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彼女の今世
episode37
紫、青、白を中心に作られた輪。ひらりと数枚の花びらが視界の中を落ちていく。
セシルが私に被せたのは花かんむりだった。
予想外の行動に目をぱちくりさせると、頭のサイズよりも大きかった花かんむりがずり落ちそうになり、慌てて両手で支える。
「わたしがどこでもおねえさまのこと守るから!」
「守る? 何を、どうやって? というかなぜ?」
様々な可能性が頭をよぎり、何も言えずに口を閉ざしていると、先にセシルが口を開けた。
「おねえさま、よくうなされているでしょう? わたしだって怖いゆめを見ると起きてしまうくらいだもの。さっきだってとても辛そうだった」
夢……? さっきってあの目が覚めた時のこと……?
仮にそうだと仮定して、花かんむりで夢から私の何を守ると言うのだろう。真面目に受け取ったとしても、これで人を守るなんてできるはずがない。魔力を込めたものなら多少効果があるかもしれないけれど。
「お嬢様、ニゲラの花言葉は〝夢で逢いましょう〟です。加えて花かんむりは魔除けの効果があると言い伝えられています。ふたつを合わせて、セシルお嬢様はリーティアお嬢様が悪夢を見ても、セシルお嬢様がついているから大丈夫だと言いたいのかと」
固まっていた私の耳元でアナベルが小声で再び教えてくれる。
わたしはその言葉にひっかかりを覚え、ハッとした。
「セシル。もしかして怖い夢を見た以外の理由もあって私の寝台に潜り込んできていた?」
前々から朝起きると隣の部屋で寝ているはずのセシルが自分の寝台にいることがあった。いつも不思議に思いつつ、怖い夢を見て1人で寝れなくなってしまったのだろうと思っていたけど……違う意味もあったのだろうか。
「怖いゆめをみて起きちゃった時に、おねえさまもうなされていたらね。一緒にねれば怖くないもの」
「まさか朝起きると手を握っていたのも……」
「ふふっ。寝ているからわからないのね。おねえさま、手を握るとお顔がやわらぐの。で、離すとお顔が怖くなっちゃう。だからずっとにぎってる」
憂鬱な夢を見て目が覚めてしまっても、眠れなくなってしまっても、顔に出さないようにしていたはずなのでバレていないと思っていた。でも違ったようだ。私が知らない所で気を使わせていた。
それはアナベルにも言えることだろう。セシルでさえも分かってしまうのに、いつも私の世話をしてくれているアナベルが気が付かないはずがない。
一度アナベルの方を見ると、彼女は何とも言えない表情になりながら笑った。
そっとセシルの頬に手を置くとキョトンとされる。その表情が愛らしくて、思わず血色のいい頬にそのまま口付けを落とし、ギュッと抱きしめた。
「どっどうしたの? おねえさま」
「セシル、ありがとう。私はあなたのことが大好きよ」
突然抱きしめられた彼女は小さく身動ぎしながらも私の腕の中でじっとしている。
気遣いはもちろん、こうして今、妹と2人でいられることがどれほど私にとって嬉しいか────
(絶対に今回は突き放したりしないわ)
そんなことを考えていると、もうすぐ初夏だというのに、この季節に似合わない冷たい風が吹き、鳥肌が立つ。
すると風に驚いた鴉たちが一斉に空へと飛び立ち、鳴き声が辺りに木霊した。
空を見るとほとんど太陽は沈んでおり、月の光が徐々に強くなっている。
「帰りましょうか。風が冷えてきたわ」
「うん」
セシルを腕の中から離して後方に控えていたアナベル達を手招きし、私とセシルは室内に戻った。
◇
「お嬢様、この花かんむりはどういたしますか」
セシルと別れ、部屋に戻ったあと、私から花かんむりを受け取ったアナベルは私にそう尋ねてきた。
「そうね。せっかくだから平皿に水を入れて生けておいて」
少しだけ萎れてしまった花も、水を吸えば幾分かは持ち直すだろう。せっかく私のために作ってくれたかんむりをそのまま捨てるのも忍びないし、私自身もう少し見ていたかった。それに一部分を解いて、押し花にし、本を読む時の栞にでもしよう。
