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翌朝、私は柔らかなベッドの上で目を覚ましました。
「……ふぁ。よく眠れましたわ。あら、ここはどこかしら。……そうですわ、私は昨日、お父様に追い出されたのでしたわ!」
天井を見上げ、昨夜の劇的な出来事を思い出します。
普通なら絶望して涙に暮れる場面でしょうが、私の胃袋はそれよりも重要な問題を提起していました。
「ぐうぅぅ……」
「……正直な胃袋ですこと。さて、朝食は何かしら。カシス様はどこにおいでかしらね?」
私は寝癖を整えるのもそこそこに、部屋を飛び出しました。
ですが、案内された客間から一歩外に出ると、そこには迷路のような廊下が続いています。
「お、おかしいですわね。昨夜はもっと単純な構造に見えたのですが……。はっ! もしかしてこれは、美味しい香りを辿ってゴールを目指すという、カシス様からの試練!?」
私は鼻をひくつかせ、くんくんと空気を嗅ぎました。
ですが、漂ってくるのは古い木の香りと、窓の外から入り込む森の匂いだけです。
「困りましたわ。お菓子の匂いがしません。これでは方向が分かりませんわ!」
私はあてずっぽうに歩き始めました。
右に曲がり、階段を下り、大きな扉を開けます。
するとそこには、どこまでも続く深い緑の森が広がっていました。
「……お外? どうやら裏口から出てしまったようですわね。まあいいわ。森にはきっと、秘密の果実や野イチゴが隠れているはずですもの!」
私はドレスの裾をたくし上げ、意気揚々と森の中へ突き進みました。
公爵令嬢として育てられた私にとって、森は冒険の舞台です。
キラキラと輝く朝露に濡れた草木をかき分け、私は獲物を探しました。
「あ! あそこに赤い実が! ……いえ、あれはただの毒キノコですわね。残念。あ、あちらの木にはナッツが……。あぁ、リスさんが先に召し上がっていますわ。一口分けてくださらないかしら」
リスに真剣に交渉を試みましたが、当然ながら無視されました。
そうして夢中で食べ物を探しているうちに、私はある重大な事実に気が付きました。
「……ここ、どこかしら?」
振り返っても、先ほど出てきた洋館の姿は見えません。
見渡す限りの木、木、木。
鳥の声だけが虚しく響いています。
「あらやだ。私、遭難しましたわ。宿なしの上に遭難だなんて、これぞまさに波乱万丈の悪役令嬢! お腹が空いて倒れる前に、何か食べられるものを……あ! あそこの木の根元に、すごく立派なハチミツの巣が!」
私は目を輝かせて駆け寄りました。
ですが、そこには無数の蜂たちがブンブンと警戒のダンスを踊っています。
「あ、あなたたち、ちょっとどいてくださる? 私は今、空腹で死にそうなのです。ほんの一舐め、いえ、一抱え分だけでいいのですわ!」
「おい、バカな真似はやめろ!」
鋭い声と共に、背後から何かが飛んできました。
私の腰を力強く抱き寄せ、そのまま後ろへと引きずり倒します。
「きゃっ!? な、何をするのですか、せっかくのハチミツが!」
「ハチミツより自分の命を心配しろ。あれは森の中でも特に気性の荒いキラービーだぞ」
見上げると、そこには不機嫌そうに眉を寄せたカシス様が立っていました。
どうやら私を探しに来てくれたようです。
「カ、カシス様! 良かった、お会いできて光栄ですわ。早くあの蜂さんたちを説得してください!」
「無理だ。それより、なぜ勝手に外へ出た。朝飯を食わせるから待っていろと言っただろう」
「え? 仰いましたっけ?」
「……言った。君が寝ぼけて『シュークリームの海に飛び込みたい』と寝言を言っている間に、三回は言ったぞ」
カシス様は溜息をつき、私の手を引いて立ち上がらせました。
彼の掌は大きくて、少しだけ粉の香りがして、不思議と安心します。
「……すみませんわ。お菓子の香りがしないので、つい自分で調達しようと思いまして」
「森の中で野生の勘を働かせるな。君は元令嬢だろう。もっと自分を大事にしろ」
「自分よりお腹の虫の方が大事ですわ!」
「……全く、君というやつは」
カシス様は呆れたように首を振りましたが、その手は離さないまま、私を屋敷の方へと導いてくれました。
「帰ったら新作のスコーンを焼いてある。それを食べたら、少しは落ち着け」
「スコーン! 焼きたての、周りがサクサクで中がしっとりしたあのスコーンですか!? クロテッドクリームと自家製ジャムはありますの!?」
「……ある。全部あるから、大人しくついてこい」
「はい! 一生ついていきますわ、ご主人様!」
「ご主人様はやめろ」
私たちは手を繋いだまま、朝の光が差し込む森の中を歩きました。
婚約破棄され、家族に捨てられ、森で遭難しかけたというのに。
私の心は、次に食べられるお菓子のことで一杯で、少しの不安もありませんでした。
「ねえカシス様。スコーンの後は何を作ってくださるの?」
「……気が早いな。まずはそれを食べてからだ」
