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第二章 【過去編】イザベル・ランドール
お別れと約束
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ユリウスの出征当日、イザベルは自室に引きこもっていた。外からは戦場に向かう騎士たちを鼓舞する音楽がここまで流れてきて、耳を塞いで目を閉じて全てを遮断した。
そんな中、控えめなノックが響いてビクンと肩が動く。
「──ベル」
「…………」
「ベル、入るよ」
ユリウスがドアノブを捻ると簡単にドアは開いた。カーテンは閉められ、昼間なのに薄暗いイザベルの部屋には啜り泣きが響く。
ユリウスは迷いもせずに部屋の中に入り、ネグリジェ姿のまま大きな塊になって微動だにしないイザベルへ向かう。
「馬鹿っ! なんで来るのよ!」
ずかずか入ってくるユリウスの顔面に、イザベルは掴んでいたクッションを力いっぱい投げつけた。
彼はそれを難なくかわして、クッションはあっけなく地面に落下する。
「ねえベル」
重苦しい黒いマントを脱ぎ捨て、ユリウスはイザベルが膝を折って顔を隠す寝台に腰掛ける。
「──帰ってきたら話したいことがある」
優しく涙を拭いながら、イザベルをすっぽり包み込むように抱きしめた。
「聞いてくれるかい?」
泣きすぎて赤く腫れた蜂蜜色の瞳がユリウスを捉えた。ゆっくりとした動作でイザベルも彼に手を伸ばし、涙声で何とか声を絞り出す。
「なんでも……聞くから」
いつの間にか自分よりも大きくなった彼にぎゅっと縋り付く。
「だからお願い。生きて帰ってきて」
この温もりを失う可能性があるなんて、考えたくなかった。
イザベルはぽろぽろ涙を流す。
「戦場に行く貴方に泣き顔なんて見せたくなくて、閉じこもってたのに。私の部屋に入ってくるなら意味なかったじゃない。ユースだって別れが涙なんて嫌でしょ」
「そうなの? 僕は見送りに来てくれない方が嫌だよ」
ユリウスはそっとイザベルの手を取り、甲にくちづける。それはまるで姫に忠誠を誓う騎士のようで。不覚にもドキドキしてしまう。
「絶対に帰ってくるからもう泣かないで。泣いているベルを見ると僕もどうにかなってしまいそうだ」
「今の台詞で止まったわ。どこで覚えたのよ」
正直に申せば、彼は口元を緩めた。そうして次の瞬間には不安げに碧眼が揺れ、イザベルの寝台に広がる銀髪のひと房を手に収める。
「ベルは僕のこと好き?」
「ええ、もちろん大好きよ」
胸に抱く感情を抜きにしても。家族として。
するとユリウスは寂しそうに笑い、頬に別れの挨拶代わりのキスをした。
「…………僕も好きだよ。この世界でいちばん」
そうしてユリウスは最後にイザベルの手首に白い布を巻いた。
「ベルに預けておく。帰ってきたら返してね」
一体なんの布だろうと端の方を広げると、第三皇子としての印が刺繍されたハンカチだった。
「う、受け取れないわ。これはフローラに」
出征する男性が贈る物──細かく説明すると一部に家紋やらその人の身分を証明するような印の入った物なのだが、それを預ける行為は生きて帰る願掛けと、それよりも。
(亡くなった際に真っ先に会いに行きたい人への目印を指す)
ダメだ。イザベルが受け取ってよいものではない。婚約者であるフローラが持たなければ。
慌てて解こうとすると、上からユリウスの硬い手が制する。
「ベルに持っていて欲しいんだ。約束しただろう? ずっとそばに居てくれると」
「…………」
「それとも今更破るつもりなのかな」
「破らないわ」
「なら良かった」
ふっと笑ってユリウスの手が離れる。
「肌身離さず持っていてね」
「うん。離さない」
胸元にハンカチが巻かれた右手を持っていけば、不意に強く抱きしめられた。
「すぐに戻るから。ベル、本当に大好きだよ」
◇◇◇
