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「……モルニャ。もう一度、私の目を見て言ってくれ。これは……一体、何の儀式だ?」
倉庫の扉を蹴破り、軍を動かす勢いで乗り込んできたカイル様は、抜身の剣を握ったまま、石像のように固まっていました。
その視線の先には。
炭火のコンロを囲み、仲良く並んで座る私と、アトラス殿下。
そして、その後ろで「モルニャ様の咀嚼音……尊い……!」と壁に頭を打ち付けているリリィ様の姿。
「儀式も何も、見ての通りの『干物試食会』ですわ。カイル様も、そんなところに突っ立っていないで、こちらへどうぞ。このホッケ、今が一番の食べ頃ですのよ」
私は、黄金色に輝くホッケの身を箸でほぐし、カイル様の方へ差し出しました。
カイル様の背後に控える精鋭騎士団の方々が、「お、美味しそう……」という顔でごくりと喉を鳴らす音が聞こえます。
「……私は。……私は、お前が涙ながらに私の名を呼び、助けを求めている姿を想像して、帝都の気温を三度下げるほどの魔力を放ちながら駆けつけたのだぞ」
「あら、そんな物騒なことを。私は見ての通り、非常に安全で美味しい環境に身を置いておりますわ。……ほら、殿下も何かおっしゃって?」
私は、隣でガタガタと震えているアトラス殿下を肘で突つきました。
「ひ、ひぃっ……! 公爵! 誤解だ! 私はただ、この女……いや、モルニャに、王族流の『醤油の垂らし方』を伝授していただけで……!」
「アトラス。……貴様のその、薄汚い指が、私のモルニャが焼いた魚に触れたのか?」
カイル様の瞳に、暗黒の炎が宿りました。
彼はゆっくりと歩を進め、アトラス殿下の目の前でピタリと止まります。
「抜け。……その、魚の脂がついた不潔な剣を。私のモルニャを不当に拘束し、さらには安物の干物で餌付けしようとした罪、その身で購ってもらう」
「安物とは失礼な! これは私が、なけなしの……いや、王室の威信をかけて買い占めた最高級品だぞ!」
「カイル様、殿下。……喧嘩は、このホッケを食べてからにしてくださいな。冷めたら、皮のパリパリ感が台無しになってしまいますわ」
私は、二人の間に割って入り、焼き立てのホッケをカイル様の口元へ押し込みました。
「……っ!? モル、ニャ……! 私は今、激怒して……っ、……むぐっ」
カイル様は、無理やり押し込まれた魚の身を、条件反射で咀嚼しました。
……一秒。二秒。
カイル様の険しい表情が、みるみるうちに「……あ、美味しい」という顔に変わっていきます。
「……ふむ。……確かに、脂の乗りが。……塩加減も、熟練の職人技を感じるな」
「でしょう? 流石はカイル様、お魚の味が分かる男ですわ。……さあ、殿下も。最後の一切れですわよ」
「お、おお……。……はむっ。……う、美味い。……悔しいが、モルニャと食べる干物は、宮廷のどんなフルコースよりも美味い……」
気づけば、ルードルフ帝国の最強公爵と、王国の王太子が、一つのコンロを囲んで肩を並べて魚を突くという、歴史的な怪現象が起きていました。
「……閣下。突撃の合図は、まだでしょうか?」
外で待機していたヴァインさんが、恐る恐る顔を覗かせました。
そこには、魚を咀嚼しながら「……このキンメダイも焼くか」「そうだな、公爵。醤油はあるか?」と、すっかり意気投合……はしていませんが、休戦状態に入った二人の姿がありました。
「……ヴァイン。突撃は中止だ。……この倉庫の在庫をすべて、私の屋敷へ運べ。……それから、この王子と、あの変な声を上げている女を、今すぐ国境の外へ放り出せ」
「モルニャ様ぁー! 行かないでぇー! お名前のスペル、『M・O・R・U・N・Y・A』の『A』を、ハートマークに変えた新しい刺繍ハンカチをぉぉぉー!」
リリィ様が騎士たちに引きずられていく中、カイル様は私の腰を強引に引き寄せました。
「モルニャ。……遊びは終わりだ。帰るぞ」
「えぇ。……でもカイル様。私、あちらの棚にある『幻のイカの塩辛』も気になりますの」
「……。わかった。それも買い占める。……だが、今日からは一歩も屋敷から出さんからな。お前は、私の目の届くところで、私が用意した魚だけを食べていればいいんだ」
「それは、ますます私を猫扱いしようとしていらっしゃいませんこと?」
「……。猫ではない。……私の、唯一無二の伴侶として、だ」
カイル様は、ボソリと、けれどもしっかりとした声でそう呟きました。
その顔は、先ほどの怒りではなく、深い愛情……そして、少しの独占欲に染まっています。
「伴侶、ですか。……ふふ。お魚の好みが合うのなら、考えて差し上げてもよろしいですわよ?」
私が冗談めかして言うと、カイル様は私の額に、優しく口づけを落としました。
「……覚悟しておけ、モルニャ。お前のその、ふざけた……いや、愛らしい名前を、私の姓の隣に並べる日は近い」
「……にゃあ?」
私は、わざとらしく首を傾げてみせました。
倉庫に漂う香ばしい煙とともに、私たちの奇妙な逃走劇……もとい、誘拐劇は幕を閉じたのでした。
