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一日の業務を終え、私はアディントン公爵家の屋敷へと戻った。
馬車を降り、玄関ホールに入ると、そこには仁王立ちで私を待つ父の姿があった。
「メアリー、帰りを楽しみにしていたぞ。さあ、執務室へ来なさい」
父の表情は相変わらず厳格だが、その瞳には奇妙な熱が宿っている。
私は「いよいよお説教かしら」と覚悟しつつ、父の後に続いた。
執務室に入り、重厚な扉が閉められる。
父は大きな机の向こう側に座り、私をじっと見つめた。
「まずは確認だ。財務省の特別顧問に就任したというのは事実か?」
「ええ、左様ですわ、お父様。ヴォルガード侯爵から熱烈な……いえ、合理的なスカウトをいただきまして。本日より正式に稼働しております」
私は淡々と答えた。
父は深く息を吐き、そして机を思い切り叩いた。
「素晴らしい! 我が娘ながら、なんという見事なリカバリーだ! 不良債権を切り離した翌日に、国家の金庫番の椅子を手に入れるとは! これ以上のROI(投資利益率)があるだろうか!」
父は立ち上がり、まるで商談を成立させた商人のように上機嫌で部屋を歩き回った。
「……お父様、怒っていらっしゃらないのですか? 王家との繋がりを断ったことは、公爵家にとって大きな損失では?」
「損失? とんでもない! あのアホ王子にこれ以上我が家の資産を注ぎ込むことこそが、底の抜けた桶に水を注ぐような、国家規模の損失だ。国王陛下には私から『娘は心身の疲労により、現在は数字の計算しかできない状態です』と報告しておいた」
「あながち間違いではありませんわね。今の私は、一ギル以下の端数すら見逃せませんから」
私はふふ、と微笑んだ。
父は満足げに頷き、そして不敵な笑みを浮かべた。
「実を言うと、先ほど王宮からの使者が来た。『婚約破棄を撤回し、メアリーが謝罪するなら許してやる』という、エドワード殿下からの伝言を携えてな」
「まあ。まだそんな寝言を仰っていますの?」
「安心しろ。私が直接追い返しておいた。『弊社の……失礼、我が家の優秀な人材を無償で貸し出す期間は終了しました。再契約をご希望なら、まずは滞納している売掛金(慰謝料)を清算してください』とな」
親子だな、と私は思った。
私の合理性は、間違いなくこの父から譲り受けたものだ。
「ですが、お父様。一つだけ問題がありますわ」
「なんだ、メアリー」
「財務卿のヴォルガード侯爵です。彼は極めて有能ですが、少々……独占欲が強いというか、仕事の振り方が極端なのです。私の二十四時間を丸ごと買い取るような発言もしておりました」
父は一瞬、真面目な顔をして顎に手を当てた。
「財務卿、サイラス・ヴォルガード侯爵か。彼は確かに『鉄仮面』と呼ばれる男だが、その裏では徹底した実力主義者だ。……メアリー、彼との間に『合併』の可能性はあるのか?」
「……合併、とおっしゃいますと?」
「結婚だよ。アディントン公爵家の経済力と、ヴォルガード侯爵家の権力、そして二人の事務処理能力が合わされば、この国を文字通り『最適化』できる。これは市場独占も夢ではないぞ」
私は父のあまりにもビジネスライクな提案に、一瞬だけ言葉を失った。
「お父様、私はまだ自由を楽しみたいのです。契約結婚ならまだしも、感情という不確定要素に振り回されるのは効率的ではありません」
「がはは! それもそうだな。だが、あの男が君をただの部下として見ているとは思えんがね」
父との会話を終え、自室に戻った私は、窓から夜の街を眺めた。
手元には、サイラス様から渡された「明日までの宿題(予算案の修正)」がある。
「合併、ですか……」
脳裏に、今日、私の肩に置かれたサイラス様の大きな手の感触が蘇る。
あれは果たして、上司としての労いだったのか、それとも父が言うような「独占欲」の表れだったのか。
「……考えても答えが出ないものは、後回しですわね。今は、この無駄だらけの道路修繕予算を削る方が先決だわ」
私はペンを手に取り、深夜の静寂の中で紙を走らせる音だけを響かせた。
