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彼女の今世
episode34
ルートヴィヒ様と図書館で出会った日から、昼休みは図書館で彼と話をしながら本を読むのが私の日常になりつつある。今日もアイリーン様達と昼食を食べてから図書館に行くと、既に定位置となってる場所に彼はいた。
黒髪の持ち主であるルートヴィヒ様は遠目でも見つけやすい。周りに黒髪の人がいなかったせいか、図書館以外の場所でも視界に入るとついそちらを見てしまう。
なんというか……言い方があまりよろしくないけど、目新しい。という印象で。
私がお昼に彼と図書館にいることを知ったアリアは好奇心を前面に出し、毎日図書館に着いてくるようになった。
彼女の場合はたまにルートヴィヒ様に着いてくるラトル目当てだけど。
「今日はラトルも一緒なのですね」
正面に腰掛けながら話しかけると、ルートヴィヒ様は本から視線を彼の肩で寝ている妖精にずらし、優しい笑みを浮かべた。
「無理やりね。ラトルは召喚魔法を発動させると怒るから捕獲してきた」
「ラトルだ! アリアと遊ぼ?」
「起こしてはダメよ。ラトルは寝ているじゃない」
彼のラトルという言葉に反応したのか、周りを飛んでいたアリアはすぐにラトルに向かって飛んでいったので、慌てて小声で忠告する。
「狸寝入りしているだけだから大丈夫」
ルートヴィヒ様はクスクスと笑いながらラトルの頬を引っ張ると微かに瞼が動いた。
「……ヴィー痛い」
「痛くないようにつねったつもりだけど?」
「…………アリアの面倒を見るのはめんどくさい」
ラトルはアリアを見た途端煩わしそうに顔を顰めた。
「そんな事言わずにせっかくだから遊んでおいで」
そう言われてもラトルはぎゅっと彼の黒髪を掴み、肩から降りようとしない。
ルートヴィヒ様は少しの間考えた後、ラトルをひょいっと摘み、空中に放り出した。
アリアはチャンスとばかりに、目を光らせて放り出されたラトルの服を掴み、開いていた窓から外に出ようと羽を広げる。
光にあたる羽は淡く虹色を纏い、とても綺麗だ。
「ヴィーの悪魔ぁぁぁ! 許さない……許さないからな……」
「なんとでも言ってくれて構わないよ」
引きずられるように、と言っても二人は空中を飛んでいるのだが、窓の方へ向かうラトルが恨めしそうにルートヴィヒ様を睨みつける。しかし彼は気にもとめていないようでにこにこと手を振った。
「アリアがいつもごめんなさい。ラトルにとっては迷惑ではないですか?」
最近アリアはラトルに会うと無理矢理連れ回しているらしく、邸に帰宅した後嬉嬉として話をしてくれる。私からしたらラトルの負担が凄いのではないかと心配になっていた。今もとっても迷惑そうな感じだったし。
「気にしなくていいよ。ラトルにはいい運動になるから」
(そういう問題なのかしら?)
