露包むランタン

奈月遥

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I have had enough

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 結局パンダが見られたのは一分にも満たない時間だった。三十秒も無かったかもしれない。
 飼育スペースの前を伸びる通路は立ち止まることを禁止されて水のように流れていくしかなかった。しかも赤ちゃんの方は親が体で隠していて、最後通り抜ける瞬間にちらりと体が転がって姿を見せただけだ。
 これじゃ一時間も並んだ甲斐がないなと灯理とうりは思い、らんががっかりしてないかと隣に流し目を送る。
 それでにこにこと口元を綻ばせる嵐を見て灯理はすぐに毒気が抜かれた。
「かわいかったねー」
「あー、そうかもな」
 あんな一瞬じゃ良く分からなくて、灯理はおざなりに返事するしかできない。
 それでも嵐が笑顔でいたら並んだ苦労も悪くなかったような気がするから、確かにデートだから長蛇の列に並ぶというのも納得させられる。
 そんな彼の腕に嵐が絡み付いてきた。灯理の手の中にあるデジカメが滑らかな指に狙われる。
「さっき撮った写真、見せて、見せて」
「ほれ」
 灯理はねだられるままにカメラを手渡した。
 灯理はパンダの赤ちゃんが転がるのを察知して身を捻り、持っていたデジカメのシャッターを切ったのだ。
 通路に入る前に添乗員のお姉さんにデジカメを持っている方はご準備くださいと言われて、素直に出していたのである。
 親パンダを三枚くらい撮って子供は狙えないなと諦めていたのに、反射神経だけで撮影したのを見た嵐は小さく拍手したくらいだ。
「え、待って、ものすごくキレイに映ってる。かわいい。え、なに、魔法? あかりさん、これ魔法使ったの?」
「俺は露包つゆつつむじゃねぇよ」
 仔パンダがしっかりとズームしてピントばっちりに映っている写真を見て目を丸く嵐を、灯理は軽口と一緒に小突いて先に進ませる。
 通路から出たとは言っても、まだもたついたら後続の邪魔になる程度にしか離れられていない。
「あかりさん、写真まで上手なんですね?」
「ランタンを出展するのに撮影するし、あとは滅多に見れない光景も写真なら何回も見れるから、いろいろ撮っている内に慣れた」
 雲海に沈む山の裾野、上光かみみつの輝く雨上がり、荒魚すさいおの跳ねる港、移ろう景色もランタンのモチーフやイマジネーションにとても有意義であるから、灯理は記録を残すのに妥協しなかった。
 それと単純に写真映りの良し悪しでランタンの売れ行きが大きく左右されるのもある。
 それでもプロと比べたら粗も見付けられるから、灯理としてはそんなに誇らしく思うものでもない。
 パンダの後は広い園内をのんびりと回ることにしている。
「こいつら、かわいいかわいい言われてるけど、平然と人の指噛み千切るくらい狂暴なんだけどな」
 人だかりの出来ているカワウソのプールを遠目から見て、灯理が物事の表面しか見ない一般人に辟易としていたり。
「なんでお寺がここにあるの?」
 園内にひっそりと建つ五重塔を見て、嵐が首を傾げたり。
「シロクマ、暑そうだな」
「だるそう。自然に返してあげたい」
 動物園というシステムから人間のエゴと動物の幸福を考えたり考えてなかったりして。
 そして灯理は真っ白なフクロウの檻の前で足を止めた。
 デジカメのシャッターを、撮影する角度を何度も変えて切り続ける。
「やっぱ鳥の羽の構造っておもしろいよな。この構造に光を通して拡散できたら、部屋に光を散らばらせられるよな」
「めぅ?」
 羽の構造とか言われても全く理解できない嵐は近くのベンチに腰かけて休むことにした。
 少し離れると、はしゃぐ灯理の動きが把握出来てなかなかに楽しかった。
 三人、六人、十人と灯理が張り付くシロフクロウの檻を人が過ぎ去っていく。中にはじっくりと見ていく人もいたけれど灯理ほど時間をかけて居座る人はいなかった。
 やがて灯理はメモ帳を取り出し鉛筆を走らせる。
 何度もフクロウの羽を見詰め、時には檻の中に落ちた羽に目を向けて、スケッチを増やしていく。
 木製のベンチでお尻が痛くなってきた嵐は立ち上がって灯理の手元を覗いてみた。
 もう灯理はフクロウの羽を写生していなかった。
 彼の指は、羽を纏うように硝子の飾りを身に羽織ったランタンのデザインと、各部品の製作案を書き出していた。
 それは顔もないし、足もないし、動く機構もないのだけれど、嵐の愛鏡まなかがみには確かに生き物として映った。
 それに灯理の指の動きがそれだけで、物凄く愛おしくて、じっと目で追ってしまう。
 長くて、それでいて骨がしっかりとした指は、爪が短く切り揃えられていて。
 その動きを見ていたら嵐はお腹の奥が疼いた。
 やがて灯理は手を止めて、自分が描いた構図を眺める。
「ん。いけるな」
 灯理は満足そうに締めくくり、メモを大切に仕舞う。
「お待たせ、嵐」
「……ううん、待たされてないですよ。お腹いっぱいです」
「え、なんか食ったの、お前?」
 満足そうに顔を赤らめる嵐がいったい何に満足したのか分からなくて、灯理は首を傾げた。
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