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第四章:騎士学校・陰謀編
第54話 皇子
しおりを挟む晩餐会の喧騒は、夜が深まるにつれて徐々に静まりつつあった。
それでも、まだ広間のあちこちでは杯が傾けられ、陰謀めいた会話がひそやかに続いていた。僕は人混みの合間を縫うようにして、ルナリアの姿を探した。
さきほどまで貴族たちに囲まれていたが、いつの間にかその輪を抜け出していた。ようやく見つけた彼女は、広間の片隅、ステンドグラスの大窓のそばに静かに立っていた。
夜風が窓の隙間からわずかに入り込み、銀白の髪を柔らかく揺らしている。青紫の瞳は外の夜空を映し、どこか物憂げに月を見つめていた。
僕は少し迷ったが、意を決して近づく。
「……今夜は、いつにもましてお綺麗ですね」
ルナリアはゆっくりと振り向いた。その仕草は、やはりどこか儚げで、けれど芯の強さを秘めている。
「……この場にふさわしい装いをしているだけですよ。私には、まだ似合わないかもしれませんけど」
彼女は淡く微笑んだ。だがその表情は、ほんのわずかに寂しげでもあった。僕は迷いながらも、素直に言葉を口にした。
「……いえ、すごく似合っていますよ。ここにいる誰よりも、綺麗だと思っています」
その言葉に、彼女の瞳が一瞬だけ驚いたように揺れる。すぐに視線を逸らし、恥じらうように小さく笑った。
「……ありがとう、ウル。本音でそんなふうに言われたのは、初めてかもしれません」
僕もどこか気恥ずかしくなって、窓の外に目を向けた。
静かな庭園には、月光が柔らかく降り注ぎ、夜露に濡れた草花が銀色に輝いている。しばらくの沈黙のあと、ルナリアが静かに口を開いた。
「……教団との戦い、お疲れさまでした。あなたの戦いぶりは、噂で聞いています」
「戦うことは誰にもできますよ。それよりも、帝国はあなたの尽力に報いるべきだ」
僕は素直に応じる。
彼女は目を伏せ、柔らかく微笑んだ。
「私たちは、ようやくひとつの脅威を退けたのですね。すべてが終わったわけではありませんけど……それでも、ひとまずは」
「……はい」
ルナリアは、そっと瞳を閉じた。夜風が再び吹き、彼女の髪がさらりと揺れる。
「……平和な時間が、少しでも長く続くといいですね」
その声は、まるで祈りのように優しく、どこか切ない響きを帯びていた。
やがてルナリアは、再び微笑みを浮かべ、僕を見つめた。会場の一角で騒めきが起こったのは、ちょうどルナリアとの会話に微かな安堵を覚えていたその矢先だった。
談笑する人々の声に混じって、まるで空気そのものが張り詰めるような気配が広間を走る。僕は、無意識に眉をひそめていた。
貴族たちが囁きあいながら視線を向けるその先に、悠然と歩みを進める男の姿があった。
帝国皇子〈カ=ディレン・ダリオン〉――皇帝の実子であり、帝国におけるもっとも高貴な血を引く者のひとり。
燦然と輝く金色の髪をなびかせ、その蒼い瞳は冷たく澄んでいる。細身の礼装は隙なく仕立てられ、飾り過ぎた装飾すら似合ってしまう、整った美貌を持つ男だった。
そして何より、彼はルナリアの婚約者でもある。その事実を、今この場にいる誰もが意識していた。
けれど――彼のとなりに並ぶ女性の存在が、さらに場の空気を重たくしていた。
艶めかしく肩を露出した黒紫のドレスを身にまとい、血のように紅い唇が妖しく笑みを浮かべている。
その視線は、あからさまに周囲を見下すものであり、まるでこの場を自分の庭のように振る舞っている。
……随分と場違いな相手を連れてきたものだ。思わず、ため息が漏れる。
どうやら、僕たちが教団との死闘に身を投じていた間、彼は帝都の悪辣な噂話を飾る悪役令嬢の物語に登場する人物を演じていたらしい。
噂など何も知らぬかのように、あるいは興味すらないように、愚かな青年は人々の視線をものともせず歩を進め、こちらへと向かってくる。
ルナリアの瞳が、ほんのわずかに陰るのが分かった。
「ルナリア。僕に会いに来ないなんて、まったく、相変わらず冷たいな」
カ=ディレンは、まるで舞台の主人公でも演じるかのように、芝居がかった笑みを浮かべる。その声は意図的に抑えられているのか、周囲には聞こえない絶妙な距離感で響く。
「この場で、必要以上に言葉を交わすつもりはありません」
ルナリアの声は冷ややかで、澄んだ氷のようだった。
それでも彼はまるで意に介さず、手元のグラスを傾けた。
「相変わらずだな。まあ、君はそうでなくてはつまらない。だが、せっかくだ。彼女の紹介もしておこう」
そう言って、彼はとなりの女性に視線を向ける。女性は勝ち誇るような微笑みを浮かべながら、僕とルナリアを交互に見た。
「今夜の僕の同伴者、リゼルだ。男爵令嬢で、貴族社会にも顔が利く……僕には必要な相手さ」
わざとらしい紹介のあと、カ=ディレンは僕の方に視線を向けた。その瞳の奥に、僅かに敵意にも似た色が宿る。
「君が、〝出来損ない〟との戦いの功労者か。ご苦労だったな。だが、あまり勘違いはしないことだ。英雄気取りが許されるのは、ほんの一瞬だ」
僕は返す言葉を持たなかった。ただ、じっと彼の本当の姿でもある醜い水棲生物を思った。魔術で飾り立てようと、醜い本性までは隠せない。
すると、ルナリアが凛とした声を放つ。
「ウルに礼を言うべきはあなたの方です。彼がいなければ、この帝都はすでに滅んでいたかもしれない。あなたにも、それは分かっているはず」
その言葉に、カ=ディレンはしばし目を細め、やがてふっと冷笑を浮かべた。
「……なるほど。君は本当に、こういう男が好みなのだな」
皮肉を含んだ声を残し、彼はリゼルを連れて踵を返した。
まるで、最初から戯れに来ただけだとでも言うように。彼の背中が遠ざかるにつれて、会場の空気は少しずつ元に戻っていく。だが僕の胸には、拭えない不快感だけが残った。
「……あの程度の男性がルナリアさまの婚約者だなんて、信じられません」
思わず漏れた本音に、彼女は微かに笑みを浮かべる。
「信じがたいのは、私も同じです。ですが――これが、帝国の現実です」
その横顔は、まるで運命を受け入れるかのように静かだった。
そこに滲む微かな痛みを、僕は見逃さなかった。
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