契約主であるルートヴィヒ様が言うなら私が何か言う権利はないので口を噤む。
それに今日は彼に聞きたいことがあるのだ。モタモタしているとお昼休みが終わってしまう。
「ルートヴィヒ様、今日はお尋ねしたいことがあるのです」
「何?」
「何故ルートヴィヒ様はこの本が図書館の本棚にあると知っていたのかを聞きたくて」
手に持っていた本を机の上に置いて、見やすいように彼の方へ寄せる。これは約一ヶ月前にルートヴィヒ様が私に対して勧めた本で、ようやく読み終わり、返却しようと持ってきたものだった。
「簡単だよ。この本の出版は隣国。私はその国に滞在していた時に読んだことがあり、後は図書館に入っていく際、目に止まったから場所を知っていた」
トンっと裏表紙に書かれている出版国を彼は指す。
書物はそこそこの厚さがあり、他国の本なので背表紙も目立つ。それに私の目線より少し上に置いてあったので、私よりも背が高いルートヴィヒ様ならちょうど目線の辺りだろう。
「……そうですか。では、他にオススメの本とかありますか? これは読み終わったので新しい本を借りようと思ってまして」
「それならレスティニア・キャトリックの本はどうかなぁ。水属性魔法に関して詳しく書いてある書物で面白かったよ」
「聞いたことがないお名前ですね」
様々な本を読んできたと思っていたけどレスティニアという方が書かれた本は読んだことがない。
「レスティニア・キャトリックはアクティリオン出身だからこちらではあまり名前が浸透してないのかもね」
──アクティリオン。
大陸の中で唯一王都が水の中に存在する国で、王都は水の都と言われている。契約する精霊も水属性が多く、蒼い瞳を持つ者が多く産まれる等、ことあるごとに蒼や水が登場する。
ルーキアからは二つ山を超えたところにあり、アクティリオンに行く手段は険しい山道を歩いて行くか、膨大な魔力を消費して魔法陣経由で移動するか。
そのため一般の人はアクティリオンに行かない。行くとしたら商人、魔術師、又は交換留学生くらいだ。
私はいつかこの目で水の都を見てみたいと思っている。魔力は充分保有しているし、魔法陣を描いて行けば一瞬で着くだろう。
「興味があるのなら、交換留学で来る予定のアクティリオンの王女殿下に尋ねればいいんじゃないかな?」
「王女殿下と言えば、確か入学と同時に留学に来られる予定だったのが諸事情により一ヶ月遅れでこちらに到着されるそうですね」
「そうだね。そろそろ着く頃じゃないかな」
交換留学は頻繁に行われていて、ルーキアからはアルバート殿下の妹姫である皇女殿下が、アクティリオンに留学に行っている。昔は人質としての留学が多かったようだが、近年は戦争や争いが少ないので交流を深める名目が多い。
今回も交流を深めるための交換留学。こちらにこられるアクティリオンの王女殿下には今世では初めて会うけど、前世では一度顔を拝見したことがあるのでほんの少しだけ懐かさを覚えている。
「では、レスティニア・キャトリックさんの本、読んでみます」
「読み終わったら教えて欲しい。他にもオススメしたい本が沢山あるんだ。例えば────」
そのまま二十分くらい彼は私が相槌を打つ暇もないくらい本について話していた。
つらつらと私の知らない方の名前を上げて、溌剌と話す彼は本当に魔法が好きなようだ。
「ルートヴィヒ様、そろそろ教室に戻らないとお昼休みが終わります」
「あっごめん。ずっと話してたけど……大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
私が声をかけて席を立つと彼も席を立ったので、そのままカウンターに借りていた本を返却し、図書館の外に出る。
「次の授業は何だっけ」
階段を登りながら彼は私に尋ねた。
「確か歴史の授業です」
「そうだった。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして……っ?!」
突如鳴ったグキっという音とスローモーションで傾いていく身体。そして階段の段を踏んでいたはずの足が宙に浮く。
(まずい。落ち……る……!)
