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セドリック殿下が地面と対話(絶望して伏せているだけですが)している最中、もう一台の馬車が、これまた心許ない速度で到着しましたわ。
扉から転がり落ちるように出てきたのは、ふわふわの桃色の髪を振り乱したメルルさん。彼女、瞳に涙を溜めて、私に向かって駆け寄ってきました。
「ふえぇ……ラージュ様ぁ! ひどいですぅ、セドリック様をたぶらかして、辺境に連れ去るなんて……。セドリック様はメルルの王子様なんですぅ!」
私は、彼女が発した最初の二文字を聞いた瞬間、反射的に懐(ふところ)からストップウォッチを取り出しましたわ。
「ストップ! メルルさん、まずその『ふえぇ』という擬音。それを日常生活、それも公の場での抗議活動に使用するのは、知的人類としての退化を意味しますわよ。悲しいなら『悲嘆に暮れています』、驚いたなら『驚天動地ですわ』と、適切な形容詞や四字熟語を使い分けなさいな!」
「ふ、ふえぇ……? そんなの分かんないですぅ……。メルルはただ、セドリック様と幸せになりたかっただけなのにぃ……」
「『だけなのにぃ』! その語尾の伸び、だらしないですわ! いいですか、メルルさん。あなたがセドリック殿下の隣に座り続けるためには、最低でも一日に一万語、殿下の脳を刺激するだけの情報の奔流(ほんりゅう)を提供し続けなければなりませんの。今のあなたの語彙力では、三日もすれば殿下の知的好奇心は干からびて死滅してしまいますわよ?」
私は彼女の目の前に立ちはだかり、その、あまりにも「情報量の少ない」顔を覗き込みました。
「メルルさん。あなたが今ここで流している涙。その塩分濃度や、涙道から溢れるメカニズムについて、私に一分間で解説できます? できないでしょう? それこそが、あなたが殿下に飽きられた根本的な原因ですわ。癒やしとは、単なる沈黙ではなく、『心地よい知的情報の共有』から生まれるもの。あなたの『……えへへ』という笑いは、情報の真空状態ですわよ!」
「ラ、ラージュ様、怖いですぅ……。どうしてそんなに難しいことばっかり言うんですかぁ……。もっと、こう……心と心で通じ合えばいいじゃないですかぁ!」
「心と心? まあ、ロマンチックですわね。でも、心という形のないものを繋ぎ止める唯一の鎖が、言葉なのですわ! その鎖が錆びついてボロボロのあなたに、何が守れるというのです。今すぐ私の『ヒロインのための集中語彙力強化合宿』のパンフレット……あ、今から私が即興で書き上げますわね、それを受講しなさい!」
私は近くにあった木の枝を拾うと、地面に猛烈な勢いで「ヒロインが使うべき知的語彙リスト」を書き殴り始めました。
「いいですか、メルルさん。まず『可愛い』という言葉を禁止します! 今後は『可憐極まりない』『造形美の極致』『庇護欲を激しく煽(あお)る外貌』など、少なくとも十通りの言い換えをマスターしてくださいませ。そして『美味しい』の代わりには、味蕾(みらい)が受ける刺激の多層的な分析を……」
「ふ、ふえぇ……もう嫌ですぅ……。メルル、お勉強なんてしたくないですぅ……。ただ優しくされたいだけなんですぅ……」
メルルさんは耳を塞いで、その場にうずくまってしまいました。
「あら、現実逃避ですか? それも一つの防衛本能ですが、成長を放棄したヒロインに、この『沈黙の将軍』の屋敷の門を潜る資格はありませんわ! ギルバート様、彼女に一言、言葉の重みを教えて差し上げてくださいませ!」
私の呼びかけに、それまでずっと後ろで腕を組んで、私たちのやり取りを眺めていたギルバート様が、一歩前に出ました。
「……」
「……」
ギルバート様は、泣きじゃくるメルルさんをじっと見下ろし、そして、短く、しかし冷徹な真実を告げました。
「……騒がしい。……中身がない。……不快だ」
「………………っっっ!!!」
メルルさんは、ギルバート様の「情報の密度は高いが心臓に悪い一言」に、まるで物理的な打撃を受けたかのように吹き飛びました(精神的にですけれど)。
「ひ、ひどいですぅ……。辺境伯様まで、ラージュ様みたいに意地悪ですぅ……! もういいですぅ、セドリック様! 帰りましょう、帰りましょうぉ!」
メルルさんは、まだ地面に伏せていたセドリック殿下を無理やり引きずり起こすと、逃げるように馬車へと詰め込みました。
「あら、もうお帰りですか? 三ページ目の『反論の構築術』の解説がまだですのに! メルルさん、忘れないで! 愛とは、辞書を共にめくる行為のことですわよ!」
馬車が全速力で走り去っていくのを、私はいつまでも手を振って見送りました。
「ふう。近頃のヒロインさんは、打たれ弱いですわね。あんなことでは、殿下の飽きっぽさを矯正することなんて不可能ですわ」
「ラージュ。……お前が、強すぎるだけだ」
ギルバート様が、呆れたように、しかしどこか誇らしげに私の肩に手を置きました。
「まあ、ギルバート様! 今の私を褒めてくださったのかしら? それとも、私の戦闘力(トーク力)に対する恐怖の表明? どちらにしても、最高の気分ですわ! さあ、お口直しに、私と『沈黙と中身のない言葉、どちらがより環境に悪影響を与えるか』について、三時間ほど討論しましょうか!」
「……ああ。受けて立とう」
「素晴らしいですわ! では、第一の議題、音響汚染としての『ふえぇ』について……!」
