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5.音の章
01.【神鈴】祈りの時、神鈴は目覚める
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――お前は、何者だ。
氷が、ごく浅く鳴った。いや、氷ではない。
胸骨の奥に無機質な言葉が落ちてくる。氷が砕けるように。
知らず、祈り続けていたリンははっと顔を上げた。
罪狼たちの打音と唸りは止み、彼らは静かに座っている。中で一人だけ、前に進み出てリンに真っすぐ視線を向ける大柄な黒狼がいた。
コツ、コツ――前肢で氷を二度打つ。声紋をはく奪された罪狼は「打ち鳴らし」と呼ばれる打音で合図を送る。
――我が名はヴィル。そう、かつてその名で呼ばれていた。お前の歌で、そのことを思い出した。……お前の声は、我らの黒を浄化する。
ヴィルは打音と唸りしか発しない。だがその思念が、言葉となってリンの中に落ちてくる。なぜ理解できるのかは分からない。王の噛み痕のせいか、あるいはユキが注いでくれた【雪雫】の名残か。
――私はリン。ユキに救ってもらった人間です。彼にふさわしい証を得るため、この地にきました。
リンの声も、まだ声にならない。不確かな囁きに過ぎないけれど、ヴィルは頷き、それを受け取ったようだ。
――確かに。お前の耳には王の噛み痕がある。お前は王が選んだ番なのだな。
ヴィルはまた前肢で氷を打ち鳴らす。すると、罪狼たちが呼応して、輪の外縁からコツ、コツと二度の打音が巡った。
――だがそれだけではあるまい。お前の声には【神鈴】の響きがある。魔を祓い魂を鎮める鈴の音だ。この地に眠る結晶石は、その音と響き合う。
――かみすず、……
シャラン、ランラン……
リンの中で鈴が転がる音がした。脳裏に赤紐の鈴が浮かぶ。
『あなたの声には神さまが宿る。癒しの歌を歌いなさい」
白衣と緋袴姿の若い女性――母だ。彼女がリンの髪に簪を差す。動くたび、簪の鈴がほのかに鳴った。
これは、声奉納の日。記憶の断片が返ってくる。
母は声を司る神社の巫女で、三歳のリンは、その声を神前に捧げたのだ。
――私は結晶石を探しています。歌えば在り処が分かりますか。
――恐らく。先ほどもお前の声に共鳴していた。
ヴィルは空に揺れるオーロラを見上げた。
リンは気づかなかったが、湖底から立ち昇った光が大地を貫き空に溶けて揺れている。
リンは再び目を閉じ、両手を組んだ。癒しの歌を口ずさむ。
先ほどは無意識であったが、それはかつて母が教えてくれた大地を慈しむ歌だった。心に積もる悲しみや憎しみを空に還し、大地の恵みに感謝する。
母さま。
よみがえった記憶の欠片がリンを勇気づける。
リンの声はまだ言葉にならず、小さなハミングだけ。それでも、罪狼たちの黒く凝り固まった恨みと悲しみはゆっくりほどけ、清められていく。いつしか暗黒の瞳に金色が灯る。
リンの足もと――地底から一筋の光が差す。
深い湖の底から蒼い光が立ち昇り、リンの音に合わせて瞬く。リンの声を追い、戯れ、導く。軽快なカノンのように。光は湖から天へ昇り、雲の底でほどけ、薄青のオーロラとなって夜空に舞った。
罪狼たちが爪の先で静かなリズムを刻むと、大地が応え、そびえたつ六角の氷柱がゆっくりと呼吸し、沈み始めた。
目を見張るリンの前に、湖心へ続く薄青の道が現れた。
ヴィルは頭を垂れる。黒狼の輪も追随する。
――王の花嫁。結晶石がそなたを呼んでいる。
リンはゆっくりと湖底へ足を踏み出した。
氷が、ごく浅く鳴った。いや、氷ではない。
胸骨の奥に無機質な言葉が落ちてくる。氷が砕けるように。
知らず、祈り続けていたリンははっと顔を上げた。
罪狼たちの打音と唸りは止み、彼らは静かに座っている。中で一人だけ、前に進み出てリンに真っすぐ視線を向ける大柄な黒狼がいた。
コツ、コツ――前肢で氷を二度打つ。声紋をはく奪された罪狼は「打ち鳴らし」と呼ばれる打音で合図を送る。
――我が名はヴィル。そう、かつてその名で呼ばれていた。お前の歌で、そのことを思い出した。……お前の声は、我らの黒を浄化する。
ヴィルは打音と唸りしか発しない。だがその思念が、言葉となってリンの中に落ちてくる。なぜ理解できるのかは分からない。王の噛み痕のせいか、あるいはユキが注いでくれた【雪雫】の名残か。
――私はリン。ユキに救ってもらった人間です。彼にふさわしい証を得るため、この地にきました。
リンの声も、まだ声にならない。不確かな囁きに過ぎないけれど、ヴィルは頷き、それを受け取ったようだ。
――確かに。お前の耳には王の噛み痕がある。お前は王が選んだ番なのだな。
ヴィルはまた前肢で氷を打ち鳴らす。すると、罪狼たちが呼応して、輪の外縁からコツ、コツと二度の打音が巡った。
――だがそれだけではあるまい。お前の声には【神鈴】の響きがある。魔を祓い魂を鎮める鈴の音だ。この地に眠る結晶石は、その音と響き合う。
――かみすず、……
シャラン、ランラン……
リンの中で鈴が転がる音がした。脳裏に赤紐の鈴が浮かぶ。
『あなたの声には神さまが宿る。癒しの歌を歌いなさい」
白衣と緋袴姿の若い女性――母だ。彼女がリンの髪に簪を差す。動くたび、簪の鈴がほのかに鳴った。
これは、声奉納の日。記憶の断片が返ってくる。
母は声を司る神社の巫女で、三歳のリンは、その声を神前に捧げたのだ。
――私は結晶石を探しています。歌えば在り処が分かりますか。
――恐らく。先ほどもお前の声に共鳴していた。
ヴィルは空に揺れるオーロラを見上げた。
リンは気づかなかったが、湖底から立ち昇った光が大地を貫き空に溶けて揺れている。
リンは再び目を閉じ、両手を組んだ。癒しの歌を口ずさむ。
先ほどは無意識であったが、それはかつて母が教えてくれた大地を慈しむ歌だった。心に積もる悲しみや憎しみを空に還し、大地の恵みに感謝する。
母さま。
よみがえった記憶の欠片がリンを勇気づける。
リンの声はまだ言葉にならず、小さなハミングだけ。それでも、罪狼たちの黒く凝り固まった恨みと悲しみはゆっくりほどけ、清められていく。いつしか暗黒の瞳に金色が灯る。
リンの足もと――地底から一筋の光が差す。
深い湖の底から蒼い光が立ち昇り、リンの音に合わせて瞬く。リンの声を追い、戯れ、導く。軽快なカノンのように。光は湖から天へ昇り、雲の底でほどけ、薄青のオーロラとなって夜空に舞った。
罪狼たちが爪の先で静かなリズムを刻むと、大地が応え、そびえたつ六角の氷柱がゆっくりと呼吸し、沈み始めた。
目を見張るリンの前に、湖心へ続く薄青の道が現れた。
ヴィルは頭を垂れる。黒狼の輪も追随する。
――王の花嫁。結晶石がそなたを呼んでいる。
リンはゆっくりと湖底へ足を踏み出した。
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