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改革から一週間後。
『木漏れ日ベーカリー』の前には、開店前から二十人近い行列ができていた。
その最後尾に並ぶ人々は、時折鼻をひくつかせ、店舗から漂ってくる強烈な「焼きたて」の香りに、期待と空腹を刺激されている様子だ。
私は道の向かい側のカフェのテラス席で、優雅に紅茶を飲みながらその光景を眺めていた。
「……計算通りね。人間の嗅覚は、理屈よりも先に財布の紐を緩ませる」
私の向かいに座るハンスが、呆れたように肩をすくめる。
「お嬢様……いえ、カタリア様。まさか、あの寂れたパン屋がここまで化けるとは。あの『アイアン・ブレッド』、今や駅を利用する商人や冒険者の間で必須アイテム扱いですよ」
「ええ。『固くて黒い』というネガティブな要素を、『頑丈で長持ちする』というポジティブな価値(バリュー)に転換したのよ。人は『自分だけが知っている特別な道具』を持つことに優越感を覚える生き物だから」
私たちは席を立ち、店の裏口へと回った。
厨房に入ると、そこは戦場のような活気に満ちていた。
以前のような粉まみれの床ではない。整理整頓された空間で、ジャックさんが汗だくになりながら、しかし満面の笑みでパンを釜から取り出している。
「いらっしゃいませ! 焼きたてのクロワッサン、ただいま上がりました! アイアン・ブレッドは残り十袋です!」
客が次々と吸い込まれていく。
メニューを五種類に絞ったおかげで、客は迷うことなく注文し、ジャックさんも流れるように商品を渡して代金を受け取る。
レジの回転率は、以前の十倍以上だ。
「カ、カタリア様! 見てください! 手が! 手が追いつきません!」
嬉しい悲鳴を上げるジャックさんに、私は冷静に指示を飛ばす。
「ジャックさん、クロワッサンの焼き上がり時間をあと五分早めて。それから、行列の十番目のお客様に『ただいま焼きたてをご用意しております』と声をかけて、期待感を維持させるのよ」
「は、はいっ! 仰せの通りに!」
昼のピークが過ぎ、ようやく客足が落ち着いた頃。
閉店の看板を出した店内で、私たちは本日の売上計算を行っていた。
ジャックさんが震える手で、カウンターに積み上がった銀貨と銅貨の山を指差す。
「……し、信じられない。これが、たった一日の売り上げ……? 以前の一ヶ月分より多いですよ……」
「当然の結果ですわ。無駄な廃棄ロスをなくし、高回転の商品に集中し、付加価値をつけて単価を上げた。利益が出ない方がおかしいわ」
私は電卓代わりにしている手帳の計算ページを弾いた。
「さて、契約通り、利益の三〇パーセントをコンサル料として頂きますわね」
私が提示した金額は、平民にとっては目の玉が飛び出るような大金だった。
だが、ジャックさんは迷うことなく、銀貨の山を私の前に押し出した。
「もちろんです! 持って行ってください! カタリア様がいなければ、今頃この店は潰れて、私は路頭に迷っていたんですから! これは感謝の証です!」
彼の目には、崇拝に近い色が浮かんでいた。
「感謝は不要よ。これはビジネス。私は対価を受け取っただけ」
私は重みのある革袋をハンスに渡した。
「ハンス、事務所の金庫へ。それから、ジャックさん。来週からはアルバイトを一人雇いなさい。貴方が倒れたら元も子もないわ」
「は、はい! 早速手配します!」
店を出ると、夕暮れの街に心地よい風が吹いていた。
ハンスが少し声を潜めて報告してくる。
「……カタリア様。最近、駅周辺で妙な噂が流れているのをご存知ですか?」
「噂?」
「ええ。『駅前のボロビルに、貧乏神を福の神に変える魔女がいる』と」
「魔女? 失礼ね。せめて『美しき経営戦略家』と呼んで欲しいものだわ」
私は鼻で笑ったが、内心では狙い通りだとほくそ笑んでいた。
ジャックさんの成功は、最高の「実績(ポートフォリオ)」になる。
噂が広がれば、次は向こうから「カモ」が……いえ、お客様がやってくるはずだ。
「さあ、帰りましょうハンス。今日は美味しいワインでも開けようかしら。他人(ひと)の不幸……じゃなかった、他人の成功で飲むお酒は格別よ」
私は王宮の方角をちらりと見やった。
あちらの「赤字」は、今頃どれくらい膨れ上がっていることだろうか。
