上 下
47 / 66
6.  アレクとなった俺、伯爵令嬢に会う

―― エミリー嬢と俺 7 ――

しおりを挟む
 そこには、黒い無地の野球帽のような帽子を被った男の肖像画があった。魔法で拡大できるようになっており、親指と人差し指、二本の指を動かし、数倍の大きさにしてみた。
 アリアとイリアも、俺の横からのぞきこんでいる。
 帽子のひさしの下は、影になっており、眼を覆う位置まで前髪が伸びているせいもあって、人相がはっきりしない。左の頬に、俺の記憶にある映画の海賊を思わせるような、縦に二本の切り傷があった。

 俺は、アリア、イリアと顔を見合わせた。
 アリアたちは、大きくうなずいている。
「わかった。……このヒトでお願いします」

 係の女性は、うなずくと、カウンターの下をのぞき込み、そこから、新しい別の書類を取り出して、俺の前に置いた。
「こちらに、記入をお願いします。――あと、身分証明をお持ちですか?」
 王室に属する者、特に王子や王女の顔は、市中に肖像画が大量に出まわっているため、俺の顔をみて、王子だと気づいているはずだが、おくびにも出さず、身分証明を訊いてくる。

 俺は、レンゲルへの旅行の時に、ニコライ殿下から渡された、王国政務官補佐の身分証をみせた。ニコライ殿下の直筆の書類で、任命文の最後に、殿下と宰相のサインがある。
 係員は、差し出した身分証をチラッとみると、複写魔法のかけられた紙の上部に、それを当てた。さらに、俺の記入した護衛依頼の書類にも、魔法紙の下部を当てた。

 複写した紙を、俺とアリアたちにみせる。
「間違いありませんね?」

 その魔法紙には、俺の記入した護衛の依頼書や、身分証の内容が、きれいに写し取られていた。
 俺がうなずくと、係員は、依頼書と複写した書類をしまい込み、身分証明を返した。そのあと、受付の奥にある黒い扉を押し開けて、なかにいるらしい誰かに声をかけた。
 すぐに、返事をする声が聞こえた。俺には、男性の声のように思えた。声がしてから、すぐ扉の向こうから、強い魔力が発せられて、アリアたちが、何事? と声を上げた。

 係員が、無表情な顔をこちらに向けた。
「ちょうど良かったです。あなたがたの選んだ者が、前回の仕事の報酬を受け取りに来て、控室にいます。依頼の受諾確認をします。――座って、お待ちください」

 待合室の椅子に三人で、座って待っていると、係員が、ひとりの男を、後ろに従えて戻ってきた。
 肖像画と同じ帽子を被った、今回の仕事を依頼する暗殺者だった。前髪が、両眼にかかっていて、視線の先がわからず、表情が読めない。

「依頼内容の説明はしました。異例ですが、ちょうど居合わせたので、依頼人に会ってから、引き受けるかどうか、決めたいとの事です」
 立ち上がろうとすると、そのままで、と係員が俺たちを制し、男を俺たちの向かい側の席に座らせた。

 係員が受付に戻っていくと、男はわずかに頭を下げたあと、しゃがれた低い声で、
「――ビルと申す。単刀直入に訊くが、この護衛は、完全達成しか許されないのか、護衛対象者がケガするぐらいまでは許されるのか、あるいは、相手の暗殺者が強力な場合、護衛の放棄が許されるのか? そちらの意思が知りたい」

 俺は、アリアたちと顔を見合わせた。迷うことなく答えた。
「もちろん、完全達成だ。何がなんでも、護衛対象者が、五体満足で一生を過ごせるようにしてくれ。彼女の身体が健康で、寿命をまっとうすることを、我々は望んでいる」
 男は、それを聞いても無言だった。前髪の後ろから、じっと観察しているようだった。

 男は、ふいに立ち上がった。
「依頼は、引き受け申す。今日の夕方から、とりかかる。……それで良いですな?」

 俺とアリアたちも、うなずきながら、立ち上がって礼を述べた。
 係員が、いつのまにか、傍まで来ていた。
「お話は、終わりましたか?」
「依頼は引き受けることにした。登録情報を、依頼実行中に変えておいてくれ」
 男は、無表情で話すと、そのままギルドの控室へ帰ってしまった。

 俺は、報酬の半額を受付で払った。あと半額は、この依頼が達成できてからだ。
 護衛の完全達成は、難しいのだろうか? いつ、どこから襲ってくるのかわからない。守る側の方が、常に気を張っていなければならず、不利だとは思う。
 係員の話では、腕は良いということだった。護衛対象者を守れなかったことはないという。

 護衛をつけても、エミリー嬢からは、眼がはなせない。
 俺も、あの、姿をみせようとしない暗殺者を想像し、宮中に見慣れない者がいないか、王宮に務めるメイドや文官たちに、おかしな動きをしている者がいないか、注意を怠らないようにするつもりだった。
しおりを挟む

処理中です...