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第三章:騎士学校・高等部
第38話 戦利品〈異形〉
しおりを挟む呼吸を整えながら異形の亡骸の前にしゃがみ込む。
魔力の熱が皮膚にじんわりと残っていて、指先まで痺れている気がした。けれどゆっくりしている時間はない。少しでも早く、この異形が持っていた戦利品を確保しなければ。
革鎧に手をかける。魔術によって焼け焦げた鎧は、まるで鱗のように硬くなっていた。
表面には乱雑に刻まれた術式のようなものが焼き付けられていた。どうやら簡易的な魔術による強化が施されていたらしい。
けれど、それはすでに機能を失っていた。〈雷槍〉によって焼け焦げた胸部からは、魔術の痕跡がまるで感じられなかった。
「……これは使えないな」
つぎに、異形の頭部に視線を移す。鉄と骨を無理やりつなげたような奇妙な兜だ。まるで獣の顎を模したような意匠。
人間のそれとはあまりにかけ離れた形状に、妙な不安が胸をよぎる。おそるおそる兜を取り外すと、そこにあらわれたのは――やはり、人のソレではなかった。
昆虫の複眼に似た硬質の眼球、割れた甲殻のような顎。その顔には、怒りも恐怖も存在しなかった。ただ、無表情に死を受け入れて崩れていく肉の塊があるだけだった。
「人型だったけど、やっぱり化け物か……」
腰のベルト、腰に吊るしていた革袋、上着の裏地――どこかに、せめて魔術の痕跡を残した武具があればと思い、指先で慎重に素材の感触を探る。
けれど、そのほとんどが粗雑な作りの道具ばかりだった。ねじれた金属の破片、意味のない装飾のついた服、黒ずんだ革袋。どれも魔力を感じさせるような反応はない。
焦りが胸を締めつける。時間がない。もたもたしていたら、ホブゴブリンを従えたゴブリンメイジがやってくるかもしれない。
あの集団と鉢合わせになれば、面倒なことになる。
「……もう少しだ。何か、ひとつでもいい」
僕は最後に、異形の足元に装着された脛当に目を留めた。
装飾もない、黒い鋼の板で構成されたそれは、重装備にしては妙に軽く、底面には複雑な刻印が施されている。
――もしかして。
魔力を感知するように、そっと手をかざす……反応は、微かだけど確かに感じられた。魔力の流れが残滓のように漂っている。
「……これ、遺物かもしれない」
すると、通路の暗闇から低い唸り声のような音が響いた。足音は聞こえない――けれど、何かが迷宮の奥から近づいてくる気配がする。
脛当を急いで外し背嚢に詰め込むと、立ち上がって周囲を見渡した。
低く、息を整えながら〈気配察知〉の術式を走らせた。
けれど迷宮の壁をなぞるような、ざらついた感覚ばかりで、ハッキリとした輪郭はつかめなかった。
まるで霧の中に潜む獣を探るような感覚――こちらが息をひそめている間にも、何かが徐々に近づいてきている。
「見えない……けど、いる」
その不安を振り払うように、僕は目の前に横たわる異形の亡骸に意識を戻す。時間はない。けどほんの僅かな猶予のうちに、何か使える装備を――
そのときだった。
視線の端に、あの異様な形状の前腕が映る。皮膚を引き裂くようにして突き出された禍々しい刃。
生物の一部とは思えない、鋼のように冷たく鋭利な刃が、未だに獲物を探しているかのように鈍く光っていた。
僕は短く息を吐き、すぐさま腰のナイフを抜いた。腐り始めた関節を見極めて、刃を差し込む。異形の肉は硬質で、骨に似た手応えが刃を震わせた。
それでも、グっと力を込めると、肉が裂け、刃が腕ごと切り離される。
慎重にそれを拾い上げると、まるで意志を持っているかのように、刃の根元がわずかにぴくりと蠢いた。
「……気味が悪いけど、この刃は加工できるかもしれない」
指先にわずかに魔力を通してみると、刃がうっすらと共鳴するように微かな熱を返してきた。
生物と金属の境界にあるような、異端の武装。これは持ち帰って、詳しく調べる必要がある。
と――そのとき。
こつ、こつ、と石を踏む音。すぐ近くだ。距離にして十メートルもない。
反射的にゴーストの方へと視線を送る。彼はすでにその気配を察知していて、尾を伏せ、四肢を低く構えていた。
喉の奥から漏れる微かな唸り声が、危機の度合いを物語っている。僕は刃を革袋の〈収納空間〉に押し込んで、すぐに立ち上がった。
ここで戦う選択肢はない。
また異形があらわれたら、逃げ場のないこの区画では真正面からの戦闘を強いられる。そして今の僕には、連戦に耐えきれるだけの魔力も余裕もない。
「行こう、ゴースト。今は生き延びることが先決だ」
相棒は一瞬こちらを見て、静かにうなずくように一歩踏み出した。そのまま静かに、けれど全力で駆け出す。
背後から、何かが這ってくるような水気を含んだ音が聞こえてきていた。それでも振り返らない。
今、必要なのは速さと判断、それだけだった。
〈はじまりの迷宮〉第六層、血と魔力のニオイに満ちた通路を、僕たちは音も立てず、ただひたすらに走り抜けていく。
第六層の通路は静かすぎた。何かが潜んでいる沈黙。罠とも、待ち伏せとも知れぬ、息を潜めた悪意が、ヌメリつくように広がっている。
すぐとなりにゴーストの温もりを感じながら、僕は〈気配察知〉の術式に意識を集中させた。
「……まだ追ってきてはいない。でも、油断はできない」
魔力を走らせ、周囲の動体反応を探る。けれど第六層の空気そのものが濁っているのか、明確な気配は拾いきれない。
代わりに、魔力の揺れや、流れるような微細な震えが、地下に生きる何かの存在を曖昧に示していた。
――まずは上へ。この階層の上にある〈迷宮人〉の拠点。そこまで戻れば、安全とは言えなくとも、死角からの一撃を受ける心配は減る。
通路の先、灯りのない曲がり角の暗がりが口を開けている。嫌な気配は、そちらからは感じられない、今来た道の背後から、微かに気配の尾がついてくる。
僕たちは角を曲がり、長い螺旋階段へと飛び込む。そこは、足音が木霊する急勾配の石段――罠がないと知っていても、足を取られれば致命的だ。
呼吸を整える暇もなく、背後を警戒しながら一段ずつ駆け上がる。緊張で胸が張り裂けそうだった。
昇りきった先に、ようやく薄ぼんやりとした灯りが見えてきた。〈迷宮人〉たちの設営した照明の光――そこが境界だ。人が住まう、迷宮の中の安全地帯だ。
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