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馬車がようやく目的地であるヴォルフレード辺境伯領の大きな屋敷に到着しました。
門をくぐった瞬間から感じていたのですが、この屋敷、あまりにも静かすぎますわ。
庭師の方も、門番の方も、まるで石像のように黙々と仕事をこなしていらっしゃる。
「トム、見ましたか? あの方々の無駄のない動き。素晴らしいですが、少しばかりコミュニケーションの風通しが悪そうですわね。私が到着したからには、この屋敷の平均デシベルを三倍、いえ、五倍には引き上げて差し上げなくては!」
「……お嬢様、俺はここで失礼します。紹介状と荷物は執事さんに渡しましたから。俺、これから実家に帰って、三日三晩、静寂の中で耳を休ませるつもりです……」
トムは逃げるように馬車を走らせて去っていきました。あら、お礼を言う暇もありませんでしたわ。
屋敷の重厚な扉が開くと、そこにはこれまた鉄仮面のような表情をした年配の執事さんが立っていました。
「……ラージュ・アルカディア様ですね。主がお待ちです。こちらへ」
「まあ、あなたも随分と省エネな喋り方をなさるのね! その『……』という間に、どれほどの豊かな言葉を詰め込めるか考えたことはありますか? たとえば『ようこそ、長旅でお疲れではありませんか、今すぐ最高級の茶葉で淹れた紅茶と、バターをたっぷり使ったスコーンをご用意いたしますので、どうぞこちらのふかふかの椅子でおくつろぎください』くらいのことは言えるはずですわよ?」
「……。主が、お待ちです」
「あら、無視? それとも私の提案があまりに斬新で、脳内処理が追いついていらっしゃらないのかしら? よろしいですわ、その沈黙、肯定と受け取っておきますわね。さあ、案内してくださる?」
案内された広間には、一人の男性が立っていました。
彼こそが、この領地の主であり、数々の戦功を立てた「沈黙の将軍」ギルバート・ヴォルフレード辺境伯。
背が高く、鍛え上げられた体躯。鋭い眼光。そして何より、周囲の空気を凍りつかせるような圧倒的な威圧感。
彼は私を見ると、わずかに眉を動かしましたが、一言も発しません。
「……」
「お初にお目にかかりますわ、ギルバート様! 私、婚約破棄されて居場所がなくなったので、お父様の厚意(という名の体裁のいい厄介払い)に甘えてこちらへ参りました、ラージュ・アルカディアですわ! お噂はかねがね伺っております。戦場では一言も発さずに部下を操り、敵を震え上がらせるとか。素晴らしいですわ! でも、ここは戦場ではありませんから、そんなに喉を固く閉ざしておく必要はありませんのよ?」
「……」
「あら、まだ黙っていらっしゃる。もしかして、私の美しさに圧倒されて言葉を失いました? それとも、私の挨拶のテンポが速すぎて、返事をするタイミングを見失ってしまったのかしら? もし後者なら申し訳ありませんわ。私、思考の速度がそのまま口から漏れ出してしまう体質なのです。でもご安心を。あなたが黙っている間、私がその空白をすべて、有意義な知識と考察で埋め尽くして差し上げますわ!」
私は一歩、彼に近づきました。彼は微動だにしませんが、その瞳には明らかな困惑の色が浮かんでいます。
「ところで、ギルバート様。その甲冑。機能性は高そうですが、少しばかり装飾がストイックすぎませんか? 武人は実力さえあればいいとお考えかもしれませんが、視覚効果というものも重要ですわ。たとえば、肩の部分に少しだけ流線型の彫りを入れるだけで、空気抵抗が軽減されるだけでなく、敵対者に『この男は細部まで神経が行き届いている』という心理的圧迫感を与えられますの。今度、私の知っている腕利きの職人を紹介しましょうか?」
「……」
