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最後の乗客たち
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第一章 最終便
午後十一時四十五分。私は羽田空港の搭乗ゲートに立っていた。
最終便、JAL873便。目的地は札幌・新千歳空港。台風が接近しているため、これが今夜最後のフライトだった。
私の名前は桜井真一。三十五歳の出版社営業マン。札幌の書店との商談を終え、急いで東京に戻る必要があった。明日の朝一番に、重要なプレゼンテーションが控えていたからだ。
「お客様、搭乗券をお願いします」
疲れた表情のグランドスタッフが、機械的に言った。
私は搭乗券を差し出し、機内に入った。
乗客は少なかった。台風接近のせいで、多くの便が欠航になっていた。この便も、本来は満席のはずだったが、払い戻しやキャンセルが相次いだらしい。
座席は13B。窓側の席だ。
隣の13Aには、誰も座っていなかった。
私は安堵の息をついた。長時間のフライト、隣に誰もいない方が楽だ。
だが、搭乗が始まってから気づいた。
乗客が、異様に少ない。
機内を見回すと、乗客は私を含めて十人しかいなかった。
最前列に座る初老の男性、スーツを着た五十代くらいの厳つい顔つき。
その後ろに、二十代と思われる若いカップル。女性は不安そうに男性にしがみついている。
中央部には、三十代の女性が一人。ノートパソコンを開いて、何か作業をしている。
私の後ろには、大学生くらいの若い男性。イヤホンをして、スマートフォンを見つめている。
さらに後方には、六十代の老夫婦。二人とも疲れた様子で座っている。
そして最後尾に、黒いフードを被った人物。性別も年齢も分からない。ずっと下を向いている。
客室乗務員は二人。一人は三十代の女性、名札には「木村」とある。もう一人は二十代の若い男性、「田中」と書かれている。
「皆様、本日はJAL873便をご利用いただき、ありがとうございます」
木村が、マイクで機内アナウンスを始めた。だが、その声には疲労が滲んでいた。
「当便は、台風接近のため、若干の揺れが予想されます。シートベルトは常時着用をお願いいたします」
機体が動き出した。
私は窓の外を見た。雨が激しく降っている。風も強い。本当にこの天候で飛べるのか、不安になった。
離陸許可が下り、機体が滑走路に向かう。
エンジン音が高まり、機体が加速する。
そして、離陸。
機体が大きく揺れた。
「うわっ!」
若いカップルの女性が悲鳴を上げた。
だが、すぐに機体は安定した。雲の中を抜け、夜空に出た。
「高度一万メートルに到達しました。シートベルトサインを消灯いたします」
木村のアナウンス。
私は深く息を吐いた。これで、後は札幌まで二時間弱だ。
だが、その時だった。
機内放送が再び入った。
「皆様に、緊急のお知らせがあります」
木村の声は、明らかに動揺していた。
「この便に、爆弾が仕掛けられているという通報がありました」
機内に、静寂が訪れた。
第二章 爆弾予告
「爆弾......?」
誰かが呟いた。
若いカップルの女性が、泣き出した。
「嘘でしょ......嘘よね?」
木村が続けた。
「詳細は不明です。ただ、通報によれば、この機内のどこかに爆弾が隠されており、午前一時に爆発するとのことです」
午前一時。今は午前零時五分。あと五十五分しかない。
「引き返せないんですか!」最前列のスーツの男が叫んだ。
「申し訳ございません。現在、台風の影響で羽田空港は閉鎖されています。札幌への飛行を続けるしかありません」
「じゃあ、その爆弾を探せばいいだろう!」
田中が前に出てきた。
「現在、機内の捜索を行っています。皆様、ご協力をお願いします」
だが、私は気づいていた。
この状況、何かがおかしい。
爆弾予告があったのなら、なぜ離陸前に分からなかったのか。
そして、なぜこのタイミングで発表したのか。
私は立ち上がり、木村に声をかけた。
「すみません、通報はいつ、誰から入ったんですか?」
木村は躊躇したが、答えた。
「離陸直後です。管制塔を通じて、機長に伝えられました。通報者は......匿名です」
「匿名?」
「ええ。ただ、通報者は『犯人はこの機内にいる』と言ったそうです」
機内に、再び緊張が走った。
