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第二章 アルメリアでの私の日々
縛るもの
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その声は推測するに、アレクシス殿下の足元から鳴っているようだ。目を凝らして見るとうっすら動物の姿が見える気がする。
「アレクシス殿下とマーレ様、あの……そこに何かいるのですか? 今、鳴き声が」
私はしゃがみ込んでいるマーガレット王女の肩を軽く叩き、尋ねた。
「ターシャ聞こえるの?」
「えっと……はい」
問い詰めるように顔を近づけられ、責められているように感じ、吃ってしまった。
(……普通は聞こえないの? でも、今はっきり鳴き声が)
奇妙さと違和感。それにみてはいけないものを見てしまったかのような後ろめたさ少々。
姿は見えない。でも鳴き声ははっきりと聞こえた。
ちらりとルーナの方を見るが、ルーナはマリエラとこちらの話が聞こえるか聞こえないかぐらいの場所で控えていて、距離的に聞こえていなさそう。
「────珍しいな」
「何か言いましたか?」
「いいや何も。確かにここには私達のペットのような子がいる。ほら」
すっとアレクシス殿下は1匹の真っ白な動物を抱き抱えた。靄がかかったように見えていたものが、今度ははっきりと見える。
「この子はお兄様の守護獣よ。名前はフォリス」
マーガレット王女が名前を呼ぶと、守護獣は再び鳴いて、アレクシス殿下の腕の中から逃げ出した。
「守護獣とは……あの守護獣ですか?!」
「〝あの〟とかはないけど。普通の守護獣だよ」
守護獣とはアルメリア王家のみが使役している神獣のこと。他の国の王家は守護獣を使役していない。
この世界では各王家ごとに、特徴的な唯一無二の何かを持っている。血によって受け継がれていくそれは特殊魔法であったり、身体的特徴だったり、千差満別だ。
ソルリア王家の無力化魔法もその一部だとギルバート殿下は言っていた。
アルメリア王家の守護獣は、主を危険から守り、補助をするのが主な仕事である。そのため、普段は主や血の繋がりがある王家の人々以外に姿を現さない。
市井の者が守護獣を見ることが叶うのは新年の挨拶のとき。
毎年、アルメリアでは王族であるアレクシス殿下方がバルコニーに出て国民と対面する。
その際に冷たい澄み渡るような蒼空の中、天翔るように王家の守護獣達が空を飛ぶ。その情景はとても綺麗で神秘的。ゆえにアルメリアの国民が楽しみにしている行事のひとつらしい。
この式典以外では見ることが叶わない。そのため図鑑や書物には高頻度で出てくるが、他国の私が見るのは初めてだった。1度目の人生の時は2人に会うことも、アルメリアを訪れることもなかったし。
そんな珍しいはずの守護獣が目の前にいる。
ふよふよと空中に浮いたままのフォリス。視線が合うと、「こいつ、誰?」というような感じに、私に近づいてきて匂いを嗅いできた。
「フォリス、ターシャは味方よ味方」
マーガレット王女が言うと、フォリスは主であるアレクシス殿下の元へ戻っていく。
「寮に連れていくことはできないからこの子は普段王宮で暮らしているんだ。だけどたまに監視の目を掻い潜って抜け出してくるんだよ」
「お兄様、フォリスに監視役付けても無意味ですよ」
チラッとマーガレット王女はフォリスの方に視線を送る。
「分かってるけどさ……形式的にも監視というものが付けば──と思ってしまったんだ」
「いつもの言い訳ですね。まあ脱走は想定内。さっさとケージに入れてマリエラか御者達にフォリスを王宮に戻してもらいましょう?」
マーガレット王女は指を鳴らして魔法を発動させる。数拍の間のあと、私達の前に月水晶で作られた透明なケージが出現した。
「フォリス、入りなさい」
先ほどとは打って変わった凛とした声でフォリスを呼びながら、慣れた手つきで彼女はケージの扉を開ける。が、フォリスは一瞬目をケージに合わせたあと、ふいっと頭を横に向けた。
