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03:皇帝ヘクトール
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高地に広がるイスターツ帝国。
南部にはライヘンベルガー王国との間を隔てる高い山脈があるが、それ以外は目立った山は見えない。北から吹き付ける冷たい風は容赦なく高地を襲い、馬車の中でも気温の低さを感じる事が出来る。
確かに寒いとは聞いていたけど、こんなにとは思わなかったわ。
私は先ほど侍女から渡された毛皮を羽織り小さな身を震わせた。
馬車は国境側の小さな町に入って行く。
戦の被害か、大きな通りに敷かれていた石が砕けて、町中とは思えないほど馬車がガタガタと揺れた。
ほんの少しも走ると途端にお尻が痛くなってくる。すると私が顔を顰めていたのに気づいた侍女が分厚い布を座席にあてがってくれた。
多少はマシになったかしら?
その後も馬車は荒れ果てて閑散とする町をいくつか通り過ぎた。
「酷い有様ね」
内乱に戦争、長くの戦いから町の復興は二の次になっていたのだろう。人々の暮らしはどこも貧しく見えた。
「戦は終わったのですからこれから復興していくのではないでしょうか」
一緒に馬車に乗っていた侍女が楽観的な言葉を吐いた。
平和な時に二年もかけて耕した畑を、たった一ヶ月の戦争で駄目にする。それが数年も続いたのだ。その戦争の被害は一体どれだけ復興の時間を必要とするのだろう。
想像もつかないわね。
どこの町の人々の顔にも疲れが見える。しかしそれよりも……
馬車のすぐ脇を走る護衛隊長に小窓を開けて訪ねた。
「ねえなんだか町の人たちが私たちを睨んでいない?」
「ええ睨んでおりますね」
「どうしてかしら?」
「ひとまず馬車を先に進めますので、後ほど」
「判ったわ」
私がそう言うと心なしか馬車の速度が上がった気がした。
護衛隊長は町からたっぷり離れて馬車を停めた。
「姫様は当時幼かったのでお聞きになっておられなかったのでしょうね」
と前置き、ライヘンベルガー王国が、旧クローデン王国の住人に何をしたのかを聞かされた。
「ええっ!? 山を越えた戦争の避難民を槍で追い返した!?」
それが本当ならば恨まれても当たり前だ。
戦火を逃れてやっとあの高い山を越えたら、隣国の兵士が現れて追い立てられるのだ。いったい何を考えてそんな非道な事をしたと言うのか!
「あなたに言っても意味は無いでしょうけど、言わせて貰うわ。
何を考えていればそんな非道な事ができたの!」
「これは擁護のつもりはありませんが、お聞きください。
避難民の数は日に日に増えて行きました。それをライヘンベルガー王国だけで養う事は困難です。住人を養うには食事はもちろん、住処や衣服も必要なのです」
「でも全員を追い返すなんて!」
「例えば三人が避難してきたとしましょう。
たどり着いた村ではあと一人なら助けられます。一人を助けて、二人は見捨てたとすると、見捨てられた人はどう思いますか?
またその一人は誰が選ぶんですか?」
咄嗟には答えられない質問だった。
「人が人を助けられる数は有限なんです。
そしてあのときはその数が多すぎた。どうせ助けない人には恨まれるのです」
統治者としての教育を少なからず受けていた私には、その判断もまた正しい事だと理解できてしまった。
最終的に助けるべきは他国の難民ではなくて、自国の民なのだ。
「私が子供過ぎたわ。ごめんなさい」
「判って頂いて感謝いたします」
皇帝陛下の妻として歓迎されことなく、ライヘンベルガー王国の者だと睨まれる。
なかなか稀有な体験よねと愚痴が漏れる程度には落ち着けた。
こうなってしまったのは過去の事だ。今さら取り返せることではないから、皇妃になった後には内政に尽力しようと思った。
馬車はついにイスターツ帝国の帝都に入った。
帝都ともなると流石に閑散としている様なことは無く、それなりの活気がある様に見える。それにライヘンベルガー王国の馬車だと知れると、未来の皇妃である私の顔を見ようと人々が嬉しそうに群がってくるのが分かった。
少しは歓迎されているのかしら?