こうして、王宮の騒がしい(しかし中身のない)二人は去り、辺境の屋敷には再び、知的でやかましい、いつもの日常が戻ってきたのでした。
扉から転がり落ちるように出てきたのは、ふわふわの桃色の髪を振り乱したメルルさん。彼女、瞳に涙を溜めて、私に向かって駆け寄ってきました。
「ふえぇ……ラージュ様ぁ! ひどいですぅ、セドリック様をたぶらかして、辺境に連れ去るなんて……。セドリック様はメルルの王子様なんですぅ!」
私は、彼女が発した最初の二文字を聞いた瞬間、反射的に懐(ふところ)からストップウォッチを取り出しましたわ。
「ストップ! メルルさん、まずその『ふえぇ』という擬音。それを日常生活、それも公の場での抗議活動に使用するのは、知的人類としての退化を意味しますわよ。悲しいなら『悲嘆に暮れています』、驚いたなら『驚天動地ですわ』と、適切な形容詞や四字熟語を使い分けなさいな!」
「ふ、ふえぇ……? そんなの分かんないですぅ……。メルルはただ、セドリック様と幸せになりたかっただけなのにぃ……」
「『だけなのにぃ』! その語尾の伸び、だらしないですわ! いいですか、メルルさん。あなたがセドリック殿下の隣に座り続けるためには、最低でも一日に一万語、殿下の脳を刺激するだけの情報の奔流(ほんりゅう)を提供し続けなければなりませんの。今のあなたの語彙力では、三日もすれば殿下の知的好奇心は干からびて死滅してしまいますわよ?」
私は彼女の目の前に立ちはだかり、その、あまりにも「情報量の少ない」顔を覗き込みました。
「メルルさん。あなたが今ここで流している涙。その塩分濃度や、涙道から溢れるメカニズムについて、私に一分間で解説できます? できないでしょう? それこそが、あなたが殿下に飽きられた根本的な原因ですわ。癒やしとは、単なる沈黙ではなく、『心地よい知的情報の共有』から生まれるもの。あなたの『……えへへ』という笑いは、情報の真空状態ですわよ!」
「ラ、ラージュ様、怖いですぅ……。どうしてそんなに難しいことばっかり言うんですかぁ……。もっと、こう……心と心で通じ合えばいいじゃないですかぁ!」
「心と心? まあ、ロマンチックですわね。でも、心という形のないものを繋ぎ止める唯一の鎖が、言葉なのですわ! その鎖が錆びついてボロボロのあなたに、何が守れるというのです。今すぐ私の『ヒロインのための集中語彙力強化合宿』のパンフレット……あ、今から私が即興で書き上げますわね、それを受講しなさい!」
私は近くにあった木の枝を拾うと、地面に猛烈な勢いで「ヒロインが使うべき知的語彙リスト」を書き殴り始めました。
「いいですか、メルルさん。まず『可愛い』という言葉を禁止します! 今後は『可憐極まりない』『造形美の極致』『庇護欲を激しく煽(あお)る外貌』など、少なくとも十通りの言い換えをマスターしてくださいませ。そして『美味しい』の代わりには、味蕾(みらい)が受ける刺激の多層的な分析を……」
「ふ、ふえぇ……もう嫌ですぅ……。メルル、お勉強なんてしたくないですぅ……。ただ優しくされたいだけなんですぅ……」
メルルさんは耳を塞いで、その場にうずくまってしまいました。
「あら、現実逃避ですか? それも一つの防衛本能ですが、成長を放棄したヒロインに、この『沈黙の将軍』の屋敷の門を潜る資格はありませんわ! ギルバート様、彼女に一言、言葉の重みを教えて差し上げてくださいませ!」
私の呼びかけに、それまでずっと後ろで腕を組んで、私たちのやり取りを眺めていたギルバート様が、一歩前に出ました。
「……」
「……」
ギルバート様は、泣きじゃくるメルルさんをじっと見下ろし、そして、短く、しかし冷徹な真実を告げました。
「……騒がしい。……中身がない。……不快だ」
「………………っっっ!!!」
メルルさんは、ギルバート様の「情報の密度は高いが心臓に悪い一言」に、まるで物理的な打撃を受けたかのように吹き飛びました(精神的にですけれど)。
「ひ、ひどいですぅ……。辺境伯様まで、ラージュ様みたいに意地悪ですぅ……! もういいですぅ、セドリック様! 帰りましょう、帰りましょうぉ!」
メルルさんは、まだ地面に伏せていたセドリック殿下を無理やり引きずり起こすと、逃げるように馬車へと詰め込みました。
「あら、もうお帰りですか? 三ページ目の『反論の構築術』の解説がまだですのに! メルルさん、忘れないで! 愛とは、辞書を共にめくる行為のことですわよ!」
馬車が全速力で走り去っていくのを、私はいつまでも手を振って見送りました。
「ふう。近頃のヒロインさんは、打たれ弱いですわね。あんなことでは、殿下の飽きっぽさを矯正することなんて不可能ですわ」
「ラージュ。……お前が、強すぎるだけだ」
ギルバート様が、呆れたように、しかしどこか誇らしげに私の肩に手を置きました。
「まあ、ギルバート様! 今の私を褒めてくださったのかしら? それとも、私の戦闘力(トーク力)に対する恐怖の表明? どちらにしても、最高の気分ですわ! さあ、お口直しに、私と『沈黙と中身のない言葉、どちらがより環境に悪影響を与えるか』について、三時間ほど討論しましょうか!」
「……ああ。受けて立とう」
「素晴らしいですわ! では、第一の議題、音響汚染としての『ふえぇ』について……!」
こうして、王宮の騒がしい(しかし中身のない)二人は去り、辺境の屋敷には再び、知的でやかましい、いつもの日常が戻ってきたのでした。
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