【完結】蒼狼王と鈴雪の花嫁―明治帝都異種婚譚―

remo

文字の大きさ
2 / 21
2.緋の章

01.【契約】処刑台、古への契約が甦る

しおりを挟む
――迎えに来た。あの夜、お前の涙に誓ったとおり。

先の大雪より十余年。乾いた寒風が吹く帝都北大路門で、一人の少女が処刑されようとしていた。

「罪人――久我宮リン、齢十五。北大路歓楽街にある高級妓楼『紅椿楼こうちんろう』 に放火し、花街を全焼させた罪で火刑とする」

ひどく痩せた少女が縄できつく縛られ、臨時に駆り出された下級官吏の前に引き立てられる。公式の刑罰ではなく、暴徒化した群衆をなだめるため異例の私刑である。

「申し開きはあるか」

少女はぼんやりと虚空を眺めたまま、何も言わない。彼女は口がきけないのだ。

「元は伯爵家の妾腹らしいが、気の病で妓楼に送られたとか」
「恐ろしい。火あぶりは当然だよ」

大路門に集まった観衆からひそひそと少女を侮蔑する声が漏れる。
一昼夜燃え盛った花街大火災は、死者や負傷者も多数出し、今なお救出作業が続けられている。

「それでは、刑を執行する」

 役人に引きずられて少女が鉄柱に括りつけられる。
 北門の処刑場からは、煤けた瓦屋根が続く帝都の街並みが見える。しかし、少女の琥珀色の瞳はただ開かれているだけで何も映しておらず、痣と埃にまみれた顔には何の表情も浮かばない。焼けて擦り切れた着物はボロボロで、あちこちにこびりついた血の跡がある。

 役人がたいまつを手に進み出てきて、鉄柱下に設らえられた木々や藁の山に火が放たれた。薄い煙を上げ、パチパチと音を立てながら火が燃え広がっていく。
 炎に少女の薄汚れた顔が照らし出された。その唇がかすかに動く。

「ゆ、……き……」

声にはならない。ほんのわずか漏れ出した音が、雪のように淡く儚く、虚空に溶けて消えた。

その刹那、少女の左耳が熱を帯び、微かに蒼光を放つ。あの夜の誓いが時を越え、今、結ばれたのだ。

「リン。お前の声を受け取った」

曇った世界を照らす一筋の光のように、白き人狼が舞い降りる。
彼の周囲には雪の結晶が煌めき、燃え盛る炎が勢いを失くしていく。人狼は鋭い爪と牙で瞬く間に少女の縛めを断ち切り、一蹴りで高く跳び立つと、少女を抱えたまま大門に降り立った。

「契約は成立した。俺の花嫁に触れるな。手にかけることなど許さない」

それは、汚れた世界に降る一片の雪のように、美しく、慈しみ深く見えた。
白き人狼を守るように仲間の灰色人狼が次々と降りてくる。

「ハイイロだ……」「ハイイロが出たぞっ」

大衆も役人たちも恐怖にすくみ上がり、凍り付いたように動けない。
その時、大路門に駆けつけた黒塗りの四輪馬車から転がるように青年が降りてきた。家令の手を借りながら民衆の前に進み出て、声高に叫ぶ。

「待て。リンは俺の異母妹だ。彼女は放火などしていない」

青年は負傷しているようで、全身に包帯を巻き、片目しか開いていない。

「あれは、ハルキ様では」「久我宮伯爵家のご嫡男」
「とてもご優秀で将来は貴族院議員になられるとか」

観衆がざわめく。

「久我宮家は火災補償の大金を拠出しております」

ハルキを支える家令も雄々しい声を上げた。
武器貿易事業を担う久我宮伯爵家は、帝都の財界を牛耳る洋銃製造の株主だが、実質的な事業主は長男ハルキであるらしい。

久我宮ハルキは冷静沈着。若くして政府中枢との親交も厚く、裏社会との取引にも動じない。女性に人気の憂いを帯びた細面で、三つ揃えスーツに山高帽、革手袋がよく似合う。彼は帝都中から熱視線を浴びている。