先ほどまでの事はすっかり忘れて、窓を開けて手でも振ってやろうかと思い始めた。
しかし実際に開けようとすると、一緒に乗っていた侍女から「駄目です」と注意されたから断念した。
馬車は堅牢な城に向かって走って行った。
どうやっても超える事が出来なさそうなとても深い堀の前で停車し、大きな跳ね橋が降りてくるのを待つ。跳ね橋が降りると馬車がゆっくりと走り始めて、今度は正面の大きな扉がゴゴゴと音を立てながら左右に開き始めた。
「凄いわね」
ただただ圧倒されて見たままの感想が漏れた。
大きな門を抜けてすぐ、馬車は沢山の人が待っている前で停まった。
ドアの前にはひと際大きな体の鋭い目の男が立っている。その髪は獅子の様に鮮やかな金色で見る者を魅了する。
あれが皇帝陛下かしら?
まずドアを開けて侍女が降りていく。先に降りた彼女は貴賓ある服ではなく身なりが平素なので勘違いされることは無い。
彼は少々ガッカリした顔を見せた。しかしすぐにそわそわと馬車の方に視線を送っているではないか。その姿は待ちわびていたぞと言う好意的な物に見える。
もしかして歓迎されているのかしら?
そう思うと少々焦らすのも面白そうかなと悪戯心も芽生えてくる。私はほんのちょっぴりだけの時間を待ってから馬車を降りた。
この日の為にあつらえた新しいドレス。
自分でも良く似合っていると思うがどうだろうか?
馬車を降りてスカートの両端を持ち上げて優雅に会釈する。
「初めまして皇帝陛下のヘクトール様でいらっしゃいますか?」
「ああそうだ」
やっぱり皇帝陛下だったわ。
山猿だと聞いていたからまったく期待していなかったが、ヘクトールの見栄えは想像以上に良かった。まぁ初恋である細身のダニエルとは比べるべくもないが……
これなら我慢できそうね。
私が挨拶を終えて返事が貰った後も、ヘクトールの視線は落ち着きなく私の上を彷徨っている。
馬車の中を見ているようだけど何かあったかしら?
何もないと知っているのだが私も気になって振り返った。
「おい待たせるなよ。俺はそれほど気が長くは無いのだ。さあさあ、お前の姉に早く出てくるようにと言ってくれないか?」
「姉? それはアニータお姉様の事でしょうか」
もしかして行き違いでレティーツィアが嫁ぐと伝わっていないのかしらと首を傾げた。
「アニータだと。いや違う姫の名前はレティーツィアだと聞いている」
「あら良かった。レティーツィアでしたら私ですわ」
「お前がレティーツィアだと? ハッまだ子供ではないか」
「むっ失礼な! 私は十六歳です。立派な成人ですわ!」
「十六歳だと!? やはり子供ではないか!
おい誰ぞ、あの肖像画を持って来い」
すぐに後ろに控えていた者が木の枠に入った絵を持って走り寄って来た。
こちらですと差し出された絵は、
「あっお母様……」
たった一枚っきりの肖像画とは違ったが、私がそれを見間違える訳がない。
「これは母親だと!? おいライヘンベルガー王国の国王は俺を謀ったのか!!」
「い、いえそんなつもりは無いと……」
思いますと続けたかったが、ヘクトールにギロリと睨まれて私はそれ以上の言葉が出せなかった。
次の瞬間、ヘクトールはその絵を振り上げると力任せに地面に叩きつけた。
バキッと肖像画の木枠が壊れる音が聞こえる。
「ああっ、お母様!!」
私は走り込んでその投げ捨てられた絵を拾った。
「チッ! ほれ見よ。まだ乳離れもしていないガキではないか!」
ヘクトールは肩を怒らせて大股で去っていく。それを慌てて追いかけるイスターツ帝国の者、やや遅れてライヘンベルガー王国の使者たちも走って行った。
どうやら恐ろしい剣幕ゆえに誰も声を掛けられなかったらしい。
しゃがみ込んでお母様の肖像画を胸に抱いていると肩にポンと手が乗った。
「レティ大丈夫?」
「……大丈夫なように見える?」
だったら一度お医者様に掛かった方がいい。
「悪かったよ。しかしここでこうしていてもダメだ。行かないと」
私はダニエルに支えられながら立ち上がると、肩を落として城に向かって歩いた。
南部にはライヘンベルガー王国との間を隔てる高い山脈があるが、それ以外は目立った山は見えない。北から吹き付ける冷たい風は容赦なく高地を襲い、馬車の中でも気温の低さを感じる事が出来る。
確かに寒いとは聞いていたけど、こんなにとは思わなかったわ。
私は先ほど侍女から渡された毛皮を羽織り小さな身を震わせた。
馬車は国境側の小さな町に入って行く。
戦の被害か、大きな通りに敷かれていた石が砕けて、町中とは思えないほど馬車がガタガタと揺れた。
ほんの少しも走ると途端にお尻が痛くなってくる。すると私が顔を顰めていたのに気づいた侍女が分厚い布を座席にあてがってくれた。
多少はマシになったかしら?