視界の右斜め前には、ひと足早く階段を登りきっていたルートヴィヒ様が目を見開き、手を差し伸べてくれている。
その手を掴もうとするが、私の手は空をかき、背中から落ちていった。
手から零れ落ちた本が宙を舞い、先にバサリと音を立てたのを聞いて、咄嗟に衝撃に備えて頭を抱えるが何も起こらない。
「痛く……ない?」
「────本当に君はいつも私の前で倒れるね」
衝撃音の代わりに聞こえてきたのは誰かの声。あぁこの声は見えなくても分かる。
怖くて瞑ってしまった目を開けると、何故か私は宙に浮いていて、アルバート殿下が驚き、呆れたように私を見上げていた。
「アルバート殿下、二回だけです」
今、突っ込む所はそこではないことは頭で理解しつつも私はそう口を動かしていた。
「二回も私の前で倒れたのは君だけだよ」
私の返答が想定外だったのだろう。呆気に取られた様子の殿下は苦笑する。
「それは申し訳ございません。あの、お尋ねしたいのですがなぜ私は浮いて……」
「……落ちてくるのが見えたからジョシュアが魔法で浮かせたんだ。ジョシュア、魔法を解いて」
少しの間口篭り、チラリと階段の方を見ながら殿下は答えた。
「え!? あっはい」
不自然な程に動揺しているジョシュア様を不可解に思いながらも、魔法が解けてゆっくりと地面に足をつける。しかしその瞬間、足に激痛が走ってそのまま崩れそうになる。条件反射的に右足を見ると少しずつ熟れたリンゴのように赤くなっていた。
「おっと大丈夫ですか?」
そんな私にサッと手を差し伸べてくれたのはジョシュア様で、有難く手を借りて立ち上がる。
「ありがとうございますジョシュア様」
思ったよりも階段から落ちる間際に強く捻ってしまったらしい。右足に負担が出来るだけかからないようにしてもとても痛む。
「足を痛めたようですね。赤く腫れてますよ」
「ジョシュア、公爵令嬢を医務室へ連れて行ってあげて。その足では歩けないだろう」
散らばった私の荷物の一部を拾い、ホコリを払うかのように軽く荷物を叩いた殿下はジョシュア様に伝える。
「だっ大丈夫です。これ以上殿下にご迷惑をおかけするのは……殿下こそお怪我はありませんか?」
「何も無い。ジョシュア」
「はいはい。ちょっと失礼しますねー」
ヒョイっと軽々しく抱えられて一気に見える世界が高くなる。
「あのっ本当に大丈夫ですからジョシュア様、降ろして下さい」
「ってアリリエット公爵令嬢は言ってますけど。殿下、公爵令嬢を1人で行かせていいのですか?」
笑顔で私の言葉を躱したジョシュア様はアルバート殿下に尋ねる。
私もつられてアルバート殿下を見た瞬間、殿下が怒っているように見え、背筋が凍った。反射的に身体も強ばってしまう。
「大丈夫では無いのに大丈夫だと言うな。この足で、1人で、歩けないだろう。そんなの誰が見ても分かりきっている。そして私は怪我をしている人に対して何もしない人間ではない」
アルバート殿下は言いながら、ローブのポケットから出したハンカチで痛めた私の右足を包んだ。
殿下は怪我の部位に手が触れないよう、優しくハンカチを結ぶ。
ハンカチは水を含み、熱を持った足を少しだけ冷やした。
「濡れているハンカチをローブの中に……?」
「今、魔法で濡らしたんだ。濡れたハンカチをそのままローブに入れておく人が何処にいる」
「それでも、殿下のハンカチが濡れて」
「気にすることではない。医務室に着くまで何もしないより、少しでも冷やした方がいいから。あと、君の荷物はルートヴィヒに持っていかせるから心配しなくていい」