「かしこまりました。ではあとでまたお持ちします」
アナベルはかんむりを持ったまま部屋を後にした。
柔らかいソファに座り直した私は、手前のテーブルにあった本を開く。これは午前中に図書館で借りた本。ルートヴィヒ様がおすすめしてくださったものだ。
階段から落ちた際に彼が拾ってくれていたらしく、馬車で帰宅する際に医務室の先生から手渡されたのだった。
パラパラとめくると、多少聞いたことがあるものもあったが、ほとんどは見たことも無い植物や水魔法関連の魔法陣の絵図であった。
私一人しかいない室内に、ページをめくる音だけが聞こえる。
私は一際目立つページで手を止めた。そこには主に薬草と言われる植物が載っており、図式での解説と使用用途が事細かに書かれている。
載っているのは、決して花が美しい訳ではなく、鑑賞用になることは無い薬草。普通の令嬢であれば気にもとめない。興味を持つなんて尚更だろう。
薬草の形によっては気味悪がられ、汚らわしいと避ける者もいる。と言うかそもそも、貴族達は病に侵された際に治療薬として薬草が使われていることを知らないのではないか。
一応、学校で習うはずだけれど薬師や医者にならない貴族達は真面目に聞いているとは思えない。この1ヶ月学校に通ってみても、マナーや作法、魔法関連以外の講義には興味がなさそうだった。まあ貴族である彼等は薬師や医師になる可能性は1ミリもないので当たり前なのかもしれない。
(こんなに面白くて、絶対に役に立つ薬草のことを覚えないなんてもったいないのに)
薬草のすり潰し方、煎じ方、調合の仕方、それらを少し変えるだけで良くも悪くも効能が変わる。
それが自分にとって、とても興味深くて知れば知るほど奥が深いのだ。
アナベルが入れてくれた紅茶を口に含むと、少し軋む音を立てながらバルコニーへと続く扉が開く音がして、一気に入ってきた少し肌寒い風によりカーテンが揺れる。
(ああ、きちんとしまっていなかったのね。まあ後で閉めれば……)
そう思って紅茶をテーブルに置き、本に視線を戻したその時、トンと着地するような音が聞こえた。
「────え?」
驚きで本から顔を上げると、強い風が部屋の中を駆ける。ぶわりと舞い上がったカーテン、次に見えたのは目深く黒のフードローブを着ている1人の人間。
「だ……れ……?」
私の言葉に反応したのかフードの人物がこちらを向く。目に入って来たのは吸い込まれそうなほど美しい真紅の瞳にさらさらな金髪。
「こんばんは。怪しいものではないよ。と言っても信じるわけないかぁ」
青年にしては高く、冷ややかな声。背は私と頭1つ分くらい高いだろうか。
薄っぺらい笑みを浮かべた彼は『敵意はない』とばかりに両手を上にあげた。
緊張と恐怖で体が強ばる間に、コツコツと靴音を立てながら彼はテーブルを挟んだ所まで移動する。
すると驚くことにそのまま椅子に座った。
「もう一度聞くわ貴方、何者?」
呆気にとられながらも先程よりも鋭く、尖った声が自然と口からこぼれた。
「足を怪我したようだけど大丈夫?」
(この人、無視した)
答える代わりにキッと睨みつける。
すると彼は口元に弧を描き、妖しげに赤い瞳を細める。
「おお、怖い怖い。……ちなみに人を呼ぼうとしても無駄だよ」
「……私が呼べば直ぐに侍女達は来てくれるわ」
侍女を呼ぶベルに手をかけた。
「上を見てごらん」
言われた通りに上を向くと、禍々しい赤色で魔法陣が発動している。
(これは────どうして! 私の部屋にはお父様の守護魔法がかかっているはずなのに)
目を見開くと、彼はクスリと笑う。
足に怪我を負った私は、しばらく不自由な生活になる。そんな時に何かあったら大変だからとお父様が今日、幾重にも私の部屋に守護魔法を施したのだ。
それなのに、お父様の魔法が上書きされている。
「何を……したの」
