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王都の北地区にある市民登録所。ここは日々、出生や婚姻、そして稀に「平民への身分変更」を扱う場所だ。
私は窓口の前に座り、呆然自失としている役人の顔を眺めていた。
「……あの、失礼ですが。もう一度、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「カタリア、ですわ。姓はありません。昨日までは『フォン・アステリア』でしたが、先ほど公爵家との絶縁手続きを法務局で済ませてきました。こちらが受理証明書です」
私は厚手の羊皮紙をスッと差し出した。
役人の男は、震える手でその書類を受け取り、何度も何度も見返している。
「ほ、本当にアステリア公爵家の……。ええっ!? あの、婚約破棄されたという噂の……」
「あら、噂が回るのが早いですわね。さすが王都のネットワーク。情報伝達コストが低くて素晴らしいわ」
「いや、素晴らしいとかそういう問題では……! 公爵令嬢が平民になるなんて、前代未聞ですよ! これ、どういう扱いにすればいいんだ……」
「簡単ですわ。納税者リストに私の名前を載せるだけ。ただし、私は新規事業を立ち上げますので、創業三年間は所得税の減免措置を申請します」
私はあらかじめ用意しておいた『新規事業計画書』と『減免申請書』を束にして提出した。
役人は、目玉が飛び出しそうな勢いでその書類を凝視している。
「な……、なんですか、この緻密な収支予測は……。それに、この『経営コンサルタント』という職業は何ですか?」
「困っている人の問題を解決し、その利益の一部を報酬として頂く、極めて合理的な虚業……いえ、サービス業ですわ」
「虚業って言っちゃったよ、このお嬢様……」
役人は頭を抱えながらも、私の「あまりの準備の良さ」に抗えなかったのか、しぶしぶと受理印を押し始めた。
ガチャン、ガチャンとスタンプが押されるたびに、私を縛っていた見えない鎖が外れていくような感覚がある。
「はい、手続き完了です。今日からあなたは、ただの平民『カタリア』さんです。……本当に、いいんですか? 貴族の特権も、豪華な食事も、守ってくれる騎士もいなくなるんですよ?」
「特権には責任という名のコストが伴いますし、豪華な食事は成人病のリスクを高めます。騎士に至っては、維持費(給料)の割に役に立たない方が多いですから。私は、自分の身は自分の頭脳で守る方が性に合っているんです」
私は晴れやかな笑顔で立ち上がり、窓口を後にした。
外に出ると、突き抜けるような青空が広がっている。
空気まで美味しく感じるのは、きっとこれが「自由の味」だからだろう。
待たせていたハンスの馬車に乗り込み、私は事務的に告げた。
「ハンス、事務所へ戻りましょう。最初のお客様を待たせているわ」
「……カタリア様。本当に吹っ切れましたな。公爵閣下は今頃、屋敷で泣いているか、あるいは書類の山に埋もれているはずですが」
「お父様なら大丈夫よ。あの人は生命力だけは強いもの。それに、私がいなくなってせいぜい清々しているんじゃないかしら? 口うるさい小姑のような娘がいなくなったんですから」
「いえ、閣下は『カタリアがいないと予算の辻褄が合わない!』と叫んでおられましたよ」
「それは愛ではなく、依存と呼びます。……さあ、行きましょう。ビジネスの時間よ」
馬車に揺られること二十分。
私は自分の城(雑居ビル)へと戻ってきた。
応接間に入ると、そこにはハンスが用意した「苦いお茶」を前に、ガチガチに緊張した様子の初老の男性が座っていた。
使い古されたエプロン、爪の間に残った小麦粉。
彼は間違いなく、現場で働く「職人」だ。
「……あ、あの……! お初にお目にかかります! 私、この近くでパン屋を営んでおります、ジャックと申します!」
彼は私の姿を見るなり、椅子から飛び上がって深々と頭を下げた。
私のスーツ姿に戸惑いつつも、隠しきれない「元・貴族」のオーラに圧倒されているようだ。
「座ってください、ジャックさん。私はカタリア。この『カタリア・コンサルティング』の代表です。丁寧な挨拶は抜きにして、早速本題に入りましょう」