言いながら横に避けた殿下の後ろから現れたのは、いつの間にか階段を降り、散らばってしまった私の荷物を抱えていたルートヴィヒ様だった。
「アルバートに言われなくてもリーティア嬢の分、持っていくよ。ごめんね、手を伸ばすのが遅れてしまって落ちるのを防げなかった」
「ルートヴィヒ様が謝ることでは無いです。私が勝手に落ちてしまったのですから」
「だけど」
なにか言いたそうに口篭るルートヴィヒ様。その理由は全く見当もつかない。私が階段から落ちたのは自分の不注意であるし、彼がなにか気に止めるようなことは無いはずなのに。
「授業が始まりますからアルバート殿下と共に早く教室に行ってください。私はお言葉に甘えてジョシュア様に連れて行ってもらいますので」
「……分かった。ヘレナ先生には伝えておくから」
「ありがとうございます」
そう言ってルートヴィヒ様は殿下と一緒に教室に戻っていく。
「では、リーティア様行きましょう」
「お手数おかけしてすみません。お願いします」
ぺこりとジョシュア様に対して頭を下げ、私は医務室に連れて行ってもらったのだった。
黒髪の持ち主であるルートヴィヒ様は遠目でも見つけやすい。周りに黒髪の人がいなかったせいか、図書館以外の場所でも視界に入るとついそちらを見てしまう。
なんというか……言い方があまりよろしくないけど、目新しい。という印象で。
私がお昼に彼と図書館にいることを知ったアリアは好奇心を前面に出し、毎日図書館に着いてくるようになった。
彼女の場合はたまにルートヴィヒ様に着いてくるラトル目当てだけど。
「今日はラトルも一緒なのですね」
正面に腰掛けながら話しかけると、ルートヴィヒ様は本から視線を彼の肩で寝ている妖精にずらし、優しい笑みを浮かべた。
「無理やりね。ラトルは召喚魔法を発動させると怒るから捕獲してきた」
「ラトルだ! アリアと遊ぼ?」
「起こしてはダメよ。ラトルは寝ているじゃない」
彼のラトルという言葉に反応したのか、周りを飛んでいたアリアはすぐにラトルに向かって飛んでいったので、慌てて小声で忠告する。
「狸寝入りしているだけだから大丈夫」
ルートヴィヒ様はクスクスと笑いながらラトルの頬を引っ張ると微かに瞼が動いた。
「……ヴィー痛い」
「痛くないようにつねったつもりだけど?」
「…………アリアの面倒を見るのはめんどくさい」
ラトルはアリアを見た途端煩わしそうに顔を顰めた。
「そんな事言わずにせっかくだから遊んでおいで」
そう言われてもラトルはぎゅっと彼の黒髪を掴み、肩から降りようとしない。
ルートヴィヒ様は少しの間考えた後、ラトルをひょいっと摘み、空中に放り出した。
アリアはチャンスとばかりに、目を光らせて放り出されたラトルの服を掴み、開いていた窓から外に出ようと羽を広げる。
光にあたる羽は淡く虹色を纏い、とても綺麗だ。
「ヴィーの悪魔ぁぁぁ! 許さない……許さないからな……」
「なんとでも言ってくれて構わないよ」
引きずられるように、と言っても二人は空中を飛んでいるのだが、窓の方へ向かうラトルが恨めしそうにルートヴィヒ様を睨みつける。しかし彼は気にもとめていないようでにこにこと手を振った。
「アリアがいつもごめんなさい。ラトルにとっては迷惑ではないですか?」
最近アリアはラトルに会うと無理矢理連れ回しているらしく、邸に帰宅した後嬉嬉として話をしてくれる。私からしたらラトルの負担が凄いのではないかと心配になっていた。今もとっても迷惑そうな感じだったし。
「気にしなくていいよ。ラトルにはいい運動になるから」
(そういう問題なのかしら?)
