露包むランタン

奈月遥

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Some trouble

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 鳴き声を木霊させるアシカにらんははしゃいで手を振る。
 中には鰭を振り返すようにしてくれるアシカもいて、嵐は唐夏からなつの日射しに目を輝かせていた。
「見て見て、あかりさん、かわいいよ!」
 港の一角を占拠して寝そべるアシカの群れを差す指を振って嵐は灯理とうりにアピールした。
 しかし灯理は今朝の機嫌がまだ直っていなくて――というか、情けない自分を見られるのが嫌で、わざと反応しないでいる。
 嵐は覚悟が決まっているのに、灯理は覚悟を見ないフリしていたのが浮き彫りになって、相当にショックだったらしい。
 それでも嵐の身の安全を考えてこうして付いて歩くのだから大切に思っているのは誰も否定しないというのに。
 ちなみにれいは疲れているから今日はフライトの時間までホテルで休むらしい。
 嵐はアシカ達を眺めるのを止めて灯理の横までちょこちょこと歩み寄って来た。
「あかりさん、まだ怒ってる? どしたら許してくれる? おっぱい触る?」
「触らない。そういうとこだぞ、お前」
「めぅぅ。男心は気むずかしい」
 嵐はしょんぼりと顔を俯けてしまうのにも、灯理はバツが悪くて居心地が悪そうに足を揺すった。
 嵐はいさよわしく灯理の袖をちょんと摘まんで、せめて置いていかれないようにしている。
 灯理は溜め息をついて自分の捻くれた弱さを追い出そうとした。
「もういいのか。三時まで時間あるからずっと見ててもいいぞ」
「いい。だって、灯理さん、実はあの子達の匂い、ダメでしょ」
「うっ」
 嵐に隠していた図星をつかれて灯理は呻いた。
 アシカのフンなのか体臭なのか、この辺りには生臭い匂いが立ち込めている。灯理はこの距離が限界で、正直弱い嘔吐感が小波のように込み上げては引いていた。
「灯理さん、スーパーの鮮魚コーナーですら、がんばって息止めてたもんね」
「ばれてたの!?」
 傍からは平然としてると見えるように灯理はかなり努力と精神力を費やしているのだが、よりにもよって嵐に気付かれていただなんてショックが大きかった。確かに最近だと魚介類は嵐が買ってくるから灯理がスーパーに行ってもスルー出来てラッキーだなとは思っていたけれど、嵐が黙って率先していたと知り灯理の保護者としてのプライドに皹が入る。
「灯理さん、都会で育ちがいいから、しょうがないよ」
「う……でも、別に、まだ見ててもいいってのは本当に思ってるから」
「あたしも、大好きな彼氏を早く楽にしてあげたいと本当に思ってます。もうまんぞくしたから、だいじょうぶ」
 嵐に気を遣われるなんて灯理は勝手に情けなく思いながら、軽やかにステップを踏んで港から離れていく彼女の後を追う。
 嵐は時折、道行く人に挨拶をして一言二言交わして微笑んでいる。
 英語の分からない灯理は変な輩が嵐に目を付けないようにと気を張ってしまう光景だ。
 これは灯理が過保護という訳でもない。むしろ日本人にしては、灯理は適切な警戒心を持っている。
 玲に海外へと連れられて、日本がどれだけ平和か、灯理はそれを良く実感した。戦争があるとか、昼間から銃撃事件が繰り広げられているとかは、流石に限られた地域でしか起こらないが、スラムの住民やストリートキッズ、金のない移民やガラの悪い不良など、アメリカに限らず日本以外の国は道徳とか民度の平均が明らかに低いのを肌で感じている。
 実際、今回も何人かスリにガンを飛ばして退散させている。高校までの経験から殺気やら危険な気配をある程度思った通りに出し入れできるスキルも玲が灯理を気兼ねなく海外出張に連れてくる理由の一つだ。
 灯理の感覚で言えば高校の時に潰した不良をまとめていたグループや暴走族なんかよりも海外で見る連中の方がヤバい。特にストリートキッズなんかは、そうしないと生きていけないからと良心の呵責が希薄な分、危険を感じた。
 だから嵐がふらりと良くない路地に顔を向けた時は、灯理が腕を掴んで足を止めるのを防いでいる。
 大通りなら普通に善人しかいないから道を選べばいいだけなんだが、海外経験も不良経験もない嵐にその自己判断は任せられなかった。
「灯理さん、なんで見てないのに分かるの?」
「見るな覗くな。目を合わせるのが一番やっちゃいけないんだよ。分かるのは経験則だ」
 気が毛羽立っている分、灯理も口調が荒くなる。
 余り良くないと本人も思っているが、嵐の童顔や世間知らずそうな雰囲気や肉付きのいい体は厄介な気配を巻き散らしている男や女から常に目を付けられている。
 追跡までしているのがいないのだけ灯理は幸運だと思っていた。
「め」
 そんなふうに歩いている中で嵐が何かを見付けた。
 灯理も同じものに気が付いている。
 駆け足と、泣きながら叫ぶ少女の声だ。
 灯理はなんて言っているのか分からなくて嵐の顔を見た。
「名前呼んで……迷子? 犬、みたい?」
 嵐が少女の声を聞き取って灯理に伝えた。
 犬が逃げたか迷ったかして逸れたのだろうか。
 灯理は逡巡する。英語が分からないからコミュニケーションが取れないし、観光客が相手しても土地勘がないからむしろ足手まといになる可能性が高い。
 しかしアメリカの警官だって犬探しに本気出すようなお人好しは少ないだろうし、一般人だって現在進行形で無視しているのが大半だ。中には煩わしそうに顔を顰めているのも目に入る。
「灯理さん」
 けれど嵐は重たく声を持ち上げた。
 それだけで何て言うのか分かるのが灯理は少しだけ誇らしかった。
「助けてあげたいな」
「んじゃ、行くか」
 呼び掛けの時点で予想していた灯理の返事は早くて、嵐はにっこりと破顔する。
 心が通じ合っていて、それも良い事をするのを肯定して力も貸してくれる。好きな人にそんなふうに接してもらえたら、嬉しいに決まっていた。
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