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第三章 不穏な侍女生活
とある公爵夫人の独白(3)
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そうであるならば、イザベルが相手の素性を隠していた理由も納得がいく。
亡くなったとされていた皇子が身分を隠し、表向きには繋がりのない公爵家の娘のそばに小さい頃から居たのだ。はっきり言っておかしい。
何かしがらみがあったのだろうと推測できるし、仮面をつけていたのも、呪いの影響が顔面に出ていたのを隠すためなら納得がいく。
(…………ベルが泣いていたのもユリウス殿下とフローラ様の婚約を知ったから)
彼女が自分との会う約束をすっぽかしたあの日、時間になっても現れないのでランドール公爵邸に乗り込んだのだ。
赤く目を腫らしたイザベルは人目も気にせず大泣きし、自分の恋はもう叶わないのだと、彼らは両思いだからと訴えた。
エリーゼからしたら仲は良好。家族にしては距離が近い二人。勝機はありそうなので告白を助言したが、イザベルは頑なに首を縦に振らなかった。それだけの根拠を持っていたのだろう。
仮に根拠がなくとも聖女と皇子、しかも呪いを解いた相手ときた。イザベルが弱気になってしまうのも致し方ない。
(けど、そうであるならばここまで……)
処刑後の罪人の遺体を、長い時間抱きしめるはずがないのだ。
衣服に付着した血はまだ乾いていない。前面にだけこびりついているところから、返り血というより、抱きしめたことでシャツに染み込んでいったようだった。
イザベルが勘違いしていたとしても、目の前の皇子が家族以上の感情を持っていることは明白だった。
「これ以上雨に打たれていますと風邪を召されてしまいますよ」
すっと傘の中にユリウスを入れてあげたところで、彼の頬を伝う水滴は雨粒だけではないことに気づく。無言でひたすら涙を零しているのだ。
「よろしければこれもお使いください」
ポケットから取り出したハンカチをユリウスに渡す際、開かれた手のひらからひらりと赤黒い布が地面に落ちた。
ユリウスは即座にそれを拾い上げ、ローブの裏側のポケットに丁寧に折りたたんでしまった。
そうしてエリーゼのことを見下ろす形で尋ねてくるのだ。
「一度だけ問おう。貴殿は彼女の味方か敵、どちらだ」
ぞくっと背筋に悪寒が走る。目は警戒の色を解いていない。右手は携えた剣の柄にかけられ、言葉を間違えれば彼に宿る殺意が真っ先に牙を剥くだろう。
「私はベルの味方です」
エリーゼは迷わず即答した。
「ベルは皇女殿下を殺してなんかいません。何かの間違いだと私は思っています」
「…………私も貴殿と同意見だ」
威圧を解いたユリウスは血に濡れた手袋を脱いだ。
「常に状況は把握するよう務めていたが、長らく戦場にいたためどうしてもこちらに詳細までは届かなかった」
手袋もポケットにしまい、淡々と続ける。
「貴殿は彼女と親しかったはずだ。私よりもこの件について詳しい経緯を知っているだろう。後ほど時間を作ってくれるか」
「はい。私でよければ」
「ではまた連絡する。これもその時返そう」
握らせたハンカチを軽く振り、ユリウスはその場を後にしようとする。
「ああそれと、私と会ったことは誰にも言わない方がいい。繋がりがあると知られれば貴殿も殺されるぞ」
誰にとは言わなかったが、自嘲めいた声色に大方の予想はついた。
そこから数日後、エリーゼはユリウスに彼が戦場に出ている間のことを話した。
初めて会った時より落ち着いていて、感情こそ顕にすることはなかったが、イザベルの言っていた宝石のような輝きを終ぞ実感することはなかった。
エリーゼから聞き取りを終えるとユリウスは瞳を伏せて俯いた。そして「貴重な話、感謝する」とだけ残して戦場に戻り、すぐさまヘストリアの勝利へ戦況を導いた。
ただその後、英雄として帝都に舞い戻った皇子殿下は、名誉や栄光を殴り捨てて──そんなもの一切必要ないと言わんばかりに皇族を次々と殺害し、最終的に皇位を簒奪してこの国の最も尊い座を、血に濡れた座を、己のものとした。
◇◇◇
エリーゼは約二十年経った今でも亡き友人を忘れることはできなかった。毎年、処刑の日が来ると花を摘んでお忍びで処刑台のあった場所に生花を献花し、神殿で祝詞と祈りを女神に捧げる。
そんな折だ。娘に友人の面影を見たのは。
エリーゼの娘エディトは苦労して生まれた子だった。普通なら嫡男となる男児を生めば妻としての役割を立派に果たしたとなるのに、己の特殊な家系のせいで、女児を生まなければ意味がないとの重圧がのしかかっていた。
エディトの産声を聞き、医師から「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」と言われた時には、これでようやくアエステッタ公爵家の娘としての役目を果たし、周りから責められる事もなくなると安堵から涙が溢れた。
だからエディトに対してエリーゼは他の子供よりも厳しく物事を教え込んでいた。
完璧に、きちんと祭祀を行える娘になるよう教育していたのに、満を持して初めて夏を呼んだ昨年は質が劣っていた。それが許せなくて、幼いながら懸命に努力しているのを知っているのに、苛立ちから強く当たってしまう自分に嫌悪した。
今年はエディト一人で夏を呼ぶ。補助をした昨年でさえ質が若干落ちていたというのに、補助なしで行う今年は観衆にも質の低下に気づかれてしまうのでは? と怖かった。