どうやらケージに入りたくないらしい。きっとあの中に入ったら王宮へ戻されると分かっているのだろう。神獣に対してはすこし無礼かもしれないが、賢い子。
「…………お兄様」
感嘆していた私と反対に、フォリスを説得するのは無理だと判断したらしいマーガレット王女。冷ややかな声色で兄を呼び、鋭い目線を向ける。そこでアレクシス殿下はようやく口を開いた。
ふっと息を吹き出したアレクシス殿下の瞳が少しだけ輝きを増す。
「フォリス、入れ」
彼の言葉を聞いた途端、足にくっ付いていたフォリスがビクリと震え、意思とは関係なくすんなりケージに体が吸い込まれていった。
すかさずマーガレット王女がケージの鍵を閉める。
「命令魔法は使いたくないんだけどな」
「仕方ないじゃない。フォリスの主であるお兄様しか命令できないんだから」
銀の鍵をひと回ししたマーガレット王女は、ケージと鍵をマリエラに渡し、王宮に運ぶよう伝えた。
マリエラが驚くことはなく、慣れた手つきでケージを抱えて場をあとにする。おそらくいつもこのようにフォリスを王宮へと運んでいるのだろう。
「大体お兄様が────」
「どうしてそうなる。マーガレットだって……」
始まった言い争い。お互いをよく知っているからか、売り言葉に買い言葉で熾烈になっていく。
(ああ、声が……大きすぎて周りに……)
同じ場所に長い時間いたことも要因になっているのだろう。実際にはそれほど大きい訳では無いが、やはり王族のふたりはとにかく目立つ。目立ちにくい端にいても、必然的に周りの視線を集めていた。
少し離れたところでこちらを見ている者、訝しむ者、途切れ途切れに聞こえる話し声。
そんな時辺りを見渡していた私と、一人の令嬢の視線がまじ合う。
腰まである亜麻色の髪は緩やかにウェーブを描いていて、長い睫毛に縁どられた玉翠色の瞳に少しだけつり上がった目元。
(誰だろう……?)
射抜く視線の鋭さに身体が固まってしまうが、それもほんの数秒で、彼女は人と人の間に紛れてしまった。
一瞬追いかけようかと考えたが、まだ校内のマップがうろ覚えな私が無闇矢鱈に動けばここに戻ってこられなさそうだ。
(それに、他の人の視線の方が気になるわ)
ほとんどが好奇な視線と受け取れるが、よく見ると一部の方達は王族であるマーガレット王女を見て微かに嘲笑している。
あからさまな侮蔑に、向けられた対象では無い私も不快感を禁じ得ない。普通なら不敬罪で捕らえられても文句が言えない状況だ。
奇異で不吉だと厭まれ、親しい人だと思っていた人にも本当は疎まれていた。と悲しく沈んだ面持ちで言っていたマーガレット王女の表情を思い出してしまう。
私は同じ境遇にいた訳では無い。身分も違うし、国も、状況も違う。だが、マーガレット王女の心情に近い感情は烏滸がましいが感じたことがある。
『殿下、私は何もしていません! 私は……貴方が幸せならそれでいい。こんな姑息な真似に、人を傷つける行為は致しません! お願いします……信じて……』
カシャンと手枷が金属特有の嫌な音を立てながら懇願した私に対して、戯言、虚言、と否定した挙句、飛び交う罵詈雑言。穢らわしいと言わんばかりの視線。
両親、陛下、そしてギルバート殿下に手のひらを返されたあの日々は、胸が張り裂けそうなほど哀しく、辛くて、牢屋の中で涙が枯れるまで泣いていた。
(あの頃は辛かった……まあ、途中で弁明する気力もなくなって、何もかもが嫌で最期は早く消えたいと思ったっけ)
薄れてきてはいるが今でも思い出すと胸が締め付けられる。下手したら動悸に加えて呼吸が浅くなる。
そして心のどこかで、アルメリアに来たとしても既定路線に連れ戻されるのではないかと考えてしまう。
未来はその日にならない限りどうなるか誰にも分からないのに。
きつく縛って離さない。逃げようと、目を背けようと、すればするほど深く根を張る過去の記憶が、二度目の人生と自覚した私の行動の一部を搦めとる。
きっと私は断罪された18歳のあの日が来るまで、薄い氷の上を歩き、凍てつく水の中にいつ落ちるか分からないような怖さからは逃れられないのだろう。
(……いっけないわ。こんなこと考えている場合ではないわね)