私は彼と対面し、手帳を開いた。
「貴方の店の経営状況、そして今一番困っていることを、一分以内で説明してちょうだい。時間は金(カネ)ですから」
「は、はいっ! ええと、その、三ヶ月前から客足がぱったり止まりまして……。隣の通りに新しい大きなパン屋ができてから、うちのパンが全然売れないんです! このままじゃ、来月の小麦代も払えなくて、店を畳むしか……」
ジャックさんは涙目で訴える。
私は彼の話を聞きながら、手元の資料にいくつか数字を書き込んだ。
「隣の大きなパン屋、というのは『王立パンギルド公認』のあの店かしら?」
「そうです! あそこは安くて、種類も豊富で……うちみたいな古臭い店じゃ、とても太刀打ちできません!」
「ふむ。安さと物量ね。……ジャックさん、一つ聞くけれど。貴方の店のパンで、一番自信があるのはどれ?」
「そりゃあ……。先代から受け継いだ、この黒パンです。見た目は悪いし固いですが、噛めば噛むほど味が出て、保存も効きます。でも、最近の若い人はみんな、あっちのふわふわした白いパンの方がいいみたいで……」
私は彼が持参した紙包みから、その黒パンを一口、手でちぎって口に運んだ。
……なるほど。
口の中に広がるのは、素朴だが力強い大地の香り。
これは「商品」として死んでいない。ただ「売り方」が死んでいるだけだ。
「ジャックさん。貴方の店、三週間で黒字に戻してあげるわ」
「えっ……!? ほ、本当ですか!?」
「ええ。ただし、私の指示には絶対に従うこと。それから、利益が出始めたら、その三割をコンサル料として頂戴するわ。契約するかしら?」
「もちろんです! 背に腹は代えられません!」
「商談成立ね。……ハンス! 契約書を持ってきて。それと、ジャックさんの店の厨房にある在庫リストを明日までに用意させて」
私はペンを回しながら、脳内で瞬時に戦略を組み立てる。
王宮の数億ゴルドの予算を動かすのに比べれば、パン屋の一軒や二軒、立て直すのは赤子の手をひねるより簡単だ。
(まずはターゲット層の絞り込み。それから、あのアホンダラ殿下が関わっている『パンギルド』の弱点を突かせてもらうわよ……)
私の新しい人生、最初の一歩は、芳醇なパンの香りと共に始まった。
私は窓口の前に座り、呆然自失としている役人の顔を眺めていた。
「……あの、失礼ですが。もう一度、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「カタリア、ですわ。姓はありません。昨日までは『フォン・アステリア』でしたが、先ほど公爵家との絶縁手続きを法務局で済ませてきました。こちらが受理証明書です」
私は厚手の羊皮紙をスッと差し出した。
役人の男は、震える手でその書類を受け取り、何度も何度も見返している。
「ほ、本当にアステリア公爵家の……。ええっ!? あの、婚約破棄されたという噂の……」
「あら、噂が回るのが早いですわね。さすが王都のネットワーク。情報伝達コストが低くて素晴らしいわ」
「いや、素晴らしいとかそういう問題では……! 公爵令嬢が平民になるなんて、前代未聞ですよ! これ、どういう扱いにすればいいんだ……」
「簡単ですわ。納税者リストに私の名前を載せるだけ。ただし、私は新規事業を立ち上げますので、創業三年間は所得税の減免措置を申請します」
私はあらかじめ用意しておいた『新規事業計画書』と『減免申請書』を束にして提出した。
役人は、目玉が飛び出しそうな勢いでその書類を凝視している。
「な……、なんですか、この緻密な収支予測は……。それに、この『経営コンサルタント』という職業は何ですか?」
「困っている人の問題を解決し、その利益の一部を報酬として頂く、極めて合理的な虚業……いえ、サービス業ですわ」
「虚業って言っちゃったよ、このお嬢様……」
役人は頭を抱えながらも、私の「あまりの準備の良さ」に抗えなかったのか、しぶしぶと受理印を押し始めた。
ガチャン、ガチャンとスタンプが押されるたびに、私を縛っていた見えない鎖が外れていくような感覚がある。
「はい、手続き完了です。今日からあなたは、ただの平民『カタリア』さんです。……本当に、いいんですか? 貴族の特権も、豪華な食事も、守ってくれる騎士もいなくなるんですよ?」