だが、不安は外れた。エディトは完璧な進行を取り、ひどく懐かしい記憶を呼び起こさせたのだ。
亡くなったとされていた皇子が身分を隠し、表向きには繋がりのない公爵家の娘のそばに小さい頃から居たのだ。はっきり言っておかしい。
何かしがらみがあったのだろうと推測できるし、仮面をつけていたのも、呪いの影響が顔面に出ていたのを隠すためなら納得がいく。
(…………ベルが泣いていたのもユリウス殿下とフローラ様の婚約を知ったから)
彼女が自分との会う約束をすっぽかしたあの日、時間になっても現れないのでランドール公爵邸に乗り込んだのだ。
赤く目を腫らしたイザベルは人目も気にせず大泣きし、自分の恋はもう叶わないのだと、彼らは両思いだからと訴えた。
エリーゼからしたら仲は良好。家族にしては距離が近い二人。勝機はありそうなので告白を助言したが、イザベルは頑なに首を縦に振らなかった。それだけの根拠を持っていたのだろう。
仮に根拠がなくとも聖女と皇子、しかも呪いを解いた相手ときた。イザベルが弱気になってしまうのも致し方ない。
(けど、そうであるならばここまで……)
処刑後の罪人の遺体を、長い時間抱きしめるはずがないのだ。
衣服に付着した血はまだ乾いていない。前面にだけこびりついているところから、返り血というより、抱きしめたことでシャツに染み込んでいったようだった。
イザベルが勘違いしていたとしても、目の前の皇子が家族以上の感情を持っていることは明白だった。
「これ以上雨に打たれていますと風邪を召されてしまいますよ」
すっと傘の中にユリウスを入れてあげたところで、彼の頬を伝う水滴は雨粒だけではないことに気づく。無言でひたすら涙を零しているのだ。
「よろしければこれもお使いください」
ポケットから取り出したハンカチをユリウスに渡す際、開かれた手のひらからひらりと赤黒い布が地面に落ちた。
ユリウスは即座にそれを拾い上げ、ローブの裏側のポケットに丁寧に折りたたんでしまった。
そうしてエリーゼのことを見下ろす形で尋ねてくるのだ。
「一度だけ問おう。貴殿は彼女の味方か敵、どちらだ」
ぞくっと背筋に悪寒が走る。目は警戒の色を解いていない。右手は携えた剣の柄にかけられ、言葉を間違えれば彼に宿る殺意が真っ先に牙を剥くだろう。
「私はベルの味方です」
エリーゼは迷わず即答した。
「ベルは皇女殿下を殺してなんかいません。何かの間違いだと私は思っています」
「…………私も貴殿と同意見だ」
威圧を解いたユリウスは血に濡れた手袋を脱いだ。
「常に状況は把握するよう務めていたが、長らく戦場にいたためどうしてもこちらに詳細までは届かなかった」
手袋もポケットにしまい、淡々と続ける。
「貴殿は彼女と親しかったはずだ。私よりもこの件について詳しい経緯を知っているだろう。後ほど時間を作ってくれるか」
「はい。私でよければ」
「ではまた連絡する。これもその時返そう」
握らせたハンカチを軽く振り、ユリウスはその場を後にしようとする。
「ああそれと、私と会ったことは誰にも言わない方がいい。繋がりがあると知られれば貴殿も殺されるぞ」
誰にとは言わなかったが、自嘲めいた声色に大方の予想はついた。
そこから数日後、エリーゼはユリウスに彼が戦場に出ている間のことを話した。
初めて会った時より落ち着いていて、感情こそ顕にすることはなかったが、イザベルの言っていた宝石のような輝きを終ぞ実感することはなかった。
エリーゼから聞き取りを終えるとユリウスは瞳を伏せて俯いた。そして「貴重な話、感謝する」とだけ残して戦場に戻り、すぐさまヘストリアの勝利へ戦況を導いた。
ただその後、英雄として帝都に舞い戻った皇子殿下は、名誉や栄光を殴り捨てて──そんなもの一切必要ないと言わんばかりに皇族を次々と殺害し、最終的に皇位を簒奪してこの国の最も尊い座を、血に濡れた座を、己のものとした。
◇◇◇
エリーゼは約二十年経った今でも亡き友人を忘れることはできなかった。毎年、処刑の日が来ると花を摘んでお忍びで処刑台のあった場所に生花を献花し、神殿で祝詞と祈りを女神に捧げる。
そんな折だ。娘に友人の面影を見たのは。
エリーゼの娘エディトは苦労して生まれた子だった。普通なら嫡男となる男児を生めば妻としての役割を立派に果たしたとなるのに、己の特殊な家系のせいで、女児を生まなければ意味がないとの重圧がのしかかっていた。
エディトの産声を聞き、医師から「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」と言われた時には、これでようやくアエステッタ公爵家の娘としての役目を果たし、周りから責められる事もなくなると安堵から涙が溢れた。
だからエディトに対してエリーゼは他の子供よりも厳しく物事を教え込んでいた。
完璧に、きちんと祭祀を行える娘になるよう教育していたのに、満を持して初めて夏を呼んだ昨年は質が劣っていた。それが許せなくて、幼いながら懸命に努力しているのを知っているのに、苛立ちから強く当たってしまう自分に嫌悪した。
今年はエディト一人で夏を呼ぶ。補助をした昨年でさえ質が若干落ちていたというのに、補助なしで行う今年は観衆にも質の低下に気づかれてしまうのでは? と怖かった。
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