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第二章 依頼者、休日のゴルフ接待へ連れて行く。
06. 手料理に愛情を注げる男性に、悪い人はいないはずです。
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「う、うぅ… もう、終わりだ… 左遷、決定だ…」
ゴルフステーションのある施設から逃走したあと。池上は、静かに嗚咽を上げていた。
妻役となるレンタル彼女を連れて、すぐに引き返して解散するつもりでいたけど、現実は思うようにいかなかった。バンブーの助けによって最悪の事態を逃れたとはいえ、本部長に不信感を与えたままである事には変わりがないからだ。
バンブーが、池上の顔を覗き見た。
「まだサセン、決まったワケじゃないデスよ。元気だしテ?」
「あの… さっきリサさんと、『知り合い』って聞きましたけど、あなたは一体?」
と、池上が生気の抜けたような目を向ける。元気づけるためなのか、バンブーは陽気だ。
「ワタシ、近くでバイトしてるネ。オレガノのしゃちょーさんと、トモダチだから」
「あっ… そうだったんですか!?」
池上もこれには納得したようだ。通りでリサがどんな女性なのかも知っているはずだ、と。
――――――――――
こうして彼らが向かった先は、合同会社オレガノの事務所前。
バンブーはここで表向きバイトの時間が迫っているといい、事務所に入る前に池上達と別れた。レンタル彼女を利用した者が現地解散せず、事務所へ直接彼女を連れてくるのは非常に稀なことだ。
「池上さん! おかえりなさいませ。どうされました?」
出入口のドアにかけられた、レトロな木製の鈴を鳴らし入ってきた池上達を、ミントが出迎える。クミンはこの時、もうすぐお昼なのと今は別室でやることがないため、珍しく窓口に顔を出していた。
「リサさんもおかえり」
「どうもー …はぁ。なんで我慢できなかったんだろう、私」
と、リサはあれからかなり落ち込んでいる様子。クミンに挨拶を返すと、リサはとぼとぼとバックヤードへ入っていったのであった。
今のリサのセリフからして、これはただ事ではないとより確信を抱いたミント達の目の前には、どこか遠い視線で俯いている池上の姿があった。
………。
「パワハラ、ですか」
あれから少しだけ気持ちが落ち着いた池上から、事の顛末を全て聞かされた。
既婚者である事は見抜けたけど、レンタルの動機までは流石に外れたか。だけど、不謹慎にも彼女を不倫離婚の口実に使われるよりはマシだと思ってしまったのも、また事実。
まだレンタル利用終了までに時間はある。その間に、ミントは池上と向かい合って話を聞くことにした。
「今回のような接待が行われるようになったのは、いつから?」
「本部長が配属になったのは、今年度からでして。それから毎週です。昨年度までは平和だったのに、あの人が来てから、一気に部署内が暗くなって… でも、誰も逆らえないんです。配属されてから、確かに本部長の名に恥じない、営業成績を誰よりも収めていますから」
「ふむ。たとえば同じ部署内だと、部下たちをそういう高圧的な態度で委縮させ、やる気を削ぎ、その間に自分だけが功績を独り占めしようと目論む人間がいます。もしかしたら、その人は元々そういうタイプの人間だったのではないですか?」
「わからないんです。きっと営業ノルマに追われるストレスで、僕たちに強く当たっているだけかもしれないので… あの人も、一応、愛する妻子がいると聞きましたから」
その言葉を耳にした瞬間、ミントは内心「だからか」と納得した。
恐らくあの上司は仕事だけでなく、プライベートでもそうやって高圧的、かつリサにやったように女性を見下しているから、妻たち家族に愛想を尽かれたのだろう。毎週、部下達をゴルフに誘っているのは、家に自分の居場所がないから。ミントはそう解釈した。
だが、そこは敢えて口にしないでおいた。先方の家庭事情なんてどうでもいいからだ。それよりも重大な問題を、ミントは池上に対しこう指摘した。
「そうですか。でも、そんな普段の上司のやり方にあなたは嫌気が差し、せめて接待だけでも行かなくていい理由を探すのに必死だったんですよね? だからこうして、レンタル彼女を利用した。予約時に、演劇部出身の子がいるか態々訊いてきたのも、一か八か賭けて弊社の彼女に一芝居を打たせるため。違いますか?」
