婚約破棄、万歳!悪役令嬢は変人辺境伯に拾われて。

桃瀬ももな

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ベルンハルト要塞に、穏やかな、しかしどこか熱気を含んだ朝が訪れました。
新妻となったナタリーの朝課は、夫であるルードヴィヒとの「愛の組手」から始まります。


「ハッ! 旦那様、踏み込みが甘いわ! もっと広背筋のバネを意識して!」


「くっ……! 言うようになったな、ナタリー! ならばこれならどうだ!」


二人の拳と拳がぶつかり合い、中庭に快音と衝撃波が響き渡ります。
周囲で見守る騎士たちは、もはやこれが「朝の挨拶」であることを理解し、温かい(あるいは引きつった)笑顔で拍手を送っていました。


「ふぅ……。いい汗をかいたわね、ルードヴィヒ様。今日のあなたの筋肉、一段とキレが増しているわ。まさに国宝級の仕上がりね」


「お前に毎日鍛えられているからな。……さて、朝食の前に、王都から『更生筋肉キャンプ』の第一期修了生が戻ってきたようだが」


ルードヴィヒが指差した先。要塞の門をくぐり、堂々たる足取りで歩いてくる一人の女性がいました。
かつての「ぴえん」とした表情や、フリルまみれのドレスの面影はどこにもありません。
そこにいたのは、引き締まった褐色の肌に、無駄のない筋肉を纏った、一人の誇り高き女戦士……リリィでした。


「ナタリー様! ただいま戻りましたわ!」


リリィはナタリーの前で足を止め、完璧なフォームで敬礼をしました。
その二の腕には、かつての彼女からは想像もできないほどの、しなやかな力こぶが宿っています。


「まあ、リリィ様! 見違えたわ。その大腿四頭筋の張り……キャンプでの努力が手に取るように分かるわよ」


「ええ。最初は死ぬかと思いましたけれど、鉄を持ち上げるたびに、自分の心の弱さが削ぎ落とされるのを感じましたわ。……今なら分かります。殿下の甘い言葉よりも、プロテイン一杯の方が、どれだけ私の血肉になるかということが!」


リリィは清々しい笑顔で、自分の腹筋を軽く叩いてみせました。
彼女は今、北の地で「自立した女性のためのジム」を開設するという、新しい夢に燃えているのでした。


「素晴らしいわ。嘘で塗り固めた聖女より、拳で真実を語る女戦士の方が、よほど輝いて見えますわよ」


「ふふ、ありがとうございます。……あ、そういえば王都の『あの方』の近況も聞いてきましたわよ」


リリィが呆れたように肩をすくめると、アンが横から最新の報告書を差し出しました。


「ナタリー様、ジュリアン殿下の件ですね。……殿下は現在、莫大な借金を返済するために、王立の採石場で強制労働に従事されているそうですわ。なんでも、ご自慢の白い手がマメだらけだと毎日泣いているとか」


「あら、採石場? それは絶好のトレーニング環境ではありませんか。あの方もようやく、自分の腕っ節でパンを稼ぐ喜びを知る機会を得たのね。……私の事務処理能力に頼り切っていたツケを、物理的な重みで払っていただきましょう」


ナタリーは、もはや恨みも未練もない、慈悲深い(?)微笑みを浮かべました。
ジュリアン王子は今、自分が書いたポエムを誰にも買ってもらえず、その紙を燃料にして焚き火をするような、極貧生活を送っているといいます。
しかし、それも彼が自ら選んだ「他力本願」の結果なのです。


「……さて。リリィも戻ったことだし、今夜は盛大な『筋肉帰還パーティー』を開催しましょう! バルカス、特上の赤身肉を百頭分用意して!」


「はっ! 既に解体作業に入っておりますぞ、姐さん!」


バルカスの勇ましい声が響き、要塞は再び活気に包まれました。
ナタリーは、隣に立つルードヴィヒの腕に、そっと自分の腕を絡めました。


「……ねえ、ルードヴィヒ様。私、本当に幸せよ」


「俺もだ、ナタリー。……お前が来てから、俺の人生は毎日が祭りのようだ」


ルードヴィヒはナタリーの額に優しく口づけを落としました。
かつて「悪役令嬢」と呼ばれ、居場所を失った一人の女性。
彼女は、前世の記憶も魔法の奇跡も必要としませんでした。
ただ己の意志を信じ、筋肉を鍛え、笑い飛ばすことで、自らの手で「最強の自由」を掴み取ったのです。


「……あ、そういえばルードヴィヒ様。昨晩の新作ギャグの件だけど。あそこの語尾、もう少し広背筋を意識して震わせれば、あと三割は爆笑率が上がると思うの」


「……まだ向上する余地があるのか。さすがは我が師匠、妥協がないな」


「ふふ、愛ゆえのスパルタですわよ?」


二人の会話は、今日も今日とてロマンチックな雰囲気の半分が筋肉理論に侵食されていました。
しかし、それこそが彼らにとっての、世界で唯一無二の「幸せの形」なのです。


北の空はどこまでも青く、高く。
ナタリー・エヴァンス……いえ、ナタリー・フォン・ベルンハルトの笑い声は、これからも北の大地に、そして愛する人々の心に、力強く響き渡っていくのでした。
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