婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

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 ガタゴトと激しく揺れる馬車の中で、私は夜会用のドレスを脱ぎ捨てていました。
 
 幸いなことに、非常用として馬車に積み込んでいた「農作業着」があります。
 
 シルクのドレスよりも、この使い古された麻のシャツの方が、今の私にはしっくりきますわ。
 
「お嬢様、そんなに急がずとも……。夜会を飛び出してから一度も休憩しておりませんよ」
 
 御者のトマスが心配そうに声をかけてきますが、私は窓から身を乗り出しました。
 
「何を言っているのトマス! 風の香りが変わったわ。この、甘くて少し酸っぱい……これは『ピーチベル一号』が完熟を迎えたサインよ!」
 
 婚約破棄のショック? そんなもの、桃の糖度に比べれば微々たる問題です。
 
 馬車がピーチベル辺境伯家の屋敷の門をくぐると同時に、私はまだ動いている馬車から飛び降りました。
 
「ただいま戻りましたわ!」
 
 玄関ホールに駆け込むと、そこには血走った目をした父、ピーチベル辺境伯が立っていました。
 
「モモカ! 帰ったか! 王都での婚約破棄の噂は今さっき早馬で届いたぞ!」
 
「お父様、その件につきましては――」
 
「そんなことはどうでもいい! それより大変なんだ、モモカ!」
 
 父が私の肩を掴んで激しく揺さぶります。
 
 娘の婚約破棄を「どうでもいい」と断じる父。さすが私の親ですわね。
 
「東の丘の『黄金桃』が、予想より二日早く熟し始めた! 収穫の手が足りんのだ! お前のその、神がかった『桃の選別眼』が今すぐ必要なんだよ!」
 
 父の言葉に、私の全身に電流が走りました。
 
 黄金桃。それは我が家が十年の歳月をかけて生み出した、一個で金貨一枚の値がつくという伝説の品種。
 
「なんですって!? あの子たちは繊細なんですのよ。一分でも収穫が遅れれば、あの至高の香りが損なわれてしまうわ!」
 
「そうなんだ! だが、王太子との婚約があったから、お前を呼び戻すわけにはいかなくてな……」
 
「セドリック様には感謝しなくてはなりませんわね。最高のタイミングで私をクビにしてくださったんですもの!」
 
 私と父は、ガシッと熱い握手を交わしました。
 
「お嬢様! お帰りなさいませ!」
 
 奥から、籠を抱えた使用人たちが次々と現れます。
 
 彼らの顔には悲壮感など微塵もありません。あるのは「戦士」の目つきです。
 
「さあ、モモカ様! 指示を! どの木から攻めますか!?」
 
「まずは西側の斜面よ。あそこは日当たりが良いから、糖度が限界まで上がっているはず。私は直接、黄金桃の選別に入るわ。傷一つ付けさせないわよ!」
 
「「「おおおおお!」」」
 
 こうして、王都では「悪役令嬢がショックで失踪した」と噂されている頃。
 
 私は泥にまみれ、桃の産毛で腕をかゆくしながら、満面の笑みで収穫作業に没頭していました。
 
 籠一杯に詰められた、ずっしりと重い桃。
 
 掌に伝わる柔らかな弾力と、鼻腔をくすぐる濃厚な芳香。
 
「ふふ……あはははは! これよ、これこそが私の生きる道だわ!」
 
 桃を一つ掲げて高笑いする私を、領民たちは「さすがピーチベルの女神様だ」と拝んでいました。
 
 しかし、平和な時間は長くは続きません。
 
 収穫作業の最中、執事のセバスが青い顔をして駆け寄ってきたのです。
 
「モモカ様、大変です! 王家からの通達が届きました!」
 
「なんですの? 桃の予約なら、もう今年は一杯ですわよ」
 
「いえ……婚約破棄に伴う報復として、ピーチベル領からの農産物の買い入れを、本日をもって全面的に停止すると……!」
 
 一瞬、農園に沈黙が流れました。
 
 王家が買わないということは、販路の七割が失われることを意味します。
 
 父が膝をつき、絶望の表情を浮かべました。
 
「そんな……。これだけの桃を、どうすれば……。このままでは全て腐ってしまうぞ……」
 
 使用人たちにも動揺が広がります。
 
 しかし、私は手にした桃を一口かじると、不敵な笑みを浮かべました。
 
「お父様。何を弱気なことをおっしゃっているのですか?」
 
「だがモモカ、王家を敵に回しては、どこの商会も動いてくれんぞ」
 
「王家が買わない? 結構なことですわ。あの方たち、いつも値切ってばかりで、桃の真の価値を理解していませんでしたもの」
 
 私は、桃の果汁を指で拭い、空を見上げました。
 
「王家が贅沢品を独占する時代は終わりです。これからは、私の桃を『本当に欲しがっている人』に、相応の値段で売りつけてやりますわ」
 
 私の脳内には、すでに新しいビジネスプランが、桃の種のようにびっしりと詰まっていました。
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