自由の身になったはずなのに、心なしか心拍数という名の「コスト」が少しだけ上昇している気がしたが、私はそれを単なる「仕事への高揚感」として処理することにした。
馬車を降り、玄関ホールに入ると、そこには仁王立ちで私を待つ父の姿があった。
「メアリー、帰りを楽しみにしていたぞ。さあ、執務室へ来なさい」
父の表情は相変わらず厳格だが、その瞳には奇妙な熱が宿っている。
私は「いよいよお説教かしら」と覚悟しつつ、父の後に続いた。
執務室に入り、重厚な扉が閉められる。
父は大きな机の向こう側に座り、私をじっと見つめた。
「まずは確認だ。財務省の特別顧問に就任したというのは事実か?」
「ええ、左様ですわ、お父様。ヴォルガード侯爵から熱烈な……いえ、合理的なスカウトをいただきまして。本日より正式に稼働しております」
私は淡々と答えた。
父は深く息を吐き、そして机を思い切り叩いた。
「素晴らしい! 我が娘ながら、なんという見事なリカバリーだ! 不良債権を切り離した翌日に、国家の金庫番の椅子を手に入れるとは! これ以上のROI(投資利益率)があるだろうか!」
父は立ち上がり、まるで商談を成立させた商人のように上機嫌で部屋を歩き回った。
「……お父様、怒っていらっしゃらないのですか? 王家との繋がりを断ったことは、公爵家にとって大きな損失では?」
「損失? とんでもない! あのアホ王子にこれ以上我が家の資産を注ぎ込むことこそが、底の抜けた桶に水を注ぐような、国家規模の損失だ。国王陛下には私から『娘は心身の疲労により、現在は数字の計算しかできない状態です』と報告しておいた」
「あながち間違いではありませんわね。今の私は、一ギル以下の端数すら見逃せませんから」
私はふふ、と微笑んだ。
父は満足げに頷き、そして不敵な笑みを浮かべた。
「実を言うと、先ほど王宮からの使者が来た。『婚約破棄を撤回し、メアリーが謝罪するなら許してやる』という、エドワード殿下からの伝言を携えてな」
「まあ。まだそんな寝言を仰っていますの?」
「安心しろ。私が直接追い返しておいた。『弊社の……失礼、我が家の優秀な人材を無償で貸し出す期間は終了しました。再契約をご希望なら、まずは滞納している売掛金(慰謝料)を清算してください』とな」
親子だな、と私は思った。
私の合理性は、間違いなくこの父から譲り受けたものだ。
「ですが、お父様。一つだけ問題がありますわ」
「なんだ、メアリー」
「財務卿のヴォルガード侯爵です。彼は極めて有能ですが、少々……独占欲が強いというか、仕事の振り方が極端なのです。私の二十四時間を丸ごと買い取るような発言もしておりました」
父は一瞬、真面目な顔をして顎に手を当てた。
「財務卿、サイラス・ヴォルガード侯爵か。彼は確かに『鉄仮面』と呼ばれる男だが、その裏では徹底した実力主義者だ。……メアリー、彼との間に『合併』の可能性はあるのか?」
「……合併、とおっしゃいますと?」
「結婚だよ。アディントン公爵家の経済力と、ヴォルガード侯爵家の権力、そして二人の事務処理能力が合わされば、この国を文字通り『最適化』できる。これは市場独占も夢ではないぞ」
私は父のあまりにもビジネスライクな提案に、一瞬だけ言葉を失った。
「お父様、私はまだ自由を楽しみたいのです。契約結婚ならまだしも、感情という不確定要素に振り回されるのは効率的ではありません」
「がはは! それもそうだな。だが、あの男が君をただの部下として見ているとは思えんがね」
父との会話を終え、自室に戻った私は、窓から夜の街を眺めた。
手元には、サイラス様から渡された「明日までの宿題(予算案の修正)」がある。
「合併、ですか……」
脳裏に、今日、私の肩に置かれたサイラス様の大きな手の感触が蘇る。
あれは果たして、上司としての労いだったのか、それとも父が言うような「独占欲」の表れだったのか。
「……考えても答えが出ないものは、後回しですわね。今は、この無駄だらけの道路修繕予算を削る方が先決だわ」
私はペンを手に取り、深夜の静寂の中で紙を走らせる音だけを響かせた。
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