わせる存在の気配。そして、囚われた精霊達の姿を見つけた二人はそれぞれの武器を構えて、警戒の度合いを上げる。

遠目に見ても、精霊達は動く気力も無いのか、蜘蛛の糸に体を囚われ、ぐったりとしていた。


魔力マナが殆ど感じられない・・・リっくん、急がないと・・・!」

「要するに、親玉は卵を産むのに精霊達の魔力マナを吸い取ってるって事か!?・・・確かにヤバいな。早く助けないと、精霊達も危ないし・・・何より、奴がどんどん強くなるんだろ?」

「うん・・・魔力マナを吸い取る魔物は、吸収した魔力マナの分だけ強力な個体になるって、おば様に教わったから・・・間違いないよ」


一般に精霊は、人族を始めとする四種族を上回る魔力マナを持つと言われている。実際は種類によってその量や力は様々なのだが、何にせよそんな精霊の魔力マナを吸収した魔物が相手となる。

これ以上の強化は防がなければならない。弱り切った精霊達を救い出す為にも、村を守る為にも、ここで叩く。

リクとシルヴィアは、小さく頷き合うと一息に広間へと踏み込む。そして、中央に佇む巨大な黒い影と相対する・・・体長4メートルにも及ぼうかという、蜘蛛の魔物と。

その名は『ギド・スパイダー』・・・討伐難易度『Aクラス』の強力な魔物だった。それは八つの目を動かし、巨体に似つかわしくない俊敏な動作でこちらを振り向く。


「ギシャアアアアアアッ!!!」

「・・・怖くないッ・・・絶対ッ!聖霊さん達を助けて帰るんだからぁッ!!」


震える足を気合で黙らせ、魔物へメイスを構えるシルヴィアの叫びと共に・・・決戦の幕は上がった。


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