彼は無詠唱で魔法陣を張った。それも私が気が付かないよう魔力の流れを遮断して。これだけで青年が相当の魔法の使い手だと理解するには充分だった。
「邪魔されたくないから防音と施錠魔法。そんなに睨まないで。危害を加えるつもりは無いし、個人的興味とこれを渡したかっただけだからもう出ていく」
「?」
パチンと指を鳴らし、卓上に封筒を出現させると彼はそれをこちらに押す。
蝋に押されているのは皇家の紋章。
「さて、私の仕事は終わりだ」
一方的に言い終わるやいなや、フードを再び目深くかぶり、ローブを翻す。
「待って!」
手を伸ばすだけでは掴めない。分かっていても、反射的に引き留めようと手を伸ばした。彼は一度だけ振り返ると、そのまま侵入してきた時と同じようにベランダから姿を消した。ひらひらとこちらに手を振りながら。
同時に発動していた赤い魔法陣もパキリと音を立てながら解除される。
一連の動作を手を伸ばしたまま見ていた私は、数秒の間動けなかった。
「もう! あーほんとうに何なのよ!」
ようやく動けるようになると左足だけで立ち上がり、ピョンピョン飛びながらベランダに向かう。
いるはずがないと思っていても、一応下を見てしまう。けれど見えるのは瑞々しい芝生と花壇に植えられた花々のみ。人が降り立ったような足跡は見つけられない。
「そもそも、皇宮からの使者ならばエントランスから来るはずなのに窓から、しかも2階の私の部屋って……お父様たちに手紙のことをどう説明すればいいのかしら……」
先程翻った際にチラリと見えたマントの紋章と色、それで自ずと何処に所属している人物なのかは分かる。
闇に溶け込む漆黒のローブ。そこに金の糸で描かれた鷹モチーフの紋章。あれは────魔法省の紋章だ。
この帝国で鷹の紋章を使っているのは魔法省のみだから間違うことは無い。
(なんだか面倒事に巻き込まれそうな予感。いや、もう既に巻き込まれているのかも)
ベランダの柱に寄りかかり、無意識に頭を抱えたくなってしまう。
普通に暮らしたい私の小さな願いと裏腹に、今世は平穏を簡単には下さらないらしい。
ビュウッと吹いた風によっておろしていた髪が流され、私は大きなため息をついたのだった。
セシルが私に被せたのは花かんむりだった。
予想外の行動に目をぱちくりさせると、頭のサイズよりも大きかった花かんむりがずり落ちそうになり、慌てて両手で支える。
「わたしがどこでもおねえさまのこと守るから!」
「守る? 何を、どうやって? というかなぜ?」
様々な可能性が頭をよぎり、何も言えずに口を閉ざしていると、先にセシルが口を開けた。
「おねえさま、よくうなされているでしょう? わたしだって怖いゆめを見ると起きてしまうくらいだもの。さっきだってとても辛そうだった」
夢……? さっきってあの目が覚めた時のこと……?
仮にそうだと仮定して、花かんむりで夢から私の何を守ると言うのだろう。真面目に受け取ったとしても、これで人を守るなんてできるはずがない。魔力を込めたものなら多少効果があるかもしれないけれど。
「お嬢様、ニゲラの花言葉は〝夢で逢いましょう〟です。加えて花かんむりは魔除けの効果があると言い伝えられています。ふたつを合わせて、セシルお嬢様はリーティアお嬢様が悪夢を見ても、セシルお嬢様がついているから大丈夫だと言いたいのかと」
固まっていた私の耳元でアナベルが小声で再び教えてくれる。
わたしはその言葉にひっかかりを覚え、ハッとした。
「セシル。もしかして怖い夢を見た以外の理由もあって私の寝台に潜り込んできていた?」
前々から朝起きると隣の部屋で寝ているはずのセシルが自分の寝台にいることがあった。いつも不思議に思いつつ、怖い夢を見て1人で寝れなくなってしまったのだろうと思っていたけど……違う意味もあったのだろうか。
「怖いゆめをみて起きちゃった時に、おねえさまもうなされていたらね。一緒にねれば怖くないもの」
「まさか朝起きると手を握っていたのも……」