そういうと池上が、徐々に上半身を下ろすような姿勢になった。
その様子だと、土下座するのか。池上の声は、この時点で嗚咽交じりに震えていた。
「御社のレンタル彼女を… スタッフを、危険な目に遭わせてしまい、大変申し訳ありませんでした… ズッ 僕がもう少し、自分の力で接待を断れたら、こんな事にならなかったのに…… 怖かったんです… 遠い、僻地に、左遷させられてしまうのが…! うぅぅ」
この人は、度重なる上司からのパワハラを受け、心身共に委縮し、視野が狭くなっている。
だから考えれば他にあるであろう対策が思いつかず、正常な判断を失っていた。
ミントはそんな池上の心情を汲んだ上で、あくまで穏やかに、こう後押しした。
「池上さん。まだ、その謝罪する力が残っているのなら、その労力を弊社にではなく本当に大切な人に向けてあげてください。その大切な人には、そっと体調を気遣ってあげるだけでいいんです。
もうすぐ生まれてくる、お子さんのためにも」
「!?」
池上は泣きそうな驚き顔で、ミントの顔を見上げた。ほぼ土下座の体勢ではあるが、ミントの発言はまさに図星だからだ。
池上は「なぜ、その事を…!?」と震え声で訊いた。
「本日お持ち頂いた、手料理の材料ですよ」
「え」
「丁度自宅にあったもので、お作りになられたんですよね? あの中に含まれているほうれん草とレバーは、鉄分と葉酸。パプリカと小松菜は、カルシウム。そして、大根は食物繊維―― これらは全て、妊娠後期の女性とお腹の中にいる赤ちゃんに必要とされる栄養素です。奥様の提案で普段から補充されているものだとすれば、納得のいく組み合わせです」
「…」
「その場にある食材だけで、あれだけ心のこもった手料理が作れるのですから。そんな池上さんならきっと、ご家族の事を大切にできます。もっと、自分に自信を持ってください」
「う… うぅぅ…! うぅぅぅぅー!」
池上はミントの激励を受けて泣いた。声を上げて泣き続けた。
池上がレンタル彼女を利用しなくてはならないほど、本当の妻をゴルフ接待に連れていけなかった理由は、妻が丁度妊娠中で、無理に出歩かせる事が出来ないからであった。
ミントはそれを悟り、もうすぐ父親となる池上に、激励を送ったのである。
その時、事務所の壁に掛けられている時計が、お昼の十二時を指すチャイムを鳴らした。
(つづく)
ゴルフステーションのある施設から逃走したあと。池上は、静かに嗚咽を上げていた。
妻役となるレンタル彼女を連れて、すぐに引き返して解散するつもりでいたけど、現実は思うようにいかなかった。バンブーの助けによって最悪の事態を逃れたとはいえ、本部長に不信感を与えたままである事には変わりがないからだ。
バンブーが、池上の顔を覗き見た。
「まだサセン、決まったワケじゃないデスよ。元気だしテ?」
「あの… さっきリサさんと、『知り合い』って聞きましたけど、あなたは一体?」
と、池上が生気の抜けたような目を向ける。元気づけるためなのか、バンブーは陽気だ。
「ワタシ、近くでバイトしてるネ。オレガノのしゃちょーさんと、トモダチだから」
「あっ… そうだったんですか!?」
池上もこれには納得したようだ。通りでリサがどんな女性なのかも知っているはずだ、と。
――――――――――
こうして彼らが向かった先は、合同会社オレガノの事務所前。
バンブーはここで表向きバイトの時間が迫っているといい、事務所に入る前に池上達と別れた。レンタル彼女を利用した者が現地解散せず、事務所へ直接彼女を連れてくるのは非常に稀なことだ。
「池上さん! おかえりなさいませ。どうされました?」
出入口のドアにかけられた、レトロな木製の鈴を鳴らし入ってきた池上達を、ミントが出迎える。クミンはこの時、もうすぐお昼なのと今は別室でやることがないため、珍しく窓口に顔を出していた。
「リサさんもおかえり」
「どうもー …はぁ。なんで我慢できなかったんだろう、私」
と、リサはあれからかなり落ち込んでいる様子。クミンに挨拶を返すと、リサはとぼとぼとバックヤードへ入っていったのであった。
今のリサのセリフからして、これはただ事ではないとより確信を抱いたミント達の目の前には、どこか遠い視線で俯いている池上の姿があった。
………。
「パワハラ、ですか」
あれから少しだけ気持ちが落ち着いた池上から、事の顛末を全て聞かされた。