「犯人が、この中に?」
若い大学生が、周囲を見回した。
「誰だ......誰が爆弾を仕掛けたんだ」
スーツの男が立ち上がった。
「俺は関係ない。俺はただの会社員だ」
中央の女性も言った。
「私も関係ありません。仕事で札幌に行くだけです」
老夫婦は、怯えた様子で黙っている。
若いカップルは、互いにしがみついている。
そして、最後尾のフードの人物は、相変わらず動かない。
「とにかく、爆弾を探しましょう」
私は提案した。
「座席の下、荷物棚、トイレ。全てを調べるんです」
田中が頷いた。
「お客様方、ご協力をお願いします」
全員が、機内の捜索を始めた。
座席の下、座席のポケット、荷物棚。
だが、何も見つからない。
三十分が経過した。
「見つからない......」
若い大学生が、絶望的に呟いた。
「爆弾なんて、本当にあるのか?」
その時、木村が叫んだ。
「あった!」
彼女が指差す先、後方のトイレのゴミ箱の中に、不審な装置があった。
タイマー付きの小型爆弾。液晶ディスプレイには、残り時間が表示されている。
『00:23:47』
あと二十四分を切っている。
「解除できないんですか!?」スーツの男が叫んだ。
田中が爆弾を調べたが、首を横に振った。
「無理です。専門知識がないと、触ると爆発する可能性があります」
「じゃあ、どうするんだ!」
「機外に投げ捨てるしかありません」
だが、問題があった。
民間航空機の窓やドアは、飛行中に開けることができない。気圧の差で、開かないように設計されているのだ。
「非常口は?」大学生が尋ねた。
「非常口も同じです。飛行中は開けられません」
「じゃあ、このまま爆発するのを待つのか!?」
パニックが広がる。
だが、私は冷静に考えた。
何かがおかしい。
爆弾予告の通報者は「犯人は機内にいる」と言った。
つまり、犯人は私たちの中にいる。
だが、なぜ犯人は自分も死ぬような真似をするのか。
自爆テロなら理解できる。だが、通報したのはなぜだ。
まるで、私たちを試しているようだ。
「待ってください」私は言った。「この爆弾、本物ですか?」
全員が私を見た。
「何を言ってるんだ!」スーツの男が怒鳴った。「こんな状況で!」
「いえ、考えてください。犯人がわざわざ通報した理由です。本当に爆破するつもりなら、通報する必要はない」
木村が言った。
「では、何が目的なんですか?」
「それは......」
その時、機内の照明が全て消えた。
第三章 暗闇の中の真実
悲鳴が響く。
完全な暗闇。非常灯すら消えている。
「何が起きた!?」
誰かの声。
数秒後、照明が復旧した。
だが、一人いなくなっていた。
最後尾のフードの人物が、姿を消していた。
「あの人は!?」
若いカップルの男性が叫んだ。
私たちは機内を探した。
そして、コックピットのドアの前で、その人物を見つけた。
フードを脱いだ彼女——そう、女性だった——は、三十代くらいに見えた。痩せた顔に、鋭い目つき。
そして、手には拳銃が握られていた。
「動かないで」
彼女の声は、冷たく響いた。
「誰だ、お前は!」スーツの男が叫んだ。
「私の名前は、安藤由美。七年前、この航空会社の客室乗務員でした」
木村が驚愕の表情を浮かべた。
「安藤さん......まさか、あの事故の......」
「そう。七年前の墜落事故」
安藤は、苦い表情で語り始めた。
「JAL372便。羽田から福岡への便。整備不良が原因で、エンジンが停止。乗客乗員百二十三名が死亡した」
私は、その事故を覚えていた。当時、大きなニュースになった。
「私は、その便の客室乗務員でした。だが、偶然にも私は、その日は休暇を取っていて、乗っていなかった」
「それと、今回の件とどう関係があるんだ?」大学生が尋ねた。
「事故の原因は整備不良。だが、会社は隠蔽した。整備記録を改ざんし、責任を現場のパイロットに押し付けた」
安藤の目に、涙が浮かんだ。
「私の同僚が、五人も死んだ。彼らは、会社の不正の犠牲になったんだ」
「だから、復讐するつもりか?」スーツの男が言った。
「復讐ではない」安藤は首を振った。「暴露です。この便には、当時の事故隠蔽に関わった人間が乗っている」
彼女は、スーツの男を指差した。
「あなた、名前は?」
「橋本......橋本浩二だ」
「そうでしょうね。あなたは七年前、この航空会社の整備部長だった。整備記録を改ざんした張本人」