その後も馬車は荒れ果てて閑散とする町をいくつか通り過ぎた。
「酷い有様ね」
内乱に戦争、長くの戦いから町の復興は二の次になっていたのだろう。人々の暮らしはどこも貧しく見えた。
「戦は終わったのですからこれから復興していくのではないでしょうか」
一緒に馬車に乗っていた侍女が楽観的な言葉を吐いた。
平和な時に二年もかけて耕した畑を、たった一ヶ月の戦争で駄目にする。それが数年も続いたのだ。その戦争の被害は一体どれだけ復興の時間を必要とするのだろう。
想像もつかないわね。
どこの町の人々の顔にも疲れが見える。しかしそれよりも……
馬車のすぐ脇を走る護衛隊長に小窓を開けて訪ねた。
「ねえなんだか町の人たちが私たちを睨んでいない?」
「ええ睨んでおりますね」
「どうしてかしら?」
「ひとまず馬車を先に進めますので、後ほど」
「判ったわ」
私がそう言うと心なしか馬車の速度が上がった気がした。
護衛隊長は町からたっぷり離れて馬車を停めた。
「姫様は当時幼かったのでお聞きになっておられなかったのでしょうね」
と前置き、ライヘンベルガー王国が、旧クローデン王国の住人に何をしたのかを聞かされた。
「ええっ!? 山を越えた戦争の避難民を槍で追い返した!?」
それが本当ならば恨まれても当たり前だ。
戦火を逃れてやっとあの高い山を越えたら、隣国の兵士が現れて追い立てられるのだ。いったい何を考えてそんな非道な事をしたと言うのか!
「あなたに言っても意味は無いでしょうけど、言わせて貰うわ。
何を考えていればそんな非道な事ができたの!」
「これは擁護のつもりはありませんが、お聞きください。
避難民の数は日に日に増えて行きました。それをライヘンベルガー王国だけで養う事は困難です。住人を養うには食事はもちろん、住処や衣服も必要なのです」
「でも全員を追い返すなんて!」
「例えば三人が避難してきたとしましょう。
たどり着いた村ではあと一人なら助けられます。一人を助けて、二人は見捨てたとすると、見捨てられた人はどう思いますか?
またその一人は誰が選ぶんですか?」
咄嗟には答えられない質問だった。
「人が人を助けられる数は有限なんです。
そしてあのときはその数が多すぎた。どうせ助けない人には恨まれるのです」
統治者としての教育を少なからず受けていた私には、その判断もまた正しい事だと理解できてしまった。
最終的に助けるべきは他国の難民ではなくて、自国の民なのだ。
「私が子供過ぎたわ。ごめんなさい」
「判って頂いて感謝いたします」
皇帝陛下の妻として歓迎されことなく、ライヘンベルガー王国の者だと睨まれる。
なかなか稀有な体験よねと愚痴が漏れる程度には落ち着けた。
こうなってしまったのは過去の事だ。今さら取り返せることではないから、皇妃になった後には内政に尽力しようと思った。
馬車はついにイスターツ帝国の帝都に入った。
帝都ともなると流石に閑散としている様なことは無く、それなりの活気がある様に見える。それにライヘンベルガー王国の馬車だと知れると、未来の皇妃である私の顔を見ようと人々が嬉しそうに群がってくるのが分かった。
少しは歓迎されているのかしら?