契約主であるルートヴィヒ様が言うなら私が何か言う権利はないので口を噤む。
それに今日は彼に聞きたいことがあるのだ。モタモタしているとお昼休みが終わってしまう。
「ルートヴィヒ様、今日はお尋ねしたいことがあるのです」
「何?」
「何故ルートヴィヒ様はこの本が図書館の本棚にあると知っていたのかを聞きたくて」
手に持っていた本を机の上に置いて、見やすいように彼の方へ寄せる。これは約一ヶ月前にルートヴィヒ様が私に対して勧めた本で、ようやく読み終わり、返却しようと持ってきたものだった。
「簡単だよ。この本の出版は隣国。私はその国に滞在していた時に読んだことがあり、後は図書館に入っていく際、目に止まったから場所を知っていた」
トンっと裏表紙に書かれている出版国を彼は指す。
書物はそこそこの厚さがあり、他国の本なので背表紙も目立つ。それに私の目線より少し上に置いてあったので、私よりも背が高いルートヴィヒ様ならちょうど目線の辺りだろう。
「……そうですか。では、他にオススメの本とかありますか? これは読み終わったので新しい本を借りようと思ってまして」
「それならレスティニア・キャトリックの本はどうかなぁ。水属性魔法に関して詳しく書いてある書物で面白かったよ」
「聞いたことがないお名前ですね」
様々な本を読んできたと思っていたけどレスティニアという方が書かれた本は読んだことがない。
「レスティニア・キャトリックはアクティリオン出身だからこちらではあまり名前が浸透してないのかもね」
──アクティリオン。
大陸の中で唯一王都が水の中に存在する国で、王都は水の都と言われている。契約する精霊も水属性が多く、蒼い瞳を持つ者が多く産まれる等、ことあるごとに蒼や水が登場する。
ルーキアからは二つ山を超えたところにあり、アクティリオンに行く手段は険しい山道を歩いて行くか、膨大な魔力を消費して魔法陣経由で移動するか。
そのため一般の人はアクティリオンに行かない。行くとしたら商人、魔術師、又は交換留学生くらいだ。
私はいつかこの目で水の都を見てみたいと思っている。魔力は充分保有しているし、魔法陣を描いて行けば一瞬で着くだろう。
「興味があるのなら、交換留学で来る予定のアクティリオンの王女殿下に尋ねればいいんじゃないかな?」
「王女殿下と言えば、確か入学と同時に留学に来られる予定だったのが諸事情により一ヶ月遅れでこちらに到着されるそうですね」
「そうだね。そろそろ着く頃じゃないかな」
交換留学は頻繁に行われていて、ルーキアからはアルバート殿下の妹姫である皇女殿下が、アクティリオンに留学に行っている。昔は人質としての留学が多かったようだが、近年は戦争や争いが少ないので交流を深める名目が多い。
今回も交流を深めるための交換留学。こちらにこられるアクティリオンの王女殿下には今世では初めて会うけど、前世では一度顔を拝見したことがあるのでほんの少しだけ懐かさを覚えている。
「では、レスティニア・キャトリックさんの本、読んでみます」
「読み終わったら教えて欲しい。他にもオススメしたい本が沢山あるんだ。例えば────」
そのまま二十分くらい彼は私が相槌を打つ暇もないくらい本について話していた。
つらつらと私の知らない方の名前を上げて、溌剌と話す彼は本当に魔法が好きなようだ。
「ルートヴィヒ様、そろそろ教室に戻らないとお昼休みが終わります」
「あっごめん。ずっと話してたけど……大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
私が声をかけて席を立つと彼も席を立ったので、そのままカウンターに借りていた本を返却し、図書館の外に出る。
「次の授業は何だっけ」
階段を登りながら彼は私に尋ねた。
「確か歴史の授業です」
「そうだった。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして……っ?!」
突如鳴ったグキっという音とスローモーションで傾いていく身体。そして階段の段を踏んでいたはずの足が宙に浮く。
(まずい。落ち……る……!)