気づいたら気分が急降下してしまっていた。無理やり頭から捨てて、これからどうしようかと思案する。
彼らの興味を逸らすためにも、言い争いを早く止めたほうがいい。そう思って2人の方に振り返り、おそるおそる声をかけることにした。
「あの……御二方、目立ってます」
アレクシス殿下とマーガレット王女は息を揃えたようにピタリと止まったのだった。
「アレクシス殿下とマーレ様、あの……そこに何かいるのですか? 今、鳴き声が」
私はしゃがみ込んでいるマーガレット王女の肩を軽く叩き、尋ねた。
「ターシャ聞こえるの?」
「えっと……はい」
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「何か言いましたか?」
「いいや何も。確かにここには私達のペットのような子がいる。ほら」
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「この子はお兄様の守護獣よ。名前はフォリス」
マーガレット王女が名前を呼ぶと、守護獣は再び鳴いて、アレクシス殿下の腕の中から逃げ出した。
「守護獣とは……あの守護獣ですか?!」
「〝あの〟とかはないけど。普通の守護獣だよ」
守護獣とはアルメリア王家のみが使役している神獣のこと。他の国の王家は守護獣を使役していない。
この世界では各王家ごとに、特徴的な唯一無二の何かを持っている。血によって受け継がれていくそれは特殊魔法であったり、身体的特徴だったり、千差満別だ。
ソルリア王家の無力化魔法もその一部だとギルバート殿下は言っていた。
アルメリア王家の守護獣は、主を危険から守り、補助をするのが主な仕事である。そのため、普段は主や血の繋がりがある王家の人々以外に姿を現さない。
市井の者が守護獣を見ることが叶うのは新年の挨拶のとき。
毎年、アルメリアでは王族であるアレクシス殿下方がバルコニーに出て国民と対面する。
その際に冷たい澄み渡るような蒼空の中、天翔るように王家の守護獣達が空を飛ぶ。その情景はとても綺麗で神秘的。ゆえにアルメリアの国民が楽しみにしている行事のひとつらしい。
この式典以外では見ることが叶わない。そのため図鑑や書物には高頻度で出てくるが、他国の私が見るのは初めてだった。1度目の人生の時は2人に会うことも、アルメリアを訪れることもなかったし。
そんな珍しいはずの守護獣が目の前にいる。
ふよふよと空中に浮いたままのフォリス。視線が合うと、「こいつ、誰?」というような感じに、私に近づいてきて匂いを嗅いできた。
「フォリス、ターシャは味方よ味方」
マーガレット王女が言うと、フォリスは主であるアレクシス殿下の元へ戻っていく。
「寮に連れていくことはできないからこの子は普段王宮で暮らしているんだ。だけどたまに監視の目を掻い潜って抜け出してくるんだよ」
「お兄様、フォリスに監視役付けても無意味ですよ」
チラッとマーガレット王女はフォリスの方に視線を送る。
「分かってるけどさ……形式的にも監視というものが付けば──と思ってしまったんだ」
「いつもの言い訳ですね。まあ脱走は想定内。さっさとケージに入れてマリエラか御者達にフォリスを王宮に戻してもらいましょう?」
マーガレット王女は指を鳴らして魔法を発動させる。数拍の間のあと、私達の前に月水晶で作られた透明なケージが出現した。
「フォリス、入りなさい」
先ほどとは打って変わった凛とした声でフォリスを呼びながら、慣れた手つきで彼女はケージの扉を開ける。が、フォリスは一瞬目をケージに合わせたあと、ふいっと頭を横に向けた。
どうやらケージに入りたくないらしい。きっとあの中に入ったら王宮へ戻されると分かっているのだろう。神獣に対してはすこし無礼かもしれないが、賢い子。
「…………お兄様」
感嘆していた私と反対に、フォリスを説得するのは無理だと判断したらしいマーガレット王女。冷ややかな声色で兄を呼び、鋭い目線を向ける。そこでアレクシス殿下はようやく口を開いた。
ふっと息を吹き出したアレクシス殿下の瞳が少しだけ輝きを増す。
「フォリス、入れ」