「あ、もしかして今『こいつ、いつまで喋るんだ』と思いました? いいえ、言わなくて結構です、その目の動きで分かりますわ。でも残念ながら、私はあなたが『もう十分だ、満足した』と文書でサインをくださるまで止まりませんわよ。そもそも、沈黙というものは、情報伝達における損失(ロス)以外の何物でもありません。あなたが十秒黙っている間に、私は隣国の関税問題から、美味しいジャムの作り方まで、少なくとも三つのトピックを提供できるのですわ!」
ギルバート様は、ふっと息を吐きました。そして、ようやく口を開きました。
「……好きにしろ」
「まあ! 『好きにしろ』ですって! それはつまり、私が二十四時間、あなたのそばでこの溢れんばかりの知見を披露し続けても良いという全権委任(フルライセンス)と受け取ってよろしいのかしら? 素晴らしいですわ、ギルバート様! あなた、見た目に反して(失礼ですが)非常に度量が広い方なんですのね!」
「……」
「そうと決まれば、まずはこの屋敷のインテリアの改善点について、百か条ほどの提言をまとめたいと思いますわ。第一条! 廊下に花が少なすぎます! 視覚的な癒やしは脳の活性化に繋がり、それはひいては領地経営の効率化に……」
私がさらに身振りを交えて熱弁を振るおうとしたその時、ギルバート様の口角が、ほんの、ほんのわずかに上がったのを私は見逃しませんでした。
「あら、今笑いましたわね? 私のトークに感銘を受けましたのね? 分かりますわ、その気持ち! 良いでしょう、特別に今夜の夕食の席では、『沈黙がいかにして人間の思考を鈍らせるか』というテーマで、一時間の特別講義を行って差し上げますわ!」
「……ああ」
「返事が短いですが、その凝縮された一言に、深い期待が込められているのを私は感じ取っておりますわよ! さあ、執事さん! まずは私のお部屋に案内してくださる? 荷解きをしながら、この屋敷の歴史についてあなたと語り合いたいのですわ!」
呆然とする執事さんを尻目に、私は勝利を確信しました。
この辺境伯領……思った以上に、私の「喋り甲斐」がありそうな場所ですわ!
門をくぐった瞬間から感じていたのですが、この屋敷、あまりにも静かすぎますわ。
庭師の方も、門番の方も、まるで石像のように黙々と仕事をこなしていらっしゃる。
「トム、見ましたか? あの方々の無駄のない動き。素晴らしいですが、少しばかりコミュニケーションの風通しが悪そうですわね。私が到着したからには、この屋敷の平均デシベルを三倍、いえ、五倍には引き上げて差し上げなくては!」
「……お嬢様、俺はここで失礼します。紹介状と荷物は執事さんに渡しましたから。俺、これから実家に帰って、三日三晩、静寂の中で耳を休ませるつもりです……」
トムは逃げるように馬車を走らせて去っていきました。あら、お礼を言う暇もありませんでしたわ。
屋敷の重厚な扉が開くと、そこにはこれまた鉄仮面のような表情をした年配の執事さんが立っていました。
「……ラージュ・アルカディア様ですね。主がお待ちです。こちらへ」
「まあ、あなたも随分と省エネな喋り方をなさるのね! その『……』という間に、どれほどの豊かな言葉を詰め込めるか考えたことはありますか? たとえば『ようこそ、長旅でお疲れではありませんか、今すぐ最高級の茶葉で淹れた紅茶と、バターをたっぷり使ったスコーンをご用意いたしますので、どうぞこちらのふかふかの椅子でおくつろぎください』くらいのことは言えるはずですわよ?」
「……。主が、お待ちです」
「あら、無視? それとも私の提案があまりに斬新で、脳内処理が追いついていらっしゃらないのかしら? よろしいですわ、その沈黙、肯定と受け取っておきますわね。さあ、案内してくださる?」
案内された広間には、一人の男性が立っていました。
彼こそが、この領地の主であり、数々の戦功を立てた「沈黙の将軍」ギルバート・ヴォルフレード辺境伯。
背が高く、鍛え上げられた体躯。鋭い眼光。そして何より、周囲の空気を凍りつかせるような圧倒的な威圧感。
