前世と今世の幸せ【4/17取り下げ予定】

夕香里

文字の大きさ
95 / 99
彼女の今世

閑話 セシル・アリリエットⅧ

 アルバート陛下から許可証を頂いた翌週のこと。私たち公爵家にお姉様を返還する正式な書状が届いた。
 それを受け取ったお母様はその場で泣き崩れ、書状を抱きしめながら長い時間涙を零していた。

 私は頽れるお母様の肩を抱いて一緒に書状を見つめていた。

(やっと……やっとだわ)

 仮にもこの帝国で最も尊い皇族になったお姉様の帰還は、そう易々と進まない。陛下の許可だけでなく、複数の部署の承認を得た上で大量の書類を記入・提出、長い手続きを経てようやく帰還の日取りが決まる。

 その事務手続きのほとんどを私が担った。もちろん、当初はお父様やお母様が行おうとしていたのだが、あまりにも遅遅として進まないため、痺れを切らした私が全てを引き受けた。

 そして帰還の日時を正式に定めるため、皇宮を訪れることになったある日のこと。

 激しい雨が馬車の窓を叩いている。皇宮に到着する頃には止んでほしかったが、この雨脚では止みそうにもない。

(これではヒースウェル地方の被害は、ますます拡大するばかりね)

 雷雨を呼び込んだ雨雲は、帝都全体を一週間以上覆っていた。それは地方も同様で、麗らかな春に似つかわしくない長雨が地盤を緩ませ、山が崩れ、土石流が麓の村々を押し流した。流された家の残骸は近くの川に流れ込み、濁った水は別地域の農業にまで支障をきたしていると聞く。

 領主の救援要請を受け、情報収集のために帝都から派遣された先遣隊の報告によれば、下流地域──ヒースウェルの一部では増水した川が氾濫し、帝国有数の穀倉地帯が泥水に沈んだという。

 人的にも物的にも被害は甚大で、ヒースウェル地方に追加の応援部隊の派遣が決定したのは昨日のことだ。要職にあるお父様も、ここ最近は豪雨による被害状況の把握と支援政策の立案に駆り出され、屋敷に戻れていない。

 雨音と共に馬車は進む。

 舗装された石畳の上を車輪が転がるたび、ごとりと揺れが身体に伝わる。肌寒さに肩をすくめながら、私は時折閃く稲光を窓越しに眺めていた。


◆◆◆


 見慣れた皇宮の廊下を歩いていく。建物内に入ったところでようやく雨とは異なる音が私の耳に届いた。

 それは曲がり角の先。休憩時間なのか、はたまた災害対応で疲れきった文官が少しの合間サボっているのか。二人組のまだ若い青年が、外を眺めながらボソリと呟いた。

「…………皇妃殿下がいなくなってからだよな。こうやって大きな災害が起こるようになったのは」

「お前、陛下に聞かれたらどうする!」

 慌ててもう一人の青年が戯言を呟いた者の口を塞いだ。私は曲がろうとしていた足を止め、壁の影からそっと耳を澄ませた。

「聞かれたところで何も起こらないさ。最近の陛下は穏やかになられた。リーティア妃殿下の話題を出したからって、昔みたいに罰を与えたり、激昂したりはしない」

「それは……そうだが」

 青年は口ごもる。

「だから陛下も思ってるんじゃないか? 妃殿下が本物だったんじゃないかって。皇后陛下は偽物で、リーティア妃が本物だと思っている奴、結構いるぜ。お前もそうだろ?」

 もう一人の青年は苦い顔をしたが、否定はしなかった。

「そんな話、今さらしたってどうしようない。妃殿下は……もういないんだ」

「だから言うんだよ。あの方がご存命の頃は、帝国全体が平和だったからな」

 軽口まじりに仕事の愚痴をこぼす。

「もし妃殿下が本物の聖女様だったのなら……死ななければよかったのにな。おかげで、てんやわんやだよ」

 私は彼らが部屋に戻るまで、その場を動けなかった。パタンと扉の閉まる音がしてようやく息をつけた。

「死ななければよかっただなんて」

 乾いた笑いが喉から漏れる。

(お姉様の死因は病死となっているけれど、本当は、貴方たちが殺したも同然なのよ)

 ぎゅっと拳を握り締める。

 その最期はあまりにも酷く、理不尽で、無惨だった。
 皇帝陛下とレリーナを筆頭に、誰もが見て見ぬふりをし、むしろ積極的に蔑み、嘲笑い、排除して──誰一人手を差し伸べなかった。

(…………彼らが戻って行った部屋は陛下に近い部署。お姉様を蔑んでいた貴方たちが、死ななければよかったのにと──そんなことを言うの?)

 彼らが話していた内容は私自身も見聞きしている。
 市井から始まったのか。あるいは皇宮内か。まことしやかに囁かれている。


 ──本当の聖女はリーティア妃だったのではないか、彼女こそ志半ばで若くして病に倒れた──ある意味、の聖女なのではないかと。


 お姉様がこの世を去ってから、災害などほとんど起こらなかったルーキア帝国内においても、立て続けに自然災害に見舞われている。今回の豪雨災害だけではない。この一年、民を不安に陥れるような出来事が相次いでいる。

 人間は理不尽な出来事に理由を求める生き物だ。誰かに責任を押しつけ、安心しようとする。
 その結果が、今広がっているこの「噂」なのだろう。

(今になって、加害者側さえも悲劇の聖女として祀り上げようとしている)

 陛下に近い文官であれば、お姉様がどのような状況に置かれていたのかを知らないはずがない。陛下の冷遇ぶりも見ていたはずだ。それでも彼らは見て見ぬふりをして、お姉様を虐げる一端を担っていた。

