悪役令嬢の新しい復讐!婚約破棄、感謝いたします! 

桃瀬ももな

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 成功には必ず副作用が伴う。
 
 『木漏れ日ベーカリー』の奇跡的なV字回復は、王都の商業界に小さくない波紋を広げていた。
 
 私の事務所が入る雑居ビルの向かい側。そこにある馬車止めの影に、ここ数日、決まった時間に現れる「視線」がある。
 
「……ハンス。あそこに立っている、目深に帽子を被った男。三日前から定点観測を続けているわね」
 
 私は二階の事務室のカーテンを数ミリだけ開き、階下を観察した。
 
 男は身なりの良い外套を着ているが、その立ち姿には隙がない。ただの野次馬や、嫌がらせに来たギルドの刺客とは明らかに「格」が違った。
 
「気づいておられましたか。かなりの手練れですな。殺気はありませんが、こちらの動向を完全に記録(ログ)しているようです」
 
 ハンスが私の背後で、いつでも動けるように短剣の柄に手をかける。
 
「記録……。税務署の調査員にしては、服の生地が高級すぎるわ。競合他社のスパイかしら? それとも……」
 
 私は手帳をめくり、現在把握している「敵リスト」を脳内で照合した。
 
 セドリック殿下? いいえ、あの人は今頃、空っぽの金庫を前にリリア様と「愛があればパンなんていらないわ!」なんていう不毛な会話に熱中しているはず。
 
 公爵家? お父様は今、私の残した「負の遺産(という名の真っ当な帳簿)」の整理に追われて、刺客を送る余裕さえないはずだ。
 
「……面白いわね。コストをかけてまで私を観察する。それだけの『投資価値』が私にあると判断した人物がいるということかしら」
 
 私はカーテンを閉め、机に戻った。
 
「ハンス、放置して。相手が動くのを待つのが一番安上がりよ。あ、でも、あの男の足元の石畳が汚れているわ。事務所の品位に関わるから、打ち水でもして追い払ってちょうだい」
 
「……承知いたしました。物理的な圧力をかけろ、ということですね」
 
 ハンスがバケツを持って階下へ降りていく。
 
 数分後。階下で「おっと、失礼!」というハンスのわざとらしい声と、何かが飛び退く音が聞こえた。
 
 窓から覗くと、あの男が濡れた裾を気にする風もなく、こちらを……正確には二階の窓を、じっと見上げていた。
 
 その瞳は、冷徹な氷のような光を宿していたが、どこか深い「好奇心」が混じっている。
 
(……あの顔。どこかで見たような……?)
 
 私の膨大な顧客・人脈データベースが検索を開始する。
 
 王宮の夜会、隣国との調印式、あるいは……。
 
 その時、事務所の呼び鈴が、静かに、しかし力強く鳴り響いた。
 
 ハンスが戻るよりも早く、招かれざる客は自ら階段を上ってきたようだ。
 
「……入ってちょうだい。鍵は開いているわ。ただし、不法侵入なら相応の賠償金を請求するけれど」
 
 私が冷ややかに告げると、ドアがゆっくりと開いた。
 
 そこに立っていたのは、先ほどの男だった。帽子を取り、外套を脱ぐと、そこには騎士とも貴族ともつかない、だが圧倒的な威圧感を放つ青年がいた。
 
 銀髪を短く切り揃え、表情は一切動かない。まるで精巧に作られた能面のようだ。
 
「……カタリア・フォン・アステリア。あるいは、カタリア・コンサルティング代表」
 
 男の声は、低く、心地よいほどに響いた。
 
「名前の確認は不要よ。時間は金(カネ)なの。まずは名乗りなさい。それから、相談内容を簡潔に。五分以内なら、相談料は銀貨三枚で手を打ってあげる」
 
 私が椅子に深く腰掛け、足を組み直すと、男の口角がわずかに――本当にわずかに――上がった。
 
「合理的な出迎えだ。嫌いではない」
 
 彼は私の正面に座り、懐から一通の封書を取り出した。
 
 その封蝋(ふうろう)の紋章を見た瞬間、私の脳内データベースが「警報」を鳴らした。
 
「……大公家。アルトワーズの紋章ね」
 
「察しが良くて助かる。私はレオナード・アルトワーズ。隣国の大公だ」
 
 隣国の大公。
 
 若くして国を立て直し、大陸一の経済圏を築きつつあると噂の「氷の能面大公」。
 
 私は手帳を閉じ、彼を真正面から見据えた。
 
「そんな大物が、わざわざ王都の片隅のボロビルに何の用かしら? うちには、大公閣下に売るような『安いパン』は置いていないのだけれど」
 
「パンを買いに来たのではない。……君という『システム』を買いに来た」
 
「システム? 失礼ね。私は人間よ」
 
「正確には、君の脳内にある『既存の枠組みを壊し、利益を創出するアルゴリズム』だ。アステリア公爵家を捨て、王太子を切り捨て、この一週間でパン業界の勢力図を書き換えた。その手腕、私の国で存分に振るってみないか?」
 
 レオナードと名乗った男は、感情の読めない瞳で私を射抜いた。
 
「条件は君の望む通りにしよう。地位、名誉、あるいは――この国を買い取れるほどの予算」
 
 私は思わず笑みを漏らした。
 
 それは、恋を囁かれた少女のような笑みではない。
 
 最高に魅力的な「投資案件」を提示された、投資家の笑みだ。
 
「……面白いわね。大公閣下。でも、私は高いわよ? 私の知性を独占したいなら、それ相応の『リスク』も負ってもらわなくちゃ」
 
「リスクなら既に負っている。……君をこの事務所から連れ出した瞬間、私は我が国とこの国との外交摩擦を覚悟しているのだから」
 
「……ふふっ。外交摩擦、いい響きね。銀貨より重みがあるわ」
 
 私は机の上のティーカップを引き寄せた。
 
「いいでしょう。五分は過ぎたけれど、延長料金は免除してあげる。……さて、ビジネスの話をしましょうか。能面の奥に隠した貴方の『本音』、いくらで売ってくださるの?」
 
 窓の外では、何も知らない王都の人々が行き交っている。
 
 だが、この狭い応接間の中で、私の「事業規模」が大陸レベルへと拡大しようとしていた。
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