彼は私を見ると、わずかに眉を動かしましたが、一言も発しません。
「……」
「お初にお目にかかりますわ、ギルバート様! 私、婚約破棄されて居場所がなくなったので、お父様の厚意(という名の体裁のいい厄介払い)に甘えてこちらへ参りました、ラージュ・アルカディアですわ! お噂はかねがね伺っております。戦場では一言も発さずに部下を操り、敵を震え上がらせるとか。素晴らしいですわ! でも、ここは戦場ではありませんから、そんなに喉を固く閉ざしておく必要はありませんのよ?」
「……」
「あら、まだ黙っていらっしゃる。もしかして、私の美しさに圧倒されて言葉を失いました? それとも、私の挨拶のテンポが速すぎて、返事をするタイミングを見失ってしまったのかしら? もし後者なら申し訳ありませんわ。私、思考の速度がそのまま口から漏れ出してしまう体質なのです。でもご安心を。あなたが黙っている間、私がその空白をすべて、有意義な知識と考察で埋め尽くして差し上げますわ!」
私は一歩、彼に近づきました。彼は微動だにしませんが、その瞳には明らかな困惑の色が浮かんでいます。
「ところで、ギルバート様。その甲冑。機能性は高そうですが、少しばかり装飾がストイックすぎませんか? 武人は実力さえあればいいとお考えかもしれませんが、視覚効果というものも重要ですわ。たとえば、肩の部分に少しだけ流線型の彫りを入れるだけで、空気抵抗が軽減されるだけでなく、敵対者に『この男は細部まで神経が行き届いている』という心理的圧迫感を与えられますの。今度、私の知っている腕利きの職人を紹介しましょうか?」
「……」
「あ、もしかして今『こいつ、いつまで喋るんだ』と思いました? いいえ、言わなくて結構です、その目の動きで分かりますわ。でも残念ながら、私はあなたが『もう十分だ、満足した』と文書でサインをくださるまで止まりませんわよ。そもそも、沈黙というものは、情報伝達における損失(ロス)以外の何物でもありません。あなたが十秒黙っている間に、私は隣国の関税問題から、美味しいジャムの作り方まで、少なくとも三つのトピックを提供できるのですわ!」
ギルバート様は、ふっと息を吐きました。そして、ようやく口を開きました。
「……好きにしろ」
「まあ! 『好きにしろ』ですって! それはつまり、私が二十四時間、あなたのそばでこの溢れんばかりの知見を披露し続けても良いという全権委任(フルライセンス)と受け取ってよろしいのかしら? 素晴らしいですわ、ギルバート様! あなた、見た目に反して(失礼ですが)非常に度量が広い方なんですのね!」
「……」
「そうと決まれば、まずはこの屋敷のインテリアの改善点について、百か条ほどの提言をまとめたいと思いますわ。第一条! 廊下に花が少なすぎます! 視覚的な癒やしは脳の活性化に繋がり、それはひいては領地経営の効率化に……」
私がさらに身振りを交えて熱弁を振るおうとしたその時、ギルバート様の口角が、ほんの、ほんのわずかに上がったのを私は見逃しませんでした。
「あら、今笑いましたわね? 私のトークに感銘を受けましたのね? 分かりますわ、その気持ち! 良いでしょう、特別に今夜の夕食の席では、『沈黙がいかにして人間の思考を鈍らせるか』というテーマで、一時間の特別講義を行って差し上げますわ!」
「……ああ」
「返事が短いですが、その凝縮された一言に、深い期待が込められているのを私は感じ取っておりますわよ! さあ、執事さん! まずは私のお部屋に案内してくださる? 荷解きをしながら、この屋敷の歴史についてあなたと語り合いたいのですわ!」
呆然とする執事さんを尻目に、私は勝利を確信しました。
この辺境伯領……思った以上に、私の「喋り甲斐」がありそうな場所ですわ!
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