今思えば父はこの時点でこの後に起こる出来事をうっすら悟っていたのかもしれない。
見送りのためネグリジェから着替えて部屋から出たイザベルは、二人を待っていた父のいるエントランスに顔を出した。
「ああ私の可愛いお姫様を泣かせたのは誰かな」
現れた娘の泣き腫らした顔を見て、イザークは冗談めかし、けれども真っ直ぐユリウスを射抜いている。
「不本意ながら僕ですね」
「ユースか」
イザークは指で軽くユリウスの額を弾いた。
「おとう、さま」
「ベル、おいで」
イザベルはイザークの胸の中に飛び込んだ。
「ご武運をお祈り申し上げます」
血の繋がった唯一の肉親で家族。多忙な身でもイザベルのことを第一に考え、愛してくれる大好きな父。どうか大怪我をせず、無事に帰ってきますようにと女神に祈る。
「うん、ありがとう」
抱き上げたイザベルの両頬に口付けし、地面に下ろしたイザークは懐から一通の書簡を取り出した。
「縁起が悪い話はしたくないけど、万が一私が戦場から帰ってくることが叶わなかったらこれを開けて読んで欲しい」
渡された書簡はイザークだけが使える紋章の封蝋でしっかりと封がされている。厚みから相当な枚数が入ってるみたいだ。
「生還したその時は私自身の口で話そう。ただ、最悪な場合も想定しておかないとね」
「…………内容はなんでしょうか」
「ベルの秘密さ」
「私?」
突然の告白にドキリとしてしまう。
「……本当はお父様の子では無いとかですか? 血は繋がってないとか?」
「まさか! 正真正銘、私とイレイナの娘だよ」
そこは心配しないでとイザークはイザベルの頬を撫でた。
「深刻でも、悪い秘密でもない。知らずに生きていくこともできるけれど、話しておく方が良いかと思ってね」
「でしたらどうしてこのタイミングで──」
イザークはイザベルの言葉を遮った。
「ベル、何が起こったとしても諦めてはいけない。常にベルが思う最善の選択を取りなさい」
くしゃりと娘の頭を撫でたイザークは、先程のユリウスと同じようにイザベルの手首に自身の印が刺繍されたハンカチを巻き付けた。
「愛しているよ。元気で過ごして」
それがイザベルの見た生涯最後の父の姿だった。
そんな中、控えめなノックが響いてビクンと肩が動く。
「──ベル」
「…………」
「ベル、入るよ」
ユリウスがドアノブを捻ると簡単にドアは開いた。カーテンは閉められ、昼間なのに薄暗いイザベルの部屋には啜り泣きが響く。
ユリウスは迷いもせずに部屋の中に入り、ネグリジェ姿のまま大きな塊になって微動だにしないイザベルへ向かう。
「馬鹿っ! なんで来るのよ!」
ずかずか入ってくるユリウスの顔面に、イザベルは掴んでいたクッションを力いっぱい投げつけた。
彼はそれを難なくかわして、クッションはあっけなく地面に落下する。
「ねえベル」
重苦しい黒いマントを脱ぎ捨て、ユリウスはイザベルが膝を折って顔を隠す寝台に腰掛ける。
「──帰ってきたら話したいことがある」
優しく涙を拭いながら、イザベルをすっぽり包み込むように抱きしめた。
「聞いてくれるかい?」
泣きすぎて赤く腫れた蜂蜜色の瞳がユリウスを捉えた。ゆっくりとした動作でイザベルも彼に手を伸ばし、涙声で何とか声を絞り出す。
「なんでも……聞くから」
いつの間にか自分よりも大きくなった彼にぎゅっと縋り付く。
「だからお願い。生きて帰ってきて」
この温もりを失う可能性があるなんて、考えたくなかった。
イザベルはぽろぽろ涙を流す。
「戦場に行く貴方に泣き顔なんて見せたくなくて、閉じこもってたのに。私の部屋に入ってくるなら意味なかったじゃない。ユースだって別れが涙なんて嫌でしょ」
「そうなの? 僕は見送りに来てくれない方が嫌だよ」
ユリウスはそっとイザベルの手を取り、甲にくちづける。それはまるで姫に忠誠を誓う騎士のようで。不覚にもドキドキしてしまう。
「絶対に帰ってくるからもう泣かないで。泣いているベルを見ると僕もどうにかなってしまいそうだ」