私の「復讐劇(ビジネス)」は、まだ始まったばかりだ。
『木漏れ日ベーカリー』の前には、開店前から二十人近い行列ができていた。
その最後尾に並ぶ人々は、時折鼻をひくつかせ、店舗から漂ってくる強烈な「焼きたて」の香りに、期待と空腹を刺激されている様子だ。
私は道の向かい側のカフェのテラス席で、優雅に紅茶を飲みながらその光景を眺めていた。
「……計算通りね。人間の嗅覚は、理屈よりも先に財布の紐を緩ませる」
私の向かいに座るハンスが、呆れたように肩をすくめる。
「お嬢様……いえ、カタリア様。まさか、あの寂れたパン屋がここまで化けるとは。あの『アイアン・ブレッド』、今や駅を利用する商人や冒険者の間で必須アイテム扱いですよ」
「ええ。『固くて黒い』というネガティブな要素を、『頑丈で長持ちする』というポジティブな価値(バリュー)に転換したのよ。人は『自分だけが知っている特別な道具』を持つことに優越感を覚える生き物だから」
私たちは席を立ち、店の裏口へと回った。
厨房に入ると、そこは戦場のような活気に満ちていた。
以前のような粉まみれの床ではない。整理整頓された空間で、ジャックさんが汗だくになりながら、しかし満面の笑みでパンを釜から取り出している。
「いらっしゃいませ! 焼きたてのクロワッサン、ただいま上がりました! アイアン・ブレッドは残り十袋です!」
客が次々と吸い込まれていく。
メニューを五種類に絞ったおかげで、客は迷うことなく注文し、ジャックさんも流れるように商品を渡して代金を受け取る。
レジの回転率は、以前の十倍以上だ。
「カ、カタリア様! 見てください! 手が! 手が追いつきません!」
嬉しい悲鳴を上げるジャックさんに、私は冷静に指示を飛ばす。
「ジャックさん、クロワッサンの焼き上がり時間をあと五分早めて。それから、行列の十番目のお客様に『ただいま焼きたてをご用意しております』と声をかけて、期待感を維持させるのよ」
「は、はいっ! 仰せの通りに!」
昼のピークが過ぎ、ようやく客足が落ち着いた頃。
閉店の看板を出した店内で、私たちは本日の売上計算を行っていた。
ジャックさんが震える手で、カウンターに積み上がった銀貨と銅貨の山を指差す。
「……し、信じられない。これが、たった一日の売り上げ……? 以前の一ヶ月分より多いですよ……」
「当然の結果ですわ。無駄な廃棄ロスをなくし、高回転の商品に集中し、付加価値をつけて単価を上げた。利益が出ない方がおかしいわ」
私は電卓代わりにしている手帳の計算ページを弾いた。
「さて、契約通り、利益の三〇パーセントをコンサル料として頂きますわね」
私が提示した金額は、平民にとっては目の玉が飛び出るような大金だった。
だが、ジャックさんは迷うことなく、銀貨の山を私の前に押し出した。
「もちろんです! 持って行ってください! カタリア様がいなければ、今頃この店は潰れて、私は路頭に迷っていたんですから! これは感謝の証です!」
彼の目には、崇拝に近い色が浮かんでいた。
「感謝は不要よ。これはビジネス。私は対価を受け取っただけ」
私は重みのある革袋をハンスに渡した。
「ハンス、事務所の金庫へ。それから、ジャックさん。来週からはアルバイトを一人雇いなさい。貴方が倒れたら元も子もないわ」
「は、はい! 早速手配します!」
店を出ると、夕暮れの街に心地よい風が吹いていた。
ハンスが少し声を潜めて報告してくる。
「……カタリア様。最近、駅周辺で妙な噂が流れているのをご存知ですか?」
「噂?」
「ええ。『駅前のボロビルに、貧乏神を福の神に変える魔女がいる』と」
「魔女? 失礼ね。せめて『美しき経営戦略家』と呼んで欲しいものだわ」
私は鼻で笑ったが、内心では狙い通りだとほくそ笑んでいた。
ジャックさんの成功は、最高の「実績(ポートフォリオ)」になる。
噂が広がれば、次は向こうから「カモ」が……いえ、お客様がやってくるはずだ。
「さあ、帰りましょうハンス。今日は美味しいワインでも開けようかしら。他人(ひと)の不幸……じゃなかった、他人の成功で飲むお酒は格別よ」
私は王宮の方角をちらりと見やった。
あちらの「赤字」は、今頃どれくらい膨れ上がっていることだろうか。
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