……まあ、アトラス殿下が「今度こそ、世界一美味い魚を持って、彼女を奪い返しに来る!」と、謎の決意を固めていたことなど、その時の私はまだ知る由もなかったのですけれど。
倉庫の扉を蹴破り、軍を動かす勢いで乗り込んできたカイル様は、抜身の剣を握ったまま、石像のように固まっていました。
その視線の先には。
炭火のコンロを囲み、仲良く並んで座る私と、アトラス殿下。
そして、その後ろで「モルニャ様の咀嚼音……尊い……!」と壁に頭を打ち付けているリリィ様の姿。
「儀式も何も、見ての通りの『干物試食会』ですわ。カイル様も、そんなところに突っ立っていないで、こちらへどうぞ。このホッケ、今が一番の食べ頃ですのよ」
私は、黄金色に輝くホッケの身を箸でほぐし、カイル様の方へ差し出しました。
カイル様の背後に控える精鋭騎士団の方々が、「お、美味しそう……」という顔でごくりと喉を鳴らす音が聞こえます。
「……私は。……私は、お前が涙ながらに私の名を呼び、助けを求めている姿を想像して、帝都の気温を三度下げるほどの魔力を放ちながら駆けつけたのだぞ」
「あら、そんな物騒なことを。私は見ての通り、非常に安全で美味しい環境に身を置いておりますわ。……ほら、殿下も何かおっしゃって?」
私は、隣でガタガタと震えているアトラス殿下を肘で突つきました。
「ひ、ひぃっ……! 公爵! 誤解だ! 私はただ、この女……いや、モルニャに、王族流の『醤油の垂らし方』を伝授していただけで……!」
「アトラス。……貴様のその、薄汚い指が、私のモルニャが焼いた魚に触れたのか?」
カイル様の瞳に、暗黒の炎が宿りました。
彼はゆっくりと歩を進め、アトラス殿下の目の前でピタリと止まります。
「抜け。……その、魚の脂がついた不潔な剣を。私のモルニャを不当に拘束し、さらには安物の干物で餌付けしようとした罪、その身で購ってもらう」
「安物とは失礼な! これは私が、なけなしの……いや、王室の威信をかけて買い占めた最高級品だぞ!」
「カイル様、殿下。……喧嘩は、このホッケを食べてからにしてくださいな。冷めたら、皮のパリパリ感が台無しになってしまいますわ」
私は、二人の間に割って入り、焼き立てのホッケをカイル様の口元へ押し込みました。
「……っ!? モル、ニャ……! 私は今、激怒して……っ、……むぐっ」
カイル様は、無理やり押し込まれた魚の身を、条件反射で咀嚼しました。
……一秒。二秒。
カイル様の険しい表情が、みるみるうちに「……あ、美味しい」という顔に変わっていきます。
「……ふむ。……確かに、脂の乗りが。……塩加減も、熟練の職人技を感じるな」
「でしょう? 流石はカイル様、お魚の味が分かる男ですわ。……さあ、殿下も。最後の一切れですわよ」
「お、おお……。……はむっ。……う、美味い。……悔しいが、モルニャと食べる干物は、宮廷のどんなフルコースよりも美味い……」
気づけば、ルードルフ帝国の最強公爵と、王国の王太子が、一つのコンロを囲んで肩を並べて魚を突くという、歴史的な怪現象が起きていました。
「……閣下。突撃の合図は、まだでしょうか?」
外で待機していたヴァインさんが、恐る恐る顔を覗かせました。
そこには、魚を咀嚼しながら「……このキンメダイも焼くか」「そうだな、公爵。醤油はあるか?」と、すっかり意気投合……はしていませんが、休戦状態に入った二人の姿がありました。
「……ヴァイン。突撃は中止だ。……この倉庫の在庫をすべて、私の屋敷へ運べ。……それから、この王子と、あの変な声を上げている女を、今すぐ国境の外へ放り出せ」
「モルニャ様ぁー! 行かないでぇー! お名前のスペル、『M・O・R・U・N・Y・A』の『A』を、ハートマークに変えた新しい刺繍ハンカチをぉぉぉー!」
リリィ様が騎士たちに引きずられていく中、カイル様は私の腰を強引に引き寄せました。
「モルニャ。……遊びは終わりだ。帰るぞ」
「えぇ。……でもカイル様。私、あちらの棚にある『幻のイカの塩辛』も気になりますの」
「……。わかった。それも買い占める。……だが、今日からは一歩も屋敷から出さんからな。お前は、私の目の届くところで、私が用意した魚だけを食べていればいいんだ」
「それは、ますます私を猫扱いしようとしていらっしゃいませんこと?」
「……。猫ではない。……私の、唯一無二の伴侶として、だ」
カイル様は、ボソリと、けれどもしっかりとした声でそう呟きました。
その顔は、先ほどの怒りではなく、深い愛情……そして、少しの独占欲に染まっています。
「伴侶、ですか。……ふふ。お魚の好みが合うのなら、考えて差し上げてもよろしいですわよ?」
私が冗談めかして言うと、カイル様は私の額に、優しく口づけを落としました。
「……覚悟しておけ、モルニャ。お前のその、ふざけた……いや、愛らしい名前を、私の姓の隣に並べる日は近い」
「……にゃあ?」
私は、わざとらしく首を傾げてみせました。
倉庫に漂う香ばしい煙とともに、私たちの奇妙な逃走劇……もとい、誘拐劇は幕を閉じたのでした。
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