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王都の喧騒から少し離れた、商業地区の一角。
私が買い取った雑居ビルは、お世辞にも豪華とは言えないが、立地と構造は完璧だった。
一階は店舗、二階は応接間と事務室、三階は居住スペース。
窓から差し込む朝日を浴びながら、私は使い慣れた計算機(魔導式ではない、確実な手動式だ)を叩き、昨夜の収支を確認する。
「……よし。ひとまず、向こう三年の生活費と事業資金は確保できているわね」
私は淹れたてのコーヒーを一口すすり、ふと、昨日まで過ごしていた「あの場所」に思いを馳せた。
あの大赤字の、見るも無惨な「王宮」という名の不良債権に。
思い出すのは一年前。王宮の予算編成会議でのことだ。
『カタリア! これを見ろ! 我が愛鳥のために、純金製の鳥籠を新調したいのだ! 予算を回せ!』
会議室に響き渡ったのは、セドリック殿下の父上――現国王陛下の、あまりにも能天気な声だった。
『陛下。その愛鳥とやらは、先週から隣国の商人から買ったという合成魔獣(キメラ)ではありませんか。純金製の籠など用意しても、一晩で食い破られるのがオチですわ』
『な、何を言う! 王族の権威を示すためには必要なのだ!』
『権威で腹が膨れるなら、今すぐ国民に配って差し上げてくださいませ。現在、我が国の国庫にあるのは、権威ではなく「借用書」の束だけです』
私は山のように積まれた書類を指し示した。
国王は顔を真っ赤にして黙り込んだが、今度は財務卿が泣きついてきたものだ。
『カタリア様……助けてください。このままでは来月の近衛騎士団の装備代どころか、炊き出しの薪(まき)すら買えませんぞ……!』
『財務卿。騎士団の装備は、型落ちのものを隣国から安く買い叩くルートを確保しました。それと、王宮内で毎日行われている無意味なティーパーティー。あれを週一回に減らし、余った最高級茶葉を市場で転売すれば、当面の薪代にはなります』
『て、転売!? 王室の備品をですか!?』
『「在庫の適正化」と呼んでくださいませ。あと、セドリック殿下』
当時から私のことを疎ましそうに見ていた殿下に、私は冷ややかな視線を送った。
『殿下が先月、リリア様……でしたか? あの方に贈られたという「月の雫」の首飾り。あれの代金、まだ未払いですわね。宝石商が私の実家に請求書を持ってきましたわよ』
『っ……! それは、彼女がどうしても欲しいと言ったからだ! 未来の王妃になる者に、それなりの装飾品を与えるのは義務だろう!』
『義務を果たす前に、まずは身の丈を知るという権利を行使なさいませ。その首飾りのせいで、兵舎の屋根の修理が三ヶ月遅れました。兵士たちが雨漏りで風邪を引いたら、殿下が代わりに国境の警備に立ってくださるのですか?』
『くっ……! 貴様は、いつもそうだ! 金、金、金! 可愛げのかけらもない!』
可愛げ。
そんな実体のない、一銭の価値もないもののために、この国がどれだけ疲弊してきたことか。
私はあきれ果て、その日のうちに自分の個人資産から数百万ゴルドを国庫に「貸し付け」た。
もちろん、年利十パーセントという、身内にしては厳しい条件を付けて。
結局、私が婚約者として王宮にいた三年間、国が破綻しなかったのは、私の私財投入と徹底したコストカットがあったからに他ならない。
「……今頃、あの財務卿は胃に穴が開いている頃かしら」
現在に戻り、私は冷めたコーヒーを飲み干した。
今日から、あの王宮には「私」という名の防波堤はない。
私が管理していた裏帳簿も、節税対策のスキームも、全て私の手元にある。
彼らが残されたのは、煌びやかな衣装と、空っぽの金庫。そして、リリア様という名の「歩く浪費製造機」だけだ。
「トントン、失礼します。カタリア様」
扉が開き、ハンスが顔を出した。
「一階の片付けが終わりました。……それと、早速ですが、最初のお客様らしき方が下で見えております」
「あら。まだ看板も出していないのに。どんな方?」
「それが……かなり使い古されたエプロンをした、いかにも『困り果てた』という顔の初老の男性です。パン屋の主人のようですな」
「パン屋……。良いわね。主食の改善は経済の基本よ」
私は立ち上がり、鏡の前で身だしなみを整えた。
公爵令嬢としてのドレスではない。
動きやすく、かつ相手に知性を感じさせる、上質な素材の紺色のスーツだ。
「ハンス。応接間に通して。最高級の茶葉ではなく、一番安くて『目が覚めるほど苦い』お茶を用意してちょうだい」
「……苦いお茶、ですか?」
「ええ。厳しい現実を直視してもらうには、それが一番の特効薬だもの」
私は不敵な笑みを浮かべ、階段を下りた。
王宮という名の巨大なゴミ箱を掃除するより、目の前のパン屋を立て直す方が、よっぽどやりがいがありそうだ。