先ほどまでの事はすっかり忘れて、窓を開けて手でも振ってやろうかと思い始めた。
しかし実際に開けようとすると、一緒に乗っていた侍女から「駄目です」と注意されたから断念した。
馬車は堅牢な城に向かって走って行った。
どうやっても超える事が出来なさそうなとても深い堀の前で停車し、大きな跳ね橋が降りてくるのを待つ。跳ね橋が降りると馬車がゆっくりと走り始めて、今度は正面の大きな扉がゴゴゴと音を立てながら左右に開き始めた。
「凄いわね」
ただただ圧倒されて見たままの感想が漏れた。
大きな門を抜けてすぐ、馬車は沢山の人が待っている前で停まった。
ドアの前にはひと際大きな体の鋭い目の男が立っている。その髪は獅子の様に鮮やかな金色で見る者を魅了する。
あれが皇帝陛下かしら?
まずドアを開けて侍女が降りていく。先に降りた彼女は貴賓ある服ではなく身なりが平素なので勘違いされることは無い。
彼は少々ガッカリした顔を見せた。しかしすぐにそわそわと馬車の方に視線を送っているではないか。その姿は待ちわびていたぞと言う好意的な物に見える。
もしかして歓迎されているのかしら?
そう思うと少々焦らすのも面白そうかなと悪戯心も芽生えてくる。私はほんのちょっぴりだけの時間を待ってから馬車を降りた。
この日の為にあつらえた新しいドレス。
自分でも良く似合っていると思うがどうだろうか?
馬車を降りてスカートの両端を持ち上げて優雅に会釈する。
「初めまして皇帝陛下のヘクトール様でいらっしゃいますか?」
「ああそうだ」
やっぱり皇帝陛下だったわ。
山猿だと聞いていたからまったく期待していなかったが、ヘクトールの見栄えは想像以上に良かった。まぁ初恋である細身のダニエルとは比べるべくもないが……
これなら我慢できそうね。
私が挨拶を終えて返事が貰った後も、ヘクトールの視線は落ち着きなく私の上を彷徨っている。
馬車の中を見ているようだけど何かあったかしら?
何もないと知っているのだが私も気になって振り返った。
「おい待たせるなよ。俺はそれほど気が長くは無いのだ。さあさあ、お前の姉に早く出てくるようにと言ってくれないか?」
「姉? それはアニータお姉様の事でしょうか」
もしかして行き違いでレティーツィアが嫁ぐと伝わっていないのかしらと首を傾げた。
「アニータだと。いや違う姫の名前はレティーツィアだと聞いている」
「あら良かった。レティーツィアでしたら私ですわ」
「お前がレティーツィアだと? ハッまだ子供ではないか」
「むっ失礼な! 私は十六歳です。立派な成人ですわ!」
「十六歳だと!? やはり子供ではないか!
おい誰ぞ、あの肖像画を持って来い」
すぐに後ろに控えていた者が木の枠に入った絵を持って走り寄って来た。
こちらですと差し出された絵は、
「あっお母様……」
たった一枚っきりの肖像画とは違ったが、私がそれを見間違える訳がない。
「これは母親だと!? おいライヘンベルガー王国の国王は俺を謀ったのか!!」
「い、いえそんなつもりは無いと……」
思いますと続けたかったが、ヘクトールにギロリと睨まれて私はそれ以上の言葉が出せなかった。
次の瞬間、ヘクトールはその絵を振り上げると力任せに地面に叩きつけた。
バキッと肖像画の木枠が壊れる音が聞こえる。
「ああっ、お母様!!」
私は走り込んでその投げ捨てられた絵を拾った。
「チッ! ほれ見よ。まだ乳離れもしていないガキではないか!」
ヘクトールは肩を怒らせて大股で去っていく。それを慌てて追いかけるイスターツ帝国の者、やや遅れてライヘンベルガー王国の使者たちも走って行った。
どうやら恐ろしい剣幕ゆえに誰も声を掛けられなかったらしい。
しゃがみ込んでお母様の肖像画を胸に抱いていると肩にポンと手が乗った。
「レティ大丈夫?」
「……大丈夫なように見える?」
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