橋本の顔が青ざめた。
「違う......俺は命令されただけだ」
「命令したのは誰です?」
橋本は答えなかった。
安藤は、中央の女性に視線を移した。
「あなたは、佐々木恵。当時の広報部長。事故後の記者会見で、整備不良を隠蔽し、パイロットのミスだと発表した」
佐々木恵が立ち上がった。
「それは......会社の指示で......」
「そして」安藤は老夫婦を見た。「あなた方は、当時の社長と副社長。全ての隠蔽を指示した」
老夫婦は、何も言わなかった。
「この便は、偶然じゃない」安藤は言った。「私が、あなた方を全員、この便に乗せたんです」
「どうやって?」私が尋ねた。
「予約システムをハッキングした。あなた方の予約を、全てこの便に変更した。そして、台風が接近するのを待った。この便が、最終便になることを」
「では、爆弾は?」
「本物です。でも、爆発はしません。タイマーは止められる」
安藤は、橋本に拳銃を向けた。
「ただし、条件がある。あなた方が、全ての真実を告白すること」
「告白?」
「この機内には、カメラが設置されている。あなた方の告白は、全て録画され、着陸後に公開される」
橋本が叫んだ。
「そんなことできるか!」
「ならば、爆弾は爆発します。あなた方も、そして無関係な乗客も、全員死にます」
私は、状況を理解した。
安藤は、狂気じみた復讐を企てている。だが、同時に、彼女の痛みも理解できた。
「安藤さん」私は言った。「私たち無関係な乗客を、巻き込まないでください」
安藤は私を見た。
「申し訳ない。でも、これしか方法がなかった」
その時、コックピットのドアが開いた。
第四章 機長の決断
ドアから出てきたのは、機長だった。
五十代の落ち着いた男性。名札には「高橋」とある。
「安藤さん、もうやめなさい」
高橋機長は、静かに言った。
「機長......」安藤の手が震えた。
「あなたの気持ちは分かる。七年前の事故、私も忘れていない」
「あなたは、パイロット組合の代表として、会社の隠蔽に抗議してくれました。でも、揉み消された」
「ああ。会社の力は強大だった。私一人では、どうにもできなかった」
高橋は、安藤に一歩近づいた。
「だが、こんな方法は間違っている。無関係な人々を巻き込んで、何になる」
「でも......他に方法が......」
「ある」高橋は言った。「この機は、着陸後に全ての記録が検証される。あなたが仕掛けたカメラの映像も、この会話も、全て証拠になる」
「会社は、また揉み消すでしょう」
「いや、今回は違う」
高橋は、橋本たちを見た。
「彼らの告白があれば、隠蔽はできない。そして、私が証言する。七年前の隠蔽工作の全てを」
橋本が叫んだ。
「お前、何を言って——」
「黙れ」高橋の声は、鋭かった。「七年前、私は沈黙を選んだ。仲間の死を、無駄にした。だが、もう二度と同じ過ちは犯さない」
彼は、安藤に手を差し伸べた。
「安藤さん、銃を下ろしなさい。そして、一緒に真実を明らかにしよう」
安藤の目から、涙が溢れた。
「本当に......本当に、真実を明らかにできますか?」
「約束する」
安藤は、ゆっくりと銃を下ろした。
だが、その瞬間。
橋本が動いた。
彼は安藤に飛びかかり、銃を奪おうとした。
「させるか!」
揉み合いになる。
そして、銃声が響いた。
橋本が、胸を押さえて倒れた。
「橋本さん!」佐々木が駆け寄った。
だが、橋本は動かなかった。
安藤は呆然と、銃を見つめていた。
「私......殺してしまった......」
高橋が彼女の肩を掴んだ。
「事故だ。あなたのせいじゃない」
だが、状況は悪化した。
爆弾のタイマーは、残り五分を切っていた。
「爆弾を止めないと!」若い大学生が叫んだ。
安藤が言った。
「解除コードは......私のスマートフォンに入っています」
「どこです!?」
「座席の......」
安藤が座っていた最後尾の座席に、私たちは向かった。
だが、スマートフォンがない。
「ない!」
「探して!」
全員が必死に探した。
残り三分。
二分。
一分。
「見つかりました!」
木村が、座席の隙間からスマートフォンを取り出した。
安藤がロックを解除し、アプリを開く。
そして、解除コードを入力した。
タイマーが止まった。
『00:00:03』
残り三秒だった。
機内に、安堵の息が漏れた。
若いカップルは抱き合って泣いていた。