既婚者である事は見抜けたけど、レンタルの動機までは流石に外れたか。だけど、不謹慎にも彼女を不倫離婚の口実に使われるよりはマシだと思ってしまったのも、また事実。
まだレンタル利用終了までに時間はある。その間に、ミントは池上と向かい合って話を聞くことにした。
「今回のような接待が行われるようになったのは、いつから?」
「本部長が配属になったのは、今年度からでして。それから毎週です。昨年度までは平和だったのに、あの人が来てから、一気に部署内が暗くなって… でも、誰も逆らえないんです。配属されてから、確かに本部長の名に恥じない、営業成績を誰よりも収めていますから」
「ふむ。たとえば同じ部署内だと、部下たちをそういう高圧的な態度で委縮させ、やる気を削ぎ、その間に自分だけが功績を独り占めしようと目論む人間がいます。もしかしたら、その人は元々そういうタイプの人間だったのではないですか?」
「わからないんです。きっと営業ノルマに追われるストレスで、僕たちに強く当たっているだけかもしれないので… あの人も、一応、愛する妻子がいると聞きましたから」
その言葉を耳にした瞬間、ミントは内心「だからか」と納得した。
恐らくあの上司は仕事だけでなく、プライベートでもそうやって高圧的、かつリサにやったように女性を見下しているから、妻たち家族に愛想を尽かれたのだろう。毎週、部下達をゴルフに誘っているのは、家に自分の居場所がないから。ミントはそう解釈した。
だが、そこは敢えて口にしないでおいた。先方の家庭事情なんてどうでもいいからだ。それよりも重大な問題を、ミントは池上に対しこう指摘した。
「そうですか。でも、そんな普段の上司のやり方にあなたは嫌気が差し、せめて接待だけでも行かなくていい理由を探すのに必死だったんですよね? だからこうして、レンタル彼女を利用した。予約時に、演劇部出身の子がいるか態々訊いてきたのも、一か八か賭けて弊社の彼女に一芝居を打たせるため。違いますか?」
そういうと池上が、徐々に上半身を下ろすような姿勢になった。
その様子だと、土下座するのか。池上の声は、この時点で嗚咽交じりに震えていた。
「御社のレンタル彼女を… スタッフを、危険な目に遭わせてしまい、大変申し訳ありませんでした… ズッ 僕がもう少し、自分の力で接待を断れたら、こんな事にならなかったのに…… 怖かったんです… 遠い、僻地に、左遷させられてしまうのが…! うぅぅ」
この人は、度重なる上司からのパワハラを受け、心身共に委縮し、視野が狭くなっている。
だから考えれば他にあるであろう対策が思いつかず、正常な判断を失っていた。
ミントはそんな池上の心情を汲んだ上で、あくまで穏やかに、こう後押しした。
「池上さん。まだ、その謝罪する力が残っているのなら、その労力を弊社にではなく本当に大切な人に向けてあげてください。その大切な人には、そっと体調を気遣ってあげるだけでいいんです。
もうすぐ生まれてくる、お子さんのためにも」
「!?」
池上は泣きそうな驚き顔で、ミントの顔を見上げた。ほぼ土下座の体勢ではあるが、ミントの発言はまさに図星だからだ。
池上は「なぜ、その事を…!?」と震え声で訊いた。
「本日お持ち頂いた、手料理の材料ですよ」
「え」
「丁度自宅にあったもので、お作りになられたんですよね? あの中に含まれているほうれん草とレバーは、鉄分と葉酸。パプリカと小松菜は、カルシウム。そして、大根は食物繊維―― これらは全て、妊娠後期の女性とお腹の中にいる赤ちゃんに必要とされる栄養素です。奥様の提案で普段から補充されているものだとすれば、納得のいく組み合わせです」
「…」
「その場にある食材だけで、あれだけ心のこもった手料理が作れるのですから。そんな池上さんならきっと、ご家族の事を大切にできます。もっと、自分に自信を持ってください」
「う… うぅぅ…! うぅぅぅぅー!」
池上はミントの激励を受けて泣いた。声を上げて泣き続けた。
池上がレンタル彼女を利用しなくてはならないほど、本当の妻をゴルフ接待に連れていけなかった理由は、妻が丁度妊娠中で、無理に出歩かせる事が出来ないからであった。
ミントはそれを悟り、もうすぐ父親となる池上に、激励を送ったのである。
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(つづく)
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