「ハルキ様、しかしハイイロが……」

今を時めく久我宮ハルキの登場に役人は慌てた様子で弁解を試みる。
ハルキは懐から拳銃を取り出すと、リンを抱いている白き人狼に向けて有無を言わさず発砲した。新式銃の試射を兼ね、常時携帯しているのだろう。人狼は軽々しく避けたが、あちらこちらから悲鳴が上がり、ハイイロたちが攻撃の色を見せる。

「リン、待っていろ。今助ける……」
「よせ」

ハルキが再び銃を構える間もなく、白き人狼がひらりと降り立ち、ハルキの手から拳銃を弾き飛ばした。

「うわああっ」

間近に迫った人狼に大衆は慌てふためいて後退する。

「リンを返せ」

人狼に圧倒され尻もちをつきながら、それでもハルキが言い募る。

「それは出来ない。この娘は俺のつがいとなった。契約を違えると帝都は氷に閉ざされる」

その声と共に、処刑台の炎が一瞬で消え、白い霜が広場を覆った。見物人が悲鳴を上げて後ずさり、兵士は銃を構える手を震わせる。

「な…にを……」

白き人狼の宣誓が空を覆う雲のごとく帝都中に響き渡る。

「一つ、番花嫁は白狼王の噛み痕を以て守護権とする
 二つ、守護権を離れ、或いは花嫁に外敵の傷が刻まれし時 氷霜は帝都へと降りゆかん。
 三つ、花嫁の声が雪を呼び、王の血が火を鎮むる時 氷霜は散り、新たな蒼核が結晶せん」

彼の声と共に氷の粒が沸き上がり、パラパラ弾けながら火に降り注ぐ。雪の花が華麗に散っていくようだ。

「化け物め……」「いや神か……」

崇高な光景に民衆の恐怖と畏怖が入り混じる。中には祈りを捧げる者もいた。

「どういうことだっ」

人狼の脅威に顔をゆがめながら、ハルキが喚く。

「リンは俺の守護を得た。危害を加えられることはない。ただし、俺から離れ、危険に晒されるとこの都は凍り付く。ゆえに都人よ、これを刻め――」

「なんで……」

ひれ伏す民の中で、ハルキの顔が悲痛に翳《かげ》る。
なぜ、最愛の妹が人狼に連れ去られねばならないのだ。ハルキの居ぬ間に久我宮家から姿を消したリンが妓楼にいることを突き止め、やっとこの手に取り戻せそうなところだったのに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。

汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。 元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。 与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。 本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。 人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。 そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。 「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」 戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。 誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。 やわらかな人肌と、眠れない心。 静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。 [こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活

しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。 新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。 二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。 ところが。 ◆市場に行けばついてくる ◆荷物は全部持ちたがる ◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる ◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる ……どう見ても、干渉しまくり。 「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」 「……君のことを、放っておけない」 距離はゆっくり縮まり、 優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。 そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。 “冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え―― 「二度と妻を侮辱するな」 守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、 いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。

女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る

小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」 政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。 9年前の約束を叶えるために……。 豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。 「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。 本作は小説家になろうにも投稿しています。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

婚約破棄された夜、最強魔導師に「番」だと告げられました

有賀冬馬
恋愛
学院の祝宴で告げられた、無慈悲な婚約破棄。 魔力が弱い私には、価値がないという現実。 泣きながら逃げた先で、私は古代の遺跡に迷い込む。 そこで目覚めた彼は、私を見て言った。 「やっと見つけた。私の番よ」 彼の前でだけ、私の魔力は輝く。 奪われた尊厳、歪められた運命。 すべてを取り戻した先にあるのは……

突然の契約結婚は……楽、でした。

しゃーりん
恋愛
幼い頃は病弱で、今は元気だと言うのに過保護な両親のせいで婚約者がいないまま18歳になり学園を卒業したサラーナは、両親から突然嫁ぐように言われた。 両親からは名前だけの妻だから心配ないと言われ、サラーナを嫌っていた弟からは穴埋めの金のための結婚だと笑われた。訳も分からず訪れた嫁ぎ先で、この結婚が契約結婚であることを知る。 夫となるゲオルドには恋人がいたからだ。 そして契約内容を知り、『いいんじゃない?』と思うお話です。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

処理中です...