【完結】蒼狼王と鈴雪の花嫁―明治帝都異種婚譚―

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4.氷の章

01.【氷山】氷の口、試練は開く

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北の外れにそびえる氷山へは、人狼の足を以てしても丸一日かかる。分厚い氷に覆われ、息も凍るその大地は、人狼社会から外れた罪狼たちの吹き溜まりである。

灰色の空の下、裂けた氷壁の奥からは、低く獣じみた咆哮がときおり響く。声紋を剥奪された罪狼たちのうめき――それは人狼の叡智と誇りを失い、ただの飢えた獣に成り下がった者たちが発する威嚇だ。

寒そうに身を震わせる小さな人間を懐に抱きしめたユキは、不安でならない。

リンは極寒の地に耐えうる毛皮さえない。傷つきやすい薄い肌でこの地に立ち降りるだけでも困難だと言うのに――。

この手を放さねばならないなんて。

「群れの王妃にふさわしい者を選ぶならば、王の庇護を与えるべきではありますまい。番候補の雌人狼たちもまた、彼女たちだけで残していきます故」

元老院の頑なな決議を翻せなかった己に、怒りを覚える。

だがその懐の中で、リンは青ざめた唇の奥に、確かな決意を宿していた。

――ユキが私を選んでくれたのだから、それに応えたい。ユキにはたくさんのものを与えてもらった。私に返せるものがあるとしたら……

群れの王たるユキの相手として認めてもらうことではないか。

見込みは全くないが、与えられた機会を全うしたい。

リンは揺れる蒼眼を見上げて、小さく微笑んだ。

ユキ、私は大丈夫。――ユキが選んでくれたから。

ユキは堪らない気持ちで、リンの凍える唇を優しく食んだ。リンは覚えていないようだが、二人が初めて会った時も、大雪の中リンは凍てついていた。【雪雫】かと見まがうような美しい涙を湛えた人間の少女。ユキの心を動かしたただ一人の女性。

この身に宿る【雪雫】がリンを守ってくれるよう。
差し入れた舌先を健気に応える小さな甘い舌に絡ませる。

「参りましょう、ボス」

元老院に促されて、ユキは渋々リンを地面に降ろした。

「ご案じ召されなくとも、花嫁には王の噛み痕がはっきりと示されています。その身が傷つくことはありません」

リチャードがおもねるように言うが、この氷山では王の噛み痕さえ効果が定かでないことは人狼たちの誰もが知っていた。

契約により、リンはユキの守護を得ている。
だが、――守護権を離れ、或いは花嫁に外敵の傷が刻まれし時 氷霜は帝都へと降りゆかん――つまり、ユキが神楽宮殿に戻れば、リンは守護権を離れることになる。罪狼たちは人狼社会の戒めを外れているから、王の噛み痕があってもリンを襲う可能性がある。

リンには、万物を癒し回復を促す【雪雫】を可能な限り与えているから、万が一その身が傷ついても自ずと回復するだろうが……

「リン。いつでも、俺を呼べ」

リンを覗き込む揺れる瞳に、リンはそっと唇を寄せた。

――うん。ありがとう。

ちゅっとその小さな唇が触れると、ユキは全てを捨ててリンと共に逃げたい衝動に駆られる。帝都に暮らす人間も、神楽宮殿の人狼も、どうなろうと知ったことか。ただ、リンと二人きり、静かに平穏に暮らしていけるなら……

離れがたいように何度も振り返るユキの姿が見えなくなるまで、リンは微笑んで見送った。

何もかもを包み込むようなユキの大きな愛情に、きっと応えたい……

ユキと侍従たちが氷のもやの向こうに見えなくなると、共に試練に挑むためこの氷山にやってきた雌人狼のカルナ、ナツナ、ミイナの三人はさっさと走り去り、その場にリンだけを置き去りにした。

生まれた時から王の寵愛を受けるべく育てられた彼女たちにとって、急に湧いて出た人間の存在など、許せるはずがない。出来るなら、この牙でずたずたに嚙み砕いてやりたいところだ。

一人ぼっちで取り残されたリンは、見上げる限り高くそびえる氷壁の下に身を寄せた。氷の大地はすぐに日が沈み、辺りは暗闇に包まれた。足元の氷がピキピキと不穏な音を立て、獣の咆哮が氷の壁に反響する。その唸りは、リンを中心に徐々に近づいていた。
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