老夫婦は、ただ座り込んでいた。
私は、窓の外を見た。
札幌の灯りが、見え始めていた。
高橋機長が、機内放送を入れた。
「皆様、まもなく新千歳空港に着陸いたします。本日は、大変な事態となり、誠に申し訳ございませんでした」
だが、私は気づいていた。何かが、まだ終わっていないことを。
第五章 最後の真実
着陸後、空港には警察と救急車が待機していた。
橋本の遺体は運び出され、安藤は警察に連行された。
老夫婦と佐々木も、事情聴取のため警察に同行した。
私たち残りの乗客は、空港の待合室で待機させられた。
若いカップル、大学生、そして私。
疲労困憊の私たちは、ただ黙って座っていた。
だが、私の頭の中では、疑問が渦巻いていた。
何かが、おかしい。
安藤の計画は、完璧すぎた。
予約システムのハッキング、爆弾の製造、カメラの設置。
そして、高橋機長の協力。
まるで、全てが計画通りだったかのように。
私は立ち上がり、高橋機長を探した。
彼は、警察と話していた。
「機長」私は声をかけた。
高橋は振り向いた。
「どうしました?」
「一つ、聞いてもいいですか」
「何でしょう」
「あなた、安藤さんと事前に連絡を取っていましたね」
高橋の表情が変わった。
「何を根拠に?」
「あなたの行動です。安藤さんが銃を出した時、あなたは驚かなかった。まるで、予想していたかのように」
高橋は沈黙した。
「そして、橋本さんの死」私は続けた。「あれは、事故ではない」
「どういうことですか」
「安藤さんは、銃を下ろしていた。だが、橋本さんが飛びかかった時、銃口は下を向いていたはずです。胸を撃つことは、物理的に不可能だった」
「つまり?」
「誰かが、橋本さんを撃った。そして、それを安藤さんのせいにした」
高橋は、深く息を吐いた。
「よく気づきましたね」
彼は、上着の内ポケットから、小型の拳銃を取り出した。
「これで、橋本を撃ちました」
「なぜ?」
「復讐です」高橋は静かに言った。「七年前、橋本の隠蔽工作で、私の親友が死にました。副操縦士だった彼は、会社から責任を押し付けられ、自殺しました」
「だから、殺した?」
「そうです。安藤さんの計画を利用して」
私は、拳を握り締めた。
「では、安藤さんは......」
「彼女は知りません。私が彼女に接触し、協力すると申し出た。だが、本当の目的は、橋本を殺すことでした」
高橋は、拳銃を床に置いた。
「もう逃げません。全ての罪を認めます」
警察が駆け寄ってきた。
高橋は、静かに手錠をかけられた。
私は、ただ立ち尽くしていた。
安藤の復讐は、別の復讐を呼んだ。
そして、橋本は死んだ。
だが、真実は明らかになった。
七年前の事故の隠蔽。
会社の不正。
そして、それによって失われた命。
翌日、全てのメディアがこの事件を報じた。
航空会社の株価は暴落し、社長は辞任した。
老夫婦——元社長と元副社長——は逮捕された。
佐々木恵も、証拠隠滅の罪で起訴された。
安藤由美は、航空機ハイジャックの罪で起訴されたが、同時に内部告発者として保護された。
高橋機長は、殺人罪で起訴された。
私は、東京に戻った。
プレゼンテーションは延期になった。だが、それはもうどうでもよかった。
あの夜、私は人間の復讐の連鎖を見た。
そして、真実を暴くことの代償も見た。
エピローグ
半年後、私は札幌を再訪した。
仕事ではなく、個人的な理由だった。
私は、高橋機長の裁判を傍聴した。
彼は、全ての罪を認めた。そして、七年前の事故の真実を証言した。
判決は、懲役十五年。
だが、彼は満足そうだった。
「真実は、明らかになった。それで十分です」
法廷を出ると、安藤由美が立っていた。
彼女は保釈中だった。
「桜井さん」
「安藤さん」
私たちは、少し歩いた。
「高橋機長のこと、知っていましたか?」私は尋ねた。
安藤は首を振った。
「全く知りませんでした。でも......」
彼女は空を見上げた。
「彼の気持ちは、分かります。復讐したい気持ち。誰かを責めたい気持ち」
「でも、それは正しくない」
「ええ。だから、私は償います。自分の罪を」
私たちは、別れた。
私は、空港に向かった。
東京行きの便に乗るために。
搭乗ゲートで、私は一瞬立ち止まった。
また飛行機に乗る。
あの恐怖を、再び経験するかもしれない。
だが、私は進んだ。
人は、恐怖を乗り越えて生きていく。
そして、真実と共に。