私が買い取った雑居ビルは、お世辞にも豪華とは言えないが、立地と構造は完璧だった。
一階は店舗、二階は応接間と事務室、三階は居住スペース。
窓から差し込む朝日を浴びながら、私は使い慣れた計算機(魔導式ではない、確実な手動式だ)を叩き、昨夜の収支を確認する。
「……よし。ひとまず、向こう三年の生活費と事業資金は確保できているわね」
私は淹れたてのコーヒーを一口すすり、ふと、昨日まで過ごしていた「あの場所」に思いを馳せた。
あの大赤字の、見るも無惨な「王宮」という名の不良債権に。
思い出すのは一年前。王宮の予算編成会議でのことだ。
『カタリア! これを見ろ! 我が愛鳥のために、純金製の鳥籠を新調したいのだ! 予算を回せ!』
会議室に響き渡ったのは、セドリック殿下の父上――現国王陛下の、あまりにも能天気な声だった。
『陛下。その愛鳥とやらは、先週から隣国の商人から買ったという合成魔獣(キメラ)ではありませんか。純金製の籠など用意しても、一晩で食い破られるのがオチですわ』
『な、何を言う! 王族の権威を示すためには必要なのだ!』
『権威で腹が膨れるなら、今すぐ国民に配って差し上げてくださいませ。現在、我が国の国庫にあるのは、権威ではなく「借用書」の束だけです』
私は山のように積まれた書類を指し示した。
国王は顔を真っ赤にして黙り込んだが、今度は財務卿が泣きついてきたものだ。
『カタリア様……助けてください。このままでは来月の近衛騎士団の装備代どころか、炊き出しの薪(まき)すら買えませんぞ……!』
『財務卿。騎士団の装備は、型落ちのものを隣国から安く買い叩くルートを確保しました。それと、王宮内で毎日行われている無意味なティーパーティー。あれを週一回に減らし、余った最高級茶葉を市場で転売すれば、当面の薪代にはなります』
『て、転売!? 王室の備品をですか!?』
『「在庫の適正化」と呼んでくださいませ。あと、セドリック殿下』
当時から私のことを疎ましそうに見ていた殿下に、私は冷ややかな視線を送った。
『殿下が先月、リリア様……でしたか? あの方に贈られたという「月の雫」の首飾り。あれの代金、まだ未払いですわね。宝石商が私の実家に請求書を持ってきましたわよ』
『っ……! それは、彼女がどうしても欲しいと言ったからだ! 未来の王妃になる者に、それなりの装飾品を与えるのは義務だろう!』
『義務を果たす前に、まずは身の丈を知るという権利を行使なさいませ。その首飾りのせいで、兵舎の屋根の修理が三ヶ月遅れました。兵士たちが雨漏りで風邪を引いたら、殿下が代わりに国境の警備に立ってくださるのですか?』
『くっ……! 貴様は、いつもそうだ! 金、金、金! 可愛げのかけらもない!』
可愛げ。
そんな実体のない、一銭の価値もないもののために、この国がどれだけ疲弊してきたことか。
私はあきれ果て、その日のうちに自分の個人資産から数百万ゴルドを国庫に「貸し付け」た。
もちろん、年利十パーセントという、身内にしては厳しい条件を付けて。
結局、私が婚約者として王宮にいた三年間、国が破綻しなかったのは、私の私財投入と徹底したコストカットがあったからに他ならない。
「……今頃、あの財務卿は胃に穴が開いている頃かしら」
現在に戻り、私は冷めたコーヒーを飲み干した。
今日から、あの王宮には「私」という名の防波堤はない。
私が管理していた裏帳簿も、節税対策のスキームも、全て私の手元にある。
彼らが残されたのは、煌びやかな衣装と、空っぽの金庫。そして、リリア様という名の「歩く浪費製造機」だけだ。
「トントン、失礼します。カタリア様」
扉が開き、ハンスが顔を出した。
「一階の片付けが終わりました。……それと、早速ですが、最初のお客様らしき方が下で見えております」
「あら。まだ看板も出していないのに。どんな方?」
「それが……かなり使い古されたエプロンをした、いかにも『困り果てた』という顔の初老の男性です。パン屋の主人のようですな」
「パン屋……。良いわね。主食の改善は経済の基本よ」
私は立ち上がり、鏡の前で身だしなみを整えた。
公爵令嬢としてのドレスではない。
動きやすく、かつ相手に知性を感じさせる、上質な素材の紺色のスーツだ。
「ハンス。応接間に通して。最高級の茶葉ではなく、一番安くて『目が覚めるほど苦い』お茶を用意してちょうだい」
「……苦いお茶、ですか?」
「ええ。厳しい現実を直視してもらうには、それが一番の特効薬だもの」
私は不敵な笑みを浮かべ、階段を下りた。
王宮という名の巨大なゴミ箱を掃除するより、目の前のパン屋を立て直す方が、よっぽどやりがいがありそうだ。
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