視界の右斜め前には、ひと足早く階段を登りきっていたルートヴィヒ様が目を見開き、手を差し伸べてくれている。
その手を掴もうとするが、私の手は空をかき、背中から落ちていった。
手から零れ落ちた本が宙を舞い、先にバサリと音を立てたのを聞いて、咄嗟に衝撃に備えて頭を抱えるが何も起こらない。
「痛く……ない?」
「────本当に君はいつも私の前で倒れるね」
衝撃音の代わりに聞こえてきたのは誰かの声。あぁこの声は見えなくても分かる。
怖くて瞑ってしまった目を開けると、何故か私は宙に浮いていて、アルバート殿下が驚き、呆れたように私を見上げていた。
「アルバート殿下、二回だけです」
今、突っ込む所はそこではないことは頭で理解しつつも私はそう口を動かしていた。
「二回も私の前で倒れたのは君だけだよ」
私の返答が想定外だったのだろう。呆気に取られた様子の殿下は苦笑する。
「それは申し訳ございません。あの、お尋ねしたいのですがなぜ私は浮いて……」
「……落ちてくるのが見えたからジョシュアが魔法で浮かせたんだ。ジョシュア、魔法を解いて」
少しの間口篭り、チラリと階段の方を見ながら殿下は答えた。
「え!? あっはい」
不自然な程に動揺しているジョシュア様を不可解に思いながらも、魔法が解けてゆっくりと地面に足をつける。しかしその瞬間、足に激痛が走ってそのまま崩れそうになる。条件反射的に右足を見ると少しずつ熟れたリンゴのように赤くなっていた。
「おっと大丈夫ですか?」
そんな私にサッと手を差し伸べてくれたのはジョシュア様で、有難く手を借りて立ち上がる。
「ありがとうございますジョシュア様」
思ったよりも階段から落ちる間際に強く捻ってしまったらしい。右足に負担が出来るだけかからないようにしてもとても痛む。
「足を痛めたようですね。赤く腫れてますよ」
「ジョシュア、公爵令嬢を医務室へ連れて行ってあげて。その足では歩けないだろう」
散らばった私の荷物の一部を拾い、ホコリを払うかのように軽く荷物を叩いた殿下はジョシュア様に伝える。
「だっ大丈夫です。これ以上殿下にご迷惑をおかけするのは……殿下こそお怪我はありませんか?」
「何も無い。ジョシュア」
「はいはい。ちょっと失礼しますねー」
ヒョイっと軽々しく抱えられて一気に見える世界が高くなる。
「あのっ本当に大丈夫ですからジョシュア様、降ろして下さい」
「ってアリリエット公爵令嬢は言ってますけど。殿下、公爵令嬢を1人で行かせていいのですか?」
笑顔で私の言葉を躱したジョシュア様はアルバート殿下に尋ねる。
私もつられてアルバート殿下を見た瞬間、殿下が怒っているように見え、背筋が凍った。反射的に身体も強ばってしまう。
「大丈夫では無いのに大丈夫だと言うな。この足で、1人で、歩けないだろう。そんなの誰が見ても分かりきっている。そして私は怪我をしている人に対して何もしない人間ではない」
アルバート殿下は言いながら、ローブのポケットから出したハンカチで痛めた私の右足を包んだ。
殿下は怪我の部位に手が触れないよう、優しくハンカチを結ぶ。
ハンカチは水を含み、熱を持った足を少しだけ冷やした。
「濡れているハンカチをローブの中に……?」
「今、魔法で濡らしたんだ。濡れたハンカチをそのままローブに入れておく人が何処にいる」
「それでも、殿下のハンカチが濡れて」
「気にすることではない。医務室に着くまで何もしないより、少しでも冷やした方がいいから。あと、君の荷物はルートヴィヒに持っていかせるから心配しなくていい」
言いながら横に避けた殿下の後ろから現れたのは、いつの間にか階段を降り、散らばってしまった私の荷物を抱えていたルートヴィヒ様だった。
「アルバートに言われなくてもリーティア嬢の分、持っていくよ。ごめんね、手を伸ばすのが遅れてしまって落ちるのを防げなかった」
「ルートヴィヒ様が謝ることでは無いです。私が勝手に落ちてしまったのですから」
「だけど」
なにか言いたそうに口篭るルートヴィヒ様。その理由は全く見当もつかない。私が階段から落ちたのは自分の不注意であるし、彼がなにか気に止めるようなことは無いはずなのに。
「授業が始まりますからアルバート殿下と共に早く教室に行ってください。私はお言葉に甘えてジョシュア様に連れて行ってもらいますので」
「……分かった。ヘレナ先生には伝えておくから」
「ありがとうございます」
そう言ってルートヴィヒ様は殿下と一緒に教室に戻っていく。
「では、リーティア様行きましょう」
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