こうして、私の居候生活二日目は、甘い約束と共に幕を開けたのでした。
「……ふぁ。よく眠れましたわ。あら、ここはどこかしら。……そうですわ、私は昨日、お父様に追い出されたのでしたわ!」
天井を見上げ、昨夜の劇的な出来事を思い出します。
普通なら絶望して涙に暮れる場面でしょうが、私の胃袋はそれよりも重要な問題を提起していました。
「ぐうぅぅ……」
「……正直な胃袋ですこと。さて、朝食は何かしら。カシス様はどこにおいでかしらね?」
私は寝癖を整えるのもそこそこに、部屋を飛び出しました。
ですが、案内された客間から一歩外に出ると、そこには迷路のような廊下が続いています。
「お、おかしいですわね。昨夜はもっと単純な構造に見えたのですが……。はっ! もしかしてこれは、美味しい香りを辿ってゴールを目指すという、カシス様からの試練!?」
私は鼻をひくつかせ、くんくんと空気を嗅ぎました。
ですが、漂ってくるのは古い木の香りと、窓の外から入り込む森の匂いだけです。
「困りましたわ。お菓子の匂いがしません。これでは方向が分かりませんわ!」
私はあてずっぽうに歩き始めました。
右に曲がり、階段を下り、大きな扉を開けます。
するとそこには、どこまでも続く深い緑の森が広がっていました。
「……お外? どうやら裏口から出てしまったようですわね。まあいいわ。森にはきっと、秘密の果実や野イチゴが隠れているはずですもの!」
私はドレスの裾をたくし上げ、意気揚々と森の中へ突き進みました。
公爵令嬢として育てられた私にとって、森は冒険の舞台です。
キラキラと輝く朝露に濡れた草木をかき分け、私は獲物を探しました。
「あ! あそこに赤い実が! ……いえ、あれはただの毒キノコですわね。残念。あ、あちらの木にはナッツが……。あぁ、リスさんが先に召し上がっていますわ。一口分けてくださらないかしら」
リスに真剣に交渉を試みましたが、当然ながら無視されました。
そうして夢中で食べ物を探しているうちに、私はある重大な事実に気が付きました。
「……ここ、どこかしら?」
振り返っても、先ほど出てきた洋館の姿は見えません。
見渡す限りの木、木、木。
鳥の声だけが虚しく響いています。
「あらやだ。私、遭難しましたわ。宿なしの上に遭難だなんて、これぞまさに波乱万丈の悪役令嬢! お腹が空いて倒れる前に、何か食べられるものを……あ! あそこの木の根元に、すごく立派なハチミツの巣が!」
私は目を輝かせて駆け寄りました。
ですが、そこには無数の蜂たちがブンブンと警戒のダンスを踊っています。
「あ、あなたたち、ちょっとどいてくださる? 私は今、空腹で死にそうなのです。ほんの一舐め、いえ、一抱え分だけでいいのですわ!」
「おい、バカな真似はやめろ!」
鋭い声と共に、背後から何かが飛んできました。
私の腰を力強く抱き寄せ、そのまま後ろへと引きずり倒します。
「きゃっ!? な、何をするのですか、せっかくのハチミツが!」
「ハチミツより自分の命を心配しろ。あれは森の中でも特に気性の荒いキラービーだぞ」
見上げると、そこには不機嫌そうに眉を寄せたカシス様が立っていました。
どうやら私を探しに来てくれたようです。
「カ、カシス様! 良かった、お会いできて光栄ですわ。早くあの蜂さんたちを説得してください!」
「無理だ。それより、なぜ勝手に外へ出た。朝飯を食わせるから待っていろと言っただろう」
「え? 仰いましたっけ?」
「……言った。君が寝ぼけて『シュークリームの海に飛び込みたい』と寝言を言っている間に、三回は言ったぞ」
カシス様は溜息をつき、私の手を引いて立ち上がらせました。
彼の掌は大きくて、少しだけ粉の香りがして、不思議と安心します。
「……すみませんわ。お菓子の香りがしないので、つい自分で調達しようと思いまして」
「森の中で野生の勘を働かせるな。君は元令嬢だろう。もっと自分を大事にしろ」
「自分よりお腹の虫の方が大事ですわ!」
「……全く、君というやつは」
カシス様は呆れたように首を振りましたが、その手は離さないまま、私を屋敷の方へと導いてくれました。
「帰ったら新作のスコーンを焼いてある。それを食べたら、少しは落ち着け」
「スコーン! 焼きたての、周りがサクサクで中がしっとりしたあのスコーンですか!? クロテッドクリームと自家製ジャムはありますの!?」
「……ある。全部あるから、大人しくついてこい」
「はい! 一生ついていきますわ、ご主人様!」
「ご主人様はやめろ」
私たちは手を繋いだまま、朝の光が差し込む森の中を歩きました。
婚約破棄され、家族に捨てられ、森で遭難しかけたというのに。
私の心は、次に食べられるお菓子のことで一杯で、少しの不安もありませんでした。
「ねえカシス様。スコーンの後は何を作ってくださるの?」
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