これが、あの夜の物語。最後の乗客たちの、恐怖と真実の記録。
午後十一時四十五分。私は羽田空港の搭乗ゲートに立っていた。
最終便、JAL873便。目的地は札幌・新千歳空港。台風が接近しているため、これが今夜最後のフライトだった。
私の名前は桜井真一。三十五歳の出版社営業マン。札幌の書店との商談を終え、急いで東京に戻る必要があった。明日の朝一番に、重要なプレゼンテーションが控えていたからだ。
「お客様、搭乗券をお願いします」
疲れた表情のグランドスタッフが、機械的に言った。
私は搭乗券を差し出し、機内に入った。
乗客は少なかった。台風接近のせいで、多くの便が欠航になっていた。この便も、本来は満席のはずだったが、払い戻しやキャンセルが相次いだらしい。
座席は13B。窓側の席だ。
隣の13Aには、誰も座っていなかった。
私は安堵の息をついた。長時間のフライト、隣に誰もいない方が楽だ。
だが、搭乗が始まってから気づいた。
乗客が、異様に少ない。
機内を見回すと、乗客は私を含めて十人しかいなかった。
最前列に座る初老の男性、スーツを着た五十代くらいの厳つい顔つき。
その後ろに、二十代と思われる若いカップル。女性は不安そうに男性にしがみついている。
中央部には、三十代の女性が一人。ノートパソコンを開いて、何か作業をしている。
私の後ろには、大学生くらいの若い男性。イヤホンをして、スマートフォンを見つめている。
さらに後方には、六十代の老夫婦。二人とも疲れた様子で座っている。
そして最後尾に、黒いフードを被った人物。性別も年齢も分からない。ずっと下を向いている。
客室乗務員は二人。一人は三十代の女性、名札には「木村」とある。もう一人は二十代の若い男性、「田中」と書かれている。
「皆様、本日はJAL873便をご利用いただき、ありがとうございます」
木村が、マイクで機内アナウンスを始めた。だが、その声には疲労が滲んでいた。
「当便は、台風接近のため、若干の揺れが予想されます。シートベルトは常時着用をお願いいたします」
機体が動き出した。
私は窓の外を見た。雨が激しく降っている。風も強い。本当にこの天候で飛べるのか、不安になった。
離陸許可が下り、機体が滑走路に向かう。
エンジン音が高まり、機体が加速する。
そして、離陸。
機体が大きく揺れた。
「うわっ!」
若いカップルの女性が悲鳴を上げた。
だが、すぐに機体は安定した。雲の中を抜け、夜空に出た。
「高度一万メートルに到達しました。シートベルトサインを消灯いたします」
木村のアナウンス。
私は深く息を吐いた。これで、後は札幌まで二時間弱だ。
だが、その時だった。
機内放送が再び入った。
「皆様に、緊急のお知らせがあります」
木村の声は、明らかに動揺していた。
「この便に、爆弾が仕掛けられているという通報がありました」
機内に、静寂が訪れた。
第二章 爆弾予告
「爆弾......?」
誰かが呟いた。
若いカップルの女性が、泣き出した。
「嘘でしょ......嘘よね?」
木村が続けた。
「詳細は不明です。ただ、通報によれば、この機内のどこかに爆弾が隠されており、午前一時に爆発するとのことです」
午前一時。今は午前零時五分。あと五十五分しかない。
「引き返せないんですか!」最前列のスーツの男が叫んだ。
「申し訳ございません。現在、台風の影響で羽田空港は閉鎖されています。札幌への飛行を続けるしかありません」
「じゃあ、その爆弾を探せばいいだろう!」
田中が前に出てきた。
「現在、機内の捜索を行っています。皆様、ご協力をお願いします」
だが、私は気づいていた。
この状況、何かがおかしい。
爆弾予告があったのなら、なぜ離陸前に分からなかったのか。
そして、なぜこのタイミングで発表したのか。
私は立ち上がり、木村に声をかけた。
「すみません、通報はいつ、誰から入ったんですか?」
木村は躊躇したが、答えた。
「離陸直後です。管制塔を通じて、機長に伝えられました。通報者は......匿名です」
「匿名?」
「ええ。ただ、通報者は『犯人はこの機内にいる』と言ったそうです」
機内に、再び緊張が走った。
「犯人が、この中に?」
若い大学生が、周囲を見回した。
「誰だ......誰が爆弾を仕掛けたんだ」
スーツの男が立ち上がった。
「俺は関係ない。俺はただの会社員だ」
中央の女性も言った。
「私も関係ありません。仕事で札幌に行くだけです」
老夫婦は、怯えた様子で黙っている。
若いカップルは、互いにしがみついている。
そして、最後尾のフードの人物は、相変わらず動かない。
「とにかく、爆弾を探しましょう」
私は提案した。
「座席の下、荷物棚、トイレ。全てを調べるんです」
田中が頷いた。
「お客様方、ご協力をお願いします」
全員が、機内の捜索を始めた。
座席の下、座席のポケット、荷物棚。
だが、何も見つからない。
三十分が経過した。
「見つからない......」
若い大学生が、絶望的に呟いた。
「爆弾なんて、本当にあるのか?」
その時、木村が叫んだ。
「あった!」
彼女が指差す先、後方のトイレのゴミ箱の中に、不審な装置があった。
タイマー付きの小型爆弾。液晶ディスプレイには、残り時間が表示されている。
『00:23:47』
あと二十四分を切っている。
「解除できないんですか!?」スーツの男が叫んだ。
田中が爆弾を調べたが、首を横に振った。
「無理です。専門知識がないと、触ると爆発する可能性があります」
「じゃあ、どうするんだ!」
「機外に投げ捨てるしかありません」
だが、問題があった。
民間航空機の窓やドアは、飛行中に開けることができない。気圧の差で、開かないように設計されているのだ。
「非常口は?」大学生が尋ねた。
「非常口も同じです。飛行中は開けられません」
「じゃあ、このまま爆発するのを待つのか!?」
パニックが広がる。
だが、私は冷静に考えた。
何かがおかしい。
爆弾予告の通報者は「犯人は機内にいる」と言った。
つまり、犯人は私たちの中にいる。
だが、なぜ犯人は自分も死ぬような真似をするのか。
自爆テロなら理解できる。だが、通報したのはなぜだ。
まるで、私たちを試しているようだ。
「待ってください」私は言った。「この爆弾、本物ですか?」
全員が私を見た。
「何を言ってるんだ!」スーツの男が怒鳴った。「こんな状況で!」
「いえ、考えてください。犯人がわざわざ通報した理由です。本当に爆破するつもりなら、通報する必要はない」
木村が言った。
「では、何が目的なんですか?」
「それは......」
その時、機内の照明が全て消えた。
第三章 暗闇の中の真実
悲鳴が響く。
完全な暗闇。非常灯すら消えている。
「何が起きた!?」
誰かの声。
数秒後、照明が復旧した。
だが、一人いなくなっていた。
最後尾のフードの人物が、姿を消していた。
「あの人は!?」
若いカップルの男性が叫んだ。
私たちは機内を探した。
そして、コックピットのドアの前で、その人物を見つけた。
フードを脱いだ彼女——そう、女性だった——は、三十代くらいに見えた。痩せた顔に、鋭い目つき。
そして、手には拳銃が握られていた。
「動かないで」
彼女の声は、冷たく響いた。
「誰だ、お前は!」スーツの男が叫んだ。
「私の名前は、安藤由美。七年前、この航空会社の客室乗務員でした」
木村が驚愕の表情を浮かべた。
「安藤さん......まさか、あの事故の......」
「そう。七年前の墜落事故」
安藤は、苦い表情で語り始めた。
「JAL372便。羽田から福岡への便。整備不良が原因で、エンジンが停止。乗客乗員百二十三名が死亡した」
私は、その事故を覚えていた。当時、大きなニュースになった。
「私は、その便の客室乗務員でした。だが、偶然にも私は、その日は休暇を取っていて、乗っていなかった」
「それと、今回の件とどう関係があるんだ?」大学生が尋ねた。
「事故の原因は整備不良。だが、会社は隠蔽した。整備記録を改ざんし、責任を現場のパイロットに押し付けた」
安藤の目に、涙が浮かんだ。
「私の同僚が、五人も死んだ。彼らは、会社の不正の犠牲になったんだ」
「だから、復讐するつもりか?」スーツの男が言った。
「復讐ではない」安藤は首を振った。「暴露です。この便には、当時の事故隠蔽に関わった人間が乗っている」
彼女は、スーツの男を指差した。
「あなた、名前は?」
「橋本......橋本浩二だ」
「そうでしょうね。あなたは七年前、この航空会社の整備部長だった。整備記録を改ざんした張本人」
橋本の顔が青ざめた。
「違う......俺は命令されただけだ」
「命令したのは誰です?」
橋本は答えなかった。
安藤は、中央の女性に視線を移した。
「あなたは、佐々木恵。当時の広報部長。事故後の記者会見で、整備不良を隠蔽し、パイロットのミスだと発表した」
佐々木恵が立ち上がった。
「それは......会社の指示で......」
「そして」安藤は老夫婦を見た。「あなた方は、当時の社長と副社長。全ての隠蔽を指示した」
老夫婦は、何も言わなかった。
「この便は、偶然じゃない」安藤は言った。「私が、あなた方を全員、この便に乗せたんです」
「どうやって?」私が尋ねた。
「予約システムをハッキングした。あなた方の予約を、全てこの便に変更した。そして、台風が接近するのを待った。この便が、最終便になることを」
「では、爆弾は?」
「本物です。でも、爆発はしません。タイマーは止められる」
安藤は、橋本に拳銃を向けた。
「ただし、条件がある。あなた方が、全ての真実を告白すること」
「告白?」
「この機内には、カメラが設置されている。あなた方の告白は、全て録画され、着陸後に公開される」
橋本が叫んだ。
「そんなことできるか!」
「ならば、爆弾は爆発します。あなた方も、そして無関係な乗客も、全員死にます」
私は、状況を理解した。
安藤は、狂気じみた復讐を企てている。だが、同時に、彼女の痛みも理解できた。
「安藤さん」私は言った。「私たち無関係な乗客を、巻き込まないでください」
安藤は私を見た。
「申し訳ない。でも、これしか方法がなかった」
その時、コックピットのドアが開いた。
第四章 機長の決断
ドアから出てきたのは、機長だった。
五十代の落ち着いた男性。名札には「高橋」とある。
「安藤さん、もうやめなさい」
高橋機長は、静かに言った。
「機長......」安藤の手が震えた。
「あなたの気持ちは分かる。七年前の事故、私も忘れていない」
「あなたは、パイロット組合の代表として、会社の隠蔽に抗議してくれました。でも、揉み消された」
「ああ。会社の力は強大だった。私一人では、どうにもできなかった」
高橋は、安藤に一歩近づいた。
「だが、こんな方法は間違っている。無関係な人々を巻き込んで、何になる」
「でも......他に方法が......」
「ある」高橋は言った。「この機は、着陸後に全ての記録が検証される。あなたが仕掛けたカメラの映像も、この会話も、全て証拠になる」
「会社は、また揉み消すでしょう」
「いや、今回は違う」
高橋は、橋本たちを見た。
「彼らの告白があれば、隠蔽はできない。そして、私が証言する。七年前の隠蔽工作の全てを」
橋本が叫んだ。
「お前、何を言って——」
「黙れ」高橋の声は、鋭かった。「七年前、私は沈黙を選んだ。仲間の死を、無駄にした。だが、もう二度と同じ過ちは犯さない」
彼は、安藤に手を差し伸べた。
「安藤さん、銃を下ろしなさい。そして、一緒に真実を明らかにしよう」
安藤の目から、涙が溢れた。
「本当に......本当に、真実を明らかにできますか?」
「約束する」
安藤は、ゆっくりと銃を下ろした。
だが、その瞬間。
橋本が動いた。
彼は安藤に飛びかかり、銃を奪おうとした。
「させるか!」
揉み合いになる。
そして、銃声が響いた。
橋本が、胸を押さえて倒れた。
「橋本さん!」佐々木が駆け寄った。
だが、橋本は動かなかった。
安藤は呆然と、銃を見つめていた。
「私......殺してしまった......」
高橋が彼女の肩を掴んだ。
「事故だ。あなたのせいじゃない」
だが、状況は悪化した。
爆弾のタイマーは、残り五分を切っていた。
「爆弾を止めないと!」若い大学生が叫んだ。
安藤が言った。
「解除コードは......私のスマートフォンに入っています」
「どこです!?」
「座席の......」
安藤が座っていた最後尾の座席に、私たちは向かった。
だが、スマートフォンがない。
「ない!」
「探して!」
全員が必死に探した。
残り三分。
二分。
一分。
「見つかりました!」
木村が、座席の隙間からスマートフォンを取り出した。
安藤がロックを解除し、アプリを開く。
そして、解除コードを入力した。
タイマーが止まった。
『00:00:03』
残り三秒だった。
機内に、安堵の息が漏れた。
若いカップルは抱き合って泣いていた。
老夫婦は、ただ座り込んでいた。
私は、窓の外を見た。
札幌の灯りが、見え始めていた。
高橋機長が、機内放送を入れた。
「皆様、まもなく新千歳空港に着陸いたします。本日は、大変な事態となり、誠に申し訳ございませんでした」
だが、私は気づいていた。何かが、まだ終わっていないことを。
第五章 最後の真実
着陸後、空港には警察と救急車が待機していた。
橋本の遺体は運び出され、安藤は警察に連行された。
老夫婦と佐々木も、事情聴取のため警察に同行した。
私たち残りの乗客は、空港の待合室で待機させられた。
若いカップル、大学生、そして私。
疲労困憊の私たちは、ただ黙って座っていた。
だが、私の頭の中では、疑問が渦巻いていた。
何かが、おかしい。
安藤の計画は、完璧すぎた。
予約システムのハッキング、爆弾の製造、カメラの設置。
そして、高橋機長の協力。
まるで、全てが計画通りだったかのように。
私は立ち上がり、高橋機長を探した。
彼は、警察と話していた。
「機長」私は声をかけた。
高橋は振り向いた。
「どうしました?」
「一つ、聞いてもいいですか」
「何でしょう」
「あなた、安藤さんと事前に連絡を取っていましたね」
高橋の表情が変わった。
「何を根拠に?」
「あなたの行動です。安藤さんが銃を出した時、あなたは驚かなかった。まるで、予想していたかのように」
高橋は沈黙した。
「そして、橋本さんの死」私は続けた。「あれは、事故ではない」
「どういうことですか」
「安藤さんは、銃を下ろしていた。だが、橋本さんが飛びかかった時、銃口は下を向いていたはずです。胸を撃つことは、物理的に不可能だった」
「つまり?」
「誰かが、橋本さんを撃った。そして、それを安藤さんのせいにした」
高橋は、深く息を吐いた。
「よく気づきましたね」
彼は、上着の内ポケットから、小型の拳銃を取り出した。
「これで、橋本を撃ちました」
「なぜ?」
「復讐です」高橋は静かに言った。「七年前、橋本の隠蔽工作で、私の親友が死にました。副操縦士だった彼は、会社から責任を押し付けられ、自殺しました」
「だから、殺した?」
「そうです。安藤さんの計画を利用して」
私は、拳を握り締めた。
「では、安藤さんは......」
「彼女は知りません。私が彼女に接触し、協力すると申し出た。だが、本当の目的は、橋本を殺すことでした」
高橋は、拳銃を床に置いた。
「もう逃げません。全ての罪を認めます」
警察が駆け寄ってきた。
高橋は、静かに手錠をかけられた。
私は、ただ立ち尽くしていた。
安藤の復讐は、別の復讐を呼んだ。
そして、橋本は死んだ。
だが、真実は明らかになった。
七年前の事故の隠蔽。
会社の不正。
そして、それによって失われた命。
翌日、全てのメディアがこの事件を報じた。
航空会社の株価は暴落し、社長は辞任した。
老夫婦——元社長と元副社長——は逮捕された。
佐々木恵も、証拠隠滅の罪で起訴された。
安藤由美は、航空機ハイジャックの罪で起訴されたが、同時に内部告発者として保護された。
高橋機長は、殺人罪で起訴された。
私は、東京に戻った。
プレゼンテーションは延期になった。だが、それはもうどうでもよかった。
あの夜、私は人間の復讐の連鎖を見た。
そして、真実を暴くことの代償も見た。
エピローグ
半年後、私は札幌を再訪した。
仕事ではなく、個人的な理由だった。
私は、高橋機長の裁判を傍聴した。
彼は、全ての罪を認めた。そして、七年前の事故の真実を証言した。
判決は、懲役十五年。
だが、彼は満足そうだった。
「真実は、明らかになった。それで十分です」
法廷を出ると、安藤由美が立っていた。
彼女は保釈中だった。
「桜井さん」
「安藤さん」
私たちは、少し歩いた。
「高橋機長のこと、知っていましたか?」私は尋ねた。
安藤は首を振った。
「全く知りませんでした。でも......」
彼女は空を見上げた。
「彼の気持ちは、分かります。復讐したい気持ち。誰かを責めたい気持ち」
「でも、それは正しくない」
「ええ。だから、私は償います。自分の罪を」
私たちは、別れた。
私は、空港に向かった。
東京行きの便に乗るために。
搭乗ゲートで、私は一瞬立ち止まった。
また飛行機に乗る。
あの恐怖を、再び経験するかもしれない。
だが、私は進んだ。
人は、恐怖を乗り越えて生きていく。
そして、真実と共に。
これが、あの夜の物語。最後の乗客たちの、恐怖と真実の記録。
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