「ふふっ。寝ているからわからないのね。おねえさま、手を握るとお顔がやわらぐの。で、離すとお顔が怖くなっちゃう。だからずっとにぎってる」
憂鬱な夢を見て目が覚めてしまっても、眠れなくなってしまっても、顔に出さないようにしていたはずなのでバレていないと思っていた。でも違ったようだ。私が知らない所で気を使わせていた。
それはアナベルにも言えることだろう。セシルでさえも分かってしまうのに、いつも私の世話をしてくれているアナベルが気が付かないはずがない。
一度アナベルの方を見ると、彼女は何とも言えない表情になりながら笑った。
そっとセシルの頬に手を置くとキョトンとされる。その表情が愛らしくて、思わず血色のいい頬にそのまま口付けを落とし、ギュッと抱きしめた。
「どっどうしたの? おねえさま」
「セシル、ありがとう。私はあなたのことが大好きよ」
突然抱きしめられた彼女は小さく身動ぎしながらも私の腕の中でじっとしている。
気遣いはもちろん、こうして今、妹と2人でいられることがどれほど私にとって嬉しいか────
(絶対に今回は突き放したりしないわ)
そんなことを考えていると、もうすぐ初夏だというのに、この季節に似合わない冷たい風が吹き、鳥肌が立つ。
すると風に驚いた鴉たちが一斉に空へと飛び立ち、鳴き声が辺りに木霊した。
空を見るとほとんど太陽は沈んでおり、月の光が徐々に強くなっている。
「帰りましょうか。風が冷えてきたわ」
「うん」
セシルを腕の中から離して後方に控えていたアナベル達を手招きし、私とセシルは室内に戻った。
◇
「お嬢様、この花かんむりはどういたしますか」
セシルと別れ、部屋に戻ったあと、私から花かんむりを受け取ったアナベルは私にそう尋ねてきた。
「そうね。せっかくだから平皿に水を入れて生けておいて」
少しだけ萎れてしまった花も、水を吸えば幾分かは持ち直すだろう。せっかく私のために作ってくれたかんむりをそのまま捨てるのも忍びないし、私自身もう少し見ていたかった。それに一部分を解いて、押し花にし、本を読む時の栞にでもしよう。
「かしこまりました。ではあとでまたお持ちします」
アナベルはかんむりを持ったまま部屋を後にした。
柔らかいソファに座り直した私は、手前のテーブルにあった本を開く。これは午前中に図書館で借りた本。ルートヴィヒ様がおすすめしてくださったものだ。
階段から落ちた際に彼が拾ってくれていたらしく、馬車で帰宅する際に医務室の先生から手渡されたのだった。
パラパラとめくると、多少聞いたことがあるものもあったが、ほとんどは見たことも無い植物や水魔法関連の魔法陣の絵図であった。
私一人しかいない室内に、ページをめくる音だけが聞こえる。
私は一際目立つページで手を止めた。そこには主に薬草と言われる植物が載っており、図式での解説と使用用途が事細かに書かれている。
載っているのは、決して花が美しい訳ではなく、鑑賞用になることは無い薬草。普通の令嬢であれば気にもとめない。興味を持つなんて尚更だろう。
薬草の形によっては気味悪がられ、汚らわしいと避ける者もいる。と言うかそもそも、貴族達は病に侵された際に治療薬として薬草が使われていることを知らないのではないか。
一応、学校で習うはずだけれど薬師や医者にならない貴族達は真面目に聞いているとは思えない。この1ヶ月学校に通ってみても、マナーや作法、魔法関連以外の講義には興味がなさそうだった。まあ貴族である彼等は薬師や医師になる可能性は1ミリもないので当たり前なのかもしれない。
(こんなに面白くて、絶対に役に立つ薬草のことを覚えないなんてもったいないのに)
薬草のすり潰し方、煎じ方、調合の仕方、それらを少し変えるだけで良くも悪くも効能が変わる。
それが自分にとって、とても興味深くて知れば知るほど奥が深いのだ。
アナベルが入れてくれた紅茶を口に含むと、少し軋む音を立てながらバルコニーへと続く扉が開く音がして、一気に入ってきた少し肌寒い風によりカーテンが揺れる。
(ああ、きちんとしまっていなかったのね。まあ後で閉めれば……)