彼の言葉を聞いた途端、足にくっ付いていたフォリスがビクリと震え、意思とは関係なくすんなりケージに体が吸い込まれていった。
すかさずマーガレット王女がケージの鍵を閉める。
「命令魔法は使いたくないんだけどな」
「仕方ないじゃない。フォリスの主であるお兄様しか命令できないんだから」
銀の鍵をひと回ししたマーガレット王女は、ケージと鍵をマリエラに渡し、王宮に運ぶよう伝えた。
マリエラが驚くことはなく、慣れた手つきでケージを抱えて場をあとにする。おそらくいつもこのようにフォリスを王宮へと運んでいるのだろう。
「大体お兄様が────」
「どうしてそうなる。マーガレットだって……」
始まった言い争い。お互いをよく知っているからか、売り言葉に買い言葉で熾烈になっていく。
(ああ、声が……大きすぎて周りに……)
同じ場所に長い時間いたことも要因になっているのだろう。実際にはそれほど大きい訳では無いが、やはり王族のふたりはとにかく目立つ。目立ちにくい端にいても、必然的に周りの視線を集めていた。
少し離れたところでこちらを見ている者、訝しむ者、途切れ途切れに聞こえる話し声。
そんな時辺りを見渡していた私と、一人の令嬢の視線がまじ合う。
腰まである亜麻色の髪は緩やかにウェーブを描いていて、長い睫毛に縁どられた玉翠色の瞳に少しだけつり上がった目元。
(誰だろう……?)
射抜く視線の鋭さに身体が固まってしまうが、それもほんの数秒で、彼女は人と人の間に紛れてしまった。
一瞬追いかけようかと考えたが、まだ校内のマップがうろ覚えな私が無闇矢鱈に動けばここに戻ってこられなさそうだ。
(それに、他の人の視線の方が気になるわ)
ほとんどが好奇な視線と受け取れるが、よく見ると一部の方達は王族であるマーガレット王女を見て微かに嘲笑している。
あからさまな侮蔑に、向けられた対象では無い私も不快感を禁じ得ない。普通なら不敬罪で捕らえられても文句が言えない状況だ。
奇異で不吉だと厭まれ、親しい人だと思っていた人にも本当は疎まれていた。と悲しく沈んだ面持ちで言っていたマーガレット王女の表情を思い出してしまう。
私は同じ境遇にいた訳では無い。身分も違うし、国も、状況も違う。だが、マーガレット王女の心情に近い感情は烏滸がましいが感じたことがある。
『殿下、私は何もしていません! 私は……貴方が幸せならそれでいい。こんな姑息な真似に、人を傷つける行為は致しません! お願いします……信じて……』
カシャンと手枷が金属特有の嫌な音を立てながら懇願した私に対して、戯言、虚言、と否定した挙句、飛び交う罵詈雑言。穢らわしいと言わんばかりの視線。
両親、陛下、そしてギルバート殿下に手のひらを返されたあの日々は、胸が張り裂けそうなほど哀しく、辛くて、牢屋の中で涙が枯れるまで泣いていた。
(あの頃は辛かった……まあ、途中で弁明する気力もなくなって、何もかもが嫌で最期は早く消えたいと思ったっけ)
薄れてきてはいるが今でも思い出すと胸が締め付けられる。下手したら動悸に加えて呼吸が浅くなる。
そして心のどこかで、アルメリアに来たとしても既定路線に連れ戻されるのではないかと考えてしまう。
未来はその日にならない限りどうなるか誰にも分からないのに。
きつく縛って離さない。逃げようと、目を背けようと、すればするほど深く根を張る過去の記憶が、二度目の人生と自覚した私の行動の一部を搦めとる。
きっと私は断罪された18歳のあの日が来るまで、薄い氷の上を歩き、凍てつく水の中にいつ落ちるか分からないような怖さからは逃れられないのだろう。
(……いっけないわ。こんなこと考えている場合ではないわね)
気づいたら気分が急降下してしまっていた。無理やり頭から捨てて、これからどうしようかと思案する。
彼らの興味を逸らすためにも、言い争いを早く止めたほうがいい。そう思って2人の方に振り返り、おそるおそる声をかけることにした。
「あの……御二方、目立ってます」
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