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5章.さんかく片想い
03.
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「挨拶に行くか。忙しそうなら、改めるってことで」
ライブは凄まじい熱量の余韻を残して幕を閉じた。誘導されるまま観客席から外に出たけれど、どうにも帰り難い。通路には同じように少しでも余韻に浸っていたい人たちが溜まっていた。撤収作業が始まろうとする中、どうしてもその場を離れられずにいる私を見て、創くんが、楽屋に行ってみる? って背中を押してくれた。
「うんっ」
感動を直接伝えたい。一言だけでいいから。顔を見て、素敵なステージをありがとうって言いたい。
ライブの熱に浮かされたまま、会場警備の人にチケットと身分証を見せて、ステージ裏に入れてもらった。
広い会場の迷路のような舞台裏を進む。迷惑にならないように様子を伺いながら静かに歩く。
いくつも控え室が並ぶ中、やっと『Galaxies メンバー様』の文字を見つけて、ドアの前で呼吸を整えた。ノックしようとしたら、少しだけドアが開いていた。
「…すみませーん」
ノックして、断りを入れたけれど返事がない。誰もいないのかもしれない。どうしたものかと思っていると、中から女性の声が聞こえた。
「…すみません、失礼します」
誰かいるらしいので再度ノックしてから、一歩だけ足を踏み入れて奥の様子を伺い、
心の底から後悔した。
「…つぼみっ‼︎」
踵を返して反射的に逃げ出す。脱兎のごとく全力で引き返す。心臓がバクバク鳴って、視覚が切り取った映像が頭の中をぐるぐる回る。
「…すみません‼︎」
前をよく見ていなくて、曲がり角で誰かにぶつかってしまい、慌てて謝った。深く頭を下げてからまた狂ったように走り出す。
早く。早く離れなきゃ。遠く。遠くへ。
「…つーちゃん?」
サクくんの声が聞こえたような気がしたけれど、止まれなかった。
部屋、勝手に入ったらダメだよね。ダメだよ。悪いよ。悪いから、バチが当たったんだよ。
「つぼみ、…っっ‼︎」
会場を出て、ドーム周りに設えられた通路と階段を駆け下り、道路に飛び出したところで、後ろから創くんに抱きとめられた。
「そんな闇雲に走ったら、危な、…」
私を見て、創くんが言葉を切った。よっぽど酷い顔をしているんだろう。空気が吸えなくて息が苦しくて頭がガンガンした。
「つーは逃げ足速いよな」
創くんが私を抱きとめたまま、背中を優しく撫でてくれた。
キス。してた。
ひゅうひゅう乾いた笛のような音が聞こえると思ったら、自分の息の音だった。暗い地面にほとんどわからないように涙が落ちる。
「…スキンシップじゃないか? ライブ後は特別な高揚感があるんだろうし。まあ、…ななせだし」
創くんの声が優しくて、喘ぎながら次々涙が落ちていった。
広い楽屋に設置された全身鏡に、オリビアちゃんがななせの膝に乗ってキスしてるのが映っていた。ステージに立つ選ばれた2人の絵になるショットが頭に焼き付いて離れない。
「…帰ろうか」
醜い私の泣き顔を隠すように肩を抱いて、創くんが空車のタクシーを停めてくれた。頬に冷たさを感じて見上げると、すっかり暗くなった空は黒い雲に覆われ、あんなに快晴だったのに、ポツリポツリと冷たい雨が降り始めていた。
オリビアちゃん、なのかな。
ななせの好きな人。ななせの特別な人。
だからあの曲は、オリビアちゃんじゃなくて、ななせが歌ったのかな。
『ナナは気が付くと女の子と消えてて。典型的な来るもの拒まず、去る者追わず。それでいつもリヴィがキーキー怒ってる』
『リヴィがナナのこと好きすぎて』
『ナナの音楽がね!』
オリビアちゃんは、ななせの音楽を最高の形で届けられるパートナー。天性の歌声を持っていて、ななせに必要とされる人。
心を突き刺す高音。溢れ出す躍動感。エネルギッシュなパフォーマンス。キュートな見た目。選ばれた存在。
本当は、泣く権利もショックを受ける権利もないって分かってる。
ななせのために出来るのは、喜ぶこと。応援することだって。
だけど。胸が軋んで、押し潰されて、どうしようもなく苦しい。
「あ、…」
タクシーに乗り込んだ創くんが何かに気づいたように窓の外に目を向けた。つられて振り返ったけれど、動き出したタクシーの向こう曇った窓からは何も見つけられなかった。
「やっぱりあれ、…お前なんじゃないか」
創くんが何かつぶやいて、私の頭をまた撫でてくれた。
タクシーが創くんのマンションに着いた時には、雨は本降りになっていた。
「走れっ」
創くんが上着の中に私を入れてくれて、道路からエントランスまで走る。
「ココアが恋しい季節になってきたよな」
創くんが雨に濡れて光る前髪の奥で優しく目を細めた。
湿った雨の匂いと一緒に創くんの部屋の前まで上がると、
「叶音、…?」
「…ごめんなさい。逃げて来ちゃった」