「今の台詞で止まったわ。どこで覚えたのよ」
正直に申せば、彼は口元を緩めた。そうして次の瞬間には不安げに碧眼が揺れ、イザベルの寝台に広がる銀髪のひと房を手に収める。
「ベルは僕のこと好き?」
「ええ、もちろん大好きよ」
胸に抱く感情を抜きにしても。家族として。
するとユリウスは寂しそうに笑い、頬に別れの挨拶代わりのキスをした。
「…………僕も好きだよ。この世界でいちばん」
そうしてユリウスは最後にイザベルの手首に白い布を巻いた。
「ベルに預けておく。帰ってきたら返してね」
一体なんの布だろうと端の方を広げると、第三皇子としての印が刺繍されたハンカチだった。
「う、受け取れないわ。これはフローラに」
出征する男性が贈る物──細かく説明すると一部に家紋やらその人の身分を証明するような印の入った物なのだが、それを預ける行為は生きて帰る願掛けと、それよりも。
(亡くなった際に真っ先に会いに行きたい人への目印を指す)
ダメだ。イザベルが受け取ってよいものではない。婚約者であるフローラが持たなければ。
慌てて解こうとすると、上からユリウスの硬い手が制する。
「ベルに持っていて欲しいんだ。約束しただろう? ずっとそばに居てくれると」
「…………」
「それとも今更破るつもりなのかな」
「破らないわ」
「なら良かった」
ふっと笑ってユリウスの手が離れる。
「肌身離さず持っていてね」
「うん。離さない」
胸元にハンカチが巻かれた右手を持っていけば、不意に強く抱きしめられた。
「すぐに戻るから。ベル、本当に大好きだよ」
◇◇◇
今思えば父はこの時点でこの後に起こる出来事をうっすら悟っていたのかもしれない。
見送りのためネグリジェから着替えて部屋から出たイザベルは、二人を待っていた父のいるエントランスに顔を出した。
「ああ私の可愛いお姫様を泣かせたのは誰かな」
現れた娘の泣き腫らした顔を見て、イザークは冗談めかし、けれども真っ直ぐユリウスを射抜いている。
「不本意ながら僕ですね」
「ユースか」
イザークは指で軽くユリウスの額を弾いた。
「おとう、さま」
「ベル、おいで」
イザベルはイザークの胸の中に飛び込んだ。
「ご武運をお祈り申し上げます」
血の繋がった唯一の肉親で家族。多忙な身でもイザベルのことを第一に考え、愛してくれる大好きな父。どうか大怪我をせず、無事に帰ってきますようにと女神に祈る。
「うん、ありがとう」
抱き上げたイザベルの両頬に口付けし、地面に下ろしたイザークは懐から一通の書簡を取り出した。
「縁起が悪い話はしたくないけど、万が一私が戦場から帰ってくることが叶わなかったらこれを開けて読んで欲しい」
渡された書簡はイザークだけが使える紋章の封蝋でしっかりと封がされている。厚みから相当な枚数が入ってるみたいだ。
「生還したその時は私自身の口で話そう。ただ、最悪な場合も想定しておかないとね」
「…………内容はなんでしょうか」
「ベルの秘密さ」
「私?」
突然の告白にドキリとしてしまう。
「……本当はお父様の子では無いとかですか? 血は繋がってないとか?」
「まさか! 正真正銘、私とイレイナの娘だよ」
そこは心配しないでとイザークはイザベルの頬を撫でた。
「深刻でも、悪い秘密でもない。知らずに生きていくこともできるけれど、話しておく方が良いかと思ってね」
「でしたらどうしてこのタイミングで──」
イザークはイザベルの言葉を遮った。
「ベル、何が起こったとしても諦めてはいけない。常にベルが思う最善の選択を取りなさい」
くしゃりと娘の頭を撫でたイザークは、先程のユリウスと同じようにイザベルの手首に自身の印が刺繍されたハンカチを巻き付けた。
「愛しているよ。元気で過ごして」
それがイザベルの見た生涯最後の父の姿だった。
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