悪役令嬢の騎士

コムラサキ

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第四章:騎士学校・陰謀編

第50話 平穏

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 帝都の上層区画に位置する騎士学校の中庭では、早朝の陽光がやわらかく石畳を照らし、木々の葉を濡らした朝露が風に揺れていた。

 僕は静かに息を整え、剣を握り直す。対面には、友人であり、幾度も命を預け合った仲でもあるライアスが立っていた。

 互いに言葉を交わすこともなく、木剣を構えたまま間合いを測る。その沈黙には、言葉以上の緊張が満ちていた。

 風が吹いた瞬間、ライアスが踏み込んで刃が交差する。打ち込みは鋭く、軽やか。僕もそれを受けて流して、素早く身を低くして回避する。

 騎士学校の日常訓練であっても、ふたりの剣は本気だった。命を懸けた戦いを経た今、その動きには研ぎ澄まされたものがある。

剣を交わすたびに、過ぎた戦いの記憶が脳裏をかすめた。燃え上がる森、異形の咆哮、血の臭い――しかし今は、ただ剣の音だけが静かに耳に残る。

「……ずいぶん、腕を上げたんだな」
 稽古のあと、息を整えながらライアスが言った。

「怪人相手に戦った日々の成果かな」
 思わず笑みを浮かべる。

 水筒を傾けながら、校庭の石段に並んで腰を下ろす。遠くでは、魔術の訓練を受ける生徒たちの声や、教官の厳しい指導が聞こえていた。

 騎士学校に戻ってからの日々は、淡々としていた。戦場で傷ついた身体を癒し、帝都で失われた命に黙祷を捧げ、そしてまた剣を取る。

 そして戦術理論を学び、魔術講義にも欠かさず出席するようになった。

 授業のあとは、セリスが教科書を片手に魔術陣の修正案を見せ、イリーナがそれに突っ込みを入れる姿もあった。変わらぬ日常――けれど、すべてが尊く感じられる。

 あれから、師匠でもあるカチャと何度か、報告や情報共有のために顔を合わせた。

 彼女は以前と変わらないように見えたけれど、その目にはかすかな疲労の色が宿っていた。無理もない、と僕は思った。

 実質的に教団は壊滅した。しかし、完全に消えたわけではない。それでも今は、この日常があった。静けさと訓練に満ちた穏やかな時間が。

 僕は空を仰ぐ。高く、青く、果ての見えない空だった。

 ――次に嵐が訪れたとき、自分はまた剣を取り、死地に身を投じるだろう。けれどそれまでは、この静けさの中で自分の力を研ぎ澄ませていく。

 陽光が差し込む帝都の市場。露店が並ぶ石畳の道では、朝早くから商人たちの声が響き渡り、果実や香辛料の匂いが風に混じって漂っていた。

 僕はその喧騒の中、漆黒の毛並みを持つオオカミと共に歩いていた。ゴーストは静かで賢い獣だった。人混みの中でも怯むことなく、忠実に僕の隣を歩いている。

「これで、水薬は三本か……」
 腰の革袋に入れた小瓶の重さを確かめると、露店の並ぶ通りをゆっくりと進んだ。

 行商人が並べた魔道具――浮遊石のランタン、魔術の痕跡を可視化するレンズの方眼鏡に目をとめる。

 消費した魔道具の補充のつもりだったが、目に入る品々のひとつひとつが、次の戦いの可能性を静かに囁いている気がした。

 市場は賑やかで、笑顔にあふれていた。子どもたちが果物を選び、母親たちが品物を手に取りながら値段を確かめる。

 パン職人が焼きたての香ばしい香りを振りまき、歌い手が街角で琥珀のような声を響かせていた。

 けれど――その中に、何か奇妙なモノが潜んでいた。

 ほんの一瞬、冷たい何かが背を撫でるような感覚。誰かの視線。意識を潜めながら、それでもこちらを測るような、探るような気配だ。

「……ゴースト」
 小声で名を呼ぶと、オオカミがわずかに耳を傾けるようにして反応する。

 市場の雑踏のなか、明確な敵意は見当たらない。それでも視線を動かし、人々の間をゆっくりと歩きながら、気配の根を探る。

 赤毛の旅商人がこちらを見たが、目が合うとにこりと笑ってみせた。次の瞬間には、となりの顧客に布を勧めている。

 気のせいか――しかし、再び背中を撫でる冷気。露店の背後、袋詰めの野菜の陰に、一瞬だけ人影のようなものが見えたような気がした。

「なにか……いるな」
 心の内でつぶやく。平穏の裏に、薄く張られた霧のような違和感。

 それは以前、教団の気配を察したときと似ていた。けれど濃度が薄く、対象も曖昧で特定しきれない。

 ゴーストは鼻をひくつかせたあと、ほんのわずかに唸るような息を漏らした。主人の意を汲み、気配の先を探るように歩き出そうとする。

「いや、今日は深入りしない」
 ゴーストの頭を撫でながら言う。

 騎士学校の寮に戻る時間も近い。市場で刃を交えるわけにはいかない。それでも、確かに何かの気配が感じられた。

 笑顔の溢れる帝都の一角に、忍び寄る不穏の影――それは、まだ教団の息吹が、どこかに潜んでいることを示唆しているようでもあった。

 魔道具の補充は終えると、小瓶の中で微かに光る薬液を確かめていく。背後にも注意を向けるけど、もう誰も追ってくる者はいなかった。
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