45 / 100
第三章
そしてテープは回り始める 1
しおりを挟む
服を着替えた那美が道の先を行く。残暑の日差しは眩しく、まだまだ蝉が鳴いている。
「どこ行くの?」
「中華。暑いから辛い物でもさ」
商店街の中を進むと、真っ赤な暖簾のかかったガラス戸が見えた。慣れた様子で、那美はそのガラス戸をがらっと開ける。カウンター席と、三つほどのテーブル席があるこじんまりとした中華料理屋だ。厨房の男性が来客に気付き、顔を上げる。
「いらっしゃい。……ああ、那美ちゃん」
「こんにちは難波さん。奥の席、使うね」
那美は一番奥の席を指差して言った。
難波と呼ばれた男性の顔が、一瞬固くなったように煌津には見えた。
「ああ。大丈夫だよ」
那美は頷いて奥へと向かう。四人掛けの小さなテーブル席だ。
「穂結君は奥。そっちに座って」
那美はそう言って、一番奥の壁際の席に座るよう煌津に促した。
「わかった」
ビデオが入ったショルダーバッグを椅子の背に引っ掛けて、言われた通りの席に座る。
――背筋が、ぞくりとした。急速に室温が氷のように冷たくなるのを感じる。
原因はわかっている。隣だ。隣の席に、誰かいるのだ。
人ではない、誰かが――……
「どうかした?」
何でもないような風で、那美が問う。この重たく、冷気を感じる店内の雰囲気に彼女が気付いていないという事はないだろう。
「九宇時さん、この店……」
「穂結君、最初に言っておくけど、ここは普通の店だよ。君が思っているようなところじゃない」
隣の席に人の気配を感じる。ひどく重たい。骨の中まで凍りつくかのように。
「そんなはずは……」
「今の君は、内在する魔力のせいで霊感が鋭敏になっている。この感覚に慣れていないから、今感じている強い感触を、実物以上に大きく受け止めてしまっている」
感覚の全てがおかしくなりそうなのに、那美の声ははっきりと聞こえた。
「周囲ではなく、己を見て。意識を潜らせて魔力の流れを掴むの。荒れた川がやがて落ち着くように、エネルギーを循環させて全身に行き渡る量を調節すればいい」
「……己を」
――見る。煌津は闇の中に巡る無数の魔力の糸を見た。何匹もの巨大な蛇のように荒れて波立つ魔力の糸の束。その流れをコントロールしようとする――
「違う。無理に手中に収めようとしてはいけない。エネルギーと穂結君は一体。もはや一体なの。自然のままに、循環させるの」
循環。煌津は、荒れたエネルギーが次第に行き場を見つけて収まっていくのを感じる。血液と同じように、体内を巡る。
「穂結君はマトリックスの中にはいない。異界の中にもいない。ここは現世の層。現世こそ、この世にある全てが混在する場所」
煌津は意識を現実に戻した。さっきまで感じていた重苦しい冷気はどこにもなかった。隣の席が少しひんやりする。その程度だ。
「……」
「どこ行くの?」
「中華。暑いから辛い物でもさ」
商店街の中を進むと、真っ赤な暖簾のかかったガラス戸が見えた。慣れた様子で、那美はそのガラス戸をがらっと開ける。カウンター席と、三つほどのテーブル席があるこじんまりとした中華料理屋だ。厨房の男性が来客に気付き、顔を上げる。
「いらっしゃい。……ああ、那美ちゃん」
「こんにちは難波さん。奥の席、使うね」
那美は一番奥の席を指差して言った。
難波と呼ばれた男性の顔が、一瞬固くなったように煌津には見えた。
「ああ。大丈夫だよ」
那美は頷いて奥へと向かう。四人掛けの小さなテーブル席だ。
「穂結君は奥。そっちに座って」
那美はそう言って、一番奥の壁際の席に座るよう煌津に促した。
「わかった」
ビデオが入ったショルダーバッグを椅子の背に引っ掛けて、言われた通りの席に座る。
――背筋が、ぞくりとした。急速に室温が氷のように冷たくなるのを感じる。
原因はわかっている。隣だ。隣の席に、誰かいるのだ。
人ではない、誰かが――……
「どうかした?」
何でもないような風で、那美が問う。この重たく、冷気を感じる店内の雰囲気に彼女が気付いていないという事はないだろう。
「九宇時さん、この店……」
「穂結君、最初に言っておくけど、ここは普通の店だよ。君が思っているようなところじゃない」
隣の席に人の気配を感じる。ひどく重たい。骨の中まで凍りつくかのように。
「そんなはずは……」
「今の君は、内在する魔力のせいで霊感が鋭敏になっている。この感覚に慣れていないから、今感じている強い感触を、実物以上に大きく受け止めてしまっている」
感覚の全てがおかしくなりそうなのに、那美の声ははっきりと聞こえた。
「周囲ではなく、己を見て。意識を潜らせて魔力の流れを掴むの。荒れた川がやがて落ち着くように、エネルギーを循環させて全身に行き渡る量を調節すればいい」
「……己を」
――見る。煌津は闇の中に巡る無数の魔力の糸を見た。何匹もの巨大な蛇のように荒れて波立つ魔力の糸の束。その流れをコントロールしようとする――
「違う。無理に手中に収めようとしてはいけない。エネルギーと穂結君は一体。もはや一体なの。自然のままに、循環させるの」
循環。煌津は、荒れたエネルギーが次第に行き場を見つけて収まっていくのを感じる。血液と同じように、体内を巡る。
「穂結君はマトリックスの中にはいない。異界の中にもいない。ここは現世の層。現世こそ、この世にある全てが混在する場所」
煌津は意識を現実に戻した。さっきまで感じていた重苦しい冷気はどこにもなかった。隣の席が少しひんやりする。その程度だ。
「……」
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる