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「君を買い取らせてほしい」
大公閣下ともあろうお方が、開口一番に放った言葉がそれだった。
私は手に持っていたティーカップをソーサーに戻し、眉一つ動かさずに彼を見据えた。
「買い取る、ですか。ずいぶんと物的な表現を使われるのですね。隣国では、淑女への勧誘をそのように教わりますの?」
「言葉の綾だ。だが、今の君はどの国家にも、どの家組織にも属していない『フリーエージェント』だろう。市場価値が確定する前に、独占契約を結びたいと考えるのは投資家として当然の心理ではないか」
レオナード閣下は、能面のような無表情のまま、淡々と論理を積み上げていく。
その瞳には熱情ではなく、冷徹なまでの「算定」の光が宿っていた。
「なるほど。では、閣下。私という『資産』を買い取るための予算案を提示していただこうかしら。私の時間は、貴方の想像以上に高単価ですわよ」
「まず、我が大公領の全財政権の委任。君が『無駄』だと判断した予算は、私の首を撥ねる以外なら、閣僚の反対を押し切ってでもカットして構わない」
「……ほう。それはなかなか、魅力的な裁量権ですわね」
「さらに、君専用の執務室、専属の会計魔導師チーム。そして、君が望むならこの国の王宮を物理的に買収するための軍事、及び経済的支援も約束しよう」
私は思わず、扇子で口元を隠してふふっと笑った。
「王宮を買収? あんな負債の塊、今の私にはゴミ同然ですわ。……でも、閣下。条件の中に、一番重要な『私のメリット』が抜けていましてよ」
「メリット?」
「ええ。私は自由を求めて平民になったのです。どこかの国の役人や、大公閣下の『所有物』になるつもりはありません」
レオナード閣下は少しだけ黙り込み、それから椅子の背にもたれかかった。
「所有物ではない。……パートナーシップだ。法的な拘束力を強めるために、形式上の『婚姻』という形を取るのが合理的だと考えている」
「……は?」
今度ばかりは、私の計算機が一時停止した。
「婚姻……。今、プロポーズとお仰いました?」
「契約結婚と言い換えてもいい。君は大公妃としての地位と予算を手に入れ、私は君という最強の頭脳を領地に招く。愛だの恋だのという不確定要素を排除した、純粋な『共同事業体』の結成だ」
ハンスが背後で「……それはもはや、求婚というより合併(マージ)ですな」と小さく呟いた。
「閣下、貴方……。本当に女性にモテないでしょう?」
「心外だ。効率を求めて無駄な社交を省いているだけだ」
「それがモテない原因ですわ。……でも、いいわ。その『不器用すぎる提案』、嫌いじゃありません」
私は手帳を広げ、新しいページにレオナード閣下の名前を書き込んだ。
「ただし、即答はいたしません。私は今、進行中の案件を抱えていますの。ジャックさんのパン屋のフランチャイズ化、それから王都の物流ギルドの構造改革……。これらを片付けるまで、私を拘束することは許しませんわ」
「……分かった。では、私もこの街に滞在しよう。君の仕事ぶりを、クライアントの視点から観察させてもらう」
「滞在? 大公閣下が、こんなボロビルの近くに?」
「幸い、このビルの隣の空き家が売りに出ていたので、さきほど買い取っておいた」
……仕事が早い。
この男、合理主義のレベルが私と同等か、あるいはそれ以上かもしれない。
「ハンス。隣の物件の売買価格、いくらだったか調べてきて」
「承知いたしました。……カタリア様、もしかして閣下を『カモ』だと思っておられませんか?」
「失礼ね。適正価格で不動産取引が行われたか確認するだけよ。……さて、レオナード閣下。契約成立前の『試用期間』ということで、一つお仕事をお願いしてもよろしいかしら?」
「何だ?」
「私の事務所の看板が少し傾いているの。大公閣下のその立派な体格なら、脚立なしで直せるでしょう?」
大陸屈指の権力者に対し、私は当然のように雑用を命じた。
普通なら不敬罪で首が飛ぶところだが、レオナード閣下は無表情のまま立ち上がった。
「……承知した。労働に対する対価は、後で君の『笑顔』一回分で精算させてもらおう」
「笑顔? そんな実体のない通貨、うちでは扱っておりませんわ。……でも、まあ、看板が直ったらコーヒーの一杯くらいは淹れて差し上げますわよ」
「それで十分だ」
彼は上着を脱ぎ、袖をまくり上げながら部屋を出て行った。
ハンスが呆れたように窓から階下の様子を窺う。
「本当に行きましたよ……。大公閣下が、看板の釘を打っています」
「ふふっ。高価な資産を安く使うのは、経営の醍醐味ね」
私は冷めた紅茶を飲み干し、窓の外を見つめた。
氷の大公、レオナード。
彼が私の人生というポートフォリオに、どのような利益をもたらすのか。
その計算式は、まだ解けないままだ。
大公閣下ともあろうお方が、開口一番に放った言葉がそれだった。
私は手に持っていたティーカップをソーサーに戻し、眉一つ動かさずに彼を見据えた。
「買い取る、ですか。ずいぶんと物的な表現を使われるのですね。隣国では、淑女への勧誘をそのように教わりますの?」
「言葉の綾だ。だが、今の君はどの国家にも、どの家組織にも属していない『フリーエージェント』だろう。市場価値が確定する前に、独占契約を結びたいと考えるのは投資家として当然の心理ではないか」
レオナード閣下は、能面のような無表情のまま、淡々と論理を積み上げていく。
その瞳には熱情ではなく、冷徹なまでの「算定」の光が宿っていた。
「なるほど。では、閣下。私という『資産』を買い取るための予算案を提示していただこうかしら。私の時間は、貴方の想像以上に高単価ですわよ」
「まず、我が大公領の全財政権の委任。君が『無駄』だと判断した予算は、私の首を撥ねる以外なら、閣僚の反対を押し切ってでもカットして構わない」
「……ほう。それはなかなか、魅力的な裁量権ですわね」
「さらに、君専用の執務室、専属の会計魔導師チーム。そして、君が望むならこの国の王宮を物理的に買収するための軍事、及び経済的支援も約束しよう」
私は思わず、扇子で口元を隠してふふっと笑った。
「王宮を買収? あんな負債の塊、今の私にはゴミ同然ですわ。……でも、閣下。条件の中に、一番重要な『私のメリット』が抜けていましてよ」
「メリット?」
「ええ。私は自由を求めて平民になったのです。どこかの国の役人や、大公閣下の『所有物』になるつもりはありません」
レオナード閣下は少しだけ黙り込み、それから椅子の背にもたれかかった。
「所有物ではない。……パートナーシップだ。法的な拘束力を強めるために、形式上の『婚姻』という形を取るのが合理的だと考えている」
「……は?」
今度ばかりは、私の計算機が一時停止した。
「婚姻……。今、プロポーズとお仰いました?」
「契約結婚と言い換えてもいい。君は大公妃としての地位と予算を手に入れ、私は君という最強の頭脳を領地に招く。愛だの恋だのという不確定要素を排除した、純粋な『共同事業体』の結成だ」
ハンスが背後で「……それはもはや、求婚というより合併(マージ)ですな」と小さく呟いた。
「閣下、貴方……。本当に女性にモテないでしょう?」
「心外だ。効率を求めて無駄な社交を省いているだけだ」
「それがモテない原因ですわ。……でも、いいわ。その『不器用すぎる提案』、嫌いじゃありません」
私は手帳を広げ、新しいページにレオナード閣下の名前を書き込んだ。
「ただし、即答はいたしません。私は今、進行中の案件を抱えていますの。ジャックさんのパン屋のフランチャイズ化、それから王都の物流ギルドの構造改革……。これらを片付けるまで、私を拘束することは許しませんわ」
「……分かった。では、私もこの街に滞在しよう。君の仕事ぶりを、クライアントの視点から観察させてもらう」
「滞在? 大公閣下が、こんなボロビルの近くに?」
「幸い、このビルの隣の空き家が売りに出ていたので、さきほど買い取っておいた」
……仕事が早い。
この男、合理主義のレベルが私と同等か、あるいはそれ以上かもしれない。
「ハンス。隣の物件の売買価格、いくらだったか調べてきて」
「承知いたしました。……カタリア様、もしかして閣下を『カモ』だと思っておられませんか?」
「失礼ね。適正価格で不動産取引が行われたか確認するだけよ。……さて、レオナード閣下。契約成立前の『試用期間』ということで、一つお仕事をお願いしてもよろしいかしら?」
「何だ?」
「私の事務所の看板が少し傾いているの。大公閣下のその立派な体格なら、脚立なしで直せるでしょう?」
大陸屈指の権力者に対し、私は当然のように雑用を命じた。
普通なら不敬罪で首が飛ぶところだが、レオナード閣下は無表情のまま立ち上がった。
「……承知した。労働に対する対価は、後で君の『笑顔』一回分で精算させてもらおう」
「笑顔? そんな実体のない通貨、うちでは扱っておりませんわ。……でも、まあ、看板が直ったらコーヒーの一杯くらいは淹れて差し上げますわよ」
「それで十分だ」
彼は上着を脱ぎ、袖をまくり上げながら部屋を出て行った。
ハンスが呆れたように窓から階下の様子を窺う。
「本当に行きましたよ……。大公閣下が、看板の釘を打っています」
「ふふっ。高価な資産を安く使うのは、経営の醍醐味ね」
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