(ふざけないで。今更、都合が悪くなるとこれまでのことを忘れて、蔑んでいた者を神聖化し、お姉様の死が災害を引き起こしていると噂するなんて最低だわ。皇太子が生まれたとたん、皆お姉様のことを忘れたくせに)

 忘れなかったのは私たち家族と、皮肉なことにアルバート陛下だけだ。

 それが災害が相次ぎ、縋れるものを探した結果、人々は掌を返してお姉様を語り出した。
 「リーティア妃は素晴らしかった」「皇后とは違って民のことを見てくれていた」と。

 誰もが見向きもしなかったくせに。自分の世界において不都合が生じそうになってようやく、己の為だけに思い出す。

 私にはお姉様が本物の聖女だったのかなんて分からない。不思議な力を使っているところを見たことはないけれど、そもそも私たちは不仲で、ほとんど関わりがなかった。だから、私の知らないところで力を使っていた可能性は十分にある。
 でも、もし本当に聖女だったのなら、虐げていた者たちに天罰が下るといいとは思ってしまう。

 けれど、そんなことはどうでもいい。

「誰一人、ひとりの女性として弔う人はいないのね」

 悲劇の聖女というフレーズは、今や独り歩きし、噂に尾ひれをつけて広がり始めていた。

 その一因には、レリーナとお姉様が同い年であるという事実があった。
 同い年に加えて、皇后陛下レリーナは聖女の特徴を併せ持っていた。対して皇妃殿下お姉様は髪と瞳の色が史実と異なるため勘違いしてしまったのだと、だから聖女を間違えたのは仕方がないことなのだと、こじつけがましい解釈も広がっている。

 皇宮の人々に至ってはお姉様を嘲り、貶めたくせに。
 今になって美名で塗り固めて、自己の過ちをなかったことにして、都合のいい物語に仕立て上げようとしている。

 誰一人、お姉様の痛みを語ろうとしない。
 どれほど冷たく扱われ、どれほど孤独だったか──誰も語らないし、むしろその過去を葬り去ろうとしている。

 多くの帝国民はお姉様がどのような境遇に置かれていたのか知らないし、これから先も知ることはない。だから市井の人々においては噂に乗ってしまう気持ちも理解できる。
 とはいえ、聖女として担ぎあげるのではなく、帝国に確かに存在した皇妃を偲び、静かに弔ってほしかった。

(なのにこの国は……)

「……お姉様が死んだせいで災害が起きている? ルーキアはお姉様がいないと成り立たない国なの?」

 そんなことはない。お姉様が居なくたって、世界は良くも悪くも1日1日を紡いでいくのだから。

(でもそうね。本当にお姉様が神に召されたことで上手く回らないのであれば……)

 思わず吐き捨てるように声が漏れる。

「──そんな国、いっそ滅んでしまえばいいわ」

 雷鳴が轟く中、私は心の底からそう思った。

あなたにおすすめの小説

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

あなたへの愛を捨てた日

柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。 しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。 レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。 「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」 エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

「憎悪しか抱けない『お下がり令嬢』は、侍女の真似事でもやっていろ」と私を嫌う夫に言われましたので、素直に従った結果……

ぽんた
恋愛
「おれがおまえの姉ディアーヌといい仲だということは知っているよな?ディアーヌの離縁の決着がついた。だからやっと、彼女を妻に迎えられる。というわけで、おまえはもう用済みだ。そうだな。どうせだから、異母弟のところに行くといい。もともと、あいつはディアーヌと結婚するはずだったんだ。妹のおまえでもかまわないだろう」 この日、リン・オリヴィエは夫であるバロワン王国の第一王子マリユス・ノディエに告げられた。 選択肢のないリンは、「ひきこもり王子」と名高いクロード・ノディエのいる辺境の地へ向かう。 そこで彼女が会ったのは、噂の「ひきこもり王子」とはまったく違う気性が荒く傲慢な将軍だった。 クロードは、幼少の頃から自分や弟を守る為に「ひきこもり王子」を演じていたのである。その彼は、以前リンの姉ディアーヌに手痛い目にあったことがあった。その為、人間不信、とくに女性を敵視している。彼は、ディアーヌの妹であるリンを憎み、侍女扱いする。 しかし、あることがきっかけで二人の距離が急激に狭まる。が、それも束の間、王都が隣国のスパイの工作により、壊滅状態になっているいう報が入る。しかも、そのスパイの正体は、リンの知る人だった。 ※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。

十六歳の妹の誕生日、私はこの世を去る。

あいみ
恋愛
碌に手入れもされていない赤毛の伯爵令嬢、スカーレット。 宝石のように澄んだ青い髪をした伯爵令嬢、ルビア。 対極のような二人は姉妹。母親の違う。 お世辞にも美しいと言えない前妻の子供であるスカーレットは誰からも愛されない。 そばかすだらけで、笑顔が苦手な醜い姉。 天使のように愛らしく、誰からも好かれる可愛い妹。 生まれつき体の弱いルビアは長くは生きられないと宣告されていた。 両親の必死に看病や、“婚約者の献身的なサポート”のおかげで、日常生活が送れるようになるまで回復した。 だが……。運命とは残酷である。 ルビアの元に死神から知らせが届く。 十六歳の誕生日、ルビアの魂は天に還る、と。 美しい愛しているルビア。 失いたくない。殺されてなるものか。 それぞれのルビアを大切に思う想いが、一つの選択をさせた。 生まれてくる価値のなかった、醜いスカーレットを代わりに殺そう、と。 これは彼女が死ぬ前と死んだ後の、少しの物語。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。