そう思って紅茶をテーブルに置き、本に視線を戻したその時、トンと着地するような音が聞こえた。
「────え?」
驚きで本から顔を上げると、強い風が部屋の中を駆ける。ぶわりと舞い上がったカーテン、次に見えたのは目深く黒のフードローブを着ている1人の人間。
「だ……れ……?」
私の言葉に反応したのかフードの人物がこちらを向く。目に入って来たのは吸い込まれそうなほど美しい真紅の瞳にさらさらな金髪。
「こんばんは。怪しいものではないよ。と言っても信じるわけないかぁ」
青年にしては高く、冷ややかな声。背は私と頭1つ分くらい高いだろうか。
薄っぺらい笑みを浮かべた彼は『敵意はない』とばかりに両手を上にあげた。
緊張と恐怖で体が強ばる間に、コツコツと靴音を立てながら彼はテーブルを挟んだ所まで移動する。
すると驚くことにそのまま椅子に座った。
「もう一度聞くわ貴方、何者?」
呆気にとられながらも先程よりも鋭く、尖った声が自然と口からこぼれた。
「足を怪我したようだけど大丈夫?」
(この人、無視した)
答える代わりにキッと睨みつける。
すると彼は口元に弧を描き、妖しげに赤い瞳を細める。
「おお、怖い怖い。……ちなみに人を呼ぼうとしても無駄だよ」
「……私が呼べば直ぐに侍女達は来てくれるわ」
侍女を呼ぶベルに手をかけた。
「上を見てごらん」
言われた通りに上を向くと、禍々しい赤色で魔法陣が発動している。
(これは────どうして! 私の部屋にはお父様の守護魔法がかかっているはずなのに)
目を見開くと、彼はクスリと笑う。
足に怪我を負った私は、しばらく不自由な生活になる。そんな時に何かあったら大変だからとお父様が今日、幾重にも私の部屋に守護魔法を施したのだ。
それなのに、お父様の魔法が上書きされている。
「何を……したの」
彼は無詠唱で魔法陣を張った。それも私が気が付かないよう魔力の流れを遮断して。これだけで青年が相当の魔法の使い手だと理解するには充分だった。
「邪魔されたくないから防音と施錠魔法。そんなに睨まないで。危害を加えるつもりは無いし、個人的興味とこれを渡したかっただけだからもう出ていく」
「?」
パチンと指を鳴らし、卓上に封筒を出現させると彼はそれをこちらに押す。
蝋に押されているのは皇家の紋章。
「さて、私の仕事は終わりだ」
一方的に言い終わるやいなや、フードを再び目深くかぶり、ローブを翻す。
「待って!」
手を伸ばすだけでは掴めない。分かっていても、反射的に引き留めようと手を伸ばした。彼は一度だけ振り返ると、そのまま侵入してきた時と同じようにベランダから姿を消した。ひらひらとこちらに手を振りながら。
同時に発動していた赤い魔法陣もパキリと音を立てながら解除される。
一連の動作を手を伸ばしたまま見ていた私は、数秒の間動けなかった。
「もう! あーほんとうに何なのよ!」
ようやく動けるようになると左足だけで立ち上がり、ピョンピョン飛びながらベランダに向かう。
いるはずがないと思っていても、一応下を見てしまう。けれど見えるのは瑞々しい芝生と花壇に植えられた花々のみ。人が降り立ったような足跡は見つけられない。
「そもそも、皇宮からの使者ならばエントランスから来るはずなのに窓から、しかも2階の私の部屋って……お父様たちに手紙のことをどう説明すればいいのかしら……」
先程翻った際にチラリと見えたマントの紋章と色、それで自ずと何処に所属している人物なのかは分かる。
闇に溶け込む漆黒のローブ。そこに金の糸で描かれた鷹モチーフの紋章。あれは────魔法省の紋章だ。
この帝国で鷹の紋章を使っているのは魔法省のみだから間違うことは無い。
(なんだか面倒事に巻き込まれそうな予感。いや、もう既に巻き込まれているのかも)
ベランダの柱に寄りかかり、無意識に頭を抱えたくなってしまう。
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