「特権には責任という名のコストが伴いますし、豪華な食事は成人病のリスクを高めます。騎士に至っては、維持費(給料)の割に役に立たない方が多いですから。私は、自分の身は自分の頭脳で守る方が性に合っているんです」
私は晴れやかな笑顔で立ち上がり、窓口を後にした。
外に出ると、突き抜けるような青空が広がっている。
空気まで美味しく感じるのは、きっとこれが「自由の味」だからだろう。
待たせていたハンスの馬車に乗り込み、私は事務的に告げた。
「ハンス、事務所へ戻りましょう。最初のお客様を待たせているわ」
「……カタリア様。本当に吹っ切れましたな。公爵閣下は今頃、屋敷で泣いているか、あるいは書類の山に埋もれているはずですが」
「お父様なら大丈夫よ。あの人は生命力だけは強いもの。それに、私がいなくなってせいぜい清々しているんじゃないかしら? 口うるさい小姑のような娘がいなくなったんですから」
「いえ、閣下は『カタリアがいないと予算の辻褄が合わない!』と叫んでおられましたよ」
「それは愛ではなく、依存と呼びます。……さあ、行きましょう。ビジネスの時間よ」
馬車に揺られること二十分。
私は自分の城(雑居ビル)へと戻ってきた。
応接間に入ると、そこにはハンスが用意した「苦いお茶」を前に、ガチガチに緊張した様子の初老の男性が座っていた。
使い古されたエプロン、爪の間に残った小麦粉。
彼は間違いなく、現場で働く「職人」だ。
「……あ、あの……! お初にお目にかかります! 私、この近くでパン屋を営んでおります、ジャックと申します!」
彼は私の姿を見るなり、椅子から飛び上がって深々と頭を下げた。
私のスーツ姿に戸惑いつつも、隠しきれない「元・貴族」のオーラに圧倒されているようだ。
「座ってください、ジャックさん。私はカタリア。この『カタリア・コンサルティング』の代表です。丁寧な挨拶は抜きにして、早速本題に入りましょう」
私は彼と対面し、手帳を開いた。
「貴方の店の経営状況、そして今一番困っていることを、一分以内で説明してちょうだい。時間は金(カネ)ですから」
「は、はいっ! ええと、その、三ヶ月前から客足がぱったり止まりまして……。隣の通りに新しい大きなパン屋ができてから、うちのパンが全然売れないんです! このままじゃ、来月の小麦代も払えなくて、店を畳むしか……」
ジャックさんは涙目で訴える。
私は彼の話を聞きながら、手元の資料にいくつか数字を書き込んだ。
「隣の大きなパン屋、というのは『王立パンギルド公認』のあの店かしら?」
「そうです! あそこは安くて、種類も豊富で……うちみたいな古臭い店じゃ、とても太刀打ちできません!」
「ふむ。安さと物量ね。……ジャックさん、一つ聞くけれど。貴方の店のパンで、一番自信があるのはどれ?」
「そりゃあ……。先代から受け継いだ、この黒パンです。見た目は悪いし固いですが、噛めば噛むほど味が出て、保存も効きます。でも、最近の若い人はみんな、あっちのふわふわした白いパンの方がいいみたいで……」
私は彼が持参した紙包みから、その黒パンを一口、手でちぎって口に運んだ。
……なるほど。
口の中に広がるのは、素朴だが力強い大地の香り。
これは「商品」として死んでいない。ただ「売り方」が死んでいるだけだ。
「ジャックさん。貴方の店、三週間で黒字に戻してあげるわ」
「えっ……!? ほ、本当ですか!?」
「ええ。ただし、私の指示には絶対に従うこと。それから、利益が出始めたら、その三割をコンサル料として頂戴するわ。契約するかしら?」
「もちろんです! 背に腹は代えられません!」
「商談成立ね。……ハンス! 契約書を持ってきて。それと、ジャックさんの店の厨房にある在庫リストを明日までに用意させて」
私はペンを回しながら、脳内で瞬時に戦略を組み立てる。
王宮の数億ゴルドの予算を動かすのに比べれば、パン屋の一軒や二軒、立て直すのは赤子の手をひねるより簡単だ。
(まずはターゲット層の絞り込み。それから、あのアホンダラ殿下が関わっている『パンギルド』の弱点を突かせてもらうわよ……)
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