薄いワンピース姿で頭からびしょ濡れになった叶音ちゃんが、細い肩を抱きながら涙で濡れた顔を泣き笑いに歪ませて、創くんを待っていた。
ライブは凄まじい熱量の余韻を残して幕を閉じた。誘導されるまま観客席から外に出たけれど、どうにも帰り難い。通路には同じように少しでも余韻に浸っていたい人たちが溜まっていた。撤収作業が始まろうとする中、どうしてもその場を離れられずにいる私を見て、創くんが、楽屋に行ってみる? って背中を押してくれた。
「うんっ」
感動を直接伝えたい。一言だけでいいから。顔を見て、素敵なステージをありがとうって言いたい。
ライブの熱に浮かされたまま、会場警備の人にチケットと身分証を見せて、ステージ裏に入れてもらった。
広い会場の迷路のような舞台裏を進む。迷惑にならないように様子を伺いながら静かに歩く。
いくつも控え室が並ぶ中、やっと『Galaxies メンバー様』の文字を見つけて、ドアの前で呼吸を整えた。ノックしようとしたら、少しだけドアが開いていた。
「…すみませーん」
ノックして、断りを入れたけれど返事がない。誰もいないのかもしれない。どうしたものかと思っていると、中から女性の声が聞こえた。
「…すみません、失礼します」
誰かいるらしいので再度ノックしてから、一歩だけ足を踏み入れて奥の様子を伺い、
心の底から後悔した。
「…つぼみっ‼︎」
踵を返して反射的に逃げ出す。脱兎のごとく全力で引き返す。心臓がバクバク鳴って、視覚が切り取った映像が頭の中をぐるぐる回る。
「…すみません‼︎」
前をよく見ていなくて、曲がり角で誰かにぶつかってしまい、慌てて謝った。深く頭を下げてからまた狂ったように走り出す。
早く。早く離れなきゃ。遠く。遠くへ。
「…つーちゃん?」
サクくんの声が聞こえたような気がしたけれど、止まれなかった。
部屋、勝手に入ったらダメだよね。ダメだよ。悪いよ。悪いから、バチが当たったんだよ。
「つぼみ、…っっ‼︎」
会場を出て、ドーム周りに設えられた通路と階段を駆け下り、道路に飛び出したところで、後ろから創くんに抱きとめられた。
「そんな闇雲に走ったら、危な、…」
私を見て、創くんが言葉を切った。よっぽど酷い顔をしているんだろう。空気が吸えなくて息が苦しくて頭がガンガンした。
「つーは逃げ足速いよな」
創くんが私を抱きとめたまま、背中を優しく撫でてくれた。
キス。してた。
ひゅうひゅう乾いた笛のような音が聞こえると思ったら、自分の息の音だった。暗い地面にほとんどわからないように涙が落ちる。
「…スキンシップじゃないか? ライブ後は特別な高揚感があるんだろうし。まあ、…ななせだし」
創くんの声が優しくて、喘ぎながら次々涙が落ちていった。
広い楽屋に設置された全身鏡に、オリビアちゃんがななせの膝に乗ってキスしてるのが映っていた。ステージに立つ選ばれた2人の絵になるショットが頭に焼き付いて離れない。
「…帰ろうか」
醜い私の泣き顔を隠すように肩を抱いて、創くんが空車のタクシーを停めてくれた。頬に冷たさを感じて見上げると、すっかり暗くなった空は黒い雲に覆われ、あんなに快晴だったのに、ポツリポツリと冷たい雨が降り始めていた。
オリビアちゃん、なのかな。
ななせの好きな人。ななせの特別な人。
だからあの曲は、オリビアちゃんじゃなくて、ななせが歌ったのかな。
『ナナは気が付くと女の子と消えてて。典型的な来るもの拒まず、去る者追わず。それでいつもリヴィがキーキー怒ってる』
『リヴィがナナのこと好きすぎて』
『ナナの音楽がね!』
オリビアちゃんは、ななせの音楽を最高の形で届けられるパートナー。天性の歌声を持っていて、ななせに必要とされる人。
心を突き刺す高音。溢れ出す躍動感。エネルギッシュなパフォーマンス。キュートな見た目。選ばれた存在。
本当は、泣く権利もショックを受ける権利もないって分かってる。
ななせのために出来るのは、喜ぶこと。応援することだって。
だけど。胸が軋んで、押し潰されて、どうしようもなく苦しい。
「あ、…」
タクシーに乗り込んだ創くんが何かに気づいたように窓の外に目を向けた。つられて振り返ったけれど、動き出したタクシーの向こう曇った窓からは何も見つけられなかった。
「やっぱりあれ、…お前なんじゃないか」
創くんが何かつぶやいて、私の頭をまた撫でてくれた。
タクシーが創くんのマンションに着いた時には、雨は本降りになっていた。
「走れっ」
創くんが上着の中に私を入れてくれて、道路からエントランスまで走る。
「ココアが恋しい季節になってきたよな」
創くんが雨に濡れて光る前髪の奥で優しく目を細めた。
湿った雨の匂いと一緒に創くんの部屋の前まで上がると、
「叶音、…?」
「…ごめんなさい。逃げて来ちゃった」
薄いワンピース姿で頭からびしょ濡れになった叶音ちゃんが、細い肩を抱きながら涙で濡れた顔を泣き笑いに